夢は枯野をかけ廻る 

昼間、自分のサイトを見回していたんだけど、やっぱりトップページをなんとかしなきゃならんと思って、今、頭をひねっているところ。
やっぱり、あそこが重要なところだからさ。あのページをブックマークしている人は多いし。

まず一番、気になるのは最新の作品データ情報をサイドに置いていること。
実際はこのデータこそメインなんだから、これは真ん中上に配置するべきだろう。
最新データの次にアクセス数が多い「淫語別リスト」ページとの兼ね合いも考えないといけない。

それと、「シリーズ別一覧」もそろそろやりたいんだけど、その前に「サイト内検索」をできるようにするのが先かなぁって思っている。なんだかんだ言って、淫語検索してマニュアルに来る人が多いんだよね。
そうなるとcgiを使ってやるってことになるんだけど、これがまた全文検索にするか、インデックス検索にするかで悩むんだな。

全文検索っていうのは、設置したまま放置するだけなんで楽なんだけど、サーバに負荷がかかるんだねぇ。これが一体、どれぐらいかかるかわからないし、全文だから結果が表示されるのに多少時間も喰う。
その点、インデックス検索はあらかじめインデックスを作っておくわけだから、高速でサーバ負荷も問題ないんだけど、いちいちインデックスを作らないといけないというのがねぇ、面倒。まぁ、徐々にやっていけばいいんだけどさ。

借りてるわいにじさんに聞くことにしよう。

ああ、なんかいろいろストレスがたまっているせいか、旅がしたくなっちゃったよ。

淫語マニュアルのデータをつくるのもさ。淫語の言い方こそメインなんだから、まず早回しで見ることができない。そんなことして聞いてたら、作っている人たちに失礼だしね。
そうやってとりあえず一通り見て、全体の雰囲気をつかんだり、目星をつけておく。

それから、いよいよ淫語カウントとセリフの抜き出しが始まる。女優さんによっては「おちんぽ」をはっきり口にせず、「ぉちんぽ」と最初の「お」をかるく言っている人もいる。これはこれで興奮する言い方なんだけど、聞き取ろうと思うと結構ツラい。場合によっては、ちょっと遅めにして何度も確認することがある。

あと、基本的にはエロいものを見ているわけだからね。途中で辛抱たまんなくなってシコシコしちゃったりする。そりゃもよおすでしょ。
それを評して、淫声のクモさんが修行僧のようだ書いてくれているけど、自分もこれは何かの苦行、荒行かと思うときがある。
そんでなんだかんだいって、結局、収録時間の2.5倍ぐらいかかっちゃう。1日では無理でしょう。小分けにしないと精神が 持たない。

今度の吉沢明歩の淫語モノなんて、155分、2時間半。その2.5倍だから5時間~6時間ぐらいかかるってことだ。
一本の作品をそんだけ真剣に見ている人間ってそういないんじゃないかなぁ。

最近、また長尺が増えたんだよなぁ。
2枚組480分とかさ。8時間ですよ。ってことは、正味20時間かかる。

ぜってぇ、やらねぇー。

まぁ、実を言うと「エロスの王宮」は、結果としてそれ以上かかっていた。
女優さんの声が被ったりして、いつも以上に何度も聞き返したからね。あれを淫語カウントしているとき、途中で意識が飛んだからなぁ。
結局、淫語カウントは断念したけど。

その時のボヤキ→「エロスの野望」
http://ingoma.blog.2nt.com/blog-entry-144.html

ときどき自分が一体なにしてんだか、不思議に思うことがあるよ。

風
最近、突然旅に出たくなるのは、そういうこともあるんだろうな。
ちょっと呪縛にかかっている気がする。まさに自縄自縛だけど。
明らかに言えることは、このサイト運営は自分のストレス解消にはなんら貢献していないってこと。

じゃぁ、なんでやってんだろう?
この労力の意味はなんだ?

