GAL語は日本語の先端をいっているのかもしれない 

  • [2008/09/28 09:32]

MVはあと2作はあげるつもりだけど、立て続けにいくのは作ってるこっちもさすがに飽きるので、次回はアロマの「卑猥語GAL」にするつもり。

この「卑猥語GAL」には彩花ゆめって女のコが登場するんだけど、このコは見た目も話し方も画に描いたようなギャルさんで、淫語の言い方もとてもイイ感じで話していた。
もちろん、アロマのさとしまにあ監督につけられた台詞だから、ギャルにしては絶対言わない単語もあって、そのあたりは言い方も含めてちょっと微妙なんだけど、それでもあのギャル独特の平板な言い方はふだんからやってないとなかなかできるものではない。渋谷にうろうろしているホンモノのギャルさんぽい感じがした。

それにしても、なんで若い女の子ってああいうイントネーションでしゃべるんだろうね。
80年代、女のコの言葉は「ウッソー、ホントー、カワイイ!」の三つの単語で成り立っているって言われた時代があって、その頃、すでに東京近県の女のコたちはイントネーションが平板化されていたように思う。
ギャルのカリスマ、浜崎あゆみや倖田來未なんかは九州、関西出身ってこともあって、東京のコたちほど平板化した話し方をしてないが、それでも最初の頃にくらべるとどんどん抑揚がなくなってきている。
たぶん、東京に住んでいるうちにギャルのイントネーションが伝染してしまってるんだろう。

ただ言葉の抑揚がなくなってきているからといって、彼女たちの会話に談話の表情がないかというとそういうことでもない。先の「ウッソー、ホントー、カワイイ!」という、もはやギャルにとっては感動詞と同じような使われ方をしている意味の希薄な単語に、今では「ヤバい、チョー、マジぃ」も加わって、これで話の間をつくり、人との距離感をとっていたりする。そういうところが面白い。

もともと外国人にすると日本語の話し方は強弱も高低も少なく、ノペーと聞こえるらしいが、そのぶんオノマトペや感動詞と助詞の豊富さが会話に表情を与えていると自分なんかは睨んでいるので、ギャル語は聞いていてとっても勉強になる。
当然、ギャルの話す淫語も大好物。淫語魔的には(←この「的には」もギャルさんたちはよく使う)もっと聞いていたい。

もっとも中にはこういう東京GALの言葉を単なる「棒読み」と聞き取る人もいるだろう。
というのも「卑猥語GAL」のDMMカスタマーレビューがあまりにも評価が低かったので、「これを書いた人はどこ出身でいくつぐらいの人なんだろう?」なんて逆に興味を持ってしまった。
地方の人では、いまどきの東京の女のコの話し方に接する機会はないだろうからね。

その「卑猥語GAL」の彩花ゆめちゃんだけど、他の作品でも物怖じせず淫語を言ってくれて言い方もナチュラルな感じだったので、もっと淫語モノに出てくれないかなぁなんて思っていた。そうしたら、アウダースが今月撮ってくれていた。
どんな雌女に仕上がるのか今から楽しみ。

「ゴルゴ13」読破よりも大変なことは間違いないな。 

  • [2008/09/25 23:05]

ようやくみひろのMVを見終えたので、これからデータの更新分を作るのだ。

更新が遅くなるのは単純に忙しくなっているときか、Web技術の取得に励んでいるときか、何かの本にのめり込んでいるときなんだけど、今回は源氏物語関連の本を読みあさっていたもんでちょいと遅くなってしまった。

源氏物語の時代―一条天皇と后たちのものがたり (朝日選書 820) (朝日選書 820)源氏物語の時代―一条天皇と后たちのものがたり (朝日選書 820) (朝日選書 820)
(2007/04/10)
山本 淳子

商品詳細を見る

大塚ひかりさんのブログにあったから取り寄せてみたんだけど、すっごく良くできていて面白かった。要は清少納言と紫式部の生きた時代を概観してみせた本なんだけど、このあたりは断片的に理解している程度だったので、この本によっていろんなものがつながってきてかなり見通しが良くなった。
初心者にもわかりやすいので、歴史好きの人、平安貴族に興味を持った人にはオススメ。

