SODにも昔、早坂晃子っていう人がいたよなぁ。
- [2008/08/14 11:54]
前の記事で「羞じらい」の話を例に出したけど、「羞じらい」がエロさを醸し出すのは、その人の心情の変わり目にそれが出てくる時ではないか。
そこに剥き出しの意識が顔をのぞかせる。さらにテンパったりしてくれたらもっと引きつけられるだろう。それは立派なドラマだ。
たとえば売れっ子のお女郎さんが恋をしたとする。SEX慣れしているはずの彼女が好きな男の前では意識してなかなか体を開かない。他人の前ではいろんなSEXショーをしていても、好きな人が目の前にいるだけで緊張して体を硬くする。
『椿姫』が純愛ものとして優れているのは、マルグリットが高級娼婦として世のさまざまな享楽と贅沢な生活に身をやつしているという設定が効いているからだ。
そこへ青臭いアルマンと出会い恋に落ちる。彼女の中で無垢な少女と世知に長けた高級娼婦とがぶつかり合い揺れ動く。どちらも紛れもない自分なのだ。そのカオスの中で最後は愛する者のために身を引く。その決断も彼女が高級娼婦として世の中がどういう仕組みになっているかよくわかっているからで、彼女が純愛を貫けば貫くほど彼女のとるべき道は一つしかないかのように話が進んでいく。
身は娼婦だけど、心はうぶな乙女になってしまった女の悲劇でもあるのだ。
身に染みついた娼婦の姦智が心を浸食することもあっただろう。逆に心の中の無垢な思いが体に表れて羞じらいを帯びることもあっただろう。
そういう心と体のギャップからドラマが生まれる。
そしてそこには必ず言葉の変化が現れるはずだ。
それが読者や視聴者の心に風を起こす。
昨日、アップした田中亜弥の最オナはそういう意味で実に残念だった。
田中亜弥はさすが元アナウンサーだけのことはある。最初のコーナー「今日のチンポ」でのアナウンサー口調はかなりよかった。
ここで話される話し方は「カメラの向こうにいる視聴者」に向けられたもので、丁寧でかっちりとしたものになっている。
そこにときどき思わず出る嘆声や感想が入る。これは独り言に近いものだから特に誰かに向けられてはいない。そのままでは視聴者不在になり、アナウンスにはならなくなるから、大なり小なりフォローを入れつつ再度、視聴者に語りかけていく。
つまり公的な発言の中に私的な発言が混じっている状態になるのだが、ただ混じっているのではない。一つの意識のつながりの中での彩りを加えたアナウンスになっている。
こういう技術はやはりキャリアがものをいっているのかもしれない。
SODあたりでやっているアナウンサーものとはわけが違う。
この状態で淫語が入るとさらにギャップが生まれ、そこを評価するユーザーもいるだろう。実際、彼女のアナウンサーとしてのしゃべり方はとてもうまいから、「チンポ」とか「おちんちん」とかの言葉がクリアーに聞こえる。
これが手コキやフェラの時はいいのだが、自分が感じ始めると怪しくなってくる。 特に、マニュアルにも書いたが、本番コーナーの「体験コーナー デカチンポを入れる!!」は途中から視聴者に向けられたレポという設定がボケてしまっている。
当たり前のことではあるが、話し方というのは誰に向けられているのか、どういう場所で話されているのか、何を伝えなくてはならないのかによって違ってくる。職業や身分によっても違うし、公的か私的かによってもちがう。私的な発言でも育ちによってかわってくるだろうし、そこに口癖だとかその時代の流行語などが入ってくることもあるだろう。
いいドラマはいろんな話し方、会話文が巧みに織り込まれている。
それもバラバラに出てくるわけではない。一つの流れというモノがあるのだ。
ドキュメンタリーと違い、創作ものの場合はこのあたりの言葉のつながりを意識してもらわないと不自然に感じる。
ドラマとは、心と体と言葉のギャップから生じ、他人とのギャップから話が展開される。
さらに大きくいえば社会や時代とのギャップにより悲劇や喜劇へと昇華していく。
それは設定でほぼ決まるといってもいい
あとはその線をはずさないで人を転がしていくだけだ。
その設定を生かしきれないとすれば、それは創り手の技術不足なのだろう。
そんなものを買ってまで見せられるユーザーはいい面の皮だ。
小説『椿姫』自体はテンポがのろくて、デュマ・フィスが作家としてオヤジを乗り越えられなかったのはうべなるかなだが、それでもヴェルディのオペラをはじめ、いろんな形で取り上げられるのはとにかく設定がいいからだ。
