参道とは産道でもあるのか 

  • [2009/09/28 00:52]

なんですかねぇ。
データはすでに採ってあって、金曜日に更新することも可能だったはずなんですけど、どうもHTMLのタグ打ちをする気になれない。
どうやら軽くウツが入っていたようです。

疲れちゃっているのかな。
AVの内容を語る気になれないって感じですかねぇ。

実際、家でごろんごろんしてました。
なんかおなかに力が入らなかったりするんですよ。
特にモニターからプレッシャーを感じるのはパソコン疲れでしょうか。
最初、風邪かと思ったんですけど、そういうんでもないんですよね。

ところで伏見稲荷みたいな鳥居がズラズラある神社ってありますよね。
本殿まで朱い鳥居がずっと続いているってヤツ。

花園稲荷の鳥居
上野の山から不忍池に降りていくときに、花園稲荷神社の中を通っていくことがあります。
神社へと続く道は伏見の千本鳥居ほどではないですけど、ずっと鳥居がありましてね。道幅は狭く高さもあまりない。しかも下りになってることもあって、ちょっとした洞窟に降りていくような錯覚がするんですね。

花園稲荷は彰義隊が最後に戦ったところで、それを「穴稲荷門の戦」なんて言います。
そう、「花園稲荷」って名称は明治になってからで、それまでは「穴稲荷」って名前でした。
行けばわかりますけど、穴ぼこを祀っていたりするんですよ。まぁ一応、狐のすみかだったところってことになってますけどね。
でも考えるとちょっと不思議でしょう。

赤い鳥居のトンネルを下るとそこに「穴」がある。

そういやぁですよ。
鳥居に大蛇を擬した大縄を絡ませたりする神社もあるんですよね。
東京だと奥沢神社あたりが有名ですかねぇ。
蛇は野鼠とか食べますしね。湿地帯とかによくいますからこれも豊饒の神の化身として祀られることがあります。桑栽培をしている地域は狐より蛇の説話が多い気がします。蛇ってフロイトあたりに言わせると男根のことですよね。

この奥沢神社も祭神はウカノミタマ(宇迦之御魂・倉稲魂)で、伏見稲荷と同じなんですよ。もともと八幡神社と稲荷神社を同じ敷地内にお祭りしているんでそうなるわけですけどね。
このウカノミタマって神様は、女の格好してましてね。弁財天と習合されたりします。豊饒の神様ですからね。大地母神って言っていいわけです。
ウカノミタマに詣でるってことは胎内回帰にあたるんですね。

そう考えるとお稲荷さんの鳥居って膣道ってことになりませんかね。
だいたい赤い鳥居って、結構、卑猥だと思います。
真ん中に額とかありますが、あれも見ようによっては陰核に見えなくもない。

だからまぁ稲荷の鳥居はおまんこなんじゃないかと。

もっとも「おいなりさん」って言った場合は玉袋になるんだけどさ。

AVを本気で売る気がない 

  • [2009/09/26 11:42]

昨日、よく行くレンタル店が100円デーだったもんでアダルトも含め借りに行った。

アテナ映像の作品をあさっていたとき、隣に会社員風の男が横滑りしてきた。眼鏡をかけたおじさん、年は自分よりもちょい上か。よく見ると左手に紙をしのばせている。
棚に陳列されているパケの背表紙に眼をやりながら、ときおりをそのメモをチラ見しているところをみると、あらかじめ調べておいた作品を探しているようだった。

今のAVは、品数が多い上にタイトルやパケだけじゃ中身がよくわからない。
AV不況と言うけれど、本当は売り方の問題なんじゃないかとよく思う。
ちゃんと探せば自分の欲しいものは出回っている。だがそこへなかなかたどり着けない。
欲しいモノは売られているはずなんだが、それがどの作品なのかわからない。
あっても店で見つからない。店員に聞いてもわからない。

だから買わずに店を出る。

それは自分がAVを見出したときからそうだった。そして年々、ひどくなっている。

向こうの方で2人組が騒がしい。
「ギャルズトークの05がなーい!!」とか叫んでいる。
見てみるとチャラい格好した日サロチョコ肌のおにいちゃんたちだ。顔を見るとまだ幼い。
「06はあるけど、05がなーい」
「あっ、でもここに04があるぞ!」

もう少し声を落として話せないもんかと思いながら、それでも2人の会話が耳に入ってくる。どうやらその作品に知り合いの元カノが出演しているらしい。
それを探しにやってきたってところか。
口ぶりや態度からアダルトコーナー慣れしていないのがわかる。
妙にテンションを上げて話しているのは、気恥ずかしさを隠すためだろう。

そのうちの1人が近くを通りかかった店員に、「ギャルズトークの05はありますぅ?」と聞き出した。
店員は「ハァ」と要領の得ない返事をする。

レンタルショップのアルバイト店員で、自分の店のAVを正確に把握しているヤツなんてほとんどいないだろう。とっさに聞かれてもまずわからない。
多少、探す努力をしたようだが、結局わからずじまいで丁重に謝ってそこを離れた。
端末を使えば検索できるんだろうが、そのアルバイトはそこまでやるつもりはないらしい。

それからしばらくして、「あっ、あったぁ!」と一人のチャラ男が叫んだ。

「さっきも見たのに、なんで気づかなかったんだ」
「ハハっ、こっちの方に目がいってたから。これインパクト強い」
「そうだよ、これの話になって見なかったんだよぉ」
「…で、借りる?」
「いや、どっちでもいいけどォ」
「見つけたらそれだけで満足しちゃったぁ」