その答えは風に吹かれてる。
…なんてわけねぇーよなぁ。

コメント

旅に病んで

松尾芭蕉になりたい。
西行になりたい。

と、思います。

行き行きて 倒れ伏すとも 萩の原

そういう人生もいいですよね。
私もあこがれますよ。

時々、思うのですが、藩金蓮さんって前世は「桂女」とか「白拍子」のような女性だったのかもしれませんねぇ。

そうそう忘れてた。

「白拍子」は決して、身分が低かったわけではないですよ。
天皇の直属民として武士階級と同じぐらいだという学者もいます。
「白拍子」が低く見られるようになるのは、室町後期ぐらいかなぁ。

以前、お書きになった静御前の八幡宮の舞の話はよかった。
あの話は司馬遼太郎も好きだと言ってましたね。

あと元三大師といえば、深大寺の自刻像です。
今でも朝の十時ぐらいかなぁ。信者さんたちが般若心経を唱えにやってきますね。

しずやしずしずのおだまきくりかえし

「桂女」、「白拍子」だなんで光栄ですっ。
 多分、私は貴族の女とかじゃないですね。優雅に歌うたってなよなよと恋に嘆き悲しむ日常を送ってはいないと思います。

 静御前は、当時の京都の「芸能」のネットワークを使って、義経の為に間諜活動もしていたと鞍馬山に行った時に知りました。
 静の晩年は諸説あるのですが、淡路島に伝わる話では、静は義経亡き跡に、髪をおろし「再生尼」と名乗りオノコロ島で没したとか。

 この「再生尼」説が、どうも気になってるんですね。愛する男を失った女が、何を想って「再生」と言う名を名乗ったのかということが

 元三大師には比叡山で一目惚れしました。
 比叡山は普段は、東塔の根本中堂しか行かないのですが、たまたま西塔や横川に行く機会があって。
 比叡山の観光地化されてない地域は、本当に荘厳で良かったです。

むかしをいまになしよしもがな

その「再生尼」という名前の話ははじめて聞きますね。
ネットでも調べてみましたけど、やっぱりない。
いつものことですがネットにころがってる情報というのは、本当に知りたいことはいつもなかったりする。より深く知ろうとするとやはり書籍か、その土地、土地を訪ねてみなければわからない。

なぜ「再生」なんでしょうね。
確かにおもしろい。

しかし、今もネットで調べてみてあらためて思ったんですけど、どうしてこうも義経や静御前の伝説はいろいろあるんでしょうね。あちらこちらにある。

義経に陰のネットワークがあるのはよく指摘されることですが、義経伝説は彼ら陰のものたちが作ったんでしょうかね。頼朝がやたら悪者になっているのも、いくら判官贔屓だからといっておかしい気がします。義経と将門の評判の差を見るとき、義経やそれにまつわる話を全国的に宣伝して廻る動きがあったんでしょうかね。
いわゆるのちにサンカと呼ばれる人たち、犬神人、山伏、唱門師や、白拍子、桂女、大原女などのネットワークは、歴史上敗者となった義経を英雄にまつりあげて名声の上で勝利者に押し上げた。そうやって彼らなりに義経の仇を討つ。
「判官贔屓」というのは、その時日本人に植え付けられた美的感覚なのかもしれません。

なんてね、ちょっと京極夏彦が入っちゃってますね。

すいません

 「再生尼」ではなく、「再性尼」でした!
 しかし、「再性」というのも、意味深な気がします。

 判官贔屓も、秀頼薩摩逃亡説も、西の人間が考え出したものかもしれませんね。都を捨てた頼朝、家康を悪者にする為に。

 もうすぐ京都の六波羅、六道の辻付近で、六道まいりがあります。
 高台寺の百鬼夜行も面白いです。

今度はHitしました

再性尼ですか。
ますますわかりませんね。
まず「再性」という言葉の意味が理解できない。

仏法用語での「性」は「相」の対になったりしていて、「相」が流転するものなら、「性」は不変なものをあらわす。その「性」に「再」という動きのある字を頭につける。
んーーー。
「再生」であれば、亡き恋人・義経の生につづく生という意味合いでも読めますけど、「性」だと皆目見当がつきません。

実は「再生」とつけると露骨だから「再性」にしたとか。
その言い換えはあるかもしれないなぁ。

そういえば

律僧に忍性っていう有名人がいましたね。
あれは「忍」の性ということでしょうか。
仏法では「忍」とは修行の障りとなるものとの戦いを表しますよね。
六波羅蜜なら「忍辱」行だし、「安忍」という修行の境位もあります。
仏のことを「能忍」と言いますしね。

要するに、この「再」の方に意味があるんでしょうね。
人間のなかにある「再」の力を見つめようとしたのか。
それを常に感じていたいと願ったか。

そこに万感の思いが込められている。

もう一つ

もし「再生」なら「再生敗種」という法理が法華思想にはありますね。
「腐敗した種が、再び生じる」って言う意味です。
つまり「腐ってもう芽を出すことはないはずの種も、法華の力で華や実をつけさせることができる」という意味です。
この「敗種」の中には罪深いとされた女人などが含まれています。
ネタ元は中国天台宗の湛然です。

こっちの方なら、まだわかったんですけどね。

あっ、それとも「再生敗種」の性という意味かなぁ。
どうも「白拍子」という言葉も、「白蓮華」をイメージして法華思想と関係しているのかなぁって思ってしまうのですよ。

それなら、かなり合点がいく。

お話をぶった斬る形になり

相済みません。
いえ、平安~室町期はどうにもヨワいもので・・・

小生もonaモノ愛好板にレビュを時々上げている者なのですが
淫語魔さんのご労苦は(その何分の1かは)非常に良く分かります。

わたくしの場合、今日みたいな出かける気にもならず、ぼーっとしてる休日に
「がばッ」と昼寝orテレビ前カウチから跳ね起きて
「そだ、こないだのレビュでもやるか」と、なるわけですね。

その板で極端な淫語属性者(台詞がpriorityトップ)は小生くらいのもの。
従って「セリフ起こし」は必ずしも必須の作業では無いのですが
これも性(さが)+業みたいなもので、どうしても避けて通れない。
・・・淫語魔さんなら、きっと分かって戴けましょう(哀)

ほか板テンプレ指定の
「method & tools & イき回数カウント・紹介」も必要ですから、
やると覚悟した時点で数時間はかかりきり必至になります。
(愚痴ってるわけではありませんけど)
で、ヘッドホンに集中しながら「え?今ナニ云った?」などとレビュボタン。
「そうかそうか、もっと観てぇ、つったのか」
パチパチパチ・・あ!タイプミス!
そこへ続けさまに浴びせかけられると、
情けないかなキーボードは確実に付いて行けなくなります。

ようやく打ち終わった画面を読む。
「○リが硬くなってきちゃった」「中がコスれてるの」
「ぁぁおっきい(Dildoです)」
・・・しっかし、大半が演出に決まってるのに(onaモノに痴悦系はさらに希少です)
なんでこんなのに燃えてしまうのか・・理屈じゃないんだよなぁ・・自問自答。
でもディスプレイに並ぶ文字列をあらためて眺めてると、
フト我に返ることって確かにありますね。

>ときどき自分が一体なにしてんだか、不思議に思うことがあるよ。
>この労力の意味はなんだ?

まさにコレですね。
単細胞動物たる小生は「結局<好き>っつーことなんだよな」で片付けてますが、
ナニが<好き>かを強いて言いますと、佳かった映像をもう一度じっくり追体験、
起こした文字を読むことで更に「自分に響いたコトバ」を反芻する楽しさ、とでも?

淫語魔さん、少なくともここに一人熱烈な愛読者(総評&ブログ)、
また、自らのレビュ(書き方)の絶大なる参考にさせて戴いて居る者がいることを
願わくば、その<意味>の一つに付け加えてやって下さい。

**********

え~、最後にくだらない悩みを。
これやってしまうと、もうその映像は「お腹いっぱい」になりません?
何度も楽しめた(筈の)「おかず寿命」を一気に消費してしまう哀しさ、とでも??