この間、とあるSEO対策の会社からリンクの依頼を受けた。
広告と言うよりうちのサイトからの被リンクを買いたいみたいで、その会社のHPを見てもしっかりしてそうだったし、値段の提示までしてきたので乗っかることにした。
今までも出会い系とかワンクリとかからの依頼はあったけれど、ちゃんとしたところからこういう形で依頼されたのは初めてだったので結構うれしかった。

それでもいちおうリンク先を覗いてみた。
どれもアダルトリンクなんだけど、風俗サイトを見ていくうちに「ああこりゃ、雑誌が売れなくなるはずだわ」と思った。
むかしはこの手の情報は風俗雑誌とか買って集めたりしたんだろうけど、今は携帯さえあればタダで「ナイガイ」くらいの情報が手に入る。

そのなかのソープランドの携帯サイトなんだけど、インタビュー記事を見ていたら「好きな本は?」という質問に「120巻ぐらいあるシリーズものなんだけどマニアックだから内緒♥」みたいなことを応えているソープ嬢がいた。

そんな長い巻数を出している小説なんて一つしかない。

「グイン・サーガ」を知ったのは高校生の時だったと思う。
日本のSFに目覚め、眉村卓、小松左京、筒井康隆、光瀬龍、豊田有恒なんかを読んでいるうち、平井和正や高千穂遥、それとこれは少し後だけど新井素子、火浦功の本を読むようになった。『銀英伝』もこの時期にスタートしたんじゃなかったか。
今で言うライトノベルっていうやつなんだろうけど、この頃はまだそんな言い方をしてなくて「Jファンタジー」とか言っていた。
自分はそのうち海外の方に目がいくようになって「ローダンシリーズ」や「エルリック・サーガ」なんかを読み始めた。向こうの方がやはりスケールが大きい。

そんな中、唯一、気になっていたのが『グイン・サーガ』。
もうその頃には結構な巻数になっていて、読むなら相当な覚悟が必要だと思った。
栗本薫は中島梓名義の『文学の輪郭』という硬派な文芸評論を読んだのが最初で、そのあと『キャバレー』は読んだけど、どうもファンタジーというのがピンとこなかった。
それでどうしてそういう結論になったかはもう忘れたけど、読むなら物語が完結してからにしようと思った。

あれから25星霜。
とうとう122巻だ。

ソプ嬢のインタビュー見ていたら無性に読みたくなってきた。
今年の秋は「グイン・サーガ」に挑戦してみるか。

これでますますマニュアルの更新が滞りがちになるかもね。

でもmixiぐらいはやってそうだよなぁ 

  • [2008/09/23 09:19]

二村さんのブログに紹介されちゃったんで、ちょっとだけこの間の記事をフォローしておくと、かすみりさの「美しい痴女の接吻と性交」はそれ自体が悪いわけでもない。かすみりさの痴女やベロンチョが見たい人は見てもいいんじゃないかと思う。むしろベロンチョ好きの人は今のところ、これを見るしかないだろう。
ただ「美しい痴女の接吻と性交」シリーズとしては、最初の美優千奈にくらべちゃうとパワー不足に感じた。
責める痴女さんってそう簡単に演じ切れるものでもない。
それはシリーズ最新作を見るとさらにはっきりする。

いやぁ前からわかっていたことではあるけど、とにかく「麻美ゆま」っていうのはすごい。
自分のことを「ゆまちん、ゆまちん」言っているから、一見、頭がユルそうに見えちゃうけど、なかなかどうしてしっかり芯がある。
意外と神経は細やかなのかなぁ。天然キャラのわりには神経性胃炎とかで苦しんじゃう人かもしれない。そして気合いと根性で乗り越えちゃう。

責め痴女さんって現実にはあまりいそうにないファンタジーの世界だから、実際の自分を捨ててダイブするぐらいのパワーがないと見ている方もアレレって感じになる。
その点S1にはキレイな顔して腹の据わっているトップ女優が他にもいる。
だからこのシリーズは当分いけるでしょう。

