ふろふき大根が喰いたくなった。 

  • [2007/09/29 10:58]

このブログでも「大根役者」という言葉を何回か使っているけど、この言葉の由来はいろいろあるらしい。

大根役者の語源は諸説あり、大根が白いことから「素人」とかけたとする説や、下手な役者ほど白粉(おしろい)を塗りたくることとかけたとする説など、大根の白さを語源とする説。
大根は滅多に食あたりしないことから、「当たらない役者」の意味で「大根役者」になったとする説。
大根の鈍重な形からの連想で、「大根役者」になったとする説などあるが、正確な語源は未詳である。
また、文献上は「大根」のみで用いられた例が多いことから、「大根役者」の略として「大根」があるのではなく、もとは単に「大根」と言っていたが、野菜ではなく下手な役者を指していることを明確にするために「役者」が付け加えられ、「大根役者」と言うようになったと考えられる。

語源由来辞典

自分は昔、NHKの番組で「大根の白さ」を語源とする説を聞いていたので、てっきりそういう意味だと思っていた。
ところがこれには「食あたりしない」から「当たらない役者」というのもある。「当たらない役者」と言うことなら演技のうまい下手は別ということになる。
要は花がない役者ということか。

もう一つ気になるのは、「『大根役者』の略として『大根』があるのではなく、もとは単に『大根』と言っていたが、野菜ではなく下手な役者を指していることを明確にするために『役者』が付け加えられ」という記述。
もしそうなると「大根」とは、もともとどういう意味だったのだろう。

「根」という字は仏教では「能力」を意味する。
たとえば音を聞き分け、物事の先を読む力を持つような「神通力」の使える人間は「利根」なんて表現をしたりする。
「男根」なんて言葉もあるが、あれは仏教用語にある「三根」の「命根・男根・女根」から発生したものだろう。もとは「男としての能力」のことを言っていたのだ。だから本当は「男根主義」「男根崇拝」の対になる言葉は「女陰」ではなくて、「女根主義」「女根崇拝」という方が正しいのかもしれない。

で、「大根」だけど、仏教で「大根」といえば「大乗仏教を受け入れる能力」というような意味だ。良い意味で使われる場合もあるが、大乗仏教のような多くの人にも修業できそうな教えじゃなければ成仏がかなわない人たち、っていう意味あいもある。いわゆる悪人正機のたぐいはそこに入る。

ただこれだと「一般受けしやすい役者」ってことになりそうだ。とても「当たらない役者」ってことにはならないし「下手な芝居」っていうのも違うだろう。
この「大根」の「大」に何か別の意味が込められているのかもしれない。

二股大根と大黒
その「大根」だが、葛飾北斎がよく「大根と大黒」をモチーフにした画を残している。
ただしここで描かれる大根は「二股大根」だ。

二股大根というのは、どこかなまめかしい女体を想像させる。
その股下あたりに大黒さんがいるわけだ。

大黒さんは「男根」をかたどった神様とも考えられている。したがってこの二股大根は「女根」ということになる。
つまりこれは「男女交会の図」だ。
四天王寺の大黒さんの提灯には「違い大根」の紋が二股になっているが、それはそういう意味だろう。

かつて多摩には、家々の大黒さんに二股大根を備える風習があった。
大黒は豊饒の神であり、男女の交会の意図を持って小槌(男根)と袋(女根)を持たされる。
また大黒は台所の神さんである。各家庭の台所には必ず祭壇やお札が貼ってあった。

大黒天は伝教大師が日本に持ち込んだ。
それがいつの間にか大国主命と習合する。

昨日の夜、府中のレンタル店が100円サービスだったので大國魂神社の方まで出張ったら山車がでていた。
車両規制にあって行きすぎる山車を待ちながら「ああ、もうそういう季節か」と思った。
山車の中では狐の面を被った2人が神楽を舞っていた。
府中囃子が調子をつける。

秋なんだなぁ。
あったかいダシが沁みた大根喰いてぇーな。

最初に作ったのはK6Ⅱだったなぁ。 

  • [2007/09/25 12:30]

