なんだかんだいって見てるわけですよ 

  • [2010/08/03 23:55]

おととしの『グイン・サーガ』、昨年の『マリア様がみてる』に続いて、またもやシリーズものにはまってしまった。
今年は『居眠り磐音』シリーズ。

陽炎ノ辻―居眠り磐音江戸双紙 (双葉文庫)
佐伯 泰英
双葉社
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でもねぇ、この作品って読んでいると「あれれっ?」と思うところがいっぱいあるんだよねー。

まず文章はそんなに上手くはない。書下ろしをしているせいもあるのかもしれないけれど、素人みたいな粗さがある。たとえば接続詞の使い方がヘンで、「だが」を続けて使ってうるさい。同じ語句を重複するとおかしいよね。

それと勉強不足なところもあって、4巻で仇討の話が出てくるんだけど、それが「自分の妻の敵」なんだよねぇ。
普通は父親とか家を継いでいる兄とかじゃないと敵討ちとして認められない。自分の奥さんや子ども、姉妹とかは家の存続と関係ないからね。いわゆる卑属は敵討ちの対象にならないはず。
にもかかわらず、殺された武家の女の旦那とその姉の「夫と義姉のふたりづれ」で敵討ちの旅に出ている。しかも藩から公認されているってことで、これは読んでいてさすがに脱糞しそうになった。
そんなのがちょこちょこある。

そもそも設定からしてパクリだらけ。
「居眠り磐音」っていうのは主人公の坂崎磐音の「居眠り剣法」からきていて、剣の構え方が「縁側で日向ぼっこをして居眠りしている年寄り猫のよう」ってところからつけられたんだけど、ほかに磐音のまわりに「春の風が吹いているよう」という表現もある。
これって平岩弓枝の『御宿かわせみ』の主人公、神林東吾の剣法のパクリだよね?
かわせみシリーズではいくども「東吾の剣は春風駘蕩のこどく」っていう表現が出てくるわけで、なんか似てるなぁと思っていたら、そのものズバリ「春風駘蕩」って言葉もこの作品には出てくるんだよねぇ。
「あんれまぁー」と思っちゃったよ。

話の筋も、陰謀に巻き込まれ脱藩して長屋住まいするとか、許嫁を藩に置いてくるとか、藤沢周平の『用心棒日月抄』の設定とかなりかぶるところがある。

この佐伯泰英って人は今までの人気時代小説の気に入ったところを混ぜあわせて書いたんだろうね。
でもこんなつぎはぎだらけで、しかも完成度の低い文章なのにそれでもやっぱり面白い。実際ものすごく売れているらしい。

ちょっと二村ヒトシの作品を見ているような気分になったよ。
完成度は低い。元ネタ探せばどっかにありそう。
でも他の人はそこまでやっていない「組み合わせの妙」なものを作ってくる。
しかもなんだかんだいってわかりやすい。
良い子は絶対真似しちゃいけないクリエイター。
ホント、調子が狂う。

二村さんの古い作品も近々、淫語マニュアルにあげようと思っている。
SOD時代のヤツね。

孤愁ノ春ー居眠り磐音江戸双紙(33) (双葉文庫)
佐伯 泰英
双葉社
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ということで『居眠り磐音』は現在7巻目に突入。
これ今年の5月に最新刊が出ていて、33巻なんだと。

まあとりあえず最新刊までは読み進めるつもり。

変態性欲への扉 

  • [2010/07/08 21:52]

思い出した。
自分が最初に本を読んで号泣したのは『虐げられた人びと』だった。
それまでも涙がうっすらってことはあったと思う。でも嗚咽で読むのもままならなくなったのはこの本がはじめて。
あれは中学を卒業してまもない最後の春休み。
3月とはいえまだ肌寒くて、自分の部屋で朝方から布団にくるまって読んでいた。この本との出会いがその後ドストエフスキーにはまるきっかけになったのではないか。
10代の頃、一番読み返したのもこの本だ。
つきあいはじめた女性には必ず薦めていた。たいていは読んでくれないのだが、中には奇特な女性が2人ほどいて、そのうちの一人と結婚したのだった。