さてMVシリーズ。昨日まで見直していたんだけど、やはり西野翔と蒼井そらと穂花のヤツはマニュアル的に微妙。だいたい松本和彦の企画を秋監督が撮るとS1臭が強すぎて面白みにかける。
秋監督は編集はうまい人だと思うけど、企画色の強いモノだと突き抜けが足りなくなっちゃうんだな。企画AVが好きな人には物足りないし、キレイな女優の姿態を堪能したい人には余計なことをするなってことになる。どっちつかずになりがち。

そういうイメージがあるもんで、次は秋監督が撮ったみひろちゃんのMVにすることにします。
彼女も腹は据わってる女優さん。

ところで秋秀人ってブログを持ってないよね。
またフォローしなきゃいけなくなるとか。
自分も神経性胃炎になるタイプだからさ、気が気じゃない。(←ちょっとウソ)

ものすごく勝手なイメージなんだけどね 

  • [2008/09/20 23:23]

かすみりささんの作品は他に二村作品と[JO]style作品を見た。いずれも痴女モノだったけど、あまりパッとしてないように思えた。
りささんは自分から責めるというより、男に責めさせて楽しむ痴女さんの方が向いている気がする。
「ダメよダメよ、いけないわ、ヤメテぇ、ヤメテぇ」とあらがいつつ、腰から下は積極的に男をくわえ込み足をからめて離さない。そういうケン月影あたりのエロ漫画に出てきそうな痴女さんなら実力を発揮しそう。

そういう意味では、このかすみりさのMVはよくできていると思うんだよね。
松本監督が冒頭シンデレラの格好を彼女にさせていたのは、彼女の特質を見抜いていたからなんじゃないかとすら思った。

この松本和彦って人、もちろんよく知っているわけじゃないけど、作品だけ見ているとなーんか性格悪そうな人って感じがするんだなぁ。
いやまったくの先入観なんだけど。

たとえば二村ヒトシはどこかに女性を崇めちゃうようなところがあるけど、松本和彦は女性の肉肉しい現実しか見てなさそうなんだよな。女が涙を見せても一顧だにせず冷静に見ているような。だからといって決して人に冷たいわけじゃなく、女性のことをわかりすぎるぐらいわかっている。だからシビアになれるって感じ。
でもこういう人がほんのときどき何気ない優しい言葉をかけちゃうもんだから、そこに女性が参る。そんな勝手なイメージが自分にはある。「こいつタラシだろう」って。

ビーパップみのるもそういうところを感じるけど、でも松本和彦みたいにえぐくはない。マンコをパカパカ開けとは言わなそう。
皮肉屋でキツい冗談飛ばしたりするのが好きな、でもその分、実はかなりナイーブで不器用そうでそれでいて甘え上手な人のようにも思える。

AV見ていると、監督の女優さんに対する扱い方からそういう勝手なイメージがわいたりする。
自分ならこんな風に女性を扱わないとか。これはこの監督のコンプレックスがやらせているんだろうとか。
そうやって勝手にイメージを膨らまして、この監督はどういう人なのか考えるのは自分だけではないはず。

昨日、HMJMの「僕の愛人を紹介します」を見ていたら、ますますAV監督はメンタリティーがモノをいうなぁって思った。
カン松に対するイメージはどこかぽっかり穴が開いている人。
相対する女の人はその穴にどんどん吸い込まれていく。
それはなんでも入る穴。女性のどんな過去もコンプレックスも、全部すっぽり収まる穴。ありのまま受けとめてくれる。
だけどその穴は底なし。どんなに注ぎ込んでも決して埋まらない。

カンパニー松尾には女性に対する神聖視も卑賤視もない。あるのは虚無の穴だけ。
当人も常に自分の虚無の穴を埋めたがっている。そこに強い飢餓感がある。
でもだからこそそれは女性にとって時に甘美に映るんじゃないか。

穴に自我を出し入れして喜ぶのは男だけじゃない。
好きなときに穴を使わしてもらえ、ナルシシズムに浸らせてくれる。
それって見方によっては勘違いしそうな優しさだよね。

MVシリーズ終了 

  • [2008/09/19 21:08]

更新の間が開いちゃったけど、明日はかすみりさのMVがようやくUPできそう。
これから総評を書くところ。

このシリーズはこの間出たRioで打ち止め。隠れた淫語もののシリーズだっただけに大変残念だ。思ったほどは売れなかったのかなぁ。
いちおうRioのMVでは「シリーズ最終作品」と銘打たれ、作品終了後に「この作品に出会えた事を全ての皆様に感謝します」というメッセージとともに「監督 松本和彦」テロップでENDとなった。
こういう風に視聴者にシリーズ終了と感謝を伝える作品も珍しいのではないか。

とりあえずマニュアルとしては今後しばらくはMVシリーズをUPしていく予定。
といってもずっと続けるとこっちも飽きてくるから一気に全部ってことにはならないだろうけどね。

当初、このシリーズはそんなに淫語を言わせるつもりはなかったんじゃないだろうか。
一番最初の麻美ゆまこそ多目だったが、それでも今ほどではない。
次の西野翔にいたってはほとんど言ってないに等しい。
言いまくっていたのは3作目の吉沢明歩だが、その次の蒼井そらはそれほどでもなく、穂花のはさらに少なく感じた。
この時点では淫語はまだ監督次第だったのだろう。
ゆまちんとアッキーこそ松本和彦だったが、そらと穂花は秋秀人、西野翔は「小日塚友妻」っていう聞いたことのない監督。
西野翔は普通の作品でも淫語を言う率が高い人なので、MVでの淫語の少なさはむしろ消極的すぎる気がした。この小日塚友妻っていう監督はどういう人か知らないけど、これを撮っている時点ではMVと淫語のコラボというコンセプトではなかったのだろう。

穂花の次からはもれなく淫語てんこ盛り状態で、今回UPするかすみりさとオメコ作品の美優千奈は松本監督で多目。次のきこうでんとみひろは秋秀人監督だが、淫語量はそのあと松本監督で撮った初音みのりとRioに較べても遜色がなくなっていた。

いずれにしろ西野翔以外はマニュアルにUPしても良さそうではある。
いや穂花さんも微妙かなぁ。彼女は他にあるからね。無理してあげることもないでしょう。
西野翔ちゃんの方は別の作品でいっぱい言っているので、そっちであげますよ。
彼女はまだ淫語マニュアルに登場してないんだね。
今、一番淫語を言う女優さんかもしれないのに。

東京はこれから台風だそうだ。
さっきレンタル屋によってきたばかりなのだが、明日は早めにUPしてDVDでも見て過ごすか。

「六波羅蜜寺の仏像」は21日、明日まで。 

  • [2008/09/13 10:19]

さて、ボチボチ次の更新作業に入りますか。
次は北原夏美さんね。UPは明日か明後日か。
まぁとにかく連休中に一本あげますよ。


今週、東京国立博物館に行ってきた。
上野に行くといつも思うんだけど、ここはずっといても飽きない。
今回の目的は博物館だったんだけど、近くにある国立科学博物館は昔から好きで、時間があればまたあの恐竜の標本に会いたいと思ってしまう。
博物館から公園に入ると東京都美術館。今は「フェルメール展」をやっていて、これもそのうち見に行かなきゃと思った。
そのちょっと先が動物園。もう少し行くと上野大仏。
彰義隊が憤死した花園稲荷・五條天神を抜ければ不忍池。この時期なのにまだ咲いているハスの花があった。
池の真ん中にある弁天堂では「巳成金」の例大祭が近いということで、赤いノボリ旗が林立していた。

上野っていうのはちょっとしたテーマパークなんだよね。2,3時間ぐらいの滞在だと物足りなく感じる。ほかに東京だと浅草なんかもそうなんだけど、浅草は1人でぶらつくにはちと所在ないかもしれない。
その点、上野は1人でいくらでも楽しめる場所だ。