淫語マニュアルの更新作業をしていたら、PCの調子がおかしい。
フォトショとか使っているとマウスが暴走したりする。
なんかイライラしたから、やめてしまった。

この際だから、そろそろ64bitマシーンでも作るか。
DDR2メモリもやたら安いし。

ということで、昨日からPCパーツの情報を集めだした。
別にネットゲームをやるわけでもないからそれなりに動けばいい。
まずはマザーボードから物色中。

とりあえずASUSかGIGABYTEあたりを睨みつつ、AopenとMSIも視野に入れておくか。
というか、その4つのメーカーのしか作ったことがない。
静音化や省電力を考えるなら、グラフィックはオンボードでついているのが望ましい。
でも拡張性も考えてATXにしておきたい。そのうちPCでテレビを見るようになるかもしれないし、ビデオ編集とかし始めちゃうかもしれない。

んで、予算はどれぐらいだ。
とりあえずマザボとメモリとCPUだけ買って、あとは少しずつ買い足していけばいいか。
ディスプレイもいずれもうちょっといい液晶を買おう。
問題は775にするかAM2にするか。
基本は昔からAMDびいきなんだけどね。インテルの一人勝ちはつまらん。
それに今のPCはP4だから次はAthlon64にするか。
第一、コストがかからん。

なんてことを考え出したら、面白くなってきた。

AVの購入予算を削んなきゃいけないなぁ。
まぁ、別にいいか。なにも新規購入にこだわることもないだろう。そこまでしてAVを見る義理はない。

今日あたり、アキバに寄ってみようかなぁ。
楽しいなぁ、機械いじり。

でも、今日こそは更新作業を終わらせなきゃね。

言われてみればたしかに縄ばかり 

  • [2007/09/24 10:13]

なんかしらんけど、この連休中は予定がいっぱい入っていて、なかなか落ち着いて更新作業ができねぇなぁ。

次回のUPは三浦亜沙妃ちゃんの雌女にするつもりなんだけどね。
データはとってあって、あとは淫語セリフを抜き出して作成するだけなんだけど、ちょっとバタバタしていて文章を書く気がおきない。
でもこうしてブログに書くことはやぶさかではないので、単にAVを見る気がおきないだけかもしれん。

まぁ、このあとすぐに取りかかれば良いんだけどさ。
今日もこれからあちこち出歩かなきゃならないしねぇ。
んで、うちに帰ると本の整理だろ。
んで、またいつの間にか本を読みだしているだろ。
そうそうAVを見る気になれないのは、今、整理している本が西洋思想系にうつったってこともある。
気がつくとラカンとか読みふけっているもんなぁ。

ところで、レズコムの掲示板を見ていたら、二村監督のD-1作品でなにやらいろいろ語られていた。

ドラマ部分はセリフも含めおおむね高評価。
ただし、おまんこ連呼と長澤りかさんの顔を隠してしまう部分で不満の声が上がっているようだ。

確か二村ヒトシ監督の日記には、D-1に入る前に代々木忠の作品とかを見ていたんじゃなかったか。
目隠しといえば代々忠だ。「目かくしFUCK」という有名なシリーズを世に出してきた。
淫語連呼もひょっとしたら代々忠が頭にあったのかもしれない。

さて困ったぞ。
もしD-1作品を購入するとしたら、自分は1作しか買う気はない。
そして今回は、雨宮まみさんが脚本を書いた[jo]style作品か、最近ちょっと注目しているノーマルKIM監督のドラマもののどちらかにしようと考えていた。どちらも好きな女優さんが出てるしね。

だが予定変更だな。

前に紹介したHANAさんのところでも、レビューを書いているし、レビュー対決でもしてみるかのう。

しかし、久しぶりに二村作品を買う気にさせたのは、素人の正直な印象を書いた匿名レビュー。
ますます商業誌のAVレビューってなんなの?って思うなぁ。

やがて紛るる 我が身ともがな 

  • [2007/09/19 23:02]