AVの陳列はわかりにくい。
パズルでもやっているかのように疲れる。
それが楽しかったときもあったが、最近はおっくうになってきた。

欲しいモノはある。だがそれがなかなか見つけられない。
見つからなきゃ何も買わずに帰る。
売れないんじゃない。売ろうとしてないんだ。
実際、売れているのはわかりやすい単体モノばかり。
あれなら探すのに労力がいらない。

これなら新宿で裏ビデオを売っていた連中の方が、よほどアダルトビデオの売り方を知っていた。
ピーコ品だから表紙なんかない。あるのは壁にびっしりと貼られていたサンプルのショットと簡単な説明書き。
でもそれを読むだけでも楽しかった。 また店のあんちゃんが内容にくわしかった。
「これはおすすめですよ」なんて声をかけてきたこともあった。

結局、お目当ての作品が借りられていてAVは借りなかった。
「代わりに何か」と思ったが、作品数と文字情報に疲れてしまった。

一般の名作コーナーで成瀬の「乱れ雲」を借りてきた。
司葉子と加山雄三ということで今まで敬遠してたのだが、予想に反してすごくよかった。

司葉子はエロい。

踏ん切りの問題なんだよね。 

  • [2009/09/23 11:11]

ああやっぱりツリー構造は変えないとダメかなぁ。
今まで女優さんごとにフォルダを作ってそこに作品を入れていたんだけど、女優さんって事務所変えると名前も変えちゃうもんだから、そのたびにどうしたもんかと考える。

今までは50音順にア行、カ行…、とフォルダを作り、その中にそれぞれの女優名フォルダを入れて管理していた。こうした方が更新時にファイルする場所を探すのが楽だったからなんだけど、女優名が変更されるたびにこれがネックになる。
森野雫だったらマ行に森野雫フォルダがある。川上ゆうになったらカ行に移さないといけない。
単純に変更するだけじゃなくてリンクも貼り直さなきゃいけないので余計な手間がかかる。

女優ごとに作品を管理するのは間違ってはいないので、すべてフォルダをID番号で作って管理した方がいいのかもしれない。
それともいっそのこと最初から作品フォルダと女優ファルダを別個にしてしまう方が良いのか。
作品データのファイルも全部数字化しておく方が管理はしやすいだろうな。

やっぱり抜本的にいくしかないか。
一度できあがったものを変えるというのは思い切りが必要だね。

ところで「川上ゆう」だけど、熟雌女の鑑賞メモをつけているときに、「そういやぁ、村上ゆうって子がいたよなぁ」って思った。

村上ゆうも、ロリ・女子校生役から大人のOL女性まで幅広く演じ分けられる企画女優だった。
反応もよくて、ホンイキのカラミを見せてくれるんだけど、その後さらぁーとインパクトのある決め台詞も言ったりしていた。
だからあの淫蕩な表情も含めて「ホンイキに見える反応は演技なのかなぁ」と思うこともあった。

こんなコに色仕掛けされたら、おっちゃんは間違いなくイチコロだろうな。
SMものもよく出演してたんじゃなかったっけ。
いろんなジャンルに出まくっていた印象がある。

その後、ピンク映画に出たりしていたけど今はどうしているのかねえ。

あずは熟なのか 

  • [2009/09/21 12:02]

川上ゆうの熟雌女なんだけど、うーん、淫語の数が微妙なんだよね。

淫語マニュアル的な基準では、淫語をメインテーマに据えてタイトルにまで謳った場合、1分に1回以上の淫語量がないと淫語作品としては認めるつもりはない。120分なら120回は必要。
これが準テーマであれば1分半に1回前後。2分に1回なら失格。120分ものだとまぁ80回はないと物足りなく感じる。

それでこの川上ゆうの熟雌女は本編83回。
雌女はサブ淫語作品だと思っているから、かろうじてクリアしているんだけど、最近、このシリーズはずっと120越えをしていたから、ややパワーダウン。

まあでもそれは別にいいんだ。
淫語の質でいうと川上ゆうは森野雌女時代に比べて格段にうまくなっている。そもそも川上ゆうになってからは痴女ものをほとんどやってなかったからね。
痴女モノはほかに太陽図書から「RETURNER 痴女」っいうのを出していたけど、あれよりははるかにいい。あれは淫語がしょぼかったからなぁ。

特に今回は森野時代の痴女ものではなかなか聞けなかった痴悦淫語がそこそこあった。
「あなたのおちんぽ、はあはあ、感じるわぁ~。あなたのおちんぽ、はあ気持ちいい!」「ああ、マンコ良いわ。あああ、オマンコ気持ちいい!」とか頑張ってくれてましたよ。

ただどうも森野雫の時にあったいくつかの表情がなくなってしまっている。
確かに昔よりそつのない演技ができるようになってはいるんだけど、何か違うんだよなぁ。

最初は年齢的に落ち着いてしまったからかと思った。でもオフショットを見ていたら、かつての無邪気な表情での会話をしている。ブログを見ているとわかるけど根はお茶目な人なんだよね。
だからなぜこの顔が本編に出なかったんだろうといぶかしく思った。

要するになんか押さえちゃってる。自分のやりたいようにやる痴女さんじゃなくて、てっぺんに行く前にセーブしている。最後の最後ではじけ切れてないんだなぁ。

ひょっとしてハードなM役ばかりやってきた弊害かなぁ。
どMの女性って基本的にズルいからね。自分の性欲を解放するのに、外圧で仕方なく淫乱にさせられたって体裁にしようとする。きっかけ待ちをしてエロくなるみたいな。
素直じゃないっていうか。まぁそこが萌えポイントだったりするわけだが。

