うちにも底に顔がついている岡本太郎のコップがあったなぁ 

  • [2008/08/30 22:42]

とりあえず、ワンズファクトリーのヤツは作った。
なんかとにかくアップしていかないとマズいなぁ。たまっていく一方だぞ。

次回もワンズのにしようかと思っているんだけど、そろそろ「中出しソープ3」も作っとかないといけないしなぁと思っていたら、リリース順からいくと千堂ゆりあの雌女の方が先なのでそっちからかなぁと思ったり、みひろちゃんのMVもやりたいし、ついでにかすみりさのMVもやっておきたい。でも北原夏美の熟雌女見たら、あまりにもイイ感じだったのでこれを早く伝えなきゃだと思ったり。

ということで、今後このあたりが更新予定。

それと昨日アップした「悠がおなるの手伝って」だけど、オナニーものとして見るとオナファンの期待を裏切る作りなんじゃないかと思う。
黒子とはいえ生身のチンコを出しちゃうのがやはり問題。
男の顔を出してしまっているのもオナニーものを見たい人間からすると興ざめなんじゃないか。

男性を出した理由の一端として、メーカーのホームページではこんなことを書いている。

《エロ漫画朗読オナニー》
エロ漫画を朗読し、徐々にエロモードへ。玩具(男)を使ってローター、バイブ、指入れなど、淫語と朗読を交互にしながらオナニー。

《騎乗位オナニー》
悠ちゃんがセクシーポーズから徐々に服を脱ぎ自分の指でオナニー。我慢出来ずチンポが欲しくなり玩具(男)に跨り淫語絶頂。

《1人レズ&マンズリオナニー》
鏡の中の自分とレズオナニーに耽る。生チンポが欲しくなり、玩具(男)を持ち出し生チ○ポマンズリ。十分楽しんで口内発射。

つまり男はあくまで、「玩具」という位置づけなんだね。
でもだったら目や顔は絶対に出してはいけないと思う。
顔を出した時点で道具には見えなくなってしまう。

偶像崇拝を嫌うイスラームの人たちが仏教寺院を占拠したとき、仏像の顔を切り取ったりすることがある。あのバーミヤンの大仏も破壊される前はまず顔が切り落とされていた。
顔があるかないかって大きいんだよ。

逆にあえてモノに顔を書いてみると、精霊化、もしくは妖怪化していくことになる。 唐傘お化けも一反もめんも、傘や布に顔が描いてあるから物の怪としてキャラが立ってくるわけで、顔、特に目はモノに人格が宿す符号なんじゃないだろうか。

だから黒タイツで黒子っぽくして、その存在は玩具なんだと強弁しても、顔や目を出してしまうとそうは見えなくなるのは当然だと思う。

妄想オナニーものとして見るならノーマルKIM監督の「オナニーパラノイア」の方がはるかに上だと思うし、妄想の中でのSEXということなら、渡辺監督の「痴女遊戯」の方が上。
どっちにしろ中途半端なんだよね。

ただ淫語だけとると、さとしまにあ監督の方がマニア向きかもしれない。
だからなんか惜しいんだよね。
オナニーモノにこだわってなければ悪くはないとも言えるんだけど、でも「おなるの手伝って」っていうタイトルで、オナニーモノを想定して作られているのに、それじゃあね。

この監督は「卑猥語GAL」って作品も撮っているんだけど、それは直球勝負でなかなかよかった。あまり器用な監督じゃないんじゃないかなぁ。
「卑猥語GAL」もそのうちアップするです。

あと、DMMでは「悠がおなるの手伝だって」と「だ」が一つ多い。
こういうのってメールで知らせるべきなのかな。指摘したら訂正する?

「淫語しまっせ!」って神戸たろうのデビュー作なんだってね。 

  • [2008/08/29 22:41]

さっき「復活! 素人淫語」を見てたんだけどさ、この1人目の女のコってなんか見たことあるなぁと思ってたら、蒼井そらにそっくりなんだ。これが出た頃はすでにデビューしたあとなので、本人であるはずがないんだけど、どうも「復活 素人淫語」は怪しいんだよね。羞じらい方とか見ていると、事務所に所属しているモデルを仕込んでんじゃねぇかって思えちゃうんだよな。
2ちゃんねるに「女優が言ってるんじゃなくて、素人のが聞きたいんだよ」と書き込む人がいるけど、ここ最近のSODはいまいち信用できない。