淫語マニュアルなんだけど、サーバー屋さんから連絡が来て、明日の午前中、メンテナンスをするそうだ。
「午前4:00~12:00の間において、新しいマシンへの移行のため、長時間マシンを停止致します」とのことなので、「淫語AVマニュアル」は「404 Not Found」になっているはず。
サイトが閉鎖しているわけじゃないのであしからず。

あと、とある近親相姦の掲示板からやたら来訪者があるなぁ、と思っていたらリンクを貼られていたのね。
自分も10代の頃は高竜也とか読んでいた口で、エロ小説はほとんどが「母子相姦モノ」だったりした。そのうち睦月影郎を読み出して「筆おろしモノ」にシフトしていった。

今はすっかり淫語がないとダメな人になってしまったけど、それでも母子相姦の淫語はキライではない。あれば見ちゃう。

母子相姦っていうのも実に面白いテーマだよね。
しかも古くからある問題でもある。
母子相姦モノを好きなヤツって、必ずしも母親依存型のマザコンではない。もっと別の何かだと思う。実際、リアルおかんとエッチしたいわけではないしね。もちろん、中にはそういう人もいるだろうけど。

いつか母子相姦ビデオについても書いてみるかな。
その前に『プラトニック・アニマル』をなんとかしなければだが。

しかしメモリも安くなったよねぇ。 

  • [2007/09/18 12:42]

ちっ、またやっちまったよ。
作品データのUPは仕事の昼休み、というか昼食時に間隙を縫ったやってんだけど、今日、作ったデータを入れているメモリを忘れてきちゃったよ。こういうことはこれまでも何回かあった。そのメモリにはHP全体のデータが入っているんだけどダメだねぇ。昔から宿題とか結構、忘れてくる人間だったんですわ。どうもやらなきゃいけないことを複数抱えていると何か1つ忘れてしまう。

とりあえず昨日、渡辺琢斗監督の作品を作ったんだけどさ、夜にでもUPしちまうかなぁ。
別になにがなんでも昼にUPしなきゃいけないってことでもないしね。

あと、ここの「ボヤキ」だけど二村作品の古いヤツのレビューとか書いてみたい。
自分は今の二村ヒトシより昔の二村ヒトシの方が好きなんだよね。ちょうどSODからドグマに遷って独立するその前後あたりかな。というより「痴女行為の虜になった女たち」というシリーズが好きだっただけかもしれないんだけどね。
なんでそうなのかレビューでも書いて一度、検証し直してみるのもいいかなぁと思っている。

マニュアルの方もしばらくは旧作をUPしていくかなぁ。
昔のゴールドマン作品もいくつかあげとかなきゃね。

あとはまぁ書きたいことはいっぱいあるんだけど、なかなか落ち着いた時間がとれないでいる。
どっちにしろ、今しばらくは充電期間かな。

ぶり はまち、元はいなだの出世魚 by Wikipedia 

  • [2007/09/15 19:41]

小谷野敦の『性と愛の日本語講座』を読んでいたら、面白い記述があった。

「初店」の客となるためには、格式の高い店では、そのために客は大枚をはたいて準備をしなければならない。それも「見栄」のうちだが、とはいえ、初めてのセックスで痛がる女を客は見たいわけではないらしいのだ。現代人は、「初めて男に挿入される」ことと、「初めて女としてセックスする」ことを同じだと考えているけれど、女郎においてはそうでなかった。男が「水揚げはおれだ」と言って楽しみにしたとすれば、初めて「客になる」ことを楽しみにしたのであって、痛がる女を見たかったのではない。ただ、張形を使っての貫通というのがあったかどうかは、疑問である。ただし明治期以後の遊郭はそういうこともあったらしい。
むろん以上はあくまで遊里の話だから、普通の女の多くは、武家や富豪の娘なら新婚初夜に、下層町人や農民の娘なら結婚前に、「初めて男と抱き合う時」に「破瓜」を迎えたであろう。
「処女崇拝」とかいうものがあったかなかったか、という議論の前に、この点を押さえておくべきではあるまいか。「処女膜(とやら)を破ること」と、「初めてエロティックな行為としてのセックスをする女の恥じらいに出会う喜び」とは、別物なのである。(以下略)