この作品にまつわる話はほかにもいろいろあるのだが、長年封印してしまっていたようであまり意識しなくなっていた。それがこのあいだのラッシャーみよし監督の一言で急にざわつきはじめた。監督が「ドストエフスキーでいちばん好きなのは『虐げられた人びと』なんです」と言いだしたからだ。

虐げられた人びと (新潮文庫)
ドストエフスキー
新潮社
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ドストエフスキー好きの人ならわかると思うが、この本を「いちばん好き」というのはものすごく勇気のいることなのだ。
この『虐げられた人びと』は研究者の中ですこぶる評価が低い。文芸評論の大家たちもこの作品そのものを持ち上げる人はそうはいない。
『虐げられた人びと』の位置づけは、そのあとに続く『罪と罰』『悪霊』『白痴』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』といった大長編群にいたる習作のような扱いをされてしまうのだ。作品としては未熟、あるいは失敗作とまで言う人もいる。

だいたい当のドストエフスキーご本人が言い訳をしていたぐらいだから仕方がないところもある。

「通俗小説と呼ぶことにさえ異存がない。ただし、それは想を内部に成熟せしめる暇がなく、倉皇として筆を執ったからである」(『エホーバ』誌 1864年 9月号 米川正夫訳)

確かに『虐げられた人びと』はメロドラマ的である。
ドストエフスキーの小説の中でも取っ付き易くウェルメイドな作品なのだ。
だから逆に自分はドストエフスキーを人に薦めるときはよくこれを推したものだった。

通俗小説と言われればそのとおりだが、それでも自分は芸術的価値が低いとまではとても思えない。
なによりあのレフ・トルストイがこの作品の価値を高く認めているではないか。

 ドストエフスキィについて感じていることを何もかもどうにかして言えたら、と思っています。(中略)私はこの人と一度も会いませんでしたし、かつて直接の関係をもったこともありませんでしたが、彼が死んだ時、突然私は、彼が最も最も身近な、大事な、私に必要な人間であったことを悟りました。私は文学者でした。そして文学者というものはみな、見えっぱりで、猜疑心がつよいものです。少なくとも、私はそういう文学者です。ですから、彼と比べてみようなどという考えは決して私の頭には浮かびませんでした――決して。彼が創作したすべてのもの(彼が創造した善なるもの、真なるもの)は、彼がつくればつくるほど、私が嬉しくなるようなものでした。技巧は私の中に嫉妬をよびおこします。知力もそうです。しかし、心の行為は私の中に喜びをよびさまします。私は彼を本当に自分の親友だと思ってさえいました。われわれはいつか相会うであろう。今はただそういう巡り合わせになっていないだけだが、これはもうこっちのもので、会うということは確実だ――としか考えませんでした。と突然食事中に――一人で遅れて食事をとっていました――新聞をよむと――ドストエフスキィ死去。何か支えのようなものが私から落ちました。はじめは、茫然自失していましたが、しばらくして、彼が私にとってかけがえのないものだったということが段々とはっきりしてきて、私は泣きました。今も泣いています。
 つい先頃、彼の死ぬちょっと前に、『虐げられし人々』を読んで感動したばかりでした。

『トルストイ全集 18』河出書房新社 中村融訳 S48.11.25 429p

この作品でもみよしさんが指摘していたドストエフスキーの変態的性愛嗜好がちゃんと描かれている。まただからこそこの作品は専門家の評価をよそに当時のロシアの一般読者から圧倒的な支持を受けていたのだ。
ドストエフスキーはまず流行作家でもあったのだ。

こんなふうにドストエフスキーについて自分は人と話すことがほとんどない。
いままで自分のまわりでまともに語り合える人などいなかったからだ。少なくても社会人になってからはそうだ。

ちなみにこれ、このあいだカラオケの時にひそかに携帯で撮ったみよし監督の横顔。
100704_2207~01
かっこよくねぇ?

