きっかけはウィスパーボイスで淫語を言う女優さんだった 

  • [2013/04/06 14:59]

昨日、たまたま監督のビーバップみのると話す機会があったのだが、会うなり「淫語魔さん! どうしたんですかその格好は? なんかハデなのを着ているじゃないですか」と言われてしまった。
一瞬、戸惑って派手だと言われた自分の胸元をなで回す。オレンジ色のTシャツ、紺色のリンゴのデザインをプリントしたその柄は、確かに数年前の自分であればまず選ばなかったポップな服装だ。
急にこそばゆい気分になった。

「あのスーツ姿の淫語魔さんは、どこに行ってしまったんですか?」

そう、自分が最初、この業界の人たちと交流し始めたときは、ほぼスーツで出かけていった。二村さんや麻郎さんと最初に会ったのもそうだし、安田さんや遠藤さんと会ったのもそうだった。あまり記憶にはなかったが、みのるさんとの最初のときもスーツだったのかもしれない。

というよりも、その頃の自分はそんなにおしゃれな服を持っていなかった。そもそも私服にお金をかけるようなタイプではなく、特に独り身に戻ってからはよそ行きの私服など無いに等しかった。
それでもスーツだけは良いのを持っていた。いちおう大きな会社の営業職をやっていたので、ブルックスブラザースのバカ高い服を何着か持っていたのだ。

あれはもう3年前になるか、中村淳彦と会ったのもスーツ姿だった。
それは中村さんが、ある大物AV女優とインタビューする場でのことであった。
これは当人も言っていることだが、中村淳彦は売れている女優さんにそれほど関心のある人間ではない。特にインタビューする女優に関しては、できるだけその人の情報は入れないようにしているらしい。当然、作品も見ない。
当人の説明によれば、女優と距離を縮めることで共感してしまうのをなるべく避けたいということだが、自分は単に下調べすることが面倒だからなんじゃないかと疑ってもいる。

その時のインタビューイのAV女優さんは、当時ある意味、トップを取ったような超売れっ子女優で、当然ながら自分も彼女の作品は観ていた。彼女がとあるメーカーの専属を離れ、やや調子を落としている頃に、彼女のブログを見つけて妙なシンパシーをいだき、そこで更新される錯綜気味だが自分に正直な記事を読みながら、陰ながらエールを送っていたものだ。
やがてプレステージの人妻モノで大ブレークして、一気にトップ女優に登り詰めていく。その様は爽快ですらあった。

そんな彼女のインタビューの場になぜか中村さんから同席してくれと言われた。
いや正確に言うと、中村さんがその女優さんとのインタビュー仕事をほのめかしたときに、自分も同席したいと口走ってしまったからなのだが、それでもそんなことが通るはずもないだろうと、こちらも軽い気持ちで言ったにすぎない。それがなぜか、「それじゃー、明日、四ッ谷で」とか言われて、当日、仕事をなんとか切り上げて行くことになったのであった。

結果から先に言うと、自分は途中で帰されることになる。
当然だ。インタビューアの友だちだかなんだか知らないが、そんな軽い気持ちで、これから話すかもしれない立ち入った話を一般人の一ユーザーの前で話せというのだ。当然、当のその女優からはそんなことはありえないと拒否された。

「えー、あれぇー○○さん(淫語魔の本名)だったんですかぁー? えーーーー!!!」

今年に入って、その女優さんと仕事をすることになった。彼女はしばらく現役をお休みしていて今は写真を撮ったりしている。
そんな彼女に、女だけのスタッフで作る箱根一泊二日のレズ旅行の企画でのスチールカメラのオファーをした。
作品のスタッフは女性。しかも全員、AV女優。つまり完全に女優たちだけで作ったレズドキュメントである。
今月、発売される真咲南朋監督のレズ作品「密会 シークレット トリップ」がまさにそれだ。

密会

「でも、かなりの年配の人だったような覚えがありますよ」
「ああー、スーツを着ていたせいですかね? でも間違いなくあのとき、中村淳彦の横に居座っていたのは自分だったんですよ」

そんな告白に、彼女は困ったような恥ずかしそうな複雑な顔をしながらも目の奥はなんだか楽しそうだ。
こちらもやっとあの出来事を彼女に言えて感慨深かった。
あのとき、相当、気分を害してしまった女優は今では、ちゃんと自分の存在を認めた上で微笑みながら話しかけてくる。そしてそんな昔話を面白がって聞いてくれた。

「自分は、あのときのことが悔しくてね。所詮、こちらは一般人でしょ。咲ちゃんの反応は当たり前なのだけど、やっばりあっち側に行かないと女優さんとは、ちゃんと向き合えないんだなぁって思い知らされました。あのときのことがなければ、自分は今、こうしてここにいないと思いますよ。あれがまさに大きなきっかけの1つでした」

それまでの自分は正直、作り手の人とは会う気などまったくなかった。
そんなことをしたら自分の今やっている淫語レビューサイトのスタンスが妖しくなってしまう。
でも、あのときの寂しくうら悲しい気分が、業界の人とも会ってみようと思わせる気持ちにつながったのは間違いない。それからしばらくして二村さんと出会うこととなる。

そこから何年か経ち、マザーズの設立に参加し、スーツを脱ぎ、首にタオルを巻いてスウェットみたいな格好で現場に入り浸り、プロデューサーとなってからは女優さんとの面接が多くなり、ちょっとだけポップな格好をするようになった。
もちろん、この世界で自分のやりたいことはまだまだ先だ。今は遠回りだが、着実に自分のポジションを築いている最中である。

だがここにきて、自分はこちらばかりに居すぎていることも自覚している。
せっかく数年前からやり出したライター仕事もまったくできずにいる。
それを昨年の暮れに思いいたったとき、ものすごい焦燥感に見舞われた。
昔のように文章を書くことが楽しくてしょうがなかったあの頃に戻りたい。
確かに今までの仕事量では、淫語マニュアルは更新できず、ボヤキすら書くのは困難だ。だがいつまでもそれでいてはよくない。

大塚咲と仕事をしたあたりから、なんか行き着くところまで行ったような気がしてならなくなった。その頃、体調も崩してしまった。「いんごまさん、何かに取り憑かれているような顔をしていますよ」と何人かの人に言われた。
何が原因か、そんなことは自分がいちばんわかっている。

昨日、みのるさんからは「淫語魔さんも商業主義に絡め取られて、昔の淫語魔さんじゃなくなっているんじゃないですか」などといつものようにヘラヘラした口調で憎まれ口を叩かれた。
「それはみのるさん自身が悩んでいることだろう」とニヤニヤしながら返していたが、それでもあとからジワジワやってきた。
やっばり淫語魔の核となるところは持ち続けなきゃいかん。

ということで、しばらくボヤキは頑張って書いていくことにしますよ。
宣伝したいものや、とにかく言及したい人や話がいろいろあるからね。