男のコ描写なら吉田秋生の方がはるかに優れている。 

「ハリー・ポッターシリーズ」を読み進めていったら、途中からどうもこのハリーって少年を好きになれなくなって読むペースが落ちてしまった。

なんでこの子は自分にまつわることにしか興味がないんだろう?

この時期の男の子って、もっとモノにこだわったり、ヘンテコなことに忠誠を立てたりして、自ら望んでストイックだったりするはずなんだけど、このハリーって子はどうもそういうのが見あたらない。
彼の関心事はいつも自分を中心にした世界ばかり。
しかもすぐ群れたがる。確かに男のコにとって仲間は大事だが、もっと関係はドライだ。ここまで相手に対してどん欲な男のコはそうそういないと思う。
よく言えば人に対する愛情が深い。でも普通はここまで強く自分への愛情を求めたりしない。
これがハリーだけなら特殊な家庭環境に育ったということで納得もできるが、ハリーの親友のロンもそのあたりは似ていて、読んでいて少し気持ち悪い。

もしも現実にこういう男のコが目の前にいたら、淫語魔少年はまず敬遠するだろう。
あるいはもし自分がこの子の父親だったら、このままではマズいとキャンプにでも連れて行って、夜空にまたたく星を背景に、男のロマンについて語り込んじゃうかもしれない。
読んでいてムカムカして、何度、ハリー君に説教たれたくなったか。

ってそんなことを思いながら、つっかえつっかえ読んでいたんだけど、ようやくあることに気がついた。
この作者のローリングって、女性なんだね。この人、男のコってものがよくわかってないんじゃないだろうか?
思春期の男のコと女のコは全然違う生き物だ。そんなのは少年マンガと少女マンガを読み較べれば明らかなこと。
ところがローリングはそれがちゃんと書き分けられていない。
実際、自分が気持ち悪く感じだしたのは上下巻が出始めた第4巻以降。3巻目ぐらいまでは話もコンパクトで、あまり引っかかるところもなくさくさく読めた。でも4巻目あたりからやたらいろんなことを書き込むようになり、あまり気にならなかった傷が目立つようになった。
ローリングの男のコに対する認識はかなりお粗末だと思う。

ハリー・ポッターが女の子だったらまったく違和感がなかったろう。
自分の知っている思春期の女のコたちもこんな風に激しく心が動きまくっている。
でもハリーは女のコじゃない。男のコなのに中身が女のコだから気持ち悪く感じてしまうんだ。

最近、春先にちょっとだけ親しくなった高校生の子たちから、またもやクラブの合宿チラシの手伝いを頼まれたんだけど、5年ぐらい前に買ったプリンタがいよいよぶっ壊れてしまったので、新しいのに買い換えた。
キヤノンのMP610

先週の日曜日に買ってきたんだけど、いやぁ時代は進歩しているね。
打ち出しは早いは、5色インクなのにやたらキレイだわ。
子どもたちの評判もいい。

ただ春にも感じたけど、この子たちと長くつきあうのはホント疲れるわ。
思春期のコたちを野放し状態にして一緒にいるとヘンな風にテンションが上がるので、どうも寝つきが悪い。クラシックを聞いて気持ちを落ち着けたり、ちょっと酒を引っかけてから寝たりしてみた。
自分にはガッコのセンセとか無理だ。酒浸りになるかもしれん。

それでふと思った。
自分がこれぐらいの女のコを主人公にして物語を書いたとしたら、女性が読んでも違和感のないものが書けるだろうか? 果たしてどこまで現実味のある心理描写ができるものなのか?
表面上をなぞることはできると思う。でも心の奥に深く分け入って、あの目まぐるしく揺れ動く女のコ特有の自意識を表現するのは至難の業のような気がする。
結局、少し距離をとった視点で書くことになるだろう。

創作において距離感というのはとても大事だ。
それは映像でも一緒のはず。

さて、ようやくハリー・ポッターも読み終えたので今日こそ更新作業をするつもり。
データはほぼ取り終えているから、あとは作るだけだ。
それと質のいい関西淫語作品も見つけたよ。懐かしい感じのするデートものだけど。

今月こそはペースを上げたいね。

コメント

本来

文字通り女子供が読む作品が思いのほか想定外の人達にも売れちゃって色気だしてツギハギだらけになちゃったのかもしれませんね。
娯楽の種類も江戸の時代から大衆文化の日本と貴族文化のエゲレスと子供の捉え方も違うのかも。

ディケンズとかは好きでしたね。

イギリスには『宝島』や『フランダースの犬』など、素晴らしい児童文学がいっぱいあります。
ディケンズの『大いなる遺産』とかは一時期、愛読書でした。『ハリー・ポッター』の第1巻はその『大いなる遺産』のピップ少年と少しかぶるような感じがしてよかったんですけどねぇ。

まぁ、でもこういうのは日本の作家でもよくあることです。
昔、『男流文学論』って本が男性の描く女性のおかしさを指摘して、面白がられていましたけど、それは女性の描く男性でも言えることです。
初期の頃はそうでもないのに、下手に売れて多忙になるとひどいのを書いてきたりする場合がありますね。ローリングもその口かもしれません。
児童文学として見た場合、筋立ては悪くないんですけどね。
長いのはリスクが伴うってことかな。

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