去年、「女性器大辞典」と「男性器大辞典」っていうのを出していて、そこで街頭で言わせる「素人淫語」っぽいのがあったけど、あれも仕込みって感じがしてしまって白々しかった。
多分、最初の菅原ちえがやってたのはガチだと思うし、神戸たろうの関西版「淫語しまっせ」も街頭の一言淫語っぽいのは仕込みじゃないだろう。
もっとも長めのインタビューはやはり怪しい気もしなくもないが。

結局、こういうのは素人に見えさえすればいいってことのはず。
どうせ女の人なんて素人だろうが玄人だろうが多かれ少なかれ演技してるんだしさ。逝ったフリとか平気でする生きもんなんだから。
自分は素人とかAV女優とかで区別する感覚があんまりよくわからない。
むしろ羞恥淫語なら、海千山千のAV嬢にわざと意識させて恥ずかしがらせ、淫語を言いにくくさせる空気を作った上で言わせる方が面白い。そこにこそ男優や監督のテクが問われるわけだろう。
自分もそういう空気を作って、その上で羞恥プレイに持ち込むのは好きだしね。

それと「素人淫語」シリーズを見てて思ったんだけど、これって女子校出身か共学かでも変わってくると思うんだよね。
男の手前、恥ずかしがっているけど、普段の会話で「マンコ」とか平気で言う女は少なくない。この時期、スカートの中、下敷きでパタパタしながら、「ああマンコが蒸れるぅ!!」とか女友達の前で平気で抜かしている女子高生なんて昔からいくらでもいた。
野郎は単純だからすぐ幻想を抱いちゃうけどさ。

ところでなんで今さら「素人淫語」を見始めたかというと、JavaScriptで「淫語調教ゲーム」を作ろうと したら、この際、ちゃんと淫語のカテゴリ分けをしておいた方がいいんじゃないかと思えたから。
淫語のカテゴライズは淫語マニュアルを作った当初、一度試みてるんだけどデータが足りなかったので保留にした。
今はだいぶ集まっているから、そろそろ体系化できるかもしれない。

ということで、淫語の発話形態をいくつか分類しつつ、昔の作品を確かめている最中。

淫語の談話分析なんて、まともに取り組む学者はまずいないだろう。
まぁ、そんな大それたことをやろうと思ってるわけでもないんだけどね。
あくまで酔狂。趣味の世界。

ちなみにバイオリズムは身体27、感情91、知性91だった。 

  • [2008/08/25 22:50]

今日は仕事でヘマばかりやってしまって、なにもかもうまくいかなかった。
こういう日は何もしないのが一番なのだが、そういうときに限っていろいろやらなきゃならなかったりする。
途中から開き直って流れまかせ人まかせにして責任放棄のような格好になった。下手にコントロールしようとするとドツボにはまる。ますます人に迷惑をかける。
だから早めに両手を挙げちゃった。
今日はなにをやってもダメなのだ。うまくいく日に挽回するしかない。

ということで、今夜は生ける屍となって酒でもかっくらいながらもう寝るのだ。
更新作業の予定だったけどやめとくわ。

さっき「天中殺」って言葉をなにげに思い出したので、自分の天中殺を調べてみたらはずれてやがった。
ついでだと思って「大殺界」も調べてみたが、その時期でもなかった。 使えねぇーな、占い。

他の「本日の運勢」みたいな占いもざっと見てみた。

運気良好。理解力、応用力がアップ。きょう得たテクニックをすぐに応用し仕事や学びに活かすことができそう。ファション情報にも敏感に。いち早く流行を取り入れて福運招来。

なんだよこりゃ、星占いはダメだな。

【総合運】
ずっと悩んでいた問題も一件落着。ほっと一息つけるでしょう。これからのあなたを応援してくれる人も見つかって、あなた自身も高い評価を得られるようです。豊富な話題とテンポの速い話し方で、その場を盛り上げることができるでしょう。

【仕事運】
面白いように仕事がはかどり、忙しい日。転職情報など、新たな仕事の話もあり。

だからいつものようにテンポよくすすまなかったんだって!
仕事なんか全然、はかどんなかったぞ!!

今日のあなたは、勢いとパワーにあふれているようです。
しっかりとした目標はまだ見えていないかも知れませんが、勢いにまかせて新しいことをはじめるのにぴったりのとき。
停滞していたことにたいしても、うまく新しい風をいれることができそうです。
上手にこの勢いを活かして、いつもとちょっと違うことにチャレンジしてみましょう。
あまり理性的にあれこれ考えるよりも、心のなかの衝動や本能に従ったほうが今日は良いようです。
うまく気持ちと運気を噛み合わせてくださいね。
とりあえずアクティブに、積極的にいきましょう。

もう占いなんかぜってぇ、信用しねぇ!!