もっともこの話自体は実際の体験をもとにして書かれたわけだが。
もう一個の「ひなスペシャル」が見たかった
- [2008/07/29 23:53]
赤ちゃんは一人じゃ何もできない。
彼らは周りの大人に依存することでしか生きていけない。
腹が減れば泣いておっぱいをおねだり、お漏らしすればまた泣いておむつをとりかえさせる。
精神科医はそれを称して「魔術的思考」なんて言う。
赤ちゃんの泣き声は魔法の呪文のようなもので、それを唱えればたちまちに目の前におっぱいがやってくる。結果的に泣くことで自分の快不快をコントロールすることになる。
赤ちゃんに挫折はない。なんでも自分の思い通りになると思っている。ならなければいつまでも泣き叫ぶ。
M男はたいていわがままだ。M女にくらべてああしろこうしろとうるさいのがいる。
Mとしては失格なのだが、日本の女性はSEXに受け身な人が多いのでなかなかうまく責められない。だからああだこうだ注文をつけてしまうのかもしれない。
中には被虐趣味とはあまり関係なく、単に受け身の状態で女の人にあれこれ世話を焼いてもらいたいだけのもいる。
そういう男性はSMよりも痴女作品を見る。
彼らが求めているのはS女じゃなくて「お母さん」。
あくまで自分の思いをかなえてくれる「強い存在」。
そりゃお母さんも悪さすれば叱ったり、ケツぐらい叩くだろう。だがそれでも決してこちらを見捨てはしない。最終的にはなんでも許してくれ無償の愛を降り注いでくれる。
よく「自分のことをSかMか、どちらだと思う?」って質問するヤツがいるがこんなのはナンセンスだ。性的趣向がSかMかの2つに分けられるはずがない。
質問者は明らかにSMを勘違いしている。単純に「責め=S」「受け身=M」という図式でSMをみているのではないか。
今日、アップした大塚ひなさんのBLACKギャル痴女 淫語SPARKはまさにわがまま男が受けの状態でああじゃこうじゃ言っていた。
それは別にいいんだけど眼が点になったのは、最後の「黒ギャル痴女のファイナルSEX」というコーナーで大塚ひなが「ひなスペシャル」と称して膝コキをしていたシーン。
![]()
ひな: 気持ちいいでしょ。ひなスペシャルだよ。男 : スゴい、ひなスペシャル。
ひな : 気持ちいいでしょ。ひなスっ、ひなスペシャルね、もう一個あるの。
男 : なになに。
ひな : やってほしい? お願いして。
男 : はぁ…ああ、えっ、 もっとフェラやってほしい!
ひな : わがままぁ~。
男 : だってひなちゃんの口マンコ、もっと堪能したい。
ひな : 口マンコ?
男 : お願い!
んで、結局、もう一個あるという「ひなスペシャル」が披露されることなくThe End。
コイツ、バカだろう。
オレは見てぇーぞ、「ひなスペシャルⅡ」
大塚ひなもうるさいっとか言って拒否ってくれりゃあよかったんだが、彼女は人がいいんだろうね、素直にこのわがまま男のいいなりになってしまっていた。
ああ、コイツの口元に思いっきりグーパンチをたたき込みてぇ!
それとやっぱり声だなぁ。なんでこいつら腹式呼吸ができねんだ?
赤ちゃんは腹式呼吸で腹から声を出している。だからものすごく良い発声で泣く。
呪文というのはそういうものだ。
エッチでの淫会話って呪文なんだな。言葉を使って性感をコントロールする。淫語はその中でも究極呪文なんだ。使い方を間違えると興ざめすることになる。
呪文の発声はとても大事。別に軟口蓋に声を当ててくれとまでは言わない。
せめて腹式呼吸をするか、それができないなら無声音で語りかけてくれ。
これだから完全主観での男の声はいやなんだよ。
今、声だけで聞かせることのできるAV男優なんてそうそういない。
この監督がなんで主観にこだわったのか意味不明。
できないなら辞めりゃ良いのに。
ほかにも細かいところを言えばいっぱいある。
この監督を呼びつけて一つひとつダメ出ししたい。
淫語AVを舐めるなと糾弾したい。激しく面罵したい。
データ取りに3時間。途中からそんなことばかり考えていた。
しかし大塚ひなちゃんはカワイかったな。
彼女はギャルの方が良いかもね。
気がつけば「おっーおっーおまんまん」と口ずさんでいたりする
- [2008/07/17 13:03]
