男は「包含」で女は「並列」ってことかな 

  • [2010/09/13 22:37]

上位概念・下位概念って言葉があるよね。
たとえば「人間」は「動物」の一種だから動物という括りの中に入る。この場合、「人間」は「動物」の「下位概念」という。逆に「動物」は「人間」の「上位概念」ってことになる。
数学の集合理論で言えば、「人間」は「動物」という集合の要素にすべて含まれるから「部分集合」ってことになる。

男と女は人間の中に含まれるからとうぜん「人」という集合体の中の「部分集合」、つまり下位概念になる。

でね。
さっき漫画家の田房永子さんがね。Twitterで。

モテ術先生にとって「女の勝利」は「プロポーズされる事」である。先生自身、数多の著名人からされてきたらしい。達成して自分の脳に快楽物質が出たところで関係を終わらせて次にいくプロポーズ中毒。これが女の一番の幸せ!って言われると否定できない

ってつぶやいていたのね。
この「モテ術先生」っていうのは最近、田房さんが興味を持って眺めている人なんだけど、まあその話自体はちょっとおいといて、「これが女の一番の幸せ!」ってのが妙に気になっちゃってね。
田房さんにこんな返信をしちゃったんですよ。

@tabusa ときどき思うんですけど「女としての幸せ」と「人としての幸せ」はイコールなんでしょうかね。

だってさぁ、「女」は「人」の下位概念なわけですよ。「人」の部分が幸せなら、「女」の部分が幸せじゃなくても最終的には幸せなんじゃないかと思うわけですね。
そう考えるのが論理的でしょ。
でも女性を見ているとどうもそうなってないんじゃないかと思うことがしょっちゅうあるんですよね。

んで、田房さんはこう返信してきました。

@ingo_ma 同じなような、同じじゃないような感じしますね どっちかを優先したら女としても人としてもしあわせに繋がった、みたいなことはありそう 何をしあわせって定義するかが人によってちがうからあれだけどー

先にことわっておくけれど、田房さんの意見が全女性の意見ではないし淫語魔の感覚だって男を代表していっているわけではないんですよ。そこはわかった上で、でも女の人ってこういうところがあるよなぁ、って思うわけなんです。

男もね。男にこだわるところがありますよ。モテたいと思っている男はいくらでもいるだろうし、EDで悩んでいる男性も少なくない。でもそれでも自分なんかは人として幸せならいいんじゃないかって思ったりするんですよ。
あまり欲張らずに勝負できそうなところをしぼってね。一人の人間ができることなんかたかが知れているわけだから、一つでも満足のいくものがあれば御の字じゃないかなんて思っていたりするわけですよ。
男の幸せがダメでも、社会的な成功で頑張るとか、趣味で生きるとか、いろいろあるわけです。それで「人として」満たされればいいやって感じにもっていく。

でもね。女の人はそうじゃないんじゃないか。
「人としての幸せ」の中の一要素として「女の幸せ」があるわけじゃない。
「人の幸せ」と「女の幸せ」は並列で、さらにこれに「母としての幸せ」とか、最近では「キャリア女性としての幸せ」みたいなものもあったりして、それらが「人としての幸せ」と包含関係にあるんじゃなくて全部横並びで、しかもその4つなら4つの重なった部分のところ(集合理論では「共通部分」もしくは「積集合」なんてよばれるところ)をさして、それを「本当の幸せ」なんて呼んでいるんじゃないかと思ったりしたんですよね。

そりゃ狭い。狭すぎる。いかにも狭き門ですよね。

まぁそんなことを思ったわけです。

あっそうそう。
田房永子さんですけどね。
彼女、ライター業もやっていて、「むだにびっくり」というものすごく面白い自主制作誌を作っています。
田房さんのブログのリンクを張っておくね。

むだにびっくり
http://mudani.seesaa.net/

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そのうちボヤキでもあらためて書くつもりだけど、田房さんの感性にはいつも裏の裏をかかされて脱帽する。1回読むと絶対に病みつきになりますよ。

今年の2月にはじめてお会いしてそれから読み始めたんだけど、そのとき以来いんごまクンはずっとファンなのですよ。