こういうときこそ「キミの今日の運勢は最悪だから仕方ないよ」と言ってほしい。そうすりゃ運のせいにして少しは楽になるんだが、見る占い見る占いみんないいんで逆に落ち込むわ。
まぁもともとおっちゃんは占いとか運勢とか信じないんだな。
カルマの方が合理的ですっきりする。

この世は因果応報だ。
人がヘマしたときは、ちゃんとフォローしてあげよう。
そうすりゃいつか廻りから助けてもらえるだろう。
「情けは人のためならず」だ。

あっ。
でも。
今日は確かに怒られたりしたけど、廻りの人がうまく処理してくれていたな。
確かに自分はダメダメだったけど、廻りにいろいろバックアップしてくれる人がいて、なんだかんだうまく運んだ。仕事的には大過なかったし、むしろはかどったかもしれない。

おーまいぶっだ!
そう思えば悪いわけでもなかったのか?

ヤッホーの口の形は卑猥ということだ。 

  • [2008/08/24 10:19]

作品データの体裁はいちおう整ったようだ。
あとはロゴだけだな。どうすっかねぇ。

それと前にも書いた天衣みつの淫語ナースの酷さが気になって、実際に「淫語痴女ナース」を久しぶりに見てみたら、こりゃホント無残だなぁと思った。
作品はものすごくいい。にもかかわらずこのマニュアルの記事ではそれが伝わってこない。天衣みつはとてもいい女優さんなのに、これじゃあかわいそう。

真剣にいくつか作り替えてみるかなぁ。
結構、面倒だなぁ。

あと淫語別女優別の最初のページはスペースが空きまくりだから、なにか埋めないとね。手っ取り早いのはアフィリだけど、単純に自分のお気にの作品ページにリンクしてもいいかな。

それとバナーを作っていたらこんなのができた。
ingomanual.jpg
トップ画像をもとにちっちゃく作ってみたら、なんかマンコに見えた。
「陰唇」とはよく言ったものだ。

肉体的には3年も経てば別人と言うしね。 

  • [2008/08/22 23:43]

作品データのページを直してんだけど、230もあるとなかなか直していくの、大変だなぁ。
しかもタグが間違えていたり、リンクミスを見つけてしまったりでまだまだ手間取りそう。やっと100データまで体裁を整えた。先が長い。

記事の中身も、昔の自分が書いたときと今とでは見解が微妙に違っているところもあって、「へぇー」とか思ったりした。
これは成長していると考えるべきなのか、単に趣味趣向に変化が起きただけなのか。
もっともマニュアルを始めた当初は、まだ2ちゃんねるのまとめサイトのつもりでいたので、あまり自分の色をださなかったってこともある。
少なくても40作目ぐらいまではそうだった。
でもそのうち淫語スレにあげているものとは関係なく、自分の好みのものが入り始める。スレの報告がなくなってしまったのが一番の原因で、今思えばもともと無理があった。
100過ぎたあたりから2ちゃんねる離れが加速化しだんだん今の形に近づいてくる。総評もかなり突っ込んだことを書くようになった。
そうなると今度は逆に、最初の頃、書いていたデータがみすぼらしく見える。
天衣みつの淫語ナースなんて、ちょっと酷すぎる。
こういうのを見ると書き換えたくなるねぇ。でもどっすかねぇ。かなり大変だよねぇ。

とりあえず、データの更新もしなくちゃいけないし、早く作り替えたいんだけどまだ時間がかかるなぁ。

次回はアロマ企画のヤツかワンズファクトリーのにするつもりで、データ自体はもうすでにとってある。
実はワンズはまだ紹介したことがなかったんだよね。マニュアルではお初。いちおう2作ぐらい用意している。

それとさっき蜜井とわの癒らし。を見ていたら、彼女、なにげに淫語を言っているのでおおーと思った。
おちんちん8 チンチン1 おまんこ2 クリちゃん1の11回。蜜井とわさんは初めて見たんだけど、もともと淫語を言う女優さんなんでしょうかね。
甘えるのが好きみたいで「抱っこして、抱っこ。ギューしてぇ!」と言っちょりました。

性に関して普通を語るときは注意が必要 

  • [2008/08/21 12:50]

淫語マニュアルの作品ページ。
横幅を760pxにしているところを800pxまで伸ばした。
今はモニターの解像度が1024×768が主流。800×600は無視してもいいところまできた。だがいずれは1280×1024が主流になるだろう。そのたびに横幅を広げていくことになるのか。
問題は横のデータ記事。伸ばせば伸ばした分だけ書くスペースが増える。
田中亜弥の最オナだけ淫語台詞の抽出に一行分、足してみたが全作品つけ足していくとなるとかなり大変だ。
CSSをいじるだけでレイアウトを崩さず収まるようにできないものか。