博物館へは「特集陳列 六波羅蜜寺の仏像」が目当てだったんだけど、この博物館も全部見るには半日かかる。
時間が無くて、今回は1Fのみの展示だけで2Fの方は見ずに帰ってきちゃった。

しかし、仏像はさぁ、やはり博物館なんかで見るもんじゃないね。
こうして展示されちゃうと単なる彫像でしかなくなる。しかも解説文を読んではテキトーうな感想を述べるおばちゃんたちに囲まれると、よりいっそう「見せ物」としての側面が強くなって、それがどのような願いのもと仏師たちが刻みつけていったのかという思いまで俗物化していくようで何度かうんざりしてしまった。

やっぱり清盛さんも地蔵菩薩も六波羅蜜寺で会わないとダメかもしれんな。
ここの展示作品一覧で「僧形坐像(伝平清盛像)」「地蔵菩薩立像」「薬師如来坐像」に「おすすめ」と赤く書かれている段階でなんか違うんじゃないかと。

博物館でよかったのは刀剣の展示。
自分ははじめて源清麿の刀を見た。伝説の刀鍛冶であまりにも破天荒な逸話を持っている人だから、本当に実在していたのか自分の中ではかなり希薄な存在だったんだけど、やっぱりちゃんと生きていらっしゃったんですね。当たり前だけど。

この人のことを最初に知ったのは隆慶一郎の「鬼麿斬人剣」 という小説だった。

この本は清麿が自死したところから始まり、創作上の弟子・鬼麿が師匠の足跡をたどる話で、鬼麿がサンカ出身という設定や伊賀忍者との死闘など隆慶一郎お得意のストーリー展開があるわけだけど、この小説のおもしろさはやはり源清麿という実在の人物がもともとユニークなキャラクターだったということが大きい。
隆慶一郎はこういうユニークな歴史上の人物を描き出すのがうまい。前田慶次郎などこの人のおかけで有名になった。

歴史上埋もれている人物なんていくらでもいるんだよね。
そもそも歴史上の人物というと貴族とか武士階級ばかりだけど、そんな上流階級は日本の人口の1割。幕末で言えば日本の人口3000万のうちの300万だ。
庶民階級の中で埋もれている人物なんて腐るほどいるんだろうな。

昔、鈴虫は松虫、松虫は鈴虫と呼ばれていた 

  • [2008/09/09 13:09]

結局、寝ました。
つーか、寝るよね。0時過ぎたら人間は。
中出しソープは今日の夜、数え直しますよ。

マニュアルもカウントとディクテーションさえなければもっとサクサク更新できるんだけど、こればかりはしょうがない。
あと時間がかかるのはリンクを張り巡らしたりする作業。これがいちいち面倒くさい。
作っていて楽しいのは総評のレビューを書く段階になったとき。ものの20分ぐらい。

マニュアルと違って、ボヤキでレビューするんだったらそんなに時間がかかるわけでもない。
印象的なディクテーションの時間を入れたとしてもたいてい1時間ちょっとでしあがる。
ぴぃ助の「名前のない女たち」は力が入っちゃってかなり時間をかけたけど、あとのはとりあえず文章だけ書いてUP、そのあと画像をつけ足していくので、手間自体はそんなに大変な気がしない。一からHTMLで作るよりはかなり楽かもしれない。
逆に自分でウェブページを作るとなると、自由に作れる分、余計な作業も多い。

だいたいレビューサイトってほとんどのところがブログでやっているもんなぁ。
でもあれだとデータベースとしての役割を担えないから、ニッチな趣味サイトとしては今ひとつ使い勝手が悪い。
やはり体系的にWEB構築できるのがいい。

それとなんだか知らないけど、ブログのレビューサイトってやたらアフィリエイトを貼りまくっているところが増えてきちゃって、あまり有益なことを書いているように思えなくなってきているんだよね。
もちろんまともなブログもないわけじゃないんだけど、たとえば自分がよく行っていたアダルトレビューサイトも、みるみるうちに広告だらけになっていって、広告の中に記事が埋め込まれているようになってしまった。しかもスクロールするたびに追っかけてくる目障りなポップがあったり、「それ、AVと全然、カンケーねぇーじゃん!」みたいなPCパーツのアフィリが貼られたり、そこまでいくと逆に必死すぎて引いてしまう。

