いんごまさんは恋人を作りなさい。 

  • [2012/08/17 18:05]

ちょうどMotheRsの作品がリリースしだした頃から、遠藤遊佐に会うたび、「いんごまさん、恋人を作りなよ」と言われるようになった。

なぜ彼女がそんなことを言い出すようになったかは、本当のところは聞いていない。
知り合いの女性が結婚したことに端を発しているのか、それともAVの撮影現場にいて寂しい思いが増すのではないかという推察か。意外と私も結婚したんだから、あなたもそろそろステディな人を作れという、人妻の余裕から言っているのかもしれない。
ちょうど、平野勝之監督の「監督失格」が発表されてまもなかったというのもあった。いつまでも死んだ人に思いを馳せててもしょうがないだろう。
そんなところか。

この頃の自分はまだ自覚が足りなかった。
ただ二村ヒトシに言われるがまま、何もわからない撮影現場で足を引っ張らないようにするのが精一杯であった。
メーカーとしての最初の撮影が去年の7月28日。「紅蓮のアマゾネス」だったのだが、この作品の出来上がりを見て、自分は今ひとつ二村の良さが出てないように思った。
「これはどこまでいってもベイビー作品の裏なのか?」
別に内容そのものが悪いとは思わない。だが、なんか理が勝ちすぎているようにも思えた。

でも、最初はこんなものなのだろう。こちらは素人だし、黙っていようと思った。
そんなことを気にしている暇はない。とにかく作り続けないことにはショップの棚に並ぶ作品数が圧倒的に足りないのだ。

その間にもいろいろなことを知るようになる。
業界の仕組みもそうだが、なにより二村ヒトシもベイビーも意外と特殊な存在であるらしいことがそのうちわかってきた。
結果からいってこれは非常に幸運なことであったのだが、それはこの段階ではわからない。そのことはあとから実感するようになる。このとき気になっていたのは、あまりMotheRsの作品が浸透していないということだった。とにかくわかりにくいのだ。

これではまずいと思ったのが今年の1月。
それまではやや傍観者でいたが、それは自分が素人でしかないという、ある意味、分をわきまえての話。でもどんなに自分の作りたい物とかなりの懸隔があっても、そこで動いてくれたスタッフや、なにより自分の企画につき合ってくれた女優さんに申し訳ないと思うようになった。
中にはブログで宣伝してくれる女優さんもいる。自分が積極的に動かなくてどうするのだ。
作品自体は悪いとは思わない。ただ欲しい人にちゃんと届けようとしていないのだ。

そこでライターとしての人脈を使いつつ、広報活動に専念することにした。
まず自分に何が出来るのか、最終的にどういうところまで持っていけばいいのか。
それが2月の話。

それと同時に、仕掛け人のKoolongがいる本丸、ベイビーエンターテイメントの作品をもっと知るべきだと思った。
「紅蓮のアマゾネス」は本当にベイビーの裏だったのか?
Koolongが本当に作りたかったのはなんだったのか?

そこでまずはじめたのが、ベイビーの主力作品「女体拷問研究所」のレビューを、ベイビー関連のブログで書くことであった。
自らKoolongに提案して書いていく。
ただレビューを書くだけでなく、ベイビーという世界観を理解するために、スタッフの人たちにことあるごとに取材した。Koolongを筆頭に、製作のキクボンさん、広報のしのぶさん、脚本のひかるさん、その他、多くのスタッフと話をしては、女研やベイビーについて気になるところを質問していった。
まず味方を知るところからはじめないことにはどうにもならないと思った。
それが3月の話。

こうしてまずはできることからはじめた。
しかし広報活動や、ライター業としてのアプローチはすぐに思いつくものであったが、自分はそれだけではまだ足りないと思った。
そもそもAVというのはきわめて狭い市場だ。しかもコンテンツはこちらのうかがい知れないところでコピーされ、タダで消費されていてる。
そこに新たなAVメーカーを起ち上げるのだ。狭いパイを奪い合うようなことでは立ちいかない。市場は回復不能の縮小傾向にあるのだ。