二宮沙樹がサポート アナタのオナニータイムだけど10.の本番パートのお相手は戸川夏也。主観で撮っていて顔は映ってないので断言はできないけど、アゴとヒゲの形、体つき、手の感じから多分間違いない。
最近はシコシコ動画のせいで彼が出てくるたびに、「ぴったん ぴったん ぺにぴったん」と歌ってしまう。このカラミの中でも、パンツからチンポを出すときと背面騎乗位時のマンコから引き抜くときに、あの「ぺにぴったん」をやっていた。ぺにぴったんやっているヤツは彼だけじゃないけど、まぁ戸川でしょ。 もう彼はこれから「ぺにぴったん」だな。
前にも書いたけど、言葉によるイメージというのはいかんともしがたい。
戸川と阿川と南は人気男優でいろんなAVにでまくっているから、しばらくは「ぺにぴったん」と「マンコの毛」と「カッパ頭」という単語をちらつかせながらAVを見ることになりそうだ。
いや・・・
もう一人いた。
加藤鷹。
彼が出るAVは見る気がしないのでまず機会がないだろうけど、もしも見ることがあれば「鷹の声 鷹の声 鷹の声 あげー いつもシワシワ」とか歌っちゃうんだろうな。
あの人、昔はあそこまでうるさくなかったんだよね。
むしろ気の良い兄ちゃんで彼の出ている作品は好きだったんだけどどっかでおかしくなった。
あれ、多分、南智子の真似してんじゃネェーかと思うんだけど、それにしてもなーんか違うんじゃねえかと。
代々忠は『プラトニック・アニマル』で、男が責めるときは女性の耳元で無声音に近い感じで囁くことを薦めていたけど、彼はわざと響かしているんだよなぁ。
それを忠実に実践しているのは太賀麻郎の方。
恋愛できないカラダ2あたりを見るとよくわかる。
だいたい「鷹の声~」とか揶揄されている段階で違うんじゃないかと。
テクニックはあるんだろうけど、それにしてもTJにしろ鷹にしろ自分の声が他人にどう聞こえるか、どうすればもっとよくなるか、研究した方がいいんじゃねぇーの。あまり視聴者を意識してないよね。
カトタカは本当はできる人なんだろうけどね。
それとも今さら自分を変えるつもりはないのかね。
よし今週も頑張ろう
- [2008/07/14 00:37]
おお、先週は久しぶりに3作アップできた。今週もこの調子でいきたいものだ。
昨日、データアップした「関西弁ギャルと大阪デート♥」はマニュアルに書いたとおり傑作扱いとしたい。個人的には美優千奈のMVよりこっちがいいかも。
いつもの冒頭抜き出しもいくつか候補があってどれにしようか迷ったぐらい。
第2候補は、白ヒールで靴コキしながら彼氏に手マンを導くところの淫語台詞だった。
な、オメコ好き? ほんまに好き?
…オメコ。どれぐらいオメコ好き?
んん、はは、んんっ。
メコ、めちゃ好き。んんんっ。
オメコ好き? んふっじゃーあ、んふっ、メコがなかったら、んふっどうする?
あは、んん、メコ、きもちーいの?
んふっ、ああ、もぅ、そんなにオメコ好きなんや。
んふっふっ、ここ? オメコ好きなん。
んふ、んん、…ははあ、ああっ、ほらっ、あはん。
パンツの中からオメコさわって。
かおりのオメコぐちょぐちょ。
んんふふ、オメコすはなんやろ、んふ。
オメコ、めっちゃ気持ちいい…。
これも悪くなかったんだけど、作品全体を現すのはマニュアルで上げた方かと思って最終的にはこっちはボツにした。
んで、この真中かおりさんだけど、どうも聞いてると彼女自体はオマンコ女優みたいだね。実はこの作品でも2回ほど気ぃ抜いてオマンコ発言をしていた。
セックスしよう、セックスしたーい!
もぅ、もぅ、かおりのオマンコ、こんなにグチャグチャやのにぃ。
音聞こえるやろ。セックスしようよ。セックスしたーいっ!
おちんちんでオメコ、突いて!
かおりのオメコに、めっちゃおちんちん、入ってる。ああん、ああ、ああん、ああ、あああ、めっちゃすごーい。おまんこの奥までめっちゃ気持ちいい。
いずれも興奮していたときの合間、痴悦淫語になりつつあったときに口にしていたので、多分、普通に言わせるとオマンコさんなんだと思うんだな。オメコはそんなに言ってこなかった人じゃないかと思う。紅音ほたるも昔はすぐオマンコって言っていたし、やはり今時の大阪っ子はオマンコになりつつあるんだろうなぁ。
まぁでも、そういう意味では真中かおりはものすごく演技を頑張っていたとも言える。実際、カメラ目線もうまかったし、エロっぽい笑い方もよかった。
彼女はかなり久しぶりに見たんだけど、見違えるほどうまくなってた。こんなにうまかったっけか?
