アーチュンバナ(acumbana) 

  • [2008/11/14 00:05]

自分が「接吻」って言葉を最初に覚えたのはまだ小学校にあがる前で、確か「花のピュンピュン丸」でケメ子が使ってたか、それとも「いなかっぺ大将」の大ちゃんが使ってたかだと思う。
「せっぷん」っていう語感が妙に艶めかしかった。

AVの世界で「接吻」という言葉を周知したのは間違いなく二村ヒトシだろう。

でも「接吻」ていうのは字義からいうと口をつけることであって、ベロチューではないんじゃないかと思ったりもする。
「口吸い」なんて言葉もあるから、日本人は舌をからめるというより吸ってたんじゃないか。ベロベロやっている春画なんてあったっけ? 吸い合っているのは見た気がするけれど、からめているのはどうだったかなぁ。画じゃわかりにくいってこともあるけれど、今度、調べてみよう。
ついでにいうとフェラチオもあんまり見た記憶がない。逆にクンニリングスの方は昔から描かれている。

それであらためて思ったんだけれど、キス好きの人って、結局、舌の動きで興奮するのかねぇ。吸い合うところで興奮する人はいないのだろうか?
フェラも舌で舐めあげるのと咥えるのとでは興奮するポイントが微妙に違う気がする。

今日UPした麻美ゆまの「接吻と性交」なんだけど、途中、インタビューシーンでなぜか爆笑してしまった。
監督が「一番幸せなキスは?」とか「キスしたくなる唇はどんなの?」とか聞いていているんだけれど、その時に「ゆまちんはぁさぁ~」とか言って、「ゆまちん」を連発しているのがなんとなく気恥ずかしかったんだな。

麻美ゆまのブログはよく見ているんだけれど、彼女って自分の写真ばかり載せるんだよね。吉沢明歩なんかも比較的自画撮り写真を載せているけれど、それでも麻美ゆまの方が圧倒的に多い。つまり基本的にご自分のことを大好きなんじゃないかと思うんだ。それで自分の世界を作り上げて、そこの主人公を「ゆまちん」と自称するわけなんだけど、このゆまちんワールドに40過ぎのおっちゃんが巻き込まれてしまった感が妙におかしかったんだね。

自分だったら「ゆまちんはさぁ~」とか実際に口にするのはかなり抵抗がある。
だけどここで「ゆまはさぁ」なんて呼び捨てにしたら偉そうでイヤ。
かといって「ゆまさんは~」だと他人行儀だし、「ゆまちゃん」も当人が「ゆまちん」と言っているのに尊重していないようでつらい。
結局ここは相手にあわせて「ゆまちん」と呼んであげるべきなんだろう。
実際の二村さんはどう思っているのかしらないけれど、自分を投影したときに情けないことをさせられているような気分になった。それで笑いがこみ上げてきたのだろう。

でもね、冷静に考えてみると女の人に淫語を投げかけるのは好きなのに、「ゆまちん」と言うことには恥ずかしいと感じる自分の言語感覚ってなんなんだろうと思った。

あとマニュアルにも指摘した姿見でのポージングなんだけれど、これなんかも「ゆまちん」のナルシストぶりが出ているようで、それがとってもよいと思った。女の人って自分自身のことを好きな女性の方が光り輝いているように見える。女の人は自分の中にある女性性の確認でもって自信を持つようなところがあるからね。

その「自分大好き」な麻美ゆまが「がに股」で屈伸しているところはとてもエロキレイ。両足の踵はつけているのでちょうど足の形がパンタグラフのような菱形の開閉をするんだけれどこれがよいのよ。彼女はカラダのラインがむちゃくちゃ綺麗だから、全裸でのこのポージングは画になる。
まぁ着衣派には残念なクネクネダンスなんだろうけれどね。自分はマッパ好きなんでこれでO.K.

あえて今回の作品の瑕疵を探すなら男優がちょこちょこゆまちんのしゃべりを邪魔してたことかなぁ。大島丈なんてゆまちんが話し掛けている最中にキスでその口を封じやがった。
カラミ自体はいいんだけど、どうもそういうのが気に入らないんだよなぁ。
興奮しちゃっているから難しいのかもしれないけれど我を忘れたらダメだよね。
こういうのってFAプロあたりが使っている男優の方がうまいんだよなぁ。
もっともあれは台本があるから当然か?