みよしさんにお会いしてあらためて思った。
自分はドストエフスキーが大好きなのだ。
ドストエフスキーと出会って30年。ずっと好きだったし、これからも好きであり続けるだろう。そのことをもう少し自分の中で整理しておいてもいいんじゃないかと思い始めた。

ハッキリ言ってドストエフスキーの良さをわからないヤツに変態を語る資格はないな。

ブブゼラみたいなの、昔、日本サッカーもやってたよね 

  • [2010/06/12 22:40]

さっき気づいたんだけど、このボヤキの小窓って、ブログとして始まったのは2006/6/7からだから、前回のサッカーワールドカップ・ドイツ大会の1日前にはじめたんだな。
淫語マニュアルの方は第一回の野球のワールドカップの期間にはじめたから、ちょっとおもしろいと思っちゃった。

最近このボヤキに「名前のない女たち」とか「太賀麻郎」とかで訪れる人が多くなってきた。
たぶん、この本のせいじゃないかと思うんだ。

AV黄金時代 5000人抱いた伝説男優の告白 (文庫ぎんが堂)
太賀 麻郎 東良 美季
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ただいまアマゾンで143位(2010/06/12現在)っていうのは、この手の本にしては上出来なんじゃないかな。
こりゃ、増刷もあるかもしれないね。

かく言う自分は今日買ってきたんだよね。
これで900円は安いと思うな。

まだちょっとしか読んでないけど、今のところ麻郎さんの魅力をそのまんま書いたというより、東良さんのノスタルジーなコードにくるまれている感じがするね。
実際に麻郎さんと話したことがある人なら、太賀麻郎がキレイすぎると思うかもしれないし、東良さんの文章に慣れ親しんだ人なら、これは太賀麻郎を語っているようで、実は東良さん自身を語っているように思うかもしれない。

まあでもハッキリとしたことを書くのは全部、読んでからにしましょう。

その前に先にこれを読まなきゃいけない。

島暮らしの記録
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トーベ・ヤンソン 冨原 眞弓
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トーベ・ヤンソンというのは、ムーミンの原作者なわけだけど、この人、レズビアンだったんだね。
でもこの本、訳もいいのかすごく読みやすい。出だしはこんな感じ。

 わたしは石を愛する。海にまっすぐなだれこむ断崖、登れそうにない岩山、ポケットの中の小石。いくつもの石を地中から剥ぎとってはえいやと放りなげ、大きすぎる丸石は岩場を転がし、海にまっすぐ落とす。石が轟音とともに消えたあとに、硫黄の酸っぱい臭いが漂う。

 築くための石、またはたんに美しい石を探す。モザイク細工、砦、テラス、支柱、煙突、もっばら構築するのが目的の壮大かつ非実用的な構築物のために。秋には海がさらってしまう桟橋を築く。それならといっそう工夫を凝らして築いた桟橋も、やはり海は根こそぎさらっていく。

タイトルにあるように女性の恋人と小さな島で暮らす話なんだけど、いいねえ、こういう生活。
まあ金があるからできるんだけどね。

淫語のエロスはラカンで読み解けるか 

  • [2010/04/23 20:31]

このところ読書熱がでていていろんな本を読みあさっている。
だいたい3系統かな。

ひとつはラカン関連の本。
ちょっと前に「ペニス羨望」を説明することがあって、やってみたらかなりグダグダだったので改めてラカンの勉強をしようと読み出した。
ラカンは以前フィリップ・ヒルのマンガみたいな本を読んで理解したつもりになっていたので、今度は何冊かの本を立て続けによんで頭にいれてみることにした。

生き延びるためのラカン (木星叢書)
斎藤 環
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これは取っつきやすかったな。ただどこまでラカンの理論に正確なのかやや疑問に思うところも出てくるけど、「ここを入り口にする」という意味での入門書としてはいいんじゃないかと思った。
これでわかった気になったらたぶんまずいんだろうけど。

ラカンはこう読め!
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スラヴォイ・ジジェク
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これも読みやすかったけど、体系的に理解しようとするとちょっと手に余るかなぁ。
でも先の斎藤ラカン本を読んで補えるところもあって、そういう意味では自分の本を読む順番は間違ってないかと。