広報に関して言えば、AV雑誌がどんどん廃刊していく中で、そこにサンプルを配ってもどれだけの効果があるのか、正直、悲観的にならざるえない。
それでも自分は、とにかく載せてくれるメディアには足を運んで、自分の口から直接担当者に作品のねらい、趣旨を説明してきた。仕事とはまず人と人とのネットワーク作りが基本だと思っていたからだ。
それがどんなに少ない部数の雑誌でも宣伝してくれるなら、それだけで有り難いことだし、興味を示してくれる人は、それだけで1つの縁となる。

でもそれのみではダメなのはわかりきっている。AV関連の雑誌だけでなく、今まで載せてこないようなところにも露出するべきだ。
そのことを念頭に置いて、今までとは毛色の変わったところに積極的につながるようにしていった。興味を示してくれると聞けば、撮影現場に呼び込んで、自分たちがやっていることを見てもらうようにした。
Twitterの実況をしだしたのもこの頃からだ。
それが4月の話。

自分はとにかく歩いたし、誠意を込めてメールを送った。飛び込み営業のようなこともした。
このまま座して終わるつもりはない。そう肚をくくってはじめたことだったが、ようやく結果が出始めている。

傍観者から当事者へ、当事者から先導者へ。業界では単なる素人でしかなかった自分がここにきてようやく実を結びだした。
特にこの8月はいろいろな仕掛けが芽吹いてきた月だった。まだここでは発表できない面白い試みがこの暮れから来年にかけて展開されていくことだろう。

おかげさまでMotheRs自体の売り上げも好調だ。
そこへ来て、LADY×LADYや美少年出版社にも自分は関わりはじめた。

昨年までの自分は過去を懐かしんでいるあまり、浮き草のような生き方をしていた。それでいいと思った。他人が望むことを、ただ粛々とこなすだけで事足りるだろうと考えていた。
今年はそうもいかない。むしろ自分から積極的にかかわって事態を動かしていくべきだと思った。無駄弾も撃っているし、どうなるかわからない賭けのようなこともしている。
でもそういう生き方をしたいと思った。

今は寝る間も惜しんで仕事をしている。
今年の夏はまとまった休暇はない。
それでも楽しいのは、自分の素手で闘って、その手応えを感じているからだ。

いまだに遠藤遊佐に会うと恋人を作れといわれる。
もういいだろう。つくるべきだと。
恋人はいまだできていない。
それまでは「できたらできたでいいや」と思っていた。別に無理してつくるものでもないと。今思えば、その実、ちっともほしいと思っていなかったのだ。
それがどうだろう。今はほしいと思うようになった。もちろん思ったからってすぐにできるわけでもない。

だがどうやら自分の中に変化が起きていることは確かなようだ。
それも仕掛けてみたいと思う自分がいるのだ。
生きる力というのはそういうものなのかもしれない。

白旗を揚げる男s 

  • [2012/07/28 05:44]

前回の記事からだいぶ経ったけど、その間、いい出会いがいっぱいあった。
そこにはもちろん初めて知り合って意気投合した人もいるし、前々から顔見知りだったのが、ここにきて急に親しくなったというのもある。

まず最初に忘れちゃいけないのはFLAGMAN監督と飲んだことかなぁ。
FLAG監督はあまり業界の人と飲んだりしない人らしく、二村さんともムーディーズの忘年会で話をするぐらいってことで、今回はこちらから直接当人に電話して会う約束をとってしまった。

7月11日。
新宿御苑前の駅で20時に待ち合わせたんだけど、会ってすぐ「淫語魔さんと飲むって、どういうところに連れて行かれるんだろう。焼き鳥屋でもないだろうし…」というから、「ここです」と連れて行ったのは浮かぶ。
自分にとって浮かぶは初めて2人きりで飲む大切な人には打って付けの場所だ。
ここなら相手がお酒を飲めなくてもなんとかなるし、お腹が減れば美味しいナポリタンを出してくれる。まかり間違って相手との会話がはずまなくてもシブメグさんが対応してくれそうだし、そのあとシブメグさんから連れて行った人の率直な印象が聞けるのもいい。
でもだいたい好きになれる予感のある人しか連れて行く気はないけどね。