!!

今、書いていて思い出した。
「奥様は18才」で富士真奈美が「接吻」って言葉を使ってたような気がする……。
それが自分の中で最初の出会いかなぁ。

うーーーん。

ものすごく勝手なイメージなんだけどね 

  • [2008/09/20 23:23]

かすみりささんの作品は他に二村作品と[JO]style作品を見た。いずれも痴女モノだったけど、あまりパッとしてないように思えた。
りささんは自分から責めるというより、男に責めさせて楽しむ痴女さんの方が向いている気がする。
「ダメよダメよ、いけないわ、ヤメテぇ、ヤメテぇ」とあらがいつつ、腰から下は積極的に男をくわえ込み足をからめて離さない。そういうケン月影あたりのエロ漫画に出てきそうな痴女さんなら実力を発揮しそう。

そういう意味では、このかすみりさのMVはよくできていると思うんだよね。
松本監督が冒頭シンデレラの格好を彼女にさせていたのは、彼女の特質を見抜いていたからなんじゃないかとすら思った。

この松本和彦って人、もちろんよく知っているわけじゃないけど、作品だけ見ているとなーんか性格悪そうな人って感じがするんだなぁ。
いやまったくの先入観なんだけど。

たとえば二村ヒトシはどこかに女性を崇めちゃうようなところがあるけど、松本和彦は女性の肉肉しい現実しか見てなさそうなんだよな。女が涙を見せても一顧だにせず冷静に見ているような。だからといって決して人に冷たいわけじゃなく、女性のことをわかりすぎるぐらいわかっている。だからシビアになれるって感じ。
でもこういう人がほんのときどき何気ない優しい言葉をかけちゃうもんだから、そこに女性が参る。そんな勝手なイメージが自分にはある。「こいつタラシだろう」って。

ビーパップみのるもそういうところを感じるけど、でも松本和彦みたいにえぐくはない。マンコをパカパカ開けとは言わなそう。
皮肉屋でキツい冗談飛ばしたりするのが好きな、でもその分、実はかなりナイーブで不器用そうでそれでいて甘え上手な人のようにも思える。

AV見ていると、監督の女優さんに対する扱い方からそういう勝手なイメージがわいたりする。
自分ならこんな風に女性を扱わないとか。これはこの監督のコンプレックスがやらせているんだろうとか。
そうやって勝手にイメージを膨らまして、この監督はどういう人なのか考えるのは自分だけではないはず。

昨日、HMJMの「僕の愛人を紹介します」を見ていたら、ますますAV監督はメンタリティーがモノをいうなぁって思った。
カン松に対するイメージはどこかぽっかり穴が開いている人。
相対する女の人はその穴にどんどん吸い込まれていく。
それはなんでも入る穴。女性のどんな過去もコンプレックスも、全部すっぽり収まる穴。ありのまま受けとめてくれる。
だけどその穴は底なし。どんなに注ぎ込んでも決して埋まらない。

カンパニー松尾には女性に対する神聖視も卑賤視もない。あるのは虚無の穴だけ。
当人も常に自分の虚無の穴を埋めたがっている。そこに強い飢餓感がある。
でもだからこそそれは女性にとって時に甘美に映るんじゃないか。

穴に自我を出し入れして喜ぶのは男だけじゃない。
好きなときに穴を使わしてもらえ、ナルシシズムに浸らせてくれる。
それって見方によっては勘違いしそうな優しさだよね。

MVシリーズ終了 

  • [2008/09/19 21:08]

更新の間が開いちゃったけど、明日はかすみりさのMVがようやくUPできそう。
これから総評を書くところ。

このシリーズはこの間出たRioで打ち止め。隠れた淫語もののシリーズだっただけに大変残念だ。思ったほどは売れなかったのかなぁ。
いちおうRioのMVでは「シリーズ最終作品」と銘打たれ、作品終了後に「この作品に出会えた事を全ての皆様に感謝します」というメッセージとともに「監督 松本和彦」テロップでENDとなった。
こういう風に視聴者にシリーズ終了と感謝を伝える作品も珍しいのではないか。