データ番号を左上に大きく載せた。飾り付けも今作っているところ、ヘッドも画像にするかもしれない。
ロゴマークも入れたい。
でも作っちゃいるんだけどなかなかイメージ通りのものができない。

それと表紙パッケージの画像だが表1のみにするか、背表紙の部分も含めるか。
ショップで買うときは、新作こそ平積みだったりするが、たいていの作品は棚に入れられ背表紙しか見えない。
背表紙は割と重要。
メーカーはAVのパッケージのスティールと画像処理ばかり目がいっているようだが、コピーも含めまだまだ未開拓だと思う。

とにかく毎月リリースされるAVの量は半端じゃない。
そこから自分の好みのものを選択するのは至難の業だ。AVに興味を持ったライトユーザーは何を足がかりに選べばいいのか。

これは何度も書いてきたことだけど、自分はAV情報誌からその情報を得ることはできなかった。AV雑誌がその役割りを担えない以上、結局、ショップでパケとにらめっこしながら作品を購入することになる。
ショップの店員に聞いてみても埒があかないことが多い。
淫語マニアが「この作品ですけど、キンタマって言ってますかね?」なんて質問して、まずちゃんとした答えが返ってくることはない。

これは他の趣向の人も同様ではないか。
結局、しょうがなくパケの画像やコピー、それと自分の勘だけを頼りに買ってみる。
そして大体ハズれる。3本買って1本当たればいい方だ。

人の性癖はいろいろだが、ことにSEXにまつわる性癖は同質に語れない。
淫語で興奮するヤツもいれば、萎えるヤツもいる。

学者で「性愛」について語る人がいるが、その場合、ご自分の性的趣向を述べた上で言及した方がいいのではないかと思うことがある。
ときどき明らかに自分の性的趣味を基準に論を展開している本に出くわすことがある。
斎藤美奈子が「おまんこ」発言を嫌っているのもそのあたりにあるのではないか。

2ちゃんねるのPINK板やDMMのユーザーレビューを見ているとつくづく思う。
性に関しては「ふつう○○だろ!」みたい物言いはあまり通用しない。
あるのは「オレは××みたいなのが好きだ!!」だけだ。
性について一般化して語るのは非常に危険なのだ。
性愛を語る学者はAVショップに行って勉強するといい。

だが問題は今のAVは少し偏りすぎていることかもしれない。
自分はこれでもだいぶ慣れたが、最初は見たいものがなかった。
今のAVは見慣れなきゃ見ることが出来ない要素が結構ある。
作っている人はそれに慣れちゃって感覚がバカになっているんだろう。
業界全体でもっと新規のユーザーが入りやすい市場を形成すればいいのにとよく思う。

トップ画像はちと気に入っている。 

  • [2008/08/19 21:18]

淫語マニュアルのウェブデザインを少しずつ作り替えてんだけど、ちょっと時間がかかりそうだな。
今はボタン作りをしつつ、ロゴを作成中。
ロゴはなかなか気に入ったのができないねぇ。

あとプログラミングなんだけどperlやPHPを一通り勉強してみたものの、これで何を作ればいいか思いつかないから、これ以上上達しようがない。
メールフォームやBBSにしたって、ネットで探せば自分が作るよりも断然いいものが無料配布されているわけで、これでは創作意欲がわかない。

んで今考えているのはゲーム。
アダルト検索の一発さんが前にブログで紹介していた「女郎育成ゲーム」をやっていて、何気なくそのソースを覗いたらそう難しくはなさそうなんだよね。
JavaScriptで書かれているわけなんだけど、手軽な言語だし動作確認も楽そうだ。
ここは「淫語調教ゲーム」みたいなのが作れないかなぁなんて思ってさ。
Sampleなら今まで貯めた淫語会話がいっぱいあるし、淫語マニュアルに貼ってあっても違和感がないでしょ。

その前にまずリニューアルが先だけど。

それと最近はほとんどアクセス解析を見なくなってきているので、今、解析用のタグを2つ貼っているけど、これこそ自分なりにシンプルなものを作った方がいいんではないかと。
こんなのリファラーとIPがわかればいいしね。
それだけならそんなに難しくないような気もするんだけどどうなんだろうね。

SODにも昔、早坂晃子っていう人がいたよなぁ。 

  • [2008/08/14 11:54]

