YOGA(HMJM) レビュー  

ある時、セックスをしながら孤独を感じている自分を発見した。
たがいに肌を合わせ、そのぬくもりを感じながらも、心のどこかに風が吹いていて、どこまでいっても一人であるという寂寥感。
それは決して耐えられない寂しさではないが、注射針を刺すほどの痛みはあるかもしれない。

カンパニー松尾の作品を見るとそんな痛みを思いだす。
だからといって、決して熱のないカラミをしているわけではない。むしろその逆だ。
カンパニー松尾が誘い、女はその空気に侵されて発情し、言葉責めにあってさらに乱れる。いつしか男の肉を求め、四肢を絡みつかせ、深く迎え入れ、激しく腰を振る。
松尾だってこんなにガツガツこられたら気持ちよくないはずがない。

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それでもどこからか風が吹く。
女は気づいているのだろうか?
ただ話を聞いて受け入れるだけの存在。カンパニー松尾の孤独。
それを、女は心地よいと思うのだろうか? 優しくされたと感じるのだろうか?
それこそが、カンパニー松尾は誰も愛していないという証拠なのに。

yoga000.jpg その松尾作品にあって、この「YOGA」という作品はさらに異質だ。
まずタイトルに「女の名前」も「エロキーワード」も入っていない。
「ヨガインストラクターの女 あすか」や「ヨガの先生をしている愛人を紹介します」ではなく、ただ「YOGA」なのだ。

パッケージ写真もキレイではあるが無機質である。男の劣情をそそる要素は皆無と言っていい。
いつものHMJM作品なら淫臭のにじみ出るスティールを使い、それに見合ったタイトルをつける。でも「YOGA」はあえてこのパッケージにしているようだ。
これでは「今夜のおかず」を探している者になかなか見向きはされないだろう。
だがそんなこともじゅうぶん織り込み済みなのだ。

①全裸の女性。ゆっくりとYOGAをはじめる。
静寂な音から猿の声。シタールだろうか弦楽器の音楽が奏でられ、
「YOGAを見て、美しいと思った」
「YOGAとは生き方、と彼女は言った」
と文字が入る。

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まず藤咲飛鳥に「YOGA」について語らせる。
その後今回の旅の目的が明かにされる。

「ヨーガって心と体をつなぐ、結ぶって意味なんですよぉ」
「だから生活とか、いきもの全部がヨーガなんですよぉ」
「その中のぉ、私たちの知っているヨーガはぁ、一般の人が知っているヨーガはぁ、そのぉ、アーサナって言う、ポーズ、安定したポーズ、のことを言うんですよ」
「安定したポーズ、アーサナをやったのは、やり始めたのは2年前。そのぉヨーガぁにぃ…、そう19ぅーとかぁ、10年以上ぉ前…」

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彼女は1月、ヨーガのインストラクターになるため南インドに1ヶ月滞在した
ヨーガの話を聞いた僕はもともとインドに興味があったこともあり
「ヨーガの聖地に行かないか」と彼女を誘ってこの旅がはじまった

②インド・デリーの空港に降り立つ。風景。宿につき、荷物を解く。そのあと食事へ。
その間、テロップには旅する上での注意などが入って、ちょっとしたインドの旅行ガイドになっている。

③ホテルのレストランでようやく女性の生い立ちなどを聞く。
家が厳しかったこと。イイ子で育ったこと。有名4大を首席で卒業したこと。家計が傾き大学院をあきらめたこと。就職難。母親が苦手でうまくやっていけないので実家にはもどりたくない。東京に残って最初は葬儀専門の司会業をやっていた。何気なくはじめたヌードグラビアからAVに転身。

そこへカレーの到着。
テンションのあがるカンパニー松尾。

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この作品は女がYOGAの聖地を訪ねる旅であると同時に、大のカレー好きである松尾が本場のインドカレーを食してまわる旅でもある。
「YOGAとは生き方」なのだから、食事もまたYOGAなのだ。
もちろんセックスも。