これでもう少し、撮る側が主観撮影ってものをわかっていれば言うことないんだけど、いろいろ問題がないでもない。
たとえば主観なのに少しカメラの位置が中途半端に低い。
これが渡辺琢斗監督みたいに思いっきりローアングルにしてしまえば、まだ意図がわかるんだけど、そうじゃなくてカメラの構える位置が腰元にある。そこにかおりさんが話しかけてしまうんで、この男の背はどうなってんのか不思議な気分になってしまうんだな。
ドライブシーンも車の運転中に彼女の体をずっと見ているし、下手すると手まで出してしまう。
危ないって。
前方不注意で事故るって。
昔の「癒らし。」もそうだったけどね。
そういえば鮎川なおの「癒らし。」も前半、中途半端な高さのカメラ視点があったんだ。
カメラさんはどうしても構図を作りたがるんだよね。ずっと主観で撮っていると不安に駆られるのかもしれない。
でも完全主観のカメラは「撮る」んじゃなくて「見る」んだ。人がモノを見るときにいちいち構図を探ったりはしないでしょ。主観での斜めショットが気に入らないのは、傾けすぎた途端、目じゃなくなってしまうから。でもAVはダッチアングルを長めにまわす人が多いよね。
水平を保つのを放棄しているような撮り方に終始するのはAVだけじゃないかなぁ。
まだこれがハメ撮りなら、女性の体を全部収めたいとかの理由で対角線に入れるのはわかるんだけど、主観で撮るならもっと普通にとればいいのにね。
ヒッチコックじゃないんだからさ。セックスの画で不安にさせてどうすんだよ。
いつからこういう撮り方をするようになったんだろうね。昔は違ったと思うんだけど。
あと、「癒らし。」シリーズでよくやる、カメラをわざと近づけて「近いよぉ」と言わせたり、「ちょっとどこ見てん!」とたしなめさせたり、アウダース主観もいちおう参考にしているのかもしれないとは思った。
でもアウダースだって自分はまだ完璧だと思ってないんだ。
主観撮影って奥が深いと思うんだよね。
一朝一夕では絶対にできない。
要するに主観をなめるなってこっちゃね。
昔、ミートボールを見るたび北斗晶がちらついたなぁ
- [2008/05/01 12:12]
いかん。どうもいかん。
阿川陽志のアゴヒゲがマンコの毛にしか見えなくなってしまった。
自分は、主観作品じゃなければ男優にヒゲがあっても気にならない。
この間アップしたまこ先生の誘惑授業には、ほかにもヒゲ面の戸川夏也が出ている。でも彼のヒゲは悪くない。むしろ彼の場合、ヒゲがないと「はぁーらーだ、たいぞうですっ!」の人になってしまうから昔より今の方がいい。
阿川陽志自体は主観じゃなければそんなに嫌いな男優ではなかった。
ところが一度、彼がクンニしている時にあまりにもカメラが寄りすぎていて、何が映ってんだかよくわからないことがあった。
その時、「どうしてここにマン毛があるの?」と思って見ていたら、どうやらそれは阿川のヒゲだとわかって、それから微かな違和感を覚えるようになった。
そして彼のアゴヒゲを見るたびに
「阿川のヒゲはマンコの毛!」
なんて言ってたもんだから、とうとうマン毛にしか見えなくなってしまった。
付け根からアゴ先までの形がダイヤ型にカッティングされたマンコの毛そのものだ。
言葉は怖い。とくに「微かな気づき」を言葉ですくい取って口にしてしまうと、五感が言葉に縛られたりする。
Like a Virginの大ヒットでマドンナが日本でも有名になりはじめた時のこと。ハワイ育ちのアイドル・早見優が、マドンナの話題を自分のラジオで紹介していたことがあった。アメリカではどんなふうに人気があるかとか、彼女の地元の友人の評判はどうだとか。
そしてマドンナの魅力をさんざん語ったあとに最後に一言、
「でもマドンナのつけぼくろはダメ! あれは鼻クソにしか見えない!」
と言った。
それ以来、マドンナの口元にある黒い点は、ホクロではなく鼻クソになった。
一度、強く言葉でインプットされると、もうそれ以外は見えない。
自分は昔、南佳也が好きだった。なにげにうまい男優だと思っていた。
だが、どうもここ1年ぐらい、彼の長髪が気になりだした。若い頃は長髪も彼の雰囲気に合っていたと思うのだが、30過ぎてもまだあの髪型というのはどこか汚らしく見えてしまう。
それであるとき、何かの拍子に汗でベタベタに乱れた彼の髪を見ていたら、あのターザン山本を連想してしまった。
そしてやっぱり口にしてしまったのだ。
「南はもはやターザン山本!」
かつて、一世を風靡したイケメン男優も、こうなってはカッパ頭にしか見えないのである。
感動した
ありがとう名無し@ボヤキスポンサーサイトがうざいので更新は必ずするつもりです。
今年はようやく淫語魔に戻れるんじゃないかと思っています。淫語魔ものすごく勝手なイメージなんだけどね山下さんの印象は、エロ仙人ですかねー。淫語魔「名前のない女たち」AVレビューどうなっているんですかねー。今度、ナカムラさんに聞いてみます。淫語魔