前の記事で「羞じらい」の話を例に出したけど、「羞じらい」がエロさを醸し出すのは、その人の心情の変わり目にそれが出てくる時ではないか。
そこに剥き出しの意識が顔をのぞかせる。さらにテンパったりしてくれたらもっと引きつけられるだろう。それは立派なドラマだ。

たとえば売れっ子のお女郎さんが恋をしたとする。SEX慣れしているはずの彼女が好きな男の前では意識してなかなか体を開かない。他人の前ではいろんなSEXショーをしていても、好きな人が目の前にいるだけで緊張して体を硬くする。

『椿姫』が純愛ものとして優れているのは、マルグリットが高級娼婦として世のさまざまな享楽と贅沢な生活に身をやつしているという設定が効いているからだ。
そこへ青臭いアルマンと出会い恋に落ちる。彼女の中で無垢な少女と世知に長けた高級娼婦とがぶつかり合い揺れ動く。どちらも紛れもない自分なのだ。そのカオスの中で最後は愛する者のために身を引く。その決断も彼女が高級娼婦として世の中がどういう仕組みになっているかよくわかっているからで、彼女が純愛を貫けば貫くほど彼女のとるべき道は一つしかないかのように話が進んでいく。
身は娼婦だけど、心はうぶな乙女になってしまった女の悲劇でもあるのだ。
身に染みついた娼婦の姦智が心を浸食することもあっただろう。逆に心の中の無垢な思いが体に表れて羞じらいを帯びることもあっただろう。

そういう心と体のギャップからドラマが生まれる。
そしてそこには必ず言葉の変化が現れるはずだ。
それが読者や視聴者の心に風を起こす。

昨日、アップした田中亜弥の最オナはそういう意味で実に残念だった。

田中亜弥はさすが元アナウンサーだけのことはある。最初のコーナー「今日のチンポ」でのアナウンサー口調はかなりよかった。
ここで話される話し方は「カメラの向こうにいる視聴者」に向けられたもので、丁寧でかっちりとしたものになっている。
そこにときどき思わず出る嘆声や感想が入る。これは独り言に近いものだから特に誰かに向けられてはいない。そのままでは視聴者不在になり、アナウンスにはならなくなるから、大なり小なりフォローを入れつつ再度、視聴者に語りかけていく。
つまり公的な発言の中に私的な発言が混じっている状態になるのだが、ただ混じっているのではない。一つの意識のつながりの中での彩りを加えたアナウンスになっている。
こういう技術はやはりキャリアがものをいっているのかもしれない。
SODあたりでやっているアナウンサーものとはわけが違う。

この状態で淫語が入るとさらにギャップが生まれ、そこを評価するユーザーもいるだろう。実際、彼女のアナウンサーとしてのしゃべり方はとてもうまいから、「チンポ」とか「おちんちん」とかの言葉がクリアーに聞こえる。

これが手コキやフェラの時はいいのだが、自分が感じ始めると怪しくなってくる。 特に、マニュアルにも書いたが、本番コーナーの「体験コーナー デカチンポを入れる!!」は途中から視聴者に向けられたレポという設定がボケてしまっている。

当たり前のことではあるが、話し方というのは誰に向けられているのか、どういう場所で話されているのか、何を伝えなくてはならないのかによって違ってくる。職業や身分によっても違うし、公的か私的かによってもちがう。私的な発言でも育ちによってかわってくるだろうし、そこに口癖だとかその時代の流行語などが入ってくることもあるだろう。

いいドラマはいろんな話し方、会話文が巧みに織り込まれている。
それもバラバラに出てくるわけではない。一つの流れというモノがあるのだ。
ドキュメンタリーと違い、創作ものの場合はこのあたりの言葉のつながりを意識してもらわないと不自然に感じる。

ドラマとは、心と体と言葉のギャップから生じ、他人とのギャップから話が展開される。
さらに大きくいえば社会や時代とのギャップにより悲劇や喜劇へと昇華していく。

それは設定でほぼ決まるといってもいい
あとはその線をはずさないで人を転がしていくだけだ。
その設定を生かしきれないとすれば、それは創り手の技術不足なのだろう。
そんなものを買ってまで見せられるユーザーはいい面の皮だ。

小説『椿姫』自体はテンポがのろくて、デュマ・フィスが作家としてオヤジを乗り越えられなかったのはうべなるかなだが、それでもヴェルディのオペラをはじめ、いろんな形で取り上げられるのはとにかく設定がいいからだ。

もっともこの話自体は実際の体験をもとにして書かれたわけだが。

新造も禿も若後家も 年に一度の色まつり 

  • [2008/08/12 23:41]