んで、実際に会ってみた感想なんだけど、いやー久しぶりにまともな人と会ったって感じだねー。
自分はもともとFLAGMANの作品のファンで、最初に買ったFLAGMAN監督の「結婚相談所」という主観モノが、その後、AVを買い続けるきっかけを与えてくれたわけで、彼の持っている世界観から話が合わないはずはないだろうとは思っていた。
その点は予想通りというか、まったく話していて話題がつきることがなかった。
自分との感性はほぼ一緒みたいな感じで、いちいち同感しながら聞けてしまう。
そのうちFLAG監督の私生活についても話が及んだんだけど、自分とかぶるところもかなりあって、酒の勢いも手伝って肝胆相照らしているうちに、まるで相手に自分を見ているような気分になった。

なかなかいい男なんですよ。声も良くてね。
この人、モテんだろうなぁと思ったんだけど、彼の書いていたブログから醸し出されるヘタレ具合もこれまた予想通りで、それがまたいい味を出しているんだな。
駅で会った最初の挨拶では「最近、淫語マニュアルもボヤキの小窓も更新が止まってますよね~」とか言われて、ちょっと恐縮していたんだけど、考えてみりゃ、あんたのブログの方がとっくに止まっとろうが、とあとで思ってしまった。

FLAGMAN 白旗を揚げる男
http://blog.livedoor.jp/flagman0114/

しかも4年も更新が止まっている。
久しぶりに覗いたら、「そういやこの頃しょっちゅうコメントしていたナー」なんて思って懐かしかった。どの記事にもコメント欄に自分が書き込んでいる。よほどファンだったんだね。この時点ではまさか会って酒を飲むとは思ってもみなかった。

「淫語魔さんがこちらにくるとは思いもしませんでした」

うん、自分もそうだ。あの頃はまだ行く気がまったくなかった。

「また仕事の話とは抜きに会いましょう」
「こちらこそ」

FLAG監督とはいずれやるつもりなんだ。まだまだ先の話だろうけど絶対そのうちね。

監督失格だね 

  • [2011/10/02 09:26]

おとといの30日、「監督失格」を見てきた。
東良さんの日記によく登場する編集Tくんが、前売り券があるということで一緒に見に行ったのだが、実は内心ヒヤヒヤしていた。

この映画は、ある日突然、愛していた女が亡くなり、取り残された男がのたうち回ることになっている作品だ。それって、自分が何重にもコーティングしたつもりでいる過去の記憶と思いっきりかぶるところがある。しかも先行で見ている人たちの感想が、やれ「号泣した」とか「見たあとしばらく言葉が出なかった」とか、はたまた「一週間放心状態だった」とか、そんな大騒ぎが聞こえてくる。
一緒に見に行くTくんは年下で、男気のある好漢である。その前でだらだら鼻水垂らして泣き崩れたら一生の恥である。
笠智衆じゃないが、男は人前でそうそう簡単に泣いてはいけない。

だがそれはまったくの杞憂だった。
涙腺が緩みかけたのは1度だけ。由美香の死を聞きつけたカンパニー松尾が、アパートの前までやってくるがカメラをうまく回せず、「由美香が死にました」と男泣きするところ。そこはちょっとジンときた。

だがあとはそうでもない。むしろ自分にとっては日常の出来事だ。
突然、事切れて動揺する。頭が真っ白になり、冷静になろうとするが、こみ上げてくる感情をどう処理していいかわからない。そして数日が経ち、怒りに似た強い寂寥感がわいてくる。ただただ喪失感が漂う映像。
そんなもの、最愛の人を亡くせばみんなああなる。憤り、悔恨、記憶、恢復を目指そうとジタバタする。のたうち回る。いくつかの感情の回路を切り、ポーとしている。ぽっかり開いた穴をどうふさぐか。そんな自分をどう認めるか。
男は女を失い、母親は娘を失った。それでも日常はやってくる。
だから無理矢理にでも落とし前をつけるしかない。

ふつうにいい映画だったよ。逆にみんな騒ぎすぎ。
これから見る人は余計な情報を入れず、何も考えず見ることをおすすめする。
あっ、でも松江監督の「あんにょん由美香」を観てからいくと面白いかもしれない。そういう比較はありかも。平野の方がよっぽど個人的な部分をさらけ出しているはずなのに、松江のようにナルシス臭は感じられなかった。そこはストイックで純粋だった。
作為的なものがない。平野の覚悟しかない。