小谷野敦『性と愛の日本語講座』ちくま新書 2003 130p

「処女膜を破る」と「初セックス」は違うという項に書かれているんだが、これってAVにも言えるんじゃないかと思った。

AVで一番、売れるのはまず「初モノ」だろうね。
多くのユーザーは、初々しいセックスが見たいんだよね。痛々しいセックスが見たいわけではない。「初モノ」が見たいのであって「処女喪失」ではないんだな。
もちろん、ジャンルとしては「処女喪失モノ」もあるんだけど、それは淫語ジャンルとあまりかわらないマイナー趣向なわけだ。ピンク板にも総合スレはあるけど、淫語スレ同様の過疎スレだし、こっちとちがってAVの専門サイトもないみたい。

「目には青葉山ほととぎす初鰹」って言葉があるけど、そういう意味では、S1なんてこの路線を最大限に活かし切って作品を作っているわけだ。
まさに「初がつお路線」なんだ。

となるとだ。
単体女優から企画にシフトした女優は「戻りがつお」ってことになる。
こっちの方がキャリアを積んで脂がのっているってわけで、ユーザーは女優さんに企画作品として質の高いものを求めていたりする。

自分は好みのタイプなら初モノもキライじゃない。実際、買っちゃってるしなぁ。
去年なんか荒井美恵子を予約して買ってしまったからねぇ。
ただその時も思ったけど、最低限ちゃんとセックスはしてほしいよね。
グダグダなのはいらない。それは売り物にはならないでしょ。

んっ? そうなるとキカタン女優は出世魚ってことか?
長瀬愛ちゃんや乃亜さんなんかはそうだよね。


話は変わるけど、さっきまで多摩一帯の民俗の本を読んでいたのね。そうしたらこんな歌を見つけた。

郷地福島 女の夜ばい
男ごしょらく 寝て待ちる

(注)話者は福生市で糸とり工女をしていた。郷地福島は昭島市であるが、そこでは昔から女性が夜ばいをする習慣があったという。仕事しながらよくうたったとのこと。

府中市立郷土館編『府中の口伝え集』府中市教育委員会発行 S61.3.25 372p

もう少し解説すると、「ごしょらく」というのは、「後生楽」の転訛で「のんきに」とか「お気楽で」みたいな意味。つまり男の方が、女が夜這いをかけてくるのをお気楽な気分で寝て待っていたってことだね。
この「郷地・福島」というのは東京の昭島市にある地名なんだけど、今でもちゃんと存在する場所。
夜這いの話は民俗学者の赤松啓介がさんざん語ってたけど、女性の方から夜這いするっていうのは初めて聞いた気がする。

女の夜這いがあるってこと、猫猫先生は知っているのかな。
まっ、あの人なら知っていてもおかしくないわけだが。

その娘は平積みされた山の中に埋もれていた。 

  • [2007/09/12 12:41]

昨日はデータを作れんかった。

ちょっと密教系の本を読み出してしまったもんだから、精神的にかなりいってしまって、AVを見るどころではなかった。
密教は疲れるね。この世界に入り込むとなかなか戻ってこれない。そもそも密教というのは仏教なのかねぇ。特に東密系やタントラ仏教は気疲れするんだなぁ。
これに本当に向き合おうとするなら、俗世間を絶たないと無理っぽい。

ということで、データ自体は明日以降になります。

UP予定の「淫語娘Ⅱ」は、自分が一番最初に買ったアロマ作品。
と言っても、中古で買ったんだけどさ。これで「淫語娘」シリーズという毒にあてられて、何かが拓けてしまった。
今、思えばこれで間違いなく淫語量を求めるようになっちゃったんだなぁ。