なんだかんだ言って、オリンピックは見てしまうね。
やっぱりスポーツは面白いなぁ。
金メダルとかとられちゃうと何度もリフレインして見たくなっちゃう。

まぁそうやってテレビを見ながら、どうにかこうにか明日の更新分ができた。


消費社会から格差社会へ―中流団塊と下流ジュニアの未来消費社会から格差社会へ―中流団塊と下流ジュニアの未来
(2007/04)
三浦 展上野 千鶴子

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この間まで『消費社会から格差社会へ』を読んでいたんだけど、こういうのを読んだあと宮本常一の本を読むとなんか中和されていい感じになる。
現代の問題を現代の視点だけで考えてると、とんでもない事態が起こっているように思うんだけど、その「とんでもない」と思わせるような「常識」も昔からあったわけじゃなくて、つい最近出来た価値観だったりする。

たとえば夜這いの話。

大宅
あなたの郷里の大島あたり、いまでも"夜這い"はあるんですか。
宮本
もうないですね。だってこのごろは電灯がついているから、あれは電灯がなくて暗かったからできたんで……。
大宅
山陰地方だったか、"夜這いをやめてオートバイ"って青年運動がはじまったとか(笑)。
宮本
夜這いというのは非常にほがらかないいものですよ。あなたの行った姫島はまだあるといってもいい。あそこの夜這いは娘のところへ行くのでも、そォーッと開けるんじゃない。必ずあいさつして「ごめん」ってはいる。冬なんか拍子木たたいて火の用心して歩くと、寒かろうと寝床であたためてくれるっちゅうんですね。おもしろいのは、あそこにはいまでもクラブが残っていて、タタミ十二畳ぐらいのフトンがある。
大宅
一枚で……?
宮本
一枚。それに若い衆がみんなクサビ打つように頭だけ出して寝るんですね。これはハダカで寝るのがいちばんあったかい。あれくらい、みんなが仲良うしとりゃァ、男も女もないですわね。
大宅
そういうこと、教えておいてくれれば、あの島に行ったときに……(笑)。
宮本
あそこの娘さんたちのほがらかな積極性というものは、青年との間にいざこざはないし、実に大っぴらにお互いがつき合えるからでしょう。
 
(中略)
大宅
結婚したあと大丈夫ですか。
宮本
ちゃんと亭主を守る。子どものころ、近くの娘が結婚するとき、もう誰とも関係しないシルシに、以前、関係した男に足袋をくばる。それは紺の足袋にきまっている。「こんのたび限り」(笑)。それを二十七足くばった女があったが、そんなのに限って、世帯持ちがいい。
大宅
熟練工なんだな。
宮本
熟練工になって、これがいいってことになると、思い残すことはない。
大宅
そういうのがいい亭主を選ぶ。
宮本
こういう問題がやかましくなったときに、佐賀県で娘たちが「これからどうして自分の亭主になる男をえらんだらいいんでしょう」といったという話があるんですね。一種の試験結婚だから、問題だろうけれど、これっていうのたしかめるのには、それ以外に方法はない。そして、いいのが当たりゃいいでしょう。
宮本常一『日本人を考える 歴史・民俗・文化』河出書房2006年 27p

対談者は大宅壮一で、初出は「"夜這い"こそ最高の結婚教育」(『週刊文春』68.9.30)、今からちょうど40年前の対談だ。
これを読む限りでは、この頃まだ日本に夜這いの名残りがあったということになる。

日本人を考える日本人を考える
(2006/03/16)
宮本 常一

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日本が総中流化したのは高度経済成長期で、それまではフレキシブルながら階層社会はあった。日本の恋愛観・結婚観が固定化されていったのは、ちょうどこの対談があった時期からだったのではないか。

大宅
学生時代、京都では愛宕祭といって、その日は乱交自由の日……。
宮本
もとは日本各地にずいぶんあったですよ。必ず繁みの中に入ってしなきゃならん。だから、高知の大田口では柴折り薬師という薬師さんがある。柴を折ってするから……。(笑)。
大宅
東京でもむかし、井之頭公園あたり、ススキの原で、朝行ってみるとススキが倒れている……。(笑)。
宮本
それにもちゃんとわけがあったんです。とくにイネでもムギでも、みのるころにそばですると、みのりがよくなる、というんです。

大宅壮一は1900年のうまれだから、彼の学生時代というと大正10年前後になる。
その頃ならまだ日本中に色町はあったし、こういう色祭りも全国的にいくつかあったのだろう。
もっとも井の頭は「東京」というより国木田独歩が小説に書いた「武蔵野」だ。江戸の町文化とは少し系統が違う。
その武蔵の国府・府中には闇祭りという色祭りがあって、かつては「乱交自由の日」とされていた。