とりあえずマニュアルとしては今後しばらくはMVシリーズをUPしていく予定。
といってもずっと続けるとこっちも飽きてくるから一気に全部ってことにはならないだろうけどね。

当初、このシリーズはそんなに淫語を言わせるつもりはなかったんじゃないだろうか。
一番最初の麻美ゆまこそ多目だったが、それでも今ほどではない。
次の西野翔にいたってはほとんど言ってないに等しい。
言いまくっていたのは3作目の吉沢明歩だが、その次の蒼井そらはそれほどでもなく、穂花のはさらに少なく感じた。
この時点では淫語はまだ監督次第だったのだろう。
ゆまちんとアッキーこそ松本和彦だったが、そらと穂花は秋秀人、西野翔は「小日塚友妻」っていう聞いたことのない監督。
西野翔は普通の作品でも淫語を言う率が高い人なので、MVでの淫語の少なさはむしろ消極的すぎる気がした。この小日塚友妻っていう監督はどういう人か知らないけど、これを撮っている時点ではMVと淫語のコラボというコンセプトではなかったのだろう。

穂花の次からはもれなく淫語てんこ盛り状態で、今回UPするかすみりさとオメコ作品の美優千奈は松本監督で多目。次のきこうでんとみひろは秋秀人監督だが、淫語量はそのあと松本監督で撮った初音みのりとRioに較べても遜色がなくなっていた。

いずれにしろ西野翔以外はマニュアルにUPしても良さそうではある。
いや穂花さんも微妙かなぁ。彼女は他にあるからね。無理してあげることもないでしょう。
西野翔ちゃんの方は別の作品でいっぱい言っているので、そっちであげますよ。
彼女はまだ淫語マニュアルに登場してないんだね。
今、一番淫語を言う女優さんかもしれないのに。

東京はこれから台風だそうだ。
さっきレンタル屋によってきたばかりなのだが、明日は早めにUPしてDVDでも見て過ごすか。

量は質をかねることもある 

  • [2008/09/03 22:30]

ワンズファクトリーの作品を続けて二つあげたんだけど、今日UPした 村上里沙の「社長秘書はインテリ痴女」は淫語量は120分で52回。「ザーメンと猥褻淫語と中出しの誘惑」とサブタイに明示されているわりには少なく感じる。

同シリーズでは星野あかりと堀口奈津美のをいちおう見てみたんだけど、似たようなもんだった。堀口奈津美さんのも言い方は悪くなかったんだけど、もっと量があるのが他にあるから彼女の作品はそっちに譲るとして、今回は村上里沙さんのをあげてみることにした。
いずれにしろこのメーカーは昔から「淫語」をタイトルやサブタイに入れてくるわりには少ない。言わせるポイントもずれている。撮り方も微妙。結局、今の今までマニュアルに取り上げずにきてしまった。

自分は120分モノなら80前後はないと淫語ものとしては成立してないと思っていて、60以下だとどうしても「少ない」と思ってしまう。
もちろん量が少なくても、ピンポイントで淫語をかましてくれればいいんだけど、結局、こういうのってある程度の量がないとなかなかポイントをつくのは難しいみたい。

そんな印象のワンズファクトリーだったんだけど、前回アップした「ザーメン女の勃起淫語」は268回。
さすがにこれは見直してしまった。
こういうのを今後も作ってくれるなら、ここはレンタルで見られるメーカーなので歓迎したいところ。

もっともレンタルする場合、淫語ビデオばかり借りてくるわけでもないんだよね。セルは2.3のシリーズを除いてほとんどが淫語ものだけど、レンタルの場合は普通のを借りたりすることが多い。
自分は一言二言、流れの中で淫語がでてしまったような作品が好きだったりする。
そういうのを見つけるとうれしくなるんだなぁ。
本当は「淫語AVマニュアル」もそういう作品を入れたかった。何も淫語を言いまくることだけが淫語マニアのツボをつくわけでもない。少ないからこそ、爆発力があっていいって場合もある。

でもそういうのを「淫語マニュアル」でアップしちゃうと、一言でも淫語があればレビューするってことになりかねないので普通のレビューサイトと変わらなくなってしまう。
淫語モノを期待して訪れる人に申し訳ない。
そういうのをレビューするならこの「ボヤキ」でレビューするしかない。

