ふろふき大根が喰いたくなった。 

  • [2007/09/29 10:58]

このブログでも「大根役者」という言葉を何回か使っているけど、この言葉の由来はいろいろあるらしい。

大根役者の語源は諸説あり、大根が白いことから「素人」とかけたとする説や、下手な役者ほど白粉(おしろい)を塗りたくることとかけたとする説など、大根の白さを語源とする説。
大根は滅多に食あたりしないことから、「当たらない役者」の意味で「大根役者」になったとする説。
大根の鈍重な形からの連想で、「大根役者」になったとする説などあるが、正確な語源は未詳である。
また、文献上は「大根」のみで用いられた例が多いことから、「大根役者」の略として「大根」があるのではなく、もとは単に「大根」と言っていたが、野菜ではなく下手な役者を指していることを明確にするために「役者」が付け加えられ、「大根役者」と言うようになったと考えられる。

語源由来辞典

自分は昔、NHKの番組で「大根の白さ」を語源とする説を聞いていたので、てっきりそういう意味だと思っていた。
ところがこれには「食あたