昔、ライダースナックっていうのがあってね 

  • [2014/03/22 18:58]

2006年の3月21日、淫語AVマニュアルはできた。巷はちょうど第一回目のワールド・ベースボール・クラシックをやっていて、テレビで日本の活躍を横目で見ながら慣れない手つきでHTMLを打ち込んでいた。
昨日でちょうど8星霜。今日から「淫語魔」と名乗るようになって9年目に突入である。

マニュアル自体はまったく更新が止まってしまっているが、別にあきらめてしまったわけではない。今でもその思いはある。
だが、いかんせんAVのプロデューサー業務がハンパなく忙しく、少しでも暇な時間があればインプットに専念したいのである。マザーズもレズれ!もようやくメーカーとして軌道に乗り始めてきたところ。まずはここを先途と集中してあたりたいのである。
淫語への思いに関しては底の方にしまっておくことにする。

観る側から作る側に回って3年たった今、ようやく全体像がつかめるようになってきた。
いろいろ思うところはあるが、やはり一つ言えるのは、AV自体は本当に儲からなくなっているということだ。
今、自分はようやく予算の見積もりから、女優費、制作費、製造費などを把握し、この作品の規模だと、だいたいどれぐらいがペイラインなのか、そして自分たちの商品と比較して、他メーカーの作品はどのぐらいの売り上げがあるのか、なんとなくわかるようになってきた。
それで考えると、今はどのメーカーも状況的には厳しい。もちろん調子のいいところもあるが、全体的に言ったら水かさがかなり低くなっていると見るのが妥当だろう。

90年代のレンタル時代であれば、とりあえずリリースした作品は全部はけた。あの頃は借りる側も、その日に1本しか借りるわけではなく、最低でも3本以上は借りて、2本は本命、対抗、そして1本は大穴と相場が決まっていた。
それこそ宇宙企画のきれいな女優、ダイヤモンドの淫乱な女優を借りておかずに決めた上で、ついでにV&Rやヨヨチューを借りようとか、たまにはゴールドマンもいいかとかやっていた。
レンタル料などたかがしれている。抜けないAVであっても、箸休め程度には借りてみようと思えたし、その中で「わくわく不倫旅行」みたいな異色作に出くわしたりもした。
借りた作品の中でハズレを引くことがあっても、それはそれでまた借りる楽しみの一つとして軽く流せる時代でもあった。

それがセルAV時代に移行し、高い金を出して買うということが前提となる。そうなると作品1本1本に対しユーザーも余裕がなくなり、なるべくハズレはつかみたくないと思うようになる。一つの作品をチョイスするのに慎重にならざる得ないのである。

あの時代、一度でもAVにはまったことがある男性ならわかると思うが、レンタルするときはそれこそ必死だ。戦場に赴くサムライのように常に真剣勝負である。
暖簾をくぐった先のアダルトコーナーでは、比較的寡黙な男たちが独りを単位に集まってくる。まずは決まったコースで各棚をじっくりと巡回し、かつて勝負に負けたハズレビデオを見ると心の中で軽く舌打ちする。そうしてゆっくりと視線を動かし、気になるタイトルが目の前をかすめると何食わぬ顔して手に取ってみる。そこでパッケージに興が惹かれると、一瞬だけ目の奥を光らせて裏返しにする。裏表紙には作品の中身を示す女優の姿態を映した画像と怪しげなキャッチコピー。ものすごく小さい字で書かれた作品紹介文も目を皿のようにして読みふける。そうやってさんざん吟味してなおその日の自分の気分と今までの経験に照らして沈思黙考する。「果たしてオノレが求めているものは目の前にあるコレなのか」「これが今晩のおかずたり得るものであるのか」。さんざん自問自答を繰り返す。今まで失敗を重ねた苦い思いがよぎる。それはまるで自分を根底から問い直す哲人のように神妙な光景である。
そんな厳かな真剣勝負をパッケージの前で繰り広げる男たち。
かつて自分が騙されてしまったメーカーや監督名を、どんなに脳裏に焼き付けたしても、それでもパッケージがいいとまた騙されてしまう。いったいどんだけそんな自己嫌悪を繰り返したことだろう。そういう悲喜こもごもとした濃密な時間はあっという間にすぎる。体内の時間感覚と物理的な時間にズレが生まれ、30分の感覚が3時間ぐらいすぎてしまっていることが起きてしまう。
でも男達にとってそれは決して無駄な時間ではない。至福の時なのだ。
それがセルショップで、高額な金を払うとなるとさらにシビアになってくる。

自分はあの、どこか長閑だが殺伐とした空気が好きだった。
近くのレンタルショップなら毎週火曜日の3本390円のサービスデー(確かサンキューデーとか言ってた)の時。セル店なら月初めと月中の2回、毎月一つのサイクルのように足を運んで、ときに5時間近くいたこともあった。淫語ビデオは見た目ではかわらないから、それこそパッケージから微かに漏れる情報を頼りに吟味し続けたのである。
そんな時の過ごし方を5年以上やっていたことになる。

