北川絵美 「女の口は嘘をつく。」 雌女anthology#040  

前に北川絵美ちゃんの雌女について、「SOD臭のする淫語」ってことを書いたんだけど、結局、何がSOD臭なのかよくわからんかった。
もうちょっと意識しながら見ていくことにしようと思う。
かすみ果穂ちゃんの淫語なんかも、もろSOD臭なんだよな。

って、思っていたら、今月、FLAGMAN監督がかすみ果穂ちゃんで撮っていたんだ。
主観じゃないのと、なによりSODだから、買うのためらってんだけど、レンタルとかすんのかなぁ。
最近、個人的には購買の優先順位が低いです、SODの新作は。

それで、今回の雌女なんだけど、いつもに比べてカメラアングルが高いということを書いた。
主観なのに、ものすごく距離感を感じるような作りだった。

んで、問い合わせてみたら、いつものカメラマンさんじゃなかったみたい。
そうなんだよね。
アウダースの主観って、監督さんもさることながら、カメラさんの力が大きいのよ。

何よりね。超接写が嬉しいのね。

旧来の主観はね、大抵、顔と局部ばかり撮るのよ。
そこそこオッパイがデカい場合は、乳とかも撮るんだけど、それもフレームに収まる程度で、それ以上の接写はあまりないのね。

でも雌女のカメラさんは、オッパイを撮るにしても目一杯撮るから、乳輪のブツブツや乳首のシワまで拝めちゃうのよ。
局部もね、「超-股間アングル」とか「マンコマニアック」の世界なのね。
裏のKOKESHIシリーズ並なのよ。

前回の「小池・熟雌女」なんかはね。夏場に撮ったせいか、小池絵美子さんが汗だくの絡みを見せてくれるんだけど、その汗の流れる様を撮っていたのね。
肩から二の腕に汗がツツーッって流れていて、そこをちゃんと収めてくれていたのよ。

そもそも自分がAVのヘビーユーザーになるきっかけになった「結婚相談所」も、今井つかさちゃんが汗をかきまくっていてね。
その様子を実にうまく撮っていたのよ。
お尻やオッパイについてる汗の粒が、画面いっぱいに映し出されていて、それを終始、ローアングルで撮っている。

この撮り方は、裏や薄消しばかり見ていた人間からするとかなり強烈だったわけ。
それまで、フェチ系の作品は見てなかったっていうのもあるのかもしれないけどね。

だからFLAGMAN監督の主観の撮り方と似ている感じの雌女のカメラワークは大好きなんだね。
このローアングルからの眺めで、淫語を言われちゃうと、ものすごく身近に淫語を感じちゃうんだな。

そもそもさ。主観ていうのは、視姦ビデオなのよ。

たとえば、男が女とつきあうとするよね。
体の関係になってイチャイチャするようになる。
そうやっているうちに、男って女の体をいろいろ観察しはじめたりするよね。

「耳の形はこうだったんだ」とか。
「下腹、結構、ポコンとでてんなぁ」とか。
手のひらをプニプニいじってみたり、肩胛骨をなでてみたり。

特に、何フェチとか言うんじゃなくて、女の人の体を何気なく観察してるもんだと思うんだ。
SEXの時なんかもね。
フェラの時の全体の表情ばかりでなく、唇の出し方とか、舌の形とかね、結構見ているもんなんだよね。何気なく無意識に。
それで彼女の何かを感じ取っていたりするもんなんだと思うのね。

主観で、感情移入が出来るかどうかは、そういう何気ない視姦ショットをどんだけ埋め込めるかだと思うんよ。
でも、これを意識して作っている主観作品ってね、まだまだ少ないのよね。

勘違いしてもらいたくないのはね。主観って決して受け身なわけじゃないのよ。
男が、どこを見ているかが、こちらからの最大の発信なわけ。

そんで、好きな男がどこを見ているかは、女の人はよくわかっているもんなのよ。
女の人って、男の視線を感じる生き物なんだと思う。
「どこ見てんのよ!」って青木さやかのギャグでもあるじゃない。

だから、自分の好きな「痴女・主観もの」って、この間、紹介した二村監督の「女優さん側の一方的なチンポを使ってのパフォーマンス」なんかじゃ決してないと思っているのね。
その認識は、遅れていると思う。

優れた主観痴女ものは、カメラという男の視線からボールを投げられて、それに女が応える作りになっているものだと思う。
そこにオスとメスのつながりがあることを表現しているんだと思う。

そう、見つめることが男の愛なのよ。

だから、主観でのカメラワークはもっともっと責めて欲しい。ねちっこくやって欲しい。主観でカメラで、見つめることで、女体を賛美して欲しい。FLAG監督がお尻は裏切らないって言っているように。

実は、主観については、まだまだ思っていることがあるんだけど、それはまた別の機会に。

コメント

ほぼ

全面同意します。
主観モノはキャッチボールでないと成立しないと
いうのはホントそうだと思うんですよ。
だからテクニックとある種のフェティッシュがいる。
ハメ撮りならカメラ=目線=相手だから女優さんも
気持ちは入りやすいでしょう。
そこを第三者のカメラが代弁しようとするわけだから、
カメラさん、Dさんともにそこに介在する空気、感情
(劣情)を把握していないと撮れない。
それは女優さんも一緒で、いくら演技が上手でもその
両者の空気から遠いところで演技してしまうと、見る
方は放り出されてしまう。小川流果さんの件はこの辺
が理由じゃないかと思います。

小泉キラリちゃんは、カメラの向こうの俺らに向かって
言葉を投げてたような気がします。
それ故、あのちょっと硬い芝居であっても俺らに届く。
鼻の頭にいっぱい汗かいて、閉じそうになる目を
開けながら俺らに語りかけてくる。
だから響いてくる。

二村さんはきっと、ヒエラルキー(主導権)でしか
セックスを見てないんじゃないかな。
だからパフォーマンス発言が出てくるんじゃないかと。
あたかもペニスを有することが主導権につながるかの
ようなペニバンやふたなりに傾斜している最近を見ると
そんな風に思います。

長文失礼しました。

なるほど、二村監督のペニバン・ふたなりはチンコへの思いなんですね。
たびたびご自身が表明している、勃ちが悪くなった竿師としてのコンプレックスがそこにはあるんでしょうかね。

それと「ハメ撮り」の延長線上に「主観」をとらえている作り手がまだまだ多いですよね。
自分はうまい人のものなら、ハメ撮りも嫌いではないですけど、主観とはやはり違いますね。
かつて主観といえばドリチケでしたけど、そのドリチケはその辺の区別がいまだ曖昧だと思う。

いずれにしろ、主観や淫語ものはまだまだ未開拓の部分があると思っています。
そういう意味では、まだ完璧だと思えるものには出会っていません。そういうのが見てみたいです。心から。

チンコ

北川絵美がSODの作品で、チンコが一番恥ずかしいと
言ってたような。
だからこの作品も多いんですかね(って関係ないか)
チンコって需要あるんですかねえ。ちょい疑問。

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