でもあれだよね、「あんにょん由美香」ができたから、平野の心に火がついた側面はないのかね。あったら嬉しいが、そんなことは誰も聞きやがらねぇ。
誰か本人に聞いた人はいるのかな?
もしもそれが発憤材料になったのなら、それもまた「由美香の意志」みたいなものが働いたのかもしれない。「だったら平野さん、作りなよ」ってことで。

それにしても妙にラーメンが食いたくなる映画だ。
東京にくる機会があれば由美香ママのやっているホープ軒は抑えておくべき。
あれもふつうにおいしいラーメンだ。

8月からAVの現場に携わります 

  • [2011/07/21 09:40]

前々からAVの件は、話だけはあったのだけれど、ここにきて急に現実味を帯びだしたので、Twitterは非公開にした。8月に向けて台本みたいなものを書いたり、あるいは現場で実際に淫語まじりの台詞指導をすることになるので、迂闊なことはつぶやけない。回りの人に迷惑がかかるかもしれないので、そういう状況に慣れるまでは非公開でつぶやくことにする。

一番いいのはつぶやかないことなんだけど、やっぱり淫語の台詞を書いているときや、実際に女優さんにあってしまえばテンションはあがってトチ狂ったことを言ってしまうだろう。実際、最近もあわてて削除したりしたことが何回かあった。
まぁ1ヶ月ぐらいしたらまた公開することになるでしょ。宣伝もしないといけないだろうしね。

今はいろいろ忙しく、問題をいくつか抱えている。本業の仕事の方はそんなにでもないが、家の問題は頭の痛いことばかり起こっている。
それなのに「淫語魔」としてもさらにやることがいっぱいで忙しい。

肝心の淫語マニュアルの方は週1ペースにして、とりあえず細々とは続けていくつもり。むしろこの話が決まってからと言うもの、最近、曖昧になってきていた動機付けができるようになって、別の意味で目的意識が出てきた。
そうなのよね。淫語マニュアルって淫語を研究する意味合いもあったのですよ。
だから最近立て続けに1人の女優さんを3タイトル更新したけど、そこには理由があるわけ。

その他にも新たな仕事が入ってきている。ただこれは「淫語魔」名義でやろうかどうしようか迷っている。いちおうエロ関連の仕事ではあるんだけど基本的には淫語とまったく関係のない話なんでね。
でも決められたコンテンツをこなす仕事ではなくてそちらの方も、構成の段階からいろいろ試行錯誤して一緒に作っていく感じなので、自分としては楽しみにしている。

あとは太賀麻郎のブログを作らなきゃ。
これはもう単純に今年の11月に発売される予定の東良美季さんが書いている麻郎さんの本「AV黄金時代2」が焦点のブログ。麻郎さんはmixiで日記を書いているんだけど、所詮はSNS、閉じられた空間での発信。やっぱりもっといろんなところからアクセスできるようにしないといけないだろう。というか自分の好きな麻郎さんは11月に出される本の内容よりもさらにあとの話らしい。だから「AV黄金時代3」が出るぐらいまでは、本が売れてくれないとね。

自分はチョー売れっ子だった若い頃の太賀麻郎はそんなに好きではない。
今の、離婚して2人の娘を引き取って、いちばん向いてなさそうな父親業をやっている麻郎さんがいい。妙な駄洒落を交えて麻郎さんならではのカッコイイことを言っているんだけど、でも聞いてると矛盾がないわけでもない。そのあたりを突っ込んでいくと裏腹な部分が出てくる。
もともと自分は、人間というのは矛盾しているものだと思っていて、その矛盾をごまかさず逃げずそのまま抱え込んでいる人間が好き。そういう人の方が安心して話ができる。麻郎さんが人として信頼できるのはそういうところ。ウソがない。
自分もそうだけど、人間ってそこからが勝負だと思う。理が向こうにあれば自分のプライドは捨てる。そうしないと手に入らない人生の果実というのはあるのだ。

もっとも麻郎さんは誰かに書いてもらうより、どこかに出ていってライブで話してもらう方がいい。会って話すたびにそれは思う。とにかく話を聞いているだけでも面白い。

そんな麻郎さんと、それからフリー編集のTさんとで28日に小室友里さんの誕生日のイベントに行くことになっている。それまでにブログの方は目鼻をつけとかないとね。

いずれにしろ、「淫語魔」としていよいよ最終局面に入ってきた。
そんな感じがしだした2011年の7月。
あとはどこまで突っ走れるか。

つむじが似ていた 

  • [2011/07/12 23:58]