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④2日目の朝 インドでの最初のセックス。ホテルのベッドで。
⑤カンパニー松尾、YOGAをならう。
⑥昼 オールドデリーで創業90年のチキンカレーとバターチキン。
⑦もどって昼のセックス。YOGAの最中に。
⑧夜 カレー(ターリー)
⑨3日目の朝、電車などを乗り継ぎハルドワールへ。聖河ガンガー(カンジス河)→YOGAの聖地 リシュケーシュ。
⑩夜 カレー(ビニヤーニ)
⑪インタビュー。藤咲飛鳥からYOGAにはまるきっかけを聞く。
20歳の時に精神世界への興味からしだいにヨーガにいきつき、今まで「イジメ DV うつ 引きこもり 摂食障害 友人の自殺 依存傾向が強い」といった困難を抱えていたが、YOGAのおかげで今はすごく安定しているという。
⑫4日目 昼 カレー →寺院→藤咲はアーシュラムで受講 松尾は街を散策
⑬5日目 ガンガー河畔で太陽礼拝→そのあと2人で沐浴をためしてみる。
⑭昼 カレー(ミールス)
⑮夜 カレー(ドーサ)
⑯6日目 デリーに戻りホテルでYOGA→セックス。
⑰そして7日目 帰郷。
どこかアンニュイな音楽をバックに電車の車窓から撮ったインドの風景を流す。
そして最後に寂しげな松尾自身を鏡に映しての自分の眼の映像。

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内容は面白かった。
当たり前のように往来を野良牛が歩いているインド。猿がいて、犬がいて、ゆったりとした河があり、そこに香辛料のきいたカレーと、雑多だがなんでも呑み込んでしまいそうなインドの町並み。
ところどころ紹介されるインド事情やヨーガにまつわる話もよかった。
藤咲飛鳥はヨーガで鍛えられたカラダが見事だ。目つきもいやらしく、最後のセックスなどは「ヨーガだけしてて、溜まっちゃって」と松尾に挑みかかった。

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しかしこの作品はいつも以上に松尾が孤独である。話が進むにつれてどんどん孤独になっていく。
実際、旅の途中から「ひとりでゆっくりしたかった」「いつかまた、来たいと思った。その時はひとりで」とテロップで吐露する。
小窓を開いて吸うタバコ。何度も映し込まれる部屋の天井扇。風を使った演出もよりいっそう寂しさを浮き彫りにしていた。

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そして話はここで終わらない。
あまりにも長すぎる車窓シーン(約5分)があったので、もう終わったつもりでいたのだが、まだ画が残っていた。
さかのぼって藤咲飛鳥のインタビューシーンが流れる。

⑱3日目の夜 ⑪の未収録部分。松尾は藤咲に将来の夢を訊く。
「結婚」、結婚してもしなくても「仕事」、最終的に「社会的に貢献したい」というのがあって「親と一緒に住めない子どもを受け入れて一緒に家族として育てていきたい」
そのためにはリッチで、夫婦関係がよくないと(里親の)認定がされない。

問題は次。自分がもっとも気になったところ。

⑲1日目の夜の③の食事風景にもどる。
インタビューの途中で彼女の頼んだベジタブルスープがやってくる。
だが来たのは野菜スープとは言えないものだった。
来た段階で「あたし、これイヤだ」と言う。
そしてインタビューが再開。
しかしまたインタビュー中、唐突に彼女が不平を言い出す。

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藤咲
私はこれが気に入らない!
松尾
あっはいはい、それにいっちゃってるんですね、神経が(笑い)。気に入らないっていたって、しょうがないじゃないですか?
藤咲
んだ、ベジのなんだ! ってってぇ…
松尾
んっ、ボーイ呼びます?
藤咲
(少し声の調子を落ち着けて)あのぉー、まぁこれでも大丈夫って範囲だったらいいんですけど
松尾
ええ
藤咲
野菜がほしかったのでぇ
松尾
ええ。ええ
藤咲
野菜が…1つも入っていないので

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松尾
すっかりこのスープのおかけでぇ、インタビューができなくなっちゃった
藤咲
うんん
藤咲
なんかほかの食べ、食べたい…、(苦笑)ほかの食べたい
松尾
いいですよ。別に
藤咲
大丈夫ですか?
 
