ライ麦畑でつかまえて 

  • [2006/07/08 09:47]

ライ麦畑でつかまえて

この本は自分が高校生の頃、読んだ本で、まぁ、もの凄く有名な本。
ジョン・レノンが死んだときに犯人のチャップマンのポケットにはこの本が一冊入っていたとか、いろんなエピソード満載の本だ。
ネットで調べてないけど、恐らく読書好きのたくさんの人が自分のホームページに、幾分かのノスタルジーを込めて感想を書いているはず。
だから今回も正当な感想ではなくて、淫語ネタでいこうと思う。
こんな下りがある。


そのとき、不意に、僕が壁の上に何を見たか、それは君にも想像がつかないだろう。またもや「オマンコシヨウ」と書いてあったんだよ。石が積んある下の、壁のガラスになってるとこのすぐ下に、赤いクレヨンかなんかで書いてあったんだ。
 これだから困るんだな。落ち着いて静かな気持ちのいいとこなんて、絶対に見つかりっこないんだから。だって、そんなとこはないんだもの。君はあると思うかもしれないけど、ここと思うとこへ行ってみるがいい、君が見てないときに、誰かがこっそり寄って来て、君の鼻先に「オマンコシヨウ」と書いて行くにきまってんだから。そのうち、ためしてみらいいさ。僕は、自分が死んで、墓地に埋められて、墓石やなんかが建てられた場合でさえ、墓石の上に《ホールデン・コールフィールド》と名前が書かれ、それから生まれた年と死んだ年とが書きこまれた、そのすぐ下に《オマンコシヨウ》と書かれるんじゃないかと、思ってるんだ。いや、実は、書かれるものとあきらめているよ。

J・D サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』野崎孝訳 白水社 1985


こういう落書きって、あるよね。
特に日本人の落書き好きは有名で、大抵の観光地に、場違いな日本人の落書きがあったりする。
ところでこの「オマンコシヨウ」だけど、原文では「FUCK YOU」になってる。
ちょっとした意訳だね。pussyでもcuntでもないわけだ。
だけど「FUCK YOU!」じゃねぇ。
あまり、下品さが伝わらないと思う。
後年、この『ライ麦~』は新訳が出て、なんとあの村上春樹が訳しているんだけど、その村上版『キャッチャー・イン・ザ・ライ』での該当箇所をみてみよう。
キャッチャー・イン・ザ・ライペーパーバック・


でもそれから突然、いったい何が僕の目に入ったと思う? なんとまた「ファック・ユー」だ。壁のガラス部分ののすぐ下のところに赤いクレヨンみたいなものでそれは書かれていた。石の下に。
 こういうのがさ、すべてにおける問題なんだよ。君にはひっそりとした平和な場所をみつけることができない。だってそんなものはどこにもありゃしないんだからさ。きっとどこかにあるはずだと君は考えているかもしれない。でもそこに着いてみると、君がちょっと目を離したすきに誰かがこっそりとやってきて、君のすぐ鼻先に「ファック・ユー」なんて落書きしちゃうわけだよ。いちど試してみるといいよ。僕が死んじゃって、墓場なんかに詰め込まれちゃったとするね。墓石に「ホールデン・コールフィールド。何年に生まれて、何年に死にました」なんて刻まれてさ。でもそうなっても、そのすぐ下にはきっと「ファック・ユー」って書いてあるはずだ。賭けてもいいね。

J・D サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』村上春樹訳 白水社 2003


んー、やっぱり「ファック・ユー」だと感じが伝わんないなぁ。
もっとも、日本にある落書きは「オマンコシヨウ」でも「ファック・ユー」でもなく、
多分これ↓
安産マーク

一部、モザイク処理を入れてみたけど、字の落書きより、画の落書きの方があるような気がする。
そう言えば日本では、このての画の落書きは豊富だよね。
「相合い傘」とか「へのへのもへじ」とか。

アッシュベイビー 金原ひとみ 

  • [2006/06/24 17:35]