川上ゆうさんにはいつか「清楚な女性→Mに墜ちる→痴女に変化する」というエロ小説の黄金パターンを見てみたいので、もうちょっと痴女に関してははじけきれるようになってほしいなぁ。
それができる女優さんなだけにね。

いずれにしても今日中にアウダースにレポ送って、明日には更新しますよ。

それと熟雌女だけど、先週の土曜日、桐原あずさちゃんで撮影済み。
雌女じゃなくて、熟雌女っていうのが驚いた。

結局は熱が人を動かすんだよなぁ 

  • [2009/09/19 21:22]

昨日は松本監督に誘われてインジャン古河さんの誕生日ぱーちーに行ってきた。
でも誰も知っている人がいなかったのですぐに帰ってきた。

インジャン古河監督とはちょっとだけ話した。
とってもかっこいいあんちゃんだった。よく見るとジャニーズ系っぽい気もする。

話の中で、自分が知らずに見ていたあるAV作品は、実はこの人が撮っていたんだってことがわかった。ものすごくびっくりした。
覆面で撮っていた作品だからそれが何か明かせられないけど、そのシリーズならたくさん見ている。淫語マニュアルにも紹介してある。

この人、すごい人だったんだなぁ。
ますますかっこよく見えた。

ootsubokemuta.jpg
そのあと松本監督に大坪ケムタさんを紹介された。

流れで元V&R出身の監督さんたちの話になった。
この人はもともとV&R好きが高じてライターになったようなもんだからね。

基本的にリアリストなのね、彼。
大きなガタイのわりには意外と神経質そうなしゃべり方をする人だった。
やっぱりそうだよなぁと思った。

でもなぁ…。
ちょっと味気ない。

いろいろ考えていたら今日、井口監督のブログが目にとまった。

【改訂版】直井君、松江君はまだまだだったよ!
http://blog.livedoor.jp/iguchinoboru/archives/51417763.html

自分は改訂前のも読んでいた。
そのときもすでにかなりつっこんだ松江批判をしていたので、【改訂版】は丸めて書いたのかなぁと思ったら、さにあらず、加筆してもっとキツい口調になっている。

愛を感じるよなぁ。
この思いが通じるといいよね。

ノーマルKIMやみのる監督は好きなんだけどねぇ。 

  • [2009/09/17 23:23]

川上ゆうの熟雌女を見ているところなんだけど、アウダースのカメラってやっぱりうまい。
雌女ってときどき女優の目元や唇、乳首なんかの超クロースアップを撮ることがあるんだけど、それを流れの中で撮ったりしているから当然フレームはブレる。でもそれがあまり気にならないんだよね。

「なんでなんだろう?」って、この間更新した北条麻妃のオナパラのと比較しながら見ていたら、どうやら何フレームか、ピタっと構図がおさまる瞬間があるようだ。この何フレームかのピタっと感が、何を撮っているかはっきりさせる間を与えるわけだ。

逆にこれがオナパラのフレームワークだと始終動いて止まらないから、何を撮ってんだが、何を撮りたいんだがわかんなくて、イライラしちゃうんだな。
どう見ていいのかわかんないんだもん。

オナパラ自体は前より好きになってきたんだけど、カメラだけはなんとかしてほしい。
どう考えてもあのユラユラは意図してやっているわけじゃないはず。
それとまたもや撮影中に鼻息の音が聞こえているんだよね。特に②コーナー目の「一人イラマチオ・変態オナニー」は耳障りでしょうがなかったな。
録音技術の問題もあるけど、まずカメラマンは耳鼻科に行った方がいい。

これを商品にするのはおかしいって。

その②番目のコーナーの設定なんだけど、家賃を2ヶ月滞納している麻妃さんが、管理人さんにフェラチオしてチャラにしてもらうって話なんだけど、よくよく考えてみると家賃2ヶ月分って結構な値段なんじゃないかと思った。
東京じゃ1ヶ月ワンルームで安くて8万ってところだろう。2ヶ月なら16万。

16万も出してフェラ抜きのみですか?
16万も出せば、高級ソープで二輪車・中出しができるんじゃあるまいか。

なーんてことを考え出したら、いくら妄想オナニーとはいえちょっと覚めてしまった。 これがアウダースならメールでクソミソ言っているところですぜ。

まっ、ドグマだからしょうがないか。ここは昔からツメが甘いからね。
だいたい廻りが悪い。誰もちゃんと叩かないでチヤホヤすっから低水準のまま推移する。
昔、TJの作っているドラマとか無批判に持ち上げているAV雑誌の記事を見たときはダメだこりゃって思ったもんね。
このメーカーをオカシクしてんのは、ドグマフリークの人たちなんじゃないかって思うことがあるよ。

雌女を撮ったってことは次は「癒らし。」か? 

  • [2009/09/16 22:26]

ちょっと書くことがたまっちゃった。
えっーと、まずPREMIUMのヤツからね。
桜木凛ちゃんのアナオナタイムは表4のパケ表記が中身にそぐわない不正確なものだったので、がっくりきちゃった。
この前の記事で「結構、正確」なんて書いちゃったもんだから余計堪えた。

たぶん監督からもらった簡単な進行台本で作ったんじゃないかと思う。
だから大まかな趣旨としてはあっているんだけど、それでも「凜はずっとそばにいるよ。ちゃんと見てて。アナタのオチンチン入ってるの、わかる?」なんて言葉を聞きたいヤツはその言葉がないので悲しくなると思う。

何度も書いてきたけど、ユーザーはパケの記載をもとに購入する人もいるわけ。テキトーじゃ困るんだよ。

あんたらさぁ、スーパーかなんかで「湖池屋のポテトチップス のりしお味」と記載されていたものが、いざ袋を開けてみたら中身が「湖池屋 カラムーチョ」だったとしたら、文句を言わないかね? いや「のりしお味」が「ガーリック味」だって文句を言うはずだ。

「おちんぽ」と書いてあったらユーザーは「おちんぽ」を目当てに買うわけ。それが「おちんちん」だったら悲しいだろ。
でもそれを平気でやってきたのが、AVなんだよね。

もちろんこれは宇佐美監督が悪いわけでも、ましてや桜木凜ちゃんがいけないわけでもない。むしろ作品自体はよくできていたんだから。
すべてはPREMIUMのプロデューサーの責任。
ちゃんとした商品にしなかったんだから。

たぶんだがコーナータイトルも途中から中身と違っていたので、製作手順の問題かとは思った。

最初の「1.アナタのオナニー見てていい?」「2.凜とキスしよ!」「3.アナタをこんな風に舐めたいな」までは表4と作品の中のコーナータイトルは同じだったが

「4.凜でオナニーして」       →「ねえ、私でオナニーして!」
「5.どうしたの?まだできるよね?」 →「どうしたの?疲れちゃったの?」
「6.凜の匂い好きなの?」      →「こらー!変態さんだぞ!」
「7.凜も気持ちよくして」      →「私も気持ちよくして!」
「8.アナタは見てるだけ!」     →「巨乳はダメって言ったでしょ!」
「9.エッチしたいよっ」       →「ねえ!もう凜とエッチしよ!」

と違っていた。

でもどんな理由があるにせよ、そんな事情はユーザーからすれば全然言い訳にならない。
「こういうのはまずいんじゃないか」って思えてないとすれば、もうそれだけで感覚がおかしいとしか言いようがない。
それは消費者にモノを買ってもらおうとする態度ではない。

なにがPREMIUMだよ。名前負けしてるじゃないか。
これによって「ユーザーへの信頼を一番に考えないメーカー」という印象をもつことになった。あと何回か同じことを見つければ、ムーディーズみたいに無視することにしよう。

しかしなんでAV業界ってまっとうな商売をする人が少ないんだろう。
市場を育てる気がまったくないみたいだ。

こういうのを発見するたびにイヤになってくんだよ。

前に何回かこういうので苦情のメールを出したことがある。
でもなしのつぶて。
とくに北都系列はまともな反応ひとつ返ってきたことがない。
ありゃどういうことなんだろうね。
こういうのって誰かがちゃんと指摘をしていくべきだと思うんだよね。
そういうチェックが甘くなっていくから、蟻の一穴じゃないけど、業界自体どんどんジリ貧になっていくんでしょ。

でもね。AV雑誌とか買うでしょ。淫語AVマニュアルを作ったときしばらく買いましたよ、AV雑誌。いろいろ参考にしようと思って。
そんでそういう不誠実な虚偽記載のある作品のレビューを見てみるわけ。
なーんも書いてない。結局、買うために益するモノなんか一つもありゃしない。要するに提灯記事しか書かれていないんだな。

唯一、まともなのって「ビデオ・ザ・ワールド」ぐらいなんだけど、あれはあれで性的嗜好に配慮した雑誌作りをしているわけじゃないからさ。
まぁそれでも「パッケージ詐欺を切る」みたいなシリーズ連載を組んでくれそうな雑誌があるとしたら「ビデオ・ザ・ワールド」ぐらいだろうけどね。
そこまでやらないか、さすがのコアマガジンといえども。

淫語AVマニュアルでずっとレビューしてきて思うんだけど、AV作品って、確かに作品の出来不出来もあるんだけど、商品としての出来不出来の問題もあるんだよね。
というよりそれがものすごく大きいって思うんだ。

信頼されるような商品になってないから新規のユーザーを開拓できない。逆に自分みたいに買う気が失せるようなことばかりしていくから昔からいたユーザーも減っていく。取っ掛かりが少なく、間口は狭くなる一方。

もともとインディーズってそこに風穴を開けたから受けたんじゃなかったっけ?

長くなった。
今日アップしたオナパラの話は明日ね。

ああ、そうそう。
14日に桃瀬えみるちゃんの雌女の撮影が行われたらしいよ。
彼女、まだ引退してなかったんだね。
前にも書いたけど、桃瀬えみるはタイプなんだ。

天の月を識らず ただ池の月を観るのみ 

  • [2009/09/12 10:23]

ときどき何かに取り憑かれたようにレイアウトを調整し出したり、イラレでイラストを作ったりし始めちゃうんだよね。
おかげで更新する予定の淫語データを抜いてる時間が無くなってしまった。

一応、次は桜木凜のオナタイムにしようと思っているんだけど、またもや180分だからさぁ、時間がいつもより手間取ると思うんだよね。
AVって2時間ぐらいがいいんじゃないかって思うんだけど、長ければ長い方がいいって思う人が大半なのかね。
まぁ、大半の人は淫語を数えたりしないだろうからね。気楽だよね。

それで桜木凜のオナタイムだけど、表4の台詞は結構、正確に抜いてあった。
表4を作っている人。この淫語魔のおっちゃんの苦労を少しは理解したでしょ。
パッケージを作っているのは大抵メーカー側だからね。自分の文句の矛先は現場の制作サイドよりもメーカーで惹句を作っているプロデューサーの方にある。

今、中村うさぎの『愚者の道』を読んでいるんだけど、引っかかっちゃってなかなか前に進まない。
去年、興味を持ってこの人の本をいくつか買っておいたんだけど、『女という病』『私という病』は面白かった。2冊とも『愚者の道』と同時期の2005年に出版され、文庫化も2008年とこの3冊は三つ子ちゃん状態なわけだけど、出版されたところが違うこともあるのか、『女という病』『私という病』と『愚者の道』とは思考の流れが違うように思った。