本気で集めるのには二の足を踏んだ。まともに買ったら8000円だからね。中古で買っても相場は4000円以上する。まあ、この当時は鉄板だったからそれでもよかったんだが、そうは言ってもAVの価格破壊が浸透していった頃だったから、買いに行ったつもりが別のを買って帰ってくることがよくあった。下手すると3本分の値段だからねぇ。

そもそも最初に買ったところは安かったんだなぁ。1500円ぐらいだったと思うんだけどね。地元にある小さな古本屋で、商売っ気がなくていかにも老後の道楽でやってますって感じの店だった。
こういう古本屋って穴場だったりするんだな。店の人はAVの価値なんてあまりわかっていないから、掘り出し物が手に入ることがある。品数は少ないからヒット率は低いけど、目当てのものがありさえすれば、ヤフオクで買うよりも断然安かったりする。
事実、この店では「一期一会」シリーズを一本500円で買ったし、VHSだけどうさだのアニメ声コスプレも500円で手に入った。

逆に古書の方はきっちり目利きできていて、価値のありそうな本はここで売ることにしてるんだ。
もっとも今は古書の価値ってどうなってるんだろうね。昔なら帯付き初版本が珍重されていたけど、今はあまり関係ないんじゃないかな。

ちなみに自分の持っている『ブラトニック・アニマル』は帯付きの初版本。
でもきっとブックオフあたりだと500円ぐらいで売ってると思う。
実際、読むのに初版も帯も関係ないもんね。
そこに価値を置いている人は最早、少数派でしょう。

ところでまだ家の本の整理が終わってないんだよね。
いつ終わるんだろう。
このまま大晦日を迎えたりして。

妙適清浄の句は… 

  • [2007/09/10 22:25]

今日は自分の思考を整理するためにも、なんとなく書いてみる。
読者不在の文章になるかもしれないけど、もともと「ボヤキの小窓」は管理人が好き勝手なことを書くスペースなのでいいだろう。

というのも代々木忠の『プラトニック・アニマル』である。
この間も書いたけど、これ、体系的に理解しようとするとかなりの綻びがある。
理論化するのにいろんな理屈を引っ張ってきてチャンポン状態になっているのが原因だと思う。

結論から言うとチベット密教や日本の左道派の教えにかなり近いものがある。おそらく、なんらかの宗教書を読んでいるんじゃないかと思う。
メンドーなのは、その理屈をそのまま拝借するわけでもなく、かといって出典を明かして自分の考えを対比させるわけでもなく、どこまでが代々木忠のオリジナルなのかわからないことだ。

もちろん、体験を踏まえた部分はまるごと代々木理論と言ってもいいので、そこの部分は説得力をもってせまってくる。だが、たとえば、「オーガズムとはエゴの崩壊であり死である」として「エゴが死んではじめて<愛の状態>」が生まれるとしている。
この愛というのは「執着心や独占欲を多分に含んだ恋愛の愛ではな」く、それが何であるかは「本書を通して伝えられたら」としている。
本の中味自体はいろんな体験を通しての実践法が記されていて、まさにその話こそがこの本の白眉な部分なわけだ。それらの珠玉のような実践法のあと、さっきの「愛の状態」っていうのが説明されるのだが、それって仏教で言う「解脱」のことに他ならなかったりする。

せめて参考文献が示されていればいいんだけど、それがないのでどこまでが代々木忠のオリジナルなのか比較しようがない。
体系化に失敗しているのはそのあたりが無頓着なところもあるんだろう。

まぁ、それでどうって話でもないかぁ。
この本の理屈部分なんてあまり主要ではない。

この本はあくまでも実践書。
「SEXってこういうもんだよねぇ」という指南書だと思う。

かつて、日本では若者組や娘組がSEXの実践的な指南を担ってきた。
各地にあったといわれる「夜這い」という風習は、まさに実践的な性教育の場であった。
それが明治に入って廃止される。国策による「醇風美俗」と「純潔教育」によってである。
性的な知識は個人の裁量にまかされ、じゅうぶんな習得がなされようがなされまいが、いきなり実践を余儀なくされるわけだ。