以前はユーザーサイドに立った正直なレビューを書いていたはずなんだけど、あまりにも広告が目立つようになると、売るために作品の評価を甘くしているような気すらしてくる。
「このDMMの商品リンクを踏んでくれぇぇ!」という下心がみえるようでなんかイヤ。
そういうときはむしろ別のことを意識させた方がいいと思う。
これみよがしにやりすぎると、人の心って離れて行くもんだからね。
これ、昔、自分が営業職についていた頃の「営業の極意」。

実は小説や戯曲を書いたときに学んだことなんだけど、物だとか自然現象などは比較的伝わりやすい情報なのね。

「空がゴロゴロ鳴った」
と書けば、たいていの人はそれが「雷」のことだとすぐ思う。
「空」という場所、「ゴロゴロ」という擬音から連想はたやすい。

ところが人間の心情、たとえば小説でよく書くことになる登場人物の「不安」だとか「恐怖」だとかは、人の感性もまちまちだからなかなか他人には伝わりづらい。相手にちゃんと伝わってないんじゃないかと思い始めるとますます強調したくなる。もどかしい気持ちに駆られて心情表現を繰り返す。
語り手が強調すれば強調するほど、多くの情報に受け手は混乱する。何が言いたいのかよくわからなくなり、必死さだけが伝わってくるので気持ちがどんどん離れていってしまう。

だから伝えづらいことを表現しようと思ったら「心」を書くんではなくて「色」を書かないとダメだ。
それは恋人からもらったマグカップが壊れたことで表現できるかもしれない。
しおれかけている花でも丹念に書き込めば登場人物の不安を書けないわけではない。
もちろんうまくやらないと陳腐になる。そのあたりが作家の技なのだろう。

そういう意味で一番洗練されている表現形態が「俳句」だ。

「むざんやな 甲のしたの きりぎりす」

有名な芭蕉の句だけど、これには 「無残」という言葉と「兜の下」にいる「コオロギ」(この時代の「きりぎりす」は今のコオロギのこと)しか情景描写をしていない。
しかし芭蕉が「無残」だと言ったのは単にコオロギのことではないだろう。
もちろん「奥の細道」を読めば、この句に出てくる兜の持ち主は斎藤実盛という武将で、「平家物語」での木曾義仲との数奇な運命の話を知れば、この句に託した芭蕉の意味も見えてくるだろう。
だがそんな事情を知らなかったとしても、この句の持つもの悲しい雰囲気が伝わってくるのはなぜなんだろう。
それは「兜」という合戦に使う道具の見た感じと、その下で鳴くコオロギの淋しげな虫の音を誰もが知っているからだろう。

何か強調したいことがおこったとき、しつこいほどに書き込んでしまってはかえって逆効果だ。むしろ受け手の想像力を期待して、五感のどれかを刺激するような表現におさえる。ある意味、受け手を信じて意味内容をゆだねてしまうぐらいの方がちょうどいい。
想像は押しつけるものではない。促すものだ。
それは小説でもAVでも、表現するものならなんでも言えることだろう。

性感Xテクニックのオープニング(・∀・)カコイイ!!よね 

  • [2008/09/08 23:57]

昨日upした千堂ゆりあさんの単調なあえぎ声について何か書こうと思い、性感Xテクニックを引き合いに出そうと見ていたんだけど、なんか忙しくなっちゃってもうちょっと時間がかかりそうだ。
そもそもディクテーションするのがつらい。
しゃべりっぱなしだからね、南智子ねぇーさん。

しかも責められている加藤鷹の声が「んガんガ」言いはじめていてうまく聞き取れない。
今のカトタカは余計な鼻濁音を使いすぎるわけだけど、その片鱗はすでにこの頃からあったわけだ。
もっともこの性感Xテクニックの時はまだ若くて声に艶がある。男のあえぎ声としてそう悪いわけでもない。


「淫語中出しソープ3」を明日アップしようと、今作っている最中なんだけど、どうも困ったことになった。
この作品、メーカーサイドで淫語の回数を数えてくれているんだけど、自分の数えたカウント数と微妙に違う。
いちおうメーカー側では

チ○ポ、生チ○ポ=48回、
マ○コ、オマ○コ=25回、
「オマ○コにザーメン出して」、
「生チ○ポで犯して」、
「中出しして」
等々、淫語多数!