『女という病』は実際に女性が起こした事件を中村うさぎが分析していくのだが、その切り刻み方がとても上手くて感心させられた。
彼女の心理分析のタネはフロイトが根っこにあるんだろうけど、女性がファルスを求めてうろうろする様を中村うさぎ流に表現してみせた。
実際の女性がどこまでフロイトの仮説通りなのかはわからないが、中村うさぎが説得力を持って説明しているのは確かである。

女という病 (新潮文庫)
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5 女たちを想う中村うさぎの心の軌跡・・・そして祈り
5 女の自意識は、それ自体、病である
4 女であるという呪詛
4 『私という病』『女という病』の次は、『書くことの病』ってどうでしょう?
1 全て中村うさぎの13の事件

『私という病』は今度は自分の体験したことを使って分析を試みるわけだが、これもまた読んでいて感心することしきり。

私という病 (新潮文庫)
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4 前半の実体験レポートは◎、後半はフェミニズム系論考になり△。
5 今、信用できるのはこの人だけだと心の底から思う。
5 私が私である限り
4 私という病。。それはわかりやすいタイトルです。

でも『愚者の道』にいくととたんに理屈が苦しくなる。
さっきの2冊に比べ、実例を使っての説明に乏しいせいかもしれない。
抽象的な話に徹すると綻びがみえてしまう。

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1 これは本当に中村うさぎの本なのか

まだ全部、読み終わってないから読了後にあらためて考えようと思うけれど、この人はこんなやり方で自分自身をペテンにかけているのかなぁなんて思った。

たとえば「バカの反対は利口」「愚者の反対は賢者」だから「バカ」と「愚者」は違うって話。
「バカ」には「一つの事に徹してほかのことには疎い」という意味もあるが、多義のある言葉ってことで、「愚者」の意味もしっかりある。もともと愚痴蒙昧の者を指す仏法用語だ。

そのことは物を書いて食べてきた中村うさぎなら辞書を引いて知っているはず。
よしんば現代的な使われ方としての「バカ」だとしても、「バカ⊃愚者」つまりバカの中に愚者も含まれるというのが妥当なところだろう。

ほかにも「女は自己を犠牲にする生き物である」という話があって、「自分は自己犠牲の義務を怠ってきた」と自ら責めるのだが、これも部分だけ取り出してミスリードしていると思う。

「気遣いの出来ない女はダメ」的なものなら、これは単に女性の地位が低かったからで、男性も先輩後輩の関係だったりすれば、下が上の人の気持ちをおもんばかって動かなきゃいけない。
下の立場が空気を読み、お茶くみもパシリもやり、時に主君のために腹かっさばいたりするのだ。

これこそ母性社会の典型だと思う。

あるいは母親は子どものために自らを犠牲にするってことなら、それは男親にもあることで女性の特権ってわけでもない。
むしろ男の方こそ、腹を痛めていないににもかかわらず我が子が川で溺れてれば命を投げ捨てる。他人の子どもを救おうとして死んじゃうケースもある。

もちろんこれは人による。
だが男だけが幼児虐待をしているわけじゃない。

そういう綻びというか、「そりゃ、あんたのさじ加減じゃん!」的な理論展開が見られるので、あらためて『女という病』『私という病』を読み返さなきゃいけないかなぁと思ったりしている。

共感できているからってその人が正しく認識しているとも限らない。
むしろ母性が強すぎると、共感だけがすべてで理屈がおざなりになりがちだからね。

母性社会の気に入らない部分は、まさにそういうところなんだよね。

長兄は奇形だからって海に捨てられちゃったりするんだよな 

  • [2009/09/08 22:38]

しかし、あれだな。
年々、物覚えが悪くなるな。
特にまったく新しいことを覚えようとすると、覚えた先からどんどん忘れていく。

データベースをやらなきゃと思ってSQLの勉強をし出した。
いずれはウチのサイトをPHPとMySQLで作るのが夢なんで、それに向けて勉強しているんだけど、このあいだJavaScriptの方に不具合があったんで、書き直そうと思ったらすっかり忘れてやんの。

マジ、プログラマーの人、尊敬するわ。

やはり常にいじり続けてないと忘れてしまうな。
もともとしっかり使いこなせないまま先に進んでしまったからいけないんだけどね。

ということで今週の更新が遅れてます。
さっきようやく作品データを抽出して、これから作業にはいるところ。

あと今日から『日本人はなぜ狐を信仰するのか』って本を読み始めたんだけど、考えてみると母性を現す信仰の対象って仏教だと観音だけど神道系だとお稲荷さんだよなぁなんて思った。

日本人はなぜ狐を信仰するのか (講談社現代新書)
松村 潔
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もっとも日本の主神はアマテラスっていう女神だしね。日本は太陽神を女性の神様にしている珍しい国でもある。

しかしこのアマテラスも家族に恵まれないよね。
生まれたときはすでにかあちゃんは怨霊化し、オヤジはそれがもとでヘンなトラウマを抱えて引きこもり、きかん坊の弟は死んだかあちゃんの元に行きたいと無理難題を言ってオヤジを怒らせ追放。不憫な弟をちょっとかくまってやったらこいつが暴れるもんだから、オヤジと同じく引きこもっちゃったりしている。

ああ、昔から日本人はツラいことがあるとすぐ引きこもる性質なのかもしれないなぁ。

しかも引きこもりから立ち直るきっかけが、アメノウズメねぇさんのストリップっちゅう、つまりエロかい!っていうお話だったりする。

ヤマト民族には家族崩壊がもとで引きこもり、エロとお笑いで癒やされるという原風景があるのかもしれん。

まぁどんな不況でもエロとお笑いは消費され続けるってことでもあるんだなぁ。

日本で最初のフェラチオの記述 

  • [2009/09/07 00:26]