だからAVはパッケージが命だと自分は思っている。どんなにいい作品を作っても、パッケージがダメならダメである。今はインターネットが進み、作品のアクセスの仕方も変わってきているが、やはりショップの棚の置き方や背表紙やパッケージはとても大事なのだ。
自分の中には、あのときショップで濃密な時間を過ごしていた「ユーザー」が今でも間違いなく息づいている。5年以上も続けてきたのだ。簡単に消えるわけもない。
かつてほど買う量は減ったが、AVは買い続けているし、借り続けている。もちろん基本は淫語AVである。なにも変わっちゃいない。

そんな自分だから思うのだ。やはりAVは売れなくなってきている。かつて自分が足を運び続けていたショップはもうない。あのサンキューデーをやっていたレンタル店も、熟女作品の品数がどこよりも多かったお店も今は存在しない。
つぶれていっているのだ。

アダルトビデオ全体の売り上げが減り続けて久しい。たとえば10本リリースしたとして、3タイトルが大ヒットしても、残りの7タイトルがトントンか赤字なら、間違いなく借金だけが増えていく。

こうなると守りに入るメーカーも出てくる。
この女優の数字がいいと聞けば、その女優を何回も撮る。逆に数字がまったくないと見向きもしなくなる。つまり仕事が回っている女優と回ってない女優の格差がどんどん開いていくことになる。

内容・企画もそうである。これが当たっているとなるとそればかり作ることになる。
ちょっと前にギャルものが流行り、雨後のタケノコのように黒ギャル女優が席巻していたが、どこのメーカーもギャルものばかりを撮って供給過多になり、結局食い合って売れなくなっていった。当然そうなると急にギャルモノに見向きもしなくなる。気づけばギャル女優たちだけが取り残され、仕事があぶれていくことになる。
今は、セルビデオを買うユーザーではなく、セルビデオを売るメーカーの方に余裕がないのかもしれない。

いい作品が必ずしも売れるわけではない。いや、いい作品なのに売れずに終わった作品など腐るほどある。
せっかくいい作品を二村さんや真咲さんに作ってもらっても、まったく売れなかったものがいくつもある。自分たちは悩んだ。どうしたらみんなに見てもらえるようになるのか。

いや、見てもらうだけなら実はそんなに難しくない。作品を無料で提供すればいい。実際、共有ファイルなどでは、何万もの人間が無料で落としてAVを見ている。
そう、見させることと買わせることは違うのである。優秀な作品が必ずしもいい商品とはいえない。ネットの評判の恐ろしいところはそういうところだ。見ることはあっても買わない人が圧倒的にいるのだ。そしてタダで見ているくせに女優のブログやTwitterに「ファンです。作品見ました。応援しています」って臆面も無く言えちゃう。そんな奴らがウジャウジャいるのである。

自分のやるべきことは1つである。とにかく監督さん達には、(ヌケるとか泣けるとか感動するとか興奮するとかジャンルはいろいろあるが)いい作品を撮れるお膳立てを作り、その上で売れる要素をちょっとだけでも盛り込んでもらって、あとはそこを最大限、生かし切る表紙と広報、営業展開を考える。
作品としてだけでなく、商品としての価値も自信をもって訴えられるものにしていく。
優れた創作物と購買意欲のわく商品のバランスをとりながら汗をかく人間が必要である。
それがプロデューサーの仕事なのだろう。

自分は果たして優秀なプロデューサーだろうか?
どんなプロデューサーが理想か、まだ自分の中では答えが出ていない。
でも自分の武器となるのは、かつてヘビーユーザーだったってことだ。どんなエロが好きかを語るプロデューサーはいる。しかし自分がどんなAVユーザーとして過ごしていたかを語れる人とはあまり会ったことがない。

職業作家は、文学少年、文学少女だったものの中から生まれるものだ。本を読んでないヤツが作家になれるはずがない。読書人はそんなに甘くない。
映画監督も同じ。きっとバリバリの映画青年だった頃があるはずだ。
ところがAVは歴史が浅いせいか、ユーザーが監督だったりプロデューサーであったりすることはまれだ。
そこに勝算がある。そう信じるしかない。

AVは誰の金で作られているのか?
AVユーザーの金である。AVユーザーが出してくれるお金で、監督やスタッフが作品を作り、プロデューサーがお金を回しているのである。
作り手が好き勝手なものを撮りたいだけなら、自分の金で撮るべきだ。それこそ自分でカメラを回して、自分でモザイクを入れてオーサリングをし、無料で多くの人に見てもらって、たくさんの人に満足してもらえればいい。
それを商売にしたいのなら、作品を売るということはどういうことか自分の胸に手を当ててよーく考えるべきだ。

あの暖簾の向こうで5時間もかけて作品を選んでいた自分。
そいつが買ってもいいと思えるものにするにはどうすればいいのか。どうやってその人にとって当たりの作品を届けられるか。

そんなことを思いながら今日もパッケージのコピーを作り、おまけにつけるパンツ写真の整理をしている。売れればいいからパンツをつけているんじゃない。パンツをつけてでも観てほしいからつけている。
それも作品力がなければ売れない。ユーザーは馬鹿ではない。
作品を商品にして売るというのはそういうことだ。