おっちゃんはこれでもかつては文学少年だったからね。
世界文学も結構、読んでいたし、純文学もたまには読む人なのよ。だから小説とかの感想も書こうと思えば書けるんだ。
わしのブログを差別した本屋の連中め!
意地になっていろんな本を取り上げて、どんどん書いていってやる!!
アッシュベイビー
とはいっても、いきなり、ロシア文学ってぇーのも気取りすぎな気もするから、この『アッシュベイビー』って本の話をするわな。
というのも、この小説は芥川賞をとった金原さんの受賞第一作なわけだけど、まあ淫語がいっぱい書いてある。
「マンコ・チンコ・アナル」が基本なんだけど、マンコの頻出量はハンパじゃないのね。
だからといって、別にイヤらしいわけじゃないから、それを読んで興奮してゴニョゴニョしましたってことにはならないんだけど、この「マンコ」っていう言葉がこの小説の雰囲気をよく表しているんだわぁ。
これ書く前に、この小説の感想を書いているサイトとか見てみたんだけど、このことをちゃんと指摘している人は少なかった。
なんか奥歯にモノがはさまった言い方でお茶を濁しているところがほとんど。
その点、このブログは普通にチンポマンコ書いているblogだし、そもそも本サイトの淫語AVマニュアルがその淫語について論評をしているサイトだからね。このことを言及するのにはもってこいのサイトなわけだ。
主人公はキャバ嬢で、そのコの恋愛話なんだけど、それがとにかくイカれている。村野っていう植物的な男性を好きになるんだけど、このアヤっていう主人公はとにかく始終「殺されたい」って言っている。そして好きで好きで堪らない村野に殺されたがっているのよ。でも「殺して」って言って、拒否られるのが怖いから代わりに「好きです」とのべつくまなしに言いまくる。まぁこの辺はカワイいんだけどね。
どうやら、世の中に対しても、自分に対しても、何も期待していないアヤは、殺されることで村野との距離を縮めようとしているみたいなんだな。
内容はそういう「意味なく生かされていること」への理不尽さを拒絶するお嬢さんのいらだちと、体はヤリマンなのに、心はもの凄く純情な乙女心を描写した作品なんだ。
まぁ、純文学だから、スジとしては、かなり、カッ飛んでいて、よくわからないって人も多いだろうけど、おっさんは面白く読めました。
救いがないから、感動のカタルシスは少ないけどね。
でも、この金原ひとみっていう作家の文章がもの凄くうまいんだなぁ。
あの流れるような言葉の畳み掛けはなかなかどうして、芥川賞をとるだけのことはあるお嬢さんだよ。
ただこの小説は父性が不在だねぇ。
最近の小説は「壊れてしまった家庭のこと」すら語ることがなくなってきてるのかね。

以下、気に入った文章ね。主人公がちょっと血迷って自分の太股にナイフを突き刺したあとの描写。

死ねやクソ、私はそう言うと果物ナイフを引き抜いた。勢い良く飛び出した血を顔面にくらって、私は面食らった。血を吐く傷口なんて、マンコみたいだ。嗚呼、マンコ誕生。なんて考えていたらベッドのシーツがどんどん赤くなっていった。ああ、いいね。とっても綺麗。この赤が私に流れていたなんて、想像出来ないよ。とっても綺麗だよ。私、血だけならこんなに綺麗なのに、どうして私はこんなに汚いんだろう。どうしてこんなに汚くてバカなんだろう。どうして私は数式が解けないのだろう。どうして私は古典が苦手なのだろう。どうして私は人の心が読めないのだろう。私を愛するモノなんて何にもないと知ってしまった時、食欲や物欲や情欲や私に関する全てのモノが私を裏切ったような気がする。最初から裏切られているのかもしれない。いや、裏切るも何も私は最初から誰にも求められていないし、誰からも求められてない。誰からも求められてないのかもしれないし、本当は誰からも求められていないのかもしれない。お願いだから誰か求めてよ。誰でもいいからさ。でもやっぱちょっとオヤジは勘弁だけど。でも誰でもいいよ。本当に誰でもいい。誰でもいい。求めてよ。お願いだから、大丈夫なの? って心配してよ。心配してよ。血を流す私を心配してよ。ナイフを突き刺す私を心配してよ。どんな心配でもいいから。どんな心配の仕方をしても構わないから。どんな言葉でもいいから、私にかけてよ。いいよ。わかったよ。もういいよ。精子でいいからかけてよ。私の顔面にぶっかけてよ。誰でもいいから誰か私を誰か愛してよ誰か愛してよ誰か求めてよ誰でもいいから。何も文句は言わないのよ。私が今まで文句を言ったことがある? あったなら悪かったわよ。ていうかあるわよ。私は文句しか言わないわよ。でも私はずっと求めてもらいたくて仕方なかったのよ。これからもきっとずっとどうしようもないのよ。そうよ私はどうしようもないの。どうしようもなく誰かを求めているのよ。とにかく私を愛して欲しいの。私以外の誰かを愛するなんておかしい。私以外の誰を愛すっていうの? 私以外に愛する人がいるとするなら神だけよ。神と私以外は絶対に愛す価値のない人間だから。涙を流してしまってとても醜い私だけど、言わせてもらう。もういい。私は愛してもらわなくていい。もう愛さないでちょうだい。ていうか愛すな。愛されるなんて私には荷が重すぎる。私なんて愛されるに値しない。私なんていらない人間だし。別に愛さなくていい。求めなくていい。何も求めないでいい。私の事なんか求めなくていい。ただ、ただ私にほんの少しでいいから興味を持ってちょうだい。私だけに、いや、私だけでなくていい。多くの興味を持つ事柄の中で私に、たった一ミリでもいいから、興味を持って欲しい。
………

金原ひとみ『アッシュベイビー』集英社2004年
長くなるんでこの辺でやめておくけど、こんなうまい文章が続くんですよ。なかなかの才能。

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