こころなき身にもあはれは知られけり しぎ立つさはの秋のゆふぐれ
(本文には関係ありません)

ありますあります

なかなか代々忠の本の話ができなくて申し訳ございません。
「淫語」に関しての理論武装は、代々忠以外についても考えています。団鬼六とか、それと江戸時代の文章もいくつか拾い上げてみようと思って、今、いろいろ読んでいるところです。
その前に上野さんの話にも決着をつけておかないといけません。

>これやってしまうと、もうその映像は「お腹いっぱい」になりません?

見なくなりますね。
でも魅力的な作品は、しばらくしたらまた見始めたりします。
しかもそれが意外にも、その時点では評価が今ひとつだったものだったりします。

それと何回か見ている女優さんのデータを抽出しているとき、どうもパフォーマンス的にもうひとつだった場合、我慢ができなくなって途中で見るのを中断し、その女優さんの気に入ったシーンが入ってるDVDと入れ替え、そのままゴニョゴニョしてしまうことがあります。
そうすると、その日はもう無理ですね。

あとは、自分のモチベーションがどこまで続くのかってことだけが心配です。
最近、この世界の人たちとは、あんまり近づき過ぎてもいけないのかなぁって、思い始めていたりします。

白拍子と再性尼

 再性尼、ますます謎ですね。
 おそらくどの名にも何らかの意味があると思うのですが。

 再性尼の話は、淡路島の「静の里」というところに伝わる話なんですけど、仕事で行く機会があれば、調べたいです。地元の図書館などなら、結構資料残ってたりしますしね。

白拍子の恰好

ふつう白い色は男を、赤い色は女をあらしわます。
赤白二(せきびゃくにたい)なんて言い方をしますね。
白拍子は赤い服の上に白を身にまとう。そこには変成男子の思想も入っているかもしれません。

ちなみに古代インドでは白蓮は太陽を、紅蓮は大地をあらわします。彼の地では天は白く、大地は赤土だからでしょうか?
インドの大地母神的な神、ラクシュミーも紅蓮で表されたりします。
そういえば、観音様も大地母神が仏教に取り入れられたものと考えられていますよね。女性的だけどヘンなヒゲが生えている。

藩金蓮さんのところの写真が紅蓮なので、白蓮じゃなく紅蓮なのがちょっと象徴的だなぁと思っていました。まっ、私が勝手に思っていることなんですけどね。

昨日の日記もよかったですね。

>人は独りで生きていけないのではなくて、独りで生きちゃいけないのだと、思いました。

菩薩はただ単に「菩薩」を名乗っているから菩薩なのではありません。人の中に生きようと誓いを立てるから菩薩なんですよね。菩薩だって歯を食いしばって菩薩をやっていると思いますよ。
お釈迦さんの本生譚なんか読んでいるとかなり苦労してるもんなぁ。

赤蓮

 あの蓮は、法金剛院の蓮なのですが、ま、ただ単に赤の方が映えるからなんですけれどもね。
 インドの女神で言うと、私のバイブルの一冊が団鬼六の「米長邦雄の運と謎」なのですが、そこに描かれている勝利の女神、ドゥルガーの話は常日頃から自分に言い聞かせているんですね。シヴァ神の妻だったかな、、

インドの神々はおもしろい。

ドゥルガーですか。またスゴい神様を出してきましたねぇ。
確かに強力な女神です。分身のカーリーにいたっては手には生首を持ち、舌を出しつつ、旦那のシヴァを踏みつけていますからね。
なぜこの様な神がいるのか、実に興味深い。

生まれつき、戦わなければ生きていけない人たちがいる。
戦いをやめることは、人間の尊厳を失うこと。
そっか、団鬼六さんは将棋が好きでしたから、そのような本も書かれているんですね。団鬼六のファンなら読んでいて不思議じゃないのか。
私も、今度読んでみますね。

私の住んでいるところは、ハス研究で有名な博士がいたおかげで、キレイなハスの咲いている池が点在してたりします。さっき近くにある蓮池に行ってみたんですけど、もう盛りは過ぎて、紅蓮がちらほらあるだけでした。

そういえば鶴岡八幡宮にもワキにある源平池に、この時期、白蓮と紅蓮が咲きますね。
静御前が舞ったのは旧暦の4月8日。
その時分はまだハスは咲いていなかったのかなぁ。

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