昨日、母性と吸茎のことを考えていたら、日本霊異記のこの話を思い出した。
我が子を思うあまり息子のマラを吸う女の話。

女人の大きなる蛇に(くながひ)せられ、薬の力に頼りて、命を全くすること得し縁 第四十一

(前略)

愛欲は一つに(あら)ず。経に説きたまへるが(ごと)し。「昔、仏と阿難と、墓の(ほとり)よりして過ぎしに、夫と妻と二人、共に飲食(おんじき)(もう)けて、墓を(まつ)りて(しの)()く。夫恋ひ、母()き、妻(しの)ひ、(をば)泣く。仏、妻の()くを聞き、(こえ)を出して(なげ)く。阿難(もう)して言はく、『何の因縁を以てか、如来嘆きたまふ』とまうす。仏、阿難に()りたまはく、『是の女、先世に(ひとり)の男子を産む。深く愛心を結び、口に其の子の(まら)をすふ。母三年を経て、たちまちに病を得、命終(みやうじゆ)の時に臨み、子を撫で(まら)をすひて、かく言ひき。「我、生々(しやうじやう)の世、常に生れて()はむ」といひて、隣の家の(むすめ)に生れ、(つい)に子の妻と成り、(おの)が夫の骨を(まつ)りて、今慕ひ哭く。本末(ほんまつ)の事を知るが故に、我哭くらくのみ』とのたまへり」

(後略)

要約すると、愛欲の形はいろいろである。それは経典に説かれている通りである。
昔、お釈迦様と弟子の阿難がある墓を通り過ぎるとき、墓の前で悲しんでいる男女がいた。その様子を見て仏は深く嘆いた。不審に思った阿難がそのわけを聞くと仏は語った。
「墓の前で泣いている女は、前世に一人の男の子を産んだ。女はあまりにも深く我が子を愛していて、その子の陰茎を口で吸うほどだった。それから3年してその女は病に倒れ、臨終の間際に子のマラを吸って『私は今後生まれるたびに、常にこの子と行きあうように生まれ、ずっとその妻となろう』と誓って死んだ。
そして隣家の娘として生まれ、その子の妻となり、自分の夫の骨を葬って、今、慕い泣いている。私はそのことを知っているがゆえに哭くのだ」

この話は題名にあるとおり、前半で蛇に犯された女の話が出てくるのだが、この段は全体的にかなり難解で、いくつかある現代語訳の本もすべて違う解釈で訳出されている。実は前述の要約箇所も厳密に訳すといろいろおかしなところが出てくる。

たとえば墓の前にいた男と女だが、女の方は息子のマラをすすり、生まれ変わってその妻となった女であることは間違いない。しかし一緒にいる男は果たして現在の夫なのか、それともかつての夫で今は義父にあたる男なのか。誰を弔っているのかを含め、このあたりでそれぞれ意見が分かれるのだ。

とくに「夫恋ひ、母啼き、妻しのひ、姨泣く(原文では『夫恋母啼 妻詠姨泣』)」をどう解釈するかで変わってくる。

日本霊異記 上 (講談社学術文庫 335)

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4 初中級者にぴったり!

講談社学術文庫では、墓の前で泣いている男は、女からすれば前世の夫であり、現在の義父として解釈されている。
講談社の中田祝夫は「夫は死んだ妻を慕って泣き、妻は、母としては子の死を悼み、また妻として夫を、女として恋人の男を思い出して偲び泣いていた」と訳していた。
つまりその墓は母と息子、つまり今そこで泣いている女の前世の自分と、今は夫であり、前世の息子だった男の墓という解釈になる。

日本霊異記 (上) (ちくま学芸文庫)
多田 一臣
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しかし、ちくま学芸文庫の方は墓の前で泣いている男は、女にとって現在の夫であり、かつての自分の息子だとしている。
ちくまの多田一臣はさきほどのところを「夫は母を恋慕って泣き、妻は夫の母を思い起こして泣いているのだった」と訳していて、こちらの場合、弔われている死者は、男にとって父母であり、女にとっては前世の自分とその夫ということになる。

この話自体はどこぞの経典が出典元ということになっているが、そもそもその経典が本当にあるとして、それがインドから渡ってきた経典とはとても考えにくい。
インド人は死んだら死者をガンジス川に流す。
だから阿難の墓も竜樹の墓もない。例外もないわけではないが、一般的に墓を作って供養するってことはまずしないのだ。
盂蘭盆経という中国で作られた偽経があるが、それと同じ類の経典であろう。

それと多田訳にしても中田訳にしても自分が少なからず違和感を感じるのは、おそらくこの妻は前世の記憶など持っていないんじゃないかという点だ。
下手に前世の記憶があるかのように錯覚しているから「母啼き」というのが引っかかってくるのではないだろうか。

この文章を素直に読めば、死んだのは夫の父であり、妻の義父であろう。
最初に「夫と妻と二人」とあるから混乱するが、墓の前ではその二人が飯と水をあげていたということで、その傍らに父の母、つまり夫からすれば祖母もいて啼いた。また伯母のような親戚もいて泣いた。
それでいいのではないか。

その点、東洋文庫の訳は素直で「夫は恋したい、母は泣き、妻は嘆き、伯母は泣いていた。仏は妻が泣くのを聞いて、声を出して嘆いた」(153p)となっていた。

それと「夫は恋ひ」の「恋」の字だが、大乗経典では衆生が仏を「恋慕」するという使い方をよくする。
したがって『夫恋母啼 妻詠姨泣』を伝統的な仏教解釈で読み解くなら、衆生が涅槃した仏(それは自分の仏性とも言える)に対して恋慕している状態とも取れる。