いまならとても考えられないことだろうが。

「最近の女は羞じらいがない」というヤツがいる。
確かに昔の「上流」の「お嬢さん」には羞じらいがあっただろう。でも世の中、みんな原節子みたいだったわけではない。
日本女性が「清楚だった」というのはかなりすり込まれた感覚で、むしろきわめて個人的な好みの問題だと思う。

いい淫語オナニーものないっすかね。 

  • [2008/08/07 23:08]

やっとYahoo!検索で淫語の1位に戻った。
Googleでは不動の1位だけど、YSTだけはときどきやってくれるんで困っちゃう。
久しぶりにここひと月ほどSEO対策の試行錯誤をしてしまった。
やはりどうもキーワードが近すぎるとダメっぽいな。

ただ不可解なのは2位につけているMBSのやつ。4年前出されたアダルトゲームのサブページ。「淫語募集」とかになっているけど、実際は「淫語募集」となんも関係ない望月望のレコーディング風景。
なんなんだこりゃ。
腐ってるなYST。通報すっかな。

次回は最オナ。
吉野文鳥がベタ褒めしてたヤツね。

今日もショップでいくつか仕入れてきた。
しかしあれだな、いまだに「淫語」タイトルで淫語をほとんど言ってないのにぶつかるな。
スティルワークスは3戦全敗。
こんな量で「淫語」とか入れんな、ボケ!
紛らわしい。
もうぜってぇー買わねぇ!

入り捌け表を作って書いていたなぁ。 

  • [2008/08/05 23:48]

どうにかこうにか明日のアップ分ができた。
データ自体は前に採っていたんでさくさくと出来た。あとは明日、更新作業の時間をうまく捻出しないとな。最近、昼間、忙しいんだよね~。


自分は昔、素人芝居の戯曲を書いていたことがある。
芝居をやっていた友人の知り合いに書いてみないかと言われた。
といっても、芝居青年の彼もはなから自分に期待していたわけではなかった。たまたま台本に行き詰まっていて、目の前に趣味で小説を書いているらしい人間がいた。初対面に近かった。その人間に書けっていうんだから、そんなに本気ではなかったのかもしれない。

こっちも軽い気持ちだった。
戯曲なんて小説よりも簡単だろうと思っていた。
そもそも会話文だけで進行するんだから文章を凝ることもない。要はプロットができりゃ、あっという間に書き上がるだろう。楽勝だ。そう思っていた。
ところがいざ書いてみるとだいぶ勝手が違う。

まず最初に悩んだのは場の設定。
小説の場合たいてい登場人物にそって描写されていく。登場人物が移動すれば描かれるべき場も移動し、登場人物が回想すれば描かれるべき場も過去を遡ることになる。語られる視点が複数の人物だった場合、パラレルな空間を行ったり来たりすることになる。つまり設定される場、描かれるべき空間は人ごとに存在する。
まず最初に人物ありきなのだ。

ところが舞台は逆だ。まず固定化された空間があって、その中を人が出たり入ったりして進行する。あくまでも場が主体なのだ。場があって初めて人がいる。
当然、小説のように一人称視点も三人称視点もない。あえて視点と呼べるものがあるとすればそれは観客の視点。板の上で繰り広げられる事件を見ている人たちこそがこの話の視点ということになる。観客はただ見ているのではなく間接的に参加しているともいえる。
だから場の設定というのはとても大事なのだ。

さらに舞台というのはそう何度も場面転換ができない。自分が知人に言われたのは90分の3幕モノ。それ以上は増やすなと。
しかも主要登場人物も人数があらかた決まっていた。役者を公募して興行するわけじゃない。好きで芝居しているんだから当然だ。

次に苦労したのは会話文。
演劇というのは全部、台詞で説明しないといけない。
背景や場所の説明、登場人物の社会的身分にそれぞれの情況。
当たり前のことだが説明口調の台詞なんて許されるわけがない。
登場人物のさりげない会話だけで、必要な情報を観客に伝えないといけない。

おそらくこういったことは小説や映像の台本では決して味わえない苦労だろう。
いい戯曲というのは台詞が綿密に計算されている。

そういう苦労の末、どうにかこうにか書き上げた。
最初にしては意外とよくできていたのか、すんなりそれで行こうってことになった。
芝居の稽古が始まり演技がつけられ、本の段階では曖昧だった舞台装置も形となっていった。
自分の書いたものが目の前に現れていく。
不自然でないか笑いをとるところはちゃんととれてるか。そんなことが気になった。
ねらい通りいったり、予期してないところで存外の効果を得られて、そこを褒められたり。
モノを作る楽しみというのは作品そのものが完成した喜びもさることながら、それによって人が楽しんでくれたり感動してくれたりする。そのことが何よりうれしい。
それは創作意欲の源泉だ。
金のためだけではモノは作れないだろう。やはりまず創作意欲がわくかどうかだ。

