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 2015年03月 

東京国立近代美術館に行く 

  • [2015/03/01 23:23]

昨年の夏、猫町倶楽部の山本多津也さんに連れられて瀬戸内海の直島に行った。
現代アートの島として有名なこの島のことは、誘われた時点ではまったく知らなかった。それでも多津也さんの誘いに乗ったのはただただ気分をリセットしたい一心からだった。
その時の自分は精神的にかなりひどい状態だった。何を見ても何を聞いても感情が揺さぶられない。霧の晴れない鬱屈とした空気が薄い膜のように張り付いていた。
ちょっとやそっとの休みではとうていリフレッシュできないんではないかと思った。そんな時のお誘いだった。

行ってみたら直島は本当にすばらしい場所であった。
島のあちこちに点在するアーティスティックな創作空間もさることながら、一緒に行った猫町メンバーもよかったんだと思う。

直島に一泊した次の日のこと。みんなで地中美術館に出かけた。
最初に入ったのはモネの部屋。白い壁、踏み心地のいい白石のタイル、モネの5枚の睡蓮の画を自然の外光を使って見せるキャンバスは、その空間に独特の柔らかさと拡がりをみせ、居るだけでなんだか幸せな気分になれる。
圧倒されたのはその部屋ばかりでなかった。続く蒼い幻想空間のタレルの部屋、光と球体とが邂逅するウォルター・デ・マリアの部屋と巡り、それぞれ目を丸くしてはただただた佇んでいた。枯れていた心に大量の水が溢れ出す。

思いがけず満ち足りた気分を引きずったまま、地中カフェでジンジャーエールを飲み、そこでたまたま横に座った知り合いの女性編集者と会話をする。
話題はいつのまにか仕事の苦労話と愚痴に傾いていたのだが、しばらくして彼女は「直島にはできることなら1人で来て見て回りたかった」と言いだした。一緒に旅行に参加していた人に自分の担当の作家さんがいて、休暇なはずなのになかなか仕事気分が抜けないらしい。

自分はその言葉でハッとした。
そうか、せっかく瀬戸内海の島にやってきたのだから、誰にも気にせず1人で行動しよう。なにも集団の中に身を置くこともないだろう。

そこからは約束をキャンセルして別行動に。
1人で地中美術館を出て、坂の多いうねった小道を歩く。
坂の途中にある池には、水面に浮かぶ睡蓮とその上を低空飛行する蜻蛉。黄色いチョウチョも飛び回り。しばしたたずんではあてもなく歩く。そうこうしているうちに李禹煥美術館にたどり着いていた。

李禹煥とは現代アートではモノ派の代表格なのだが、その時点でその人がどんな人かわかっていない。ただ彼の創る、無機質だが意味ありげな造形物に、なにやら共鳴していたようで、いつまでも彼の作品の中でたたずんでいた。
わからないなりにも心地いい気分にはなれたのだった。

さらに気分のよくなった自分は李禹煥美術館を出て、小雨降る中、海辺に行き、磯の香りを嗅ぎ、素足を潮水につけたりしながら、無造作に置かれているようなアート作品を見て回った。

それが自分と現代アートの初めての出会いである。

今年に入ってからすぐ、東京猫町藝術部で東京国立近代美術館開催の高松次郎展を観にいった。
「高松次郎ミステリーズ」と名付けられたこの企画展だが、その日は猫町倶楽部のためにわざわざキュレーターの方が講演をしてくれて、高松次郎の作品を鑑賞する時も各コーナーごとに解説をしてくれた。

肝心の作品鑑賞だが、正直言うとキュレーターの方の講演と解説がなかったら、自分はまったくわからなかったのではないかと思う。
もちろん高松次郎自体はなんの予備知識がなくても楽しめる作家だ。
彼の影シリーズなどは、単純に綺麗だし幻惑的で面白い。
でも彼が本当に表現したかったことは、初めて観る人にうまく伝わっているのだろうか?
本当のところはわからない。

その2週間後には、『高松次郎を読む』という美術評論集が猫町の課題本になった。
この本を読んで自分はさらにびっくりした。
あまりにも意味がうまく飲み込めない。
むしろ講演と解説を聞いておかなければ、まったく歯が立たない本であった。

この評論集では唐突に、誰の何年に発表された何々という感じで、たぶんその界隈では有名なのであろう作品の名前が頻繁に登場する。
まったくそういったものに触れたことのない自分はその都度、ネットで調べてその作品を確認したりした。観ておくことが前提の評論なのだ。

評論なんて考えてみれば、作品に依拠している以上、それは仕方のないことのなのかもしれない。しかもたとえば文芸評論や映画評論は作品自体にドラマがあるのであらすじを書くことができる。全く読んでない、もしくは観てない人もそこでのあらすじで見当をつけることができる。
これが美術品となるとそうはいかない。そこにあらすじはないのである。
それ故に読むのにハードルが高くなってしまう。

その『高松次郎を読む』という評論集の中に李禹煥が書いた文章があった。そこには高松次郎からモノ派にいたるまでの流れのようなことが書かれていた。
そう、自分は高松次郎の作品を観ていて、どこか李禹煥の作品に似ているなぁと思っていたので、非常に興味深く読んだのだった。

読書会では、自分のテーブルに国立近代美術館のキュレーターの蔵屋さんが来てくれた。
自分が昨年の夏に李禹煥美術館に行ってその作品に触れていたこと、李と高松次郎は一見似ているようでどこか違うと感じることなどを話した。

すると蔵屋さんは、「高松次郎は幼少期に戦争を体験している世代だったんです。だから子どもの頃に世間の価値観がひっくり返ったことで、モノがあるということがなかなか信じられなかった人だと思うんです」
「たとえばここにコップがあるとして、これは本当にここにあるのか、もしも自分が振り向いて見えなくなったら、もうここにはないかもしれない。それはまた自分が本当に存在するのかということにもつながります」
「李さんは高松次郎と違って、そこにモノはある。それは疑いようがないじゃないかってところから始まるので、その出発点が違うのです」
「だから間違いなく先に高松次郎がいて、そのあとにモノ派の人たちが登場する。そういう順番で現れてくる」
「戦争を経験した世代とそうじゃない世代との違いと言えるかもしれません」

蔵屋さんが目の前にあるコップを指して説明した「コップのたとえ」はものすっごくしっくりきた。
その違いの感覚は、難しい評論を読み込んでなくても肌で感じるものなのかもしれない。

そのあと懇親会があったのだが、そこでも蔵屋さんと話ができて非常に楽しかった。
途中、なぜ「いんごま」なのか? と聞かれ、ままよと思い、今の仕事を打ち明けた。
そうしたらとってもおもしろがってくれた。

AV業界のタイトルやコピーの付け方に感心していたらしい。考えてみれば今回の展示名は赤松次郎と高松次郎を引っかけて「高松次郎ミステリーズ」というわけだが、この手のダジャレはAVのタイトルでは常套手段である。
その後、企画展の苦労話を聞いていたのだが、何か自分の仕事と共通する話だと思った。

どんなによい作品でも、足を運んで観てくれなければ話にならないし、高松次郎のような今ではわかりにくいクリエイターの仕事を紹介するのは、大変なことだろう。
作品理解には言葉を尽くし、効果的なタイトルとキャッチを考え、それをもとに宣伝していく。まったく振るわないこともあるだろう。
AVのプロデュースと美術品のキュレーターは似たようなところがあるなぁと思った。

昨日、あらためて高松次郎展に行ってきた。
前は猫町のメンバーと一緒だったが、1人で観る高松次郎はまた格別だった。
ようやく高松次郎に会えた気がした。