先週の金曜日に大阪に行ってきたのである。
目的は桜オケツお嬢と映画デートをするのと、花房観音のイベント。

8日、朝の8:00に大阪のなんばに着き、天王寺に住んでいる友人と湊町の喫茶店でモーニング。出勤前にちょっとだけ付き合ってくれた友人は9時前に難波駅で別れた。
桜お嬢とは9時半になんばパークスで待ち合わせることになっていて、途中TOHOシネマズと勘違いしたりとかなり迷いながら、どうにかこうにか時間ぴったりに映画館のある8Fにたどり着く。
すぐにフロアを探しまわったがまだ桜お嬢は来ていないようだった。確かにここはなんば駅からも奥まっていて地元の人も迷いそうな場所にある。

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桜ちゃんに電話するとちょうど今、エレベーターに乗ったところだという。
エレベーター付近で待機。すると扉から降りてとっとと映画館の方に向かうキレイな感じの女の子が。顔ははっきりとはわからなかったが洋服の感じからきっとお嬢に違いない。ほくそ笑みながらそのあとをついていくと、急に彼女は立ち止まり、ふっとうしろを振り返る。2人の目が合う。やっばり桜ちゃんだ。むこうもすぐに気づいて、なにかまぶしそうな顔をしてから、ニコーっと笑う。こうしていんごまパピーは無事に愛しい娘と会えたのであった。

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二人で劇場版『そらのおとしもの』を鑑賞する。
軽く食事をして、日本橋界隈を歩いて回った。
どちらもオタ気味ではあるのでものすごく楽しい。自分はとうとう子ども持つことはなかったけれど、もしも娘を持てたならこんな感じなのかなぁとなんだかくすぐったいような気持ちになる。
桜ちゃんと会うのは、実際はこれがはじめてなわけだが、全然気詰まりすることなく、無理なく会話を続けられる。まるで前々から会って遊んでいたことがあるかのように、一緒にいて違和感がない。そのことがまずなによりうれしい。

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夕方いっぱいいろいろ見て回って、18時前にはイベント会場の十三へ。桜ちゃんはそこでゲストとして参加することになっている。早めの楽屋入り。

ここで花房観音のイベントとなるわけだが、イベントの内容自体は一切他言無用ということで書かない。一言でいって旦那さんの吉村智樹さんとのかけあいが「夫婦漫才」のようであった。

その夜は梅田のネカフェを宿にしようと十三を離れた。
そのまま桜お嬢と漫画を読み耽るという趣向だったが、なんせ昼間、日が照っている日本橋を歩きまわったせいでどちらも疲れている。
それでも自分は「はじめの一歩」とか読んだりしていたがお嬢はとなりで横になっていた。

朝方のこと、ふと横になっている桜お嬢を見ると、持ってきた「るろうに剣心」を読まずに目をつぶってウトウトしている。
何気なく頭の方に目をやると、彼女のつむじが見える。
思わずハッと息を呑んだ。その形が死んだカミさんのつむじにそっくり。しばしじっと見入っているうちになんだか妙な可笑しさがこみあげ、いつのまにか口元から「フフフ」と笑いがこぼれていた。

ウトウトしていた桜お嬢はこちらのおかしな様子に気づき「どうして笑っているんですか?」と尋ねてくる。しかしなんと説明していいかわからない。ただ桜お嬢の頭のてっぺんを撫でながら含み笑いが止まらずにいた。そして次にどうしようもない郷愁が心を襲ってきた。

高速バスの出発にはまだ少し早いがネカフェを出て、ファーストキッチンで朝食をとる。
気がついたら亡き妻の思い出話ばかり。桜お嬢を相手に次から次へとエピソードが出てくる。他人にこんなにも多くのことを語ったのははじめてだ。
考えてみれば東京を出る直前、お嬢とは電話でカミさんとの馴れ初めを話していた。デート中もちょこちょこ話したりしていたかもしれない。つまりお膳立てはできていたのである。

なぜ桜ちゃんなのだろう?
本当に自分の娘だと錯覚して、亡きママの思い出話を語って聞かせたい気分になっていたのか?
そういえば一昨年、関西にきたときも妙に妻のことを思い出して、おかしな感じになっていた。大阪・京都は自分にとって郷愁の街なのかもしれない。
それにしてもなぜなんだろう?