民俗学者・赤松啓介によれば日本において処女はそんなに尊ばれるようなものではなかった。むしろ生娘の味などたかが知れているわけで、だからこそ、「筆おろし」や「水揚げ」の儀式はムラでは普通に行われてきたことだ。
ムラとして若衆・娘集の幹部が苦労しながら、若者の性をコントロールし、つがう相手をみつけたりしてきた。

今はそれを各個人でやるしかない。
だからこそ、逆に無節操な性がはびこるんじゃないかとすら思える。

日本人は近代化された社会を手に入れ、近代的自我と自立を促される。近代的な自我をまとった個人の自立というのは結局、1人でなんでもできる人間になるってことでもある。
1人でなんでもできる人間は1人でいることが当たり前になる。
でも人は1人ではいきられない。誰かを欲する、あるいは欲されたいと願う。
自立すると言うことは寂しさを自覚することでもある。
だから人肌を求めてしまうのかもしれない。

でも、人とのつきあいは誰かに教わらないと、なかなか習得できるものではない。
それは本来、コミュニティーが教えてきたのだ。
人の自立を促す社会は個人主義を生み、結果、コミュニティーが希薄になり、孤独を感じる人間を増やし、そしてどうやって人を愛せばいいかわからない人間を生み出すことになる。

男女の恋愛において、SEXって絶対、大事だ。
だけど、今はSEXの仕方を教えるところがどこにもない。
『プラトニック・アニマル』を読むとつくづくそんなことを思い知らされる。
今は案外AVで性を勉強していたりするんじゃないだろうか。

ホントは、この本の梗概でも書こうかと思ったけど、やっぱ、無理!
まとめようがないよ。この本をまとめるには、自分は余計な勉強をしすぎたのかもしれない。
だからヘンな色気なんて出さずに、さっさと淫語のとこだけ抜き出してまとめちまうか。
どっちにしろ、早く決着つけなきゃ。

あと、次回のUPは淫語娘にするつもり。
さっき途中までカウントしたけど、まだ出来ていないから水曜日になるかもね。

細分化するほど余裕はないか。 

  • [2007/09/07 21:54]

今日、UPした極上口淫なんだけどさ。DMMでのユーザーレビューを見るとあんまりよくない評価。
でもよくよく見てみると、どちらも自分の趣向にそぐわないから文句を言っているようにも見える。つーか、なんでこの人たちはあきらかに自分たちとは合いそうにない作品を見てるんだろう。ちょっと謎ではあるんだけど、どちらにしろこういうレビューってあまり意味がないよね。

この作品はジャンル的には「クンニ」「有名女優」「騎乗位」「淫語」「指マン」ってことになっているんで、「有名女優」はともかく、ほかの4つの趣向を持つ人が意見を言ってナンボって思うんだね。

んで、思ったんだけど、前に松嶋クロスが「そもそもどのライターが何を扱うという分担がしっかり出来ていない時点で、随分と信憑性が欠けていると言える。音楽誌のCDレビューでいうところ、演歌好きのおやじライターにロックのCDをレビューさせてどうする、というところなわけだ。ロックが好きで詳しい人間がロック好きのユーザーに記事として情報を届ける。まずそうでなくては始まらない」(「AVライターって何よ?」から引用)って書いていたことがあった。
まっ、自分に言わせれば、CROSSのある淫語作品に辟易してたもんだから、「それは作る側も一緒だよね」って思ったもんだけど、でも松嶋クロスの言っていることはきわめて正当な意見だと思う。

プロのライターの人たちはAVをプロの目で何本も見てきているわけだから、作品それ自体を評価することはできるだろうけど、果たしてここまで細分化されたジャンルにちゃんと対応できているのか疑問だったりするんだよね。実際、かなりあやしいわけでしょ。
淫語に限らせて言わせてもらえば、まだこの淫語マニアのおっちゃんの心をくすぐるようなAV評に出くわした試しがない。