(かわりにスープをすする松尾)
松尾
海外っていって、私も、だって、さんざん行っているじゃないですか。メニューにおいて…、だからもともと失敗すると思って頼めばいいんですよ。
藤咲
ええっ?
松尾
オレ、失敗すると思って頼みますよ。こういうところだったら。考え方としてね…
藤咲
(松尾を遮って)あのぉ、「ベジ」って書いてあるじゃないですか! でも「ベジ」が入っていないからぁ…
松尾
ああ、それも含めてだって、だって彼らは理解してないんだもん、英語を。ベジタブルっていうのを…
藤咲
でも、そう責められてもぉ、困るんです…
松尾
んんいやぁだからぁ、そお、困るけど、だから君の考え方として。ベジタブルっていうのを理解していない人たちが多いってことです。彼(ボーイ)は、だって英語ができなかった、そもそも。(笑って)ベジタブル自体がなんだかわかってないよぉ~
藤咲
(納得がいかない顔で)…ウン

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松尾のスープをすする音だけがひびく。

⑳次に予告編の最後の方にも出てくるが、2日目の朝 走行中のバイクと歩行者の衝突事故。
ぶつかったのに一言二言やりとりしてそのまま何事もなかったかのように往来を横切るインド男性。
それを見て松尾は激しくインドを感じる。

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最初、なんてイジワルな編集だと思った。
「YOGAは生き方だ」とする藤咲飛鳥は、YOGAの魅力を語り自分自身がYOGAによって安定したと言う。将来、社会貢献がしたいと話す彼女の思いはウソではないだろう。
だがその一方で、およそおおらかさとは言えない姿を見せる。野菜スープごときでとらわれてしまう彼女。YOGAをやっててもそんなちっぽけなことにこだわってしまうものなのか。そんなに許せないことか。それが彼女の生き方、すなわちYOGAなのか。

実は作品の冒頭の方でもインド的ではないような違和感のある姿が映し出されている。

⑥の松尾とともにオールドデリーに行く彼女。
オールドデリーはその名の通り、古い市街地で、雑多で、うさんくさく、インド都市部でも貧しい人がいるところである。治安もニューデリーにくらべれば悪い。だが言いようによってはそれだけたくましく庶民が生活している場所だともいえる。それこそインドらしいところではないか。
その雑踏をリクシャー(三輪タクシー)で通り抜けていくときに、彼女は「おーいおーいおーい。だいじょうぶかなぁ。まさかこういうところまで来るとは思わなかったよぉ~。私のぉ、ほんとに、とても苦手とするぅ、土地柄でぇ…」と口に出してしまう。

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これを最初見たとき「アレっ」と思った。
むしろ初めて訪れる松尾の方がありのままの「インド」を受け入れているように見える。

旅を続けながら松尾の中にその違和感がずっとあったのだろう。
だから一人になりたがる。すきま風が吹いている。

松尾は最後にこうしめくくる。

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僕はあの、ぶつけられても平然と歩き出す男みたいに
生きていきたい、と思った
YOGA
お互いその途中にて

ここは(⑱~⑳)蛇足かもしれない。あるいはもっとスマートなやり方で本編に組み入れるべきだと言う人もいるだろう。劇場版ではここの編集は変えられているともいう。
だが自分は、この「のりしろ」のおかげでこの話が永遠に回帰する人生そのものを表しているように思えた。
日本の絵巻物がそうであるように一周して元に戻る。未来は過去になり過去が未来になる。
インドという大半の人間が輪廻転生を信じているこの国で、未来につなげた物語は何度も何度も螺旋を巻いて輪を作る。

これこそインドだと思った。
もともと「ヨーガ」とは「結びつける」の意である。
物と物、人と人、心と体、自分と宇宙。過去と未来。破壊と建設。善と悪。
それらが結びつきすべてを呑み込む。豊饒な生き方がそこにはある。
それは本当の孤独を知った人間だからこそ描こうとするファンタジーでもある。

藤咲や松尾だけではない。
ボクらもまた路の途中にいる。


HMJM作品ページ

とある現場で知り合った彼女から「YOGAのインストラクターになるために、かの国へ修行に行く」と聞いた。
その時、彼女にカタチとしてのYOGAを見せてもらった。

そのポーズとカラダが美しかった。僕は彼女の帰国後、あらためて撮影を申し込んだ。
「YOGAの聖地に一緒に行かないか」と。

彼女にとっての聖地は、僕に撮って違う意味で聖地だった。
まだ行ったことがないカレーのふるさと。

YOGAから始まるセックスと巡礼の旅が始まった。

お互いのルーツ、生き方を求めて、人と車と喧騒と牛と犬と猿と静寂を
かき分けカメラをまわし始めた…

「YOGAとは、生きることそのもの」と、彼女は言った。
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後日談