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妻は自分が過去世にどういう因縁をもっていたかはよく知らない。わからずに泣いている。
それを知っているのは仏だけだ。
つまりそれだからこそ「(過去世の)夫の骨を祠りて、(そのことを知らずに)今慕ひ哭く」という皮肉を嘆いたのではないか。

いや、待て。

死んだ父親は生前、そのことを知っていたというのはどうであろう。
自分の妻が亡くなる前に言い残した言葉を、傍らにいて聞いていたとしても不思議じゃない。
さらに老母も伯母もそれを聞いていたとしたら。

当事者以外、みなその因縁を知っている。
そうなると泣いている意味も人によって微妙に違ってくる。
素直に悲しめたのは当の夫婦だけってことになる。

愛欲の恐ろしさというのは実はそういうところにあるのかもしれない。

フェチを追求するってそういうことだからね 

  • [2009/09/05 11:54]

自分が日本社会について考えるときのベースになっている視点は中根千枝の「タテ社会」3部作と言っていいだろう。

最初の『タテ社会の人間関係』を読んだのは高校1年生の夏だった。
学校の夏休みの課題だったのだが、人とうちとけるのが苦手で基本的に単独行動が好きだった自分にとって、集団で動くことの息苦しさがどこからくるのか、この本を読んでわかった気になった。

タテ社会の人間関係―単一社会の理論 (講談社現代新書 105)
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中根さんの考えた「タテ社会の人間関係」というのは基本的に場の力関係のことだ。

日本人は「ウチ」と「ソト」を強く立てわけ、普遍的な価値観より内部の不文律のルールを優先させるところがある。「身内の恥」をさらすことは悪で、たとえそれが非道なことであっても内部は内部で処理しようとする。外に漏らせばそれは「チクった」ということになり、排撃され干されたりする。

「ヨソ(ソト)」から見れば「ウチ」は閉鎖的で、処分も身内に甘いように感じる。
自分の所属する「場」を大事にするということは、「ウチ」に甘く「ソト」には厳しいという構図になる。

ふだん激烈な政治批判をしている人間が、自分の所属する業界や団体のこととなると途端に口をつぐみがちになるのはそういうことだ。
だから「ソト」の問題には「膿を出せ!」とか言っているような人間が、自分の所属する身内の不祥事に関しては、暴露する人間にルール違反だと批判したりするなんてことが起こる。
そこには大きな矛盾があるはずなのだが、当のご本人は意外と気づいてなかったりする。 つまりウチに対しての倫理観とソトに対しての倫理観との間にズレがあるのが当たり前だったりするのだ。
逆にそこをヘタに気づいてしまうと、正義感が強く潔癖性な人は、鬱病になってしまうじゃないかと思ったりする。そういう心の傷を持っている人、結構、廻りにいたりする。

この中根理論を少し違った観点で解説したような本がある。

母性社会日本の病理 (講談社プラスアルファ文庫)
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star今もって問題作である。

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「タテ社会」3部作の掉尾、『タテ社会の力学』にも日本の父親と母親の役割について語られているところがあるが、河合隼雄は『母性社会日本の病理』でタテ社会を「場の倫理」という言葉に置き換え、「場の倫理」=「母性」、「個の倫理」=「父性」と割り振っている。

自分の場合、「母性」「父性」という言葉を最初になんとくなく理解したのは、この河合隼雄を通してだった。

母性とは「包含する」力であり、すべてのものを良きにつけ悪しきにつけ包み込む。
それに対し父性とは「切断する」力であり、ものごとを善と悪、自己と他者、主体と客体などに切り分け峻別する。

心理療法家でもある河合隼雄は、自分の経験したさまざまな臨床例から日本社会は母性の強い社会であるとし、こんな例を上げている。

 それは青少年の指導を行っている人にお聞きしたことであるが、シンナーの吸引をしていた少年たちに、その体験を聞いてみると、彼らは一様に観音さまの幻覚を見、その幻覚の中での、何ともいえぬ仲間としての一体感に陶酔していたという。つまり、社会から禁じられているシンナー遊びをする点においては、反社会的、あるいは反体制的ともいえようが、求めている体験の本質は母性への回帰であり、わが国の文化・社会を古くから支えている原理そのものなのである。
 これに類することは処々に見られ、これらの反体制の試みが簡単に挫折する一因ともなっている。このようなことが生じるのは、結局は日本人がなかなか母性原理から抜けだせず、父性原理に基づく自我を確立し得ていないためと考えられる。

河合隼雄『母性社会日本の病理』講談社+アルファ文庫 30p

これが書かれたのが1976年なので、ここに出てくる「観音」は今となっては別の形を変えていそうだが、昨今のヱバァ現象やちょっと前のエウレカなどを見るといまだに日本人のグレートマザー回帰は強いんじゃないかと思う。
昔なら「寅さん」なんかそうか。

今日、更新した「僕にだけ優しい千里ママ」を見ながら、母性について考えていた。
日本のエロもまた「母性」が根っこにあるよなぁ、と。

なんだかんだ言って、熟女モノは「母子相姦」が主流を占めているし、そんなに直接的なものでなくても、痴女モノにしても陵辱モノにしても母性との向き合い方の違いだけで、同じ構図になっているんじゃないかと思ったりしている。