レズとか騎乗位とかクンニとかベロキスとかオナニーとか、とにかくいろんなジャンルが存在している今、それぞれの専門分野を明確にして、作品にあわせてレビューを書かせた方が意味があると思うんだけどどうなんだろう。

まっ、全部は無理にしても、そのメーカーが一押ししている作品ぐらいは、ジャンル別の専門家レビューアにやらせてもいいんじゃないかと。
基本的に本格的な評論と軽い感じのレビューは違うと思うし、評論は評論で読み物として独立させて、軽いレビューは専門化できた方がユーザーにはためになるはず。
人の趣味なんて絶対、違うんだからさ。

さて、次回はどうすっかねぇ。
二村作品か夢野作品か、はたまたリコピン監督作品かで思案中。

タング ・アニマル 

  • [2007/09/06 22:28]

代々忠の『プラトニック・アニマル』を使って、淫語のイヤらしさを書いてみようと思っているんだけどさ。その前にこの本自体の評価がどんなもんかネットでいろいろ見ていたのね。そしたら、やっぱりというかなんというかみんな評価が高いんだねぇ。
しかも結構、この本には思い入れの強い人が多いみたい。

確かにこの本は良い本だ。
監督自らが「私がピンク映画の世界に足を突っ込んで以来、四半世紀で獲得した性に関する理論と方法の全てである」(代々木忠 『ブラトニック・アニマル』情報センター出版局 34p 1992)と書いてるだけのことはある。
百万言の空虚な理論より、実体験をもとにした理屈の方があきらかに説得力がある。男女のSEXというものを理解する上で必読の書と言っていいと思う。

ただ正直に言うと、監督の経験から離れて大きく理論を展開する部分になってくると、自分はにわかにうなずけなくなってくる。
一応、念のためにレジュメを切ってみたんだけど、体系化に成功しているとは思えない。なんかもったいないんだよねぇ。論理的な緻密さに欠けるんだな。

たとえば「理性」っていう言葉だったり「愛」という言葉だったり、読んでいるとどうも引っかかる。
ちょっと使い方を間違えている。今ひとつ正確じゃない。言葉の歴史的な変遷を無視している。それって自分とは言語感覚が違うってことなのかねぇ。
まぁ、学術書ってわけじゃないから、もともと細かく定義する必要もないんだろう。この本はあくまでも代々木忠という人の言葉で語られなければ意味がない。言葉としては正確になっても、今度は説得力がなくなってしまうかもしれない。

だけど自分の目的はこの本を使って淫語を説明すること。となると自分なりに換骨奪胎して再構成しないとキツいなぁと思っている。
当然、著者の意図とは違う使い方をするかもしれない。それって非礼に当たるんだろうか。でもこればっかりはしょうがないよね。
自分の哲学や思想が代々木忠と同じである方がかえって気持ち悪いはずだから。

「言語道断」って言葉がある。
日常的には「とんでもねぇ!」とか「ありえねぇー」とか「あきれてものが言えません」っていう意味合いで使っている。でも、これ、もともと『大智度論』っていう仏教書に書かれてある言葉で、まぁ簡単に言やぁ「究極の世界は言葉に表現できない」って意味。

この言葉の面白いところは、「言葉に表現できない」ってことを「言葉」で説明しているところなんだよね。
確かに「究極の世界そのもの」を言い表すことは不可能なんだけど、それを指し示したり、その輪郭をギリギリのところでなぞったりする努力は必要だとも言える。
むしろそれこそが言葉の本質なわけで、だから「声仏事をなす」ということで、仏の言葉を経論として編んでいくことになる。

真理を表現することは不可能。だから言語道断。
でも、表現をしなければ真実にたどり着けない。
言葉を惜しむことは存在そのものがないということでもある。
人間はなんだかんだいって「言葉の世界」の中で生きているわけだから。