ここも「癒らし。」ばかり紹介していたけど、渡辺監督の「非日常的悶絶遊戯」とか、二村作品とかノーマルKIM監督のドラマものとかやってもいいかなぁとは思ってるんだ。

さてマニュアルの今後の予定としては、今週中に千堂ゆりあの「雌女」をアップして、それから「淫語中出しソープ3」をやるつもり。

うちにも底に顔がついている岡本太郎のコップがあったなぁ 

  • [2008/08/30 22:42]

とりあえず、ワンズファクトリーのヤツは作った。
なんかとにかくアップしていかないとマズいなぁ。たまっていく一方だぞ。

次回もワンズのにしようかと思っているんだけど、そろそろ「中出しソープ3」も作っとかないといけないしなぁと思っていたら、リリース順からいくと千堂ゆりあの雌女の方が先なのでそっちからかなぁと思ったり、みひろちゃんのMVもやりたいし、ついでにかすみりさのMVもやっておきたい。でも北原夏美の熟雌女見たら、あまりにもイイ感じだったのでこれを早く伝えなきゃだと思ったり。

ということで、今後このあたりが更新予定。

それと昨日アップした「悠がおなるの手伝って」だけど、オナニーものとして見るとオナファンの期待を裏切る作りなんじゃないかと思う。
黒子とはいえ生身のチンコを出しちゃうのがやはり問題。
男の顔を出してしまっているのもオナニーものを見たい人間からすると興ざめなんじゃないか。

男性を出した理由の一端として、メーカーのホームページではこんなことを書いている。

《エロ漫画朗読オナニー》
エロ漫画を朗読し、徐々にエロモードへ。玩具(男)を使ってローター、バイブ、指入れなど、淫語と朗読を交互にしながらオナニー。

《騎乗位オナニー》
悠ちゃんがセクシーポーズから徐々に服を脱ぎ自分の指でオナニー。我慢出来ずチンポが欲しくなり玩具(男)に跨り淫語絶頂。

《1人レズ&マンズリオナニー》
鏡の中の自分とレズオナニーに耽る。生チンポが欲しくなり、玩具(男)を持ち出し生チ○ポマンズリ。十分楽しんで口内発射。

つまり男はあくまで、「玩具」という位置づけなんだね。
でもだったら目や顔は絶対に出してはいけないと思う。
顔を出した時点で道具には見えなくなってしまう。

偶像崇拝を嫌うイスラームの人たちが仏教寺院を占拠したとき、仏像の顔を切り取ったりすることがある。あのバーミヤンの大仏も破壊される前はまず顔が切り落とされていた。
顔があるかないかって大きいんだよ。

逆にあえてモノに顔を書いてみると、精霊化、もしくは妖怪化していくことになる。 唐傘お化けも一反もめんも、傘や布に顔が描いてあるから物の怪としてキャラが立ってくるわけで、顔、特に目はモノに人格が宿す符号なんじゃないだろうか。

だから黒タイツで黒子っぽくして、その存在は玩具なんだと強弁しても、顔や目を出してしまうとそうは見えなくなるのは当然だと思う。

妄想オナニーものとして見るならノーマルKIM監督の「オナニーパラノイア」の方がはるかに上だと思うし、妄想の中でのSEXということなら、渡辺監督の「痴女遊戯」の方が上。
どっちにしろ中途半端なんだよね。

ただ淫語だけとると、さとしまにあ監督の方がマニア向きかもしれない。
だからなんか惜しいんだよね。
オナニーモノにこだわってなければ悪くはないとも言えるんだけど、でも「おなるの手伝って」っていうタイトルで、オナニーモノを想定して作られているのに、それじゃあね。

この監督は「卑猥語GAL」って作品も撮っているんだけど、それは直球勝負でなかなかよかった。あまり器用な監督じゃないんじゃないかなぁ。
「卑猥語GAL」もそのうちアップするです。

あと、DMMでは「悠がおなるの手伝だって」と「だ」が一つ多い。
こういうのってメールで知らせるべきなのかな。指摘したら訂正する?