河合隼雄の言葉を借りてもう少し母性について説明すると

 母性の原理は「包含する」機能によって示される。それはすべてのものを良きにつけ悪しきにつけ包みこんでしまい、そこではすべてのものが絶対的な平等性をもつ。「わが子であるかぎり」すべて平等に可愛いのであり、それは子どもの個性や能力とは関係のないことである。
 しかしながら、母親は子どもが勝手に母の膝下を離れることを許さない。それは子どもの危険を守るためでもあるし、母――子一体という根本原理の破壊を許さぬためといってもよい。このようなとき、時に動物の母親が実際にすることがあるが、母は子どもを呑みこんでしまうのである。

河合隼雄『母性社会日本の病理』講談社+アルファ文庫 19p

 産み育てる愛に満ちた母親像と、つかんで離さず、死に至らしめる醜い母親像は、ひとりの女性の中に共存している。われわれは普通には、これほどの暗い半面を見ることはなく、温かい、やさしい母の愛のほうを強調して見る。しかしながら、実際には、母子心中の事件や、嫁と姑との争いの中に、あるいは自分の子どもを、自分の思いのままに動かそうとする母親の強烈なエゴイズムの中に、この暗い半面を見ることができるのである。

河合隼雄『母性社会日本の病理』講談社+アルファ文庫 264p

昨日、ついでに友田真希さんの「僕にだけ優しい真希ママ」を見ていたら、みのる監督の作品を思い出した。
前にも書いたことがあるが、ビーパップ・みのる監督の母子相姦モノはどこか壊れてしまった母性という感じがして生理的に落ち着かないときがある。

でも旗監督のを見ながら、この二人の描く母性はまるっきり正反対のようでいて、実はどちらもちゃんと母性を描いているんだって思った。
特に「溺愛ママ」シリーズと「僕にだけ優しいママ」シリーズを見比べてみるとよくわかる。これはコインの裏表だって。

ときどき女性で「自分はファザコンなの」って自ら申告する人がいるが、よく聞くとどうも父性を求めているというより母性を求めているように思うことがある。
あえて言うなら男装の乳房をまさぐりたがっているっていうような。

翔田さんの吸茎を見ながら、「あっ、そういうコは、ひょっとしてちんちんが乳首になっているのかなぁ」なんて思いつつ淫語カウントをしていた。
もちろん竿を握ってね。

淫語魔のおっちゃんはときどきそんなこと考えながらAV見て、それでもやっぱりゴニョゴニョして、次の瞬間、世界を見下ろすような哲学者になったりするんですよ。

夜中にキュルキュルキュルキュル 

  • [2009/09/01 21:12]

まただよ。

今回更新した淫語作品も表紙にある吹き出しの淫語台詞はデタラメ。
表1にある「エロ汁溢れちゃう~っ!!」なんて言ってないし、「ザーメンぶっかけて~!!」もない。

表4のところで「さけんでたらチンポしゃぶりたくなっちゃった」とおねだりするみたいなことが書かれてあるがそんなシーンは一切無い。
これを作ってるヤツってユーザーをだましているって思わないのかね。

昔からそう。

長年、このパケにだまされて散財させられてきた恨みがある。
あれは実にむなしい。
特に昔はVHSだったからね。

心をなぐさめようと思って、さんざんパケとにらめっこして、ようやく買って帰ってデッキにぶち込んでみると、お目当てのシーンがどこにもない。

なんでないんだろうと何度もパケの表記を確認する。
しびれを切らして早送り。

キュルキュルキュルキュル……

ここかと思って見てみても、そんな展開になりゃしない。

またもキュルキュルキュルキュル……

そしてとうとうお目当てのシチュがないままEND。

とくにこっちは音声目当てだったりするから、言ってそうな画を見つけちゃ止めて、再生、言ってなくてキュルキュル。またここぞと思って再生、やはり言ってなくてキュルキュル。

もうがっくりだよ。
怒るために買ったようなもの。

これは下調べしないとまずいと思いAV雑誌を見てみる。
わずかに書かれてある淫語台詞をたよりにビデオショップに。

けどやっぱり言ってなくて、キュルキュルキュルキュル……

思ったね。
こいつら人をだますことになんの痛痒も感じてないんだよ。
適当にうるおぼえの台詞を書いたり、それじゃ弱いからってわざわざエロ言葉を足してみたり。

しかもそれを指摘したAV雑誌やAVレビューアなんて見たこともない。

こいつらはすべてキュルキュルで終わったむなしい夜を体験したことがないのだろうか?

死ねよと思ったね。

だから今、AV雑誌が廃刊に追い込まれるたびに心の底ではざまぁーみろって思う。
ユーザーをだます体質の業界を指摘する気などさらさらなかった連中なんだから。
自分たちがウソをついているって認識すらないんじゃないだろうか。
こんな不正確な文字情報で、人をだましているって認識もない鈍感野郎のメーカーなんて、この世からなくなりゃいい。
どんどんつぶれてってください。

本来、おまえらがキュルキュルしなきゃいけないことじゃないか。
なんでユーザーの自分が金払ってキュルキュルしてるんだよ。

この話題を書き出すと止まらなくなるんだよね。
積年の恨み骨髄に徹しているからさ。

そんなメーカーの一つだったドグマだけど、オナパラに変化が。

nao.のオナパラ
2009/07/19発売
美脚オナニー・パラノイア nao.

北条麻妃のオナパラ
2009/08/19発売
熟オナニー・パラノイア 北条麻妃

最新作の北条麻妃さんから「オナニーパラノイア」が「オナニー・パラノイア」になってますよ。
誰かスタッフがこの間の記事を読んでくれたのかなぁ。

こういう細かいところが大事なんだよな。
これは単なる表記ミスの話じゃない。仕事に向かう人間としての生き方の問題なんだ。

メーカーとして信用を得るってそういうことでしょ。
今までがヒドすぎたんだよ。