だからこそ「言葉の選択」って大事だと思うんだ。
なぜその言葉を選んだのか。他の言葉ではいけなかったのか。
そのこだわりにこそ、その人の個性が出ると思う。

たとえば「愛」っていう言葉なんて、気をつけないといけない。
昔からいろんな人が「愛について」語っている。随分、手あかにまみれた言葉でもある。
仏教的な解釈、儒教的な解釈、キリスト教的な解釈、いろいろ入ってごちゃごちゃしてる。

自分は「愛」というのは、基本的に関心を持つことなんじゃないかなぁと思っている。
もともと「愛」っていう文字は「人が頭をめぐらし振く象形」と「その心の様」に「その方向に向かう足の象形」をあわせて作られている文字。つまり「ある方向に歩いていた人が突然何かを気にかけて振り向き、引きつけられそちらに近づこうしている状態」が「愛」ということになる。強い関心を示して近づこうとするってことだね。

関心を持つって、実は人間が持つ一番、基礎的なエネルギーなんじゃないかと思うんだ。
古事記にも、もともと日本の国の出発はイザナギとイザナミの男女の神がお互いに関心を持つことから始まるわけでしょ。
しかもこの神様の名前の由来は、「いざなう」という言葉からでているとも言われている。「誘う」というのは、相手に関心を持たせようとするってことでもあるよね。

いずれにしろ、「愛」って言葉は人によって違う。もしその言葉を使うなら、なぜその人がここで「愛」という言葉が適切だと思ったのか、なぜその言葉を選択しなくてはならなかったのか、説明しなくてはいけないと思うんだ。

そういえばAVレビューでも、「抜ける」とか「エロい」とかついつい使ってしまうけど、あれもホントは吟味した方がいい。なぜこのレビューアーはここで「抜ける」という言葉をチョイスしたのかとか、この監督にとって「エロい」とはどういうことかとか。

「なんで淫語がエロいと感じるのか」
まぁ、答えなんて出ないんだけど、でも輪郭ぐらいはなぞらないといけない。
言葉を惜しむことは、生きることを惜しむこと。
関心を示したら言葉を投げかけなければね。次にすすめないでしょ。
人間が言葉を使うのは、人間としての本能なんだから。

さぁーてこの次も、サービス、サービス! 

  • [2007/09/03 12:23]

週末はエヴァンゲリオンにハマってしまった。
どうせこの秋の映画を見ると思うから、その前にどんな感じだったか借りてみたんだけど、気がついたらレンタル店を何往復もしとった。
なにやっとんだ、お前は。

しかも本当は先週、本の整理をしなくちゃならんかったんだけど、結局手つかずで本棚から下ろした本が、山となって部屋の半分を占領したままとなっている。
そのうえ何気なく手にとった本を読み出したりするし。

でも考えてみると結構、幸せかもしれんなぁ、この状態は。
昔は隠居したら古本屋の主人になろうと思っていたからねぇ。商売にはならんと思うけど。

AVデータの方は山口玲子さんの「熟雌女」と姫野愛さんの「極上口淫」をUPする予定。
山口さんの方はもうすでにとってあるから明日はUPできる。
姫野さんも途中までやったから、すぐにでもUPできるかもしれない。

あと青木玲ちゃんの「ハイパーデジモ」を見た。
なんか声が違っている。あの青木玲の鼻にかかったような声じゃない。むしろかわいらしい声を出していた。化粧も微妙に違うから、本当に彼女なのか何度も疑って、その顔を確かめてしまった。
緊張してたのかなぁ。ケタケタ笑っているシーンもなかったし、なんかキャラが違う気がするんだよね。
ちょっとヘンな感じ。
確かに相変わらずのアンパンマン顔ではあったけど。
でもアンパンマンの声が、戸田恵子から潘恵子にかわったぐらいはヘン。

やっぱり声って大事だよなぁ。一度、定着した声のイメージはなかなか払拭するのが難しい。
ヱヴァも作れるのは今のうちだね。ガンダムなんて、セイラさんもブライトさんももういないもんね。