とあるんだけど・・・。
んーーーーーーーー
こっちが数えたものと合わないんだよなぁ。
やり直しですかい。
もう1回カウントし直すんですかい。

んんんんんんんんんんーーーーーーーー。

明日、UPできなかったら途中で萎えたということで。

ちょっとだけ風呂敷を拡げてみる 

  • [2008/09/04 22:53]

最初、淫語の線引きをしようとしたとき、真っ先に思ったのはそれが他人に向けられた言葉であるかどうかだった。

もともと自分の淫語好きはおしゃべりエッチがエスカレートしていったものだった。
羞恥を目的としたイタズラが知らず知らずのうちに淫語プレイへと発展した。
すなわち淫語の強要から始まったわけだが、こういうのはエッチを重ねるうちに相手も次第に言い慣れてくる。
そしてそのうち向こうから言うようになった。そのコにすれば無意識に言ってしまった淫語なわけだが、それが自分ではとてもイヤらしく聞こえたのだった。

自分が一番聞きたいのは、そういう無意識に言い放つ淫語で、それを「痴悦淫語」と名付けてみた。
自分は嘆息まじりのつぶやくような淫語が好きなのだが、痴悦淫語には獣のような絶叫系や、ひたすら連呼するトランス系までその女性の個性によってバリエーションがあることを知った。
ただ形はどうあれ誰に向けられたわけでもない独白淫語であることは違いない。

独白も2通りあるのではないか。
一つは明らかに自分に向けられて言っている場合。これは多少自覚が伴っていなくもない。
もう一つは心の反射に近い形で出てくる場合。
体が反応したとか、精神が高揚したとか。
そういう無意識のうちに出てきた淫語を自分の中では極上のものと位置づけた。

ただそうはいっても、もともとおしゃべりしながらするエッチが好きだったわけだから、「痴悦淫語」だけでなく、相手とのやりとりからくる淫語もそれなりに興奮する。
さらに拡げればSEXがともなわない日常的な場面での淫語も好物だったりはする。
場合によっては日常会話での淫語の方が興奮するときもある。
要するに言葉が好きなのだ。
言葉遊びが好きなのだ。
そういう意識的な淫語を「痴演淫語」と名付けてみた。

「痴悦淫語」も「痴演淫語」の地続きになっている方が、より深いエロさを醸し出す。
以前、二村監督の作品には絶対他者がいないと評したのも、そのあたりを気にして見ていたことが大きい。

痴演がしっかりあってこそ、痴悦への飛翔が起こる。
これは淫語AVに限ったことではなく、AV全般に言えることだろう。また芝居や落語のような独演ものにも通じると思って、このブログでもいろいろ書いてきた。

「痴悦淫語」は比較的定義しやすかった。今でもほぼぶれずにレビューで使わせてもらっている。
問題は「痴演淫語」の方で、淫語AVを見ていくといろいろあることに気がつく。

淫語朗読、街頭淫語インタビュー、淫語レポート、淫語レッスン、淫語ナレーション、アフレコ淫語。
昔、SODでは「心の声」なんていう設定で、アフレコをあてて淫語をたくさん言わせたりした作品があった。

すべて「意識的な淫語」ということで「痴演淫語」に含めてみたものの、これももっと細分化していいのではないかと思った。
それでさらに「公的か私的か」「不特定多数、不特定少数、特定少数、特定個人」「能動、受動」。そして言葉の「冗長度」。