ラカンの精神分析 (講談社現代新書)
新宮 一成
講談社
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今、読んでいるところ。
これは大学の般教程度の知識がないと立ち往生しちゃうんじゃないかなぁ。
でも先の2冊をあらかじめ読んでおくとそのあたりもクリアになって読みやすくなるかも。

性倒錯の構造―フロイト/ラカンの分析理論
藤田 博史
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正直、頭が爆発しかけたね。
というのも読みはじめたらいきなり図式があってよくわからない記号のオンパレード。
実はこれをちゃんと読めるようにしようと他のラカン入門書を求めた次第。
Amazonにユーザーレビューがないのはみんな挫折しているからだったりして。

それとツイッターで小説家の前川麻子さんが自分のツィートに反応してくれたので、彼女の本を読み始めた。
以前、AV業界のことを題材にした『すきもの』は読んでいるんだけど、ご当人から『夏のしっぽ』という短編集を薦められた。

夏のしっぽ
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前川 麻子
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これがね、全部ってわけでもないんだけど、いくつか気に入った話もあって余韻を楽しみながら読んでいる最中。
といってもあと一編で終わるんだけどね。

今のところ、「三が日」と「千代に踏まれて」という作品が面白い。
特に「千代に踏まれて」は小説としての切れ味がいいよね。話としてはありきたりの展開なんだけど、小説というのはやっぱり話のスジのおもしろさじゃないってことだよね。
自分は短編小説家だと連城三紀彦が一番好きだけど、うまい短編小説は読後感がいい。ホッとさせてくれる。これはたとえ恐怖小説集でも同じだと思う。
やっぱり切れ味なんだよなぁ。人生の断面を見せるっていうか。

もう一系統は「雨月物語」。
久しぶりに原文を読んでいるんだけど、あらためて古文はいいねぇ。読んでいるときの音の響きがいいよ。
また上田秋成は文章が読みやすい。
日本語ってきれいだよなぁ。

おっちゃん公団の団地住まいだったからな 

  • [2010/04/02 23:59]

明日のは出来てるんですやんす。そのほかにもう一作もうすぐ淫語抜きが終わるんで、来週は3作更新できるかもしれない。

今日から『日本の路地を旅する』って本を読み出した。
なかなか面白い。一気に読んじゃいそう。

日本の路地を旅する
日本の路地を旅する
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上原 善広
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こういうのを読んじゃうと、ついこの間読了した内田樹の本に出てくる「消費主体」って話も( `д´) ケッ! ってなっちゃうね。

結局、いいとこのおぼっちゃんなのかなぁ、内田さんて。
それとも地元の友だちとはまったくつきあいがないのか。

自分の地元のやつで中卒はそれなりにいたし、高卒も決して少なくなかった。
早々、手に職をつけて働いているやつと遊ぶと、やっぱり彼らに比べて自分はまだ子どものような気がした。実際、ことあるごとに「学生さんだから」と揶揄されていたりもした。

「なぜ勉強しなきゃいけないのか」と言っていたやつは30年前にもいくらでもいる。それを「等価交換」というなら昔からその等価交換をしようとする子どもはいくらでもいた。

一瞬あまりにも面白い理屈にだまされかけたけど、たとえば「なぜ嘘をついちゃいけないか」と言ったら「閻魔に舌を抜かれるから」だし、「なんで人を殺しちゃいけないか」は「死んだら血の池地獄やら針の山やらに行くから」で、あるいは「死んだらもう二度と人間に生まれてこない」からだ。
子どもの頃はそんなフィクションでこと足りていて、子どもながらバカバカしいとは思いつつも聞いていた。そういうことを真面目に言う大人が必ずいたのだ。

「なぜ勉強しなくちゃいけないのか」も「人として偉くなるため」でじゅうぶんで、勉強することはいいことだと大人の態度で納得させられてきた。

今の子どもが下流に行っているとすれば、そういう人間関係が希薄になっているだけじゃないのか。
不良が先生にタバコを現認されてもシラを切るなんてことは昔からあって、それは「バザーの論理」とは関係ないだろう。ただ先公から文句を言われるのがうざったいだけ。
先生なんて尊重していないのだ。
そもそもからして取引する気なんぞさらさらない。それが不良ってもんだろうに。