2010年1月13日、AV難民のイベントで二村ヒトシ監督からカンパニー松尾監督を紹介された。
あの決してスマートとは言えない編集をどうしてしたのか本人から聞きたくてしょうがなかった。そのことを知ってて二村さんが配慮してくれたのだ。
二村さん、ありがとう。

「いや、イジワルですよ」とカンパニー松尾は言った。
「やはり意図的だったんですか?」
「そうですよ」

その時のことをいろいろ説明してくれた。見ていて引っかかっていたものが綺麗に払拭されていった。
決して楽しいだけの旅ではない。詳しいことは支障があるかもしれないのであえて触れないが、でもこうして制作者の思惑通りに行かず、食い違いがある方が作品に奥行きが出るものだ。

「そこは最後まで見た人が、もう一度最初から見てもらればよくわかるはず」

松尾さんは「昔は撮っている女性を好きになっていたが、今はそういう思いは全然ない」と言う。
「どうして変わったのですか?」と聞くと「経験値でしょうね」と返された。
それでも、なにかきっかけはあったはず。でもさらにはつっこまなかった。むしろ1ユーザーに過ぎない素人相手に、よくここまで話しくれた。
ありがたいと思った。

松尾さんとの話が終わって、しばらくポーっとする。
隣に座っていた二村さんに言った。
「カンパニー松尾さんの作品って、変わりましたよね」
「そうですね」
「・・・・・・・・、あっ、二村さんの作品も変わりましたよね」
「そうですね」
「それって40代を迎えたからですかね」
「それはあるんじゃないですか」

腕組みしながら押し黙った。
もしそれが答えの1つなら、自分にもじゅうぶん思い当たるものがある。
もうボクらは折り返し地点をすでに回ってしまったのだ。

カンパニー松尾と話せてよかった。
いつまでも余韻が残った。

コメント

yoga

淫語魔さん

寒中見舞い申し上げます。
本年もどうぞよろしくお願い致します。

自分もYoga観ました。レンタル版でしたが。
これは劇場版になるのでしょうか?
しかしエロシーンよりも他の何でもないところが妙に印象に残ってます。
「野犬じゃなくて野牛か」という台詞とか(笑)
カン松さんは捨てられた野牛に愛着を感じたのか他に何カットも撮っていますね。
最後の汚れたすりガラスに風景を映し出す描写も、汚れた現実とも汚れた目を通して見る現実とも採れて面白かったです。
それから途中、破壊神シヴァも登場しました。
フロイト流に言うところの「人の中に存在する死の欲動(タナトス)」が描き出した象徴に、カン松さん自身の無意識が惹かれたのかもしれません。
淫語魔さんが蛇足と呼ばれている最後の言葉。
僕はカン松さんがこの事故を利用して積極的に「生の欲動」を描き出さなければならなかったのだと感じました。
作品全体のテーマをプラス方向か中庸に保たなければ、きっとカン松さんの意識が耐えられなかったのだと思います。
それは作為と評されてもそうしなければならなかったのでしょう。
こう見ると自分はこの作品、すべてカン松さんの側に立っていて女優さんのことは体が綺麗だったという印象ぐらいしかありません。

AVの中では異色作ですね。
こういった作品が年間1、2本は生まれて欲しいです。

長文すみませんでした。またおじゃまします。


*このあと後日談を読みました。。。いろいろあるのでしょうねきっと。

もちださん、いらっしゃい

蛇足かなぁと思われる部分は直前のところではなくて、藤咲さんのイヤな女の面を出すところから、いらないかもしれないという話です。私自身は蛇足だと思っていません。むしろこれでいいと思いました。
いろいろ削っていくうちに、誤解をさせる文章になっていたんでしょうね。
早速直しておきました。ありがとうございます。

牛の話ですが、松尾さんは野良の牛を面白がっていましたよね。でも藤咲さんはちょっと別の反応をしている台詞があったんですよね。桟橋を渡るところなんですけど、気づきましたかね?
あそこも私は違和感を感じたんですよね。

彼女は根っから生真面目な方なんだと思います。そしておそらく潔癖性なんでしょうね。そういう風に躾けられたのかもしれません。彼女はその呪縛にかかっていて、それに苦しんでもきたろうし、また気づけていないとらわれの感情があるのかもしれません。そこがまた私には面白いと思ったんです。

こういう作品って、もっとこう、うまく売れないものかなぁっていつも思います。

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