自分が戯曲を書いてよかったと思うのは観客の目を意識できたこと。
観客とは絶対他者。自分本位な論理は一切通用しない。
小説を書いているときは身内に見せたことはあっても、まるきりの他人に見せたことはなかった。所詮は自己満足の世界。
だから芝居の台本は苦しかったがその分楽しみも大きかった。

今、ときどき思う。
果たしてあの時のようなことが今の自分にできるだろうか?
自分に物語を生み出す力は残っているのか?
そもそも創作意欲が自分にあるのか?

だから自分は物語を紡ぐ人間をリスペクトする。
と同時に雑な仕事には腹を立てる。向上心のない制作者にはクソを投げつけたくなる。
たとえそれがヌキ目的のAVであったとしても、物語を作ると言うことはそれだけ崇高なことだと自分は思っている。

ホラーとエロスは完全主観で面白いモノが作れると思う 

  • [2008/08/02 00:49]

今日UPした最オナについては、もう1作か2作上げるつもりなのでその時あらためて話そうと思う。 あえて一つだけ言わせてもらうなら、吉野文鳥監督の主観は今ひとつツメが甘い。

マニュアルには書かなかったけど車の騒音以外にも、ガサっと動いた音だとか、モノを落としたような金属音だとか、どうもスタッフがうしろで動きまわっている音が聞こえていた。
撮り方も昔に較べればよくなっているのかもしれないが、どうもこの人は主観撮影を根本的に理解してないんじゃないか。

なんてことを思っていたら渡辺琢斗監督がブログに主観についての話を載せていた。

渡辺琢斗の日常的悶絶日記 「主観映像」
http://www.avs-video.com/modules/wordpress/2008/08/01/470/

カメラアングルに関しても全く同意。
自分は昔から疑問に思っていたんだよね。なんで斜めや真横にしたがるのか。
構図の基本は天地水平の画面で、中心に向かう斜線やくねるような曲線をどう収めていくかでしょう。斜めに傾ける場合も斬新さをねらってのことであくまでも基本は水平画面のはず。絵画も写真も映画もテレビもみんなそう。
真横を最初に見たのは村西作品だった記憶があるけど、実際、いつから斜めや真横が横行するようになったんだろう。

それと主観映像についてひとつだけ補足するなら、この撮り方は1947年にアメリカで作られた「湖中の女」が初出だと言われている。
監督は俳優だったロバート・モンゴメリー。ハードボイルド好きならわかると思うけど、原作はレイモンド・チャンドラーの同名小説。探偵フィリップ・マロウをロバート・モンゴメリーが主観視点で撮っている。ただし作品の評価としては今ひとつ。
実はその前にオーソン・ウェルズもこのオール主観の映画を考えていたことがあったんだけど、どうも予算の折り合いがつかなくて頓挫したらしい。

その後、フランス映画でカンヌ映画祭に出品した「視線のエロス」(1997年)というのがある。
主人公は女にだらしのない中年男。そのダメ男とずるずる関係を続けてしまう若い女とのありがちな不倫を描いた作品で、これもあまりパッとしなかった。
フランス映画だから会話が理屈っぽかったりする。

ちなみに海外にも主観AVはある。
きっちりP.O.V(Point Of View)というジャンルとしてあるんだけど、日本の主観はカラミになるとたいてい男が仰臥状態なのに対し、向こうはイスに腰掛けているような状態が多いみたい。内容もチンポを前にした痴女パフォーマンスで、あまりにも男のチンポが長いので自分は今ひとつ感情移入ができない。(;つД`)

でも「視線のエロス」と日本の評判のいい主観AV作品を見比べてもらえばわかるけど、日本のAVの方が主観撮影に関してはかなり進んでいるように思う。
この間出していた佐藤江梨花の「癒らし。」なんてほんとによくできていた。

主観撮影の手法はまだ世界的にもちゃんと確立されていない。
それを確立させるのは日本のAVメーカーかもしれない。
そのうちアウダースや渡辺監督がアダルト以外の作品で活躍したら面白い。
グラビアアイドルのPVとかは今でもすぐいいのができそうだし、もっとノウハウを貯めてもらってなんらかの一般映像作品にも応用してもらいたい。

おっと、FLAGMAN監督も忘れちゃいけない。
新しい出発もひかえているみたいだし頑張ってちょ。