あれは同棲してまだ間もない頃の話だ。
あるとき、妻とテレビを見ていたら髪の長い女優さんが出ていた。確か有森也美だったと思うのだが、何気なく「この子の長い髪はいいよね」みたいなことを彼女に言った。その当時、彼女もまた髪が長くそれを自慢にしていた。だから単純に「自分は髪の長い女は好きなんだよね」と言いたかっただけなのかもしれない。

ところが次の日の夜。会社から帰ってくるとその長い髪がばっさり切られていた。
そして「どう、いいでしょう?」と言う。どういいでしょうと言われても困ってしまうわけだが、似合っていないわけではない。というより彼女はハーフ顔で整ったキレイな顔をしているので、ロングからショートボブにしてもそれなりに似合うのである。
自分は「悪くないねぇ」ととりあえず褒めた。

この「悪くないねぇ」がどうやらいけなかったらしい。そんな言葉は褒めたうちに入らない。
でもそんな女心ってやつはあとになってわかる。彼女は何を言われてもそのときは顔に出さない。へんに意地っ張りな人間なのだ。

次の日、髪型はさらに短くなっていた。後ろを刈り上げるぐらいのショートヘア。
まったく意味がわからなかった。あのあとどうなったのだろう。やはりケンカをしたのだろうか。それともなんとなく不機嫌な態度が見え隠れする彼女を、それ以上は何も触れずにただただ見守っていただけだったかもしれない。
彼女が何に怒っているのか、もしくは何を企んでいるのか、昔からよくわからない。
いや怒っているのかさえ、本当はわからなかった。

桜ちゃんにその話をすると、「なんかわかりますー」と言う。
「でもショートにするってよほど顔に自信がないとできないですよぉ」

「うーん。あいつは美人だったからねぇ。当人も顔には自信があったと思うよ。自分はあえて褒めなかったけど」

「どうしてほめなかったんですかぁ?」

「ほっといてもまわりは美人だって言うし、彼女だってさんざん言われ慣れていたでしょ。だからそういうことであえて褒めたくはなかったんだよ。実際、パピーは顔で好きになったわけではないからねぇ」
桜ちゃんの頭の方を見つめる。
「ほらぁ、パピーはフェチだから、つむじの形とか、手の形とか、足指とか、そういうのが好きなのよ。だから顔はあまり関係なかった。もちろん彼女の顔も好きではあったけど、だけど美人だから好きだったわけじゃないよ」

「それでも褒められたいものじゃないですかぁ」

「うん、今ならわかるよ。まぁ女心というのはそういうもんなんだろうしねぇ」

そんなことを話しているうちに急にひらめくものがあった。
「………あっ、そういうことか!」
しばらく呆然として、
「アイツは髪じゃなくて、実は顔を褒めてって言いたかったんだ! 『髪型なんか関係ない。キミはじゅうぶんキレイだよ』って」

ああ、そうなのだ。アイツはいつもこちらに妙な謎かけを仕掛けてくる女なのだ。
こちらはそれにどう答えていいのかわからなくて、正解にたどりつくまでもたもたしたりする。この話だって10年以上も経っているのに、いまになってようやく彼女の真意にたどりつけた。

「今頃になって気づいたんですかぁ?」

「うん。遅いよねぇ」
桜ちゃんの方を振り返る。頭のてっぺんを見るとどうしても微笑んでしまう。
「桜ちゃんのつむじってさぁ、カミさんのつむじにそっくりなんだよね」

「ええ、つむじですかぁ?!」
桜ちゃんはおかしそうに笑う。

もうすぐ出発の時間だ。
バスターミナルまで向かう。

iphone 391

東京に向かうバスの中で自分は久しぶりに逝ってしまった女のことばかり考えていた。
自分には解けていない謎がほかにも残っているのだろうか。いやきっとあるんだろう。
彼女はイタズラ好きで嫉妬深くて、そのくせ冷静でずる賢く、何食わぬ顔していつも自分のことを試していた。それは彼女なりの愛情表現で、死んで7年経ってもなおいまだにこうやってその名残りが残っている。
ずっと愛されていたんだと思った。
そうやって思えば、まだまだ彼女は自分の中に生きている。
そして自分への愛を確かめている。