さらに談話の種類にはどんなモノがあるか考えた。
講演、演説、告知、朗読、討論、命令、叱正、説諭、指導、対話、会話、挨拶、告白、懇願、謝罪、つぶやき、絶叫、ボヤキ、反応。
一つひとつ吟味したところ、「あけおめこ」(挨拶)など、それぞれに淫語を入れることは可能だということがわかる。

これに淫語を言うポイント(たとえば挿入直前とか、フェラ中にいうタイミングとか)、淫語の修飾(形状、ニオイ、色とか)、さらに擬音淫語、実況淫語、淫語連呼、淫語の部位・種類(女性器、男性器、タマ系、クリ系など)、まぁいろいろ考えてはみた。

サンプルには事欠かないし、ひょっとしたら卑語ゲーで飯を食っているライター連中よりも研究しまくっているかもしれない。
でもまだちょっとまとめきれていない。

いずれはこれに非言語表現との関連(目線、口角の上げ下げ、表情、身振り・手振り)とか、音声学的なアプローチも加わえ、さらに淫語のエロスについて追求できたらと漠然と思ったりしている。
淫語の歴史も追えれば追いたいし、中・近世の文献や民俗学的な資料とかももっと漁ってみたい。
そこまでいくとAVに収まんなくなるけどね。

AVでいうなら昔から心がけていることが一つ。

「淫語AVが台詞や音声を配慮したAVであるならば本来それはどうあるべきか」

これはずっと気にしているテーマだ。

量は質をかねることもある 

  • [2008/09/03 22:30]

ワンズファクトリーの作品を続けて二つあげたんだけど、今日UPした 村上里沙の「社長秘書はインテリ痴女」は淫語量は120分で52回。「ザーメンと猥褻淫語と中出しの誘惑」とサブタイに明示されているわりには少なく感じる。

同シリーズでは星野あかりと堀口奈津美のをいちおう見てみたんだけど、似たようなもんだった。堀口奈津美さんのも言い方は悪くなかったんだけど、もっと量があるのが他にあるから彼女の作品はそっちに譲るとして、今回は村上里沙さんのをあげてみることにした。
いずれにしろこのメーカーは昔から「淫語」をタイトルやサブタイに入れてくるわりには少ない。言わせるポイントもずれている。撮り方も微妙。結局、今の今までマニュアルに取り上げずにきてしまった。

自分は120分モノなら80前後はないと淫語ものとしては成立してないと思っていて、60以下だとどうしても「少ない」と思ってしまう。
もちろん量が少なくても、ピンポイントで淫語をかましてくれればいいんだけど、結局、こういうのってある程度の量がないとなかなかポイントをつくのは難しいみたい。

そんな印象のワンズファクトリーだったんだけど、前回アップした「ザーメン女の勃起淫語」は268回。
さすがにこれは見直してしまった。
こういうのを今後も作ってくれるなら、ここはレンタルで見られるメーカーなので歓迎したいところ。

もっともレンタルする場合、淫語ビデオばかり借りてくるわけでもないんだよね。セルは2.3のシリーズを除いてほとんどが淫語ものだけど、レンタルの場合は普通のを借りたりすることが多い。
自分は一言二言、流れの中で淫語がでてしまったような作品が好きだったりする。
そういうのを見つけるとうれしくなるんだなぁ。
本当は「淫語AVマニュアル」もそういう作品を入れたかった。何も淫語を言いまくることだけが淫語マニアのツボをつくわけでもない。少ないからこそ、爆発力があっていいって場合もある。

でもそういうのを「淫語マニュアル」でアップしちゃうと、一言でも淫語があればレビューするってことになりかねないので普通のレビューサイトと変わらなくなってしまう。
淫語モノを期待して訪れる人に申し訳ない。
そういうのをレビューするならこの「ボヤキ」でレビューするしかない。

ここも「癒らし。」ばかり紹介していたけど、渡辺監督の「非日常的悶絶遊戯」とか、二村作品とかノーマルKIM監督のドラマものとかやってもいいかなぁとは思ってるんだ。

さてマニュアルの今後の予定としては、今週中に千堂ゆりあの「雌女」をアップして、それから「淫語中出しソープ3」をやるつもり。