上野千鶴子が好きだった。 

うーんと、前回のレビューがあまりにも精魂こめて書いたもんだから、まだその火照りが残ってしまって、さすがに次の作品に取りかかれない。
でもいい加減これではまずいので、明日こそ七海菜々ちゃんの「雌女」のデータを作らなきゃと思うとります。

この七海さんの雌女は、七海さんの性格のいいところがよくでていてなかなかいいんだよね。
作品的には、まぁいろいろないわけでもないんだけど、でも七海菜々さんはいかにも「気立てのいいお嬢さん」って感じで、今回のオフショット映像を見てたら、なんか惚れそうになっちゃった。
インタビュアーがとっても羨ましい。
自分もインタビュアーになっていろいろ質問してぇーぞ!

質問するって結局さぁ。
何を聞くかということよりも、相手に質問をぶつけてどういう反応を引き出すかってことの方が大事なんだと思った。
ただ質問すりゃあいいってもんじゃない。興味のあることを聞いて情報を引き出すだけだったら、こどもでも出来るからねぇ。

ということで、土曜日に七海さんの雌女をアップします。

それとこのブログでは、代々忠の本の紹介をしつつ、「なぜ淫語はいやらしいのか」考察していこうと思ってたんだけど、「名前のない女たち」のレビューで、上野千鶴子のエッセイを引用していたら、どうしても上野千鶴子の話がしたくなったので、まず上野千鶴子の「おまんこ」エッセイを紹介することにする。

当時、あれだけ騒がれたエッセイだったのに、ネットで検索してみると、今では断片的な伝わり方しかされてないようだ。
それも淋しいなぁってことで次回は上野さんの「おまんこがいっぱい」というエッセイを。
88年当時の文章なのに「おまんこ」とか「チンポの毛」とか、そう言う単語がいっぱいでてきます。

自分は学生時代、間違いなくこの人のモノの見方に影響された。
で、今回、久しぶりに彼女の本を読んでいたら、なんだかんだいって、共感するところが多い。つまり彼女の感覚は結構、自分の中で血肉化して残っているようである。しかも淫語が好きだってところまで。

もちろん、この当時、まだ「淫語」という言葉はなかった。
代々忠がやっと「言葉プレイ」なんて言い方をしてたぐらい。

そんなこんなで、ここしばらくは本の紹介だね、この「ボヤキの小窓」は。
しかも古本ばかり。

本当は松嶋侑里さんか三咲まおさんの癒らしもやるつもりではいたんだけど、どうなるかわからない。
やっぱりここは淫語考察がメインだからさ。

淫語の数を数えてなんぼのサイトなのよ。
淫語の呪縛にかかった男の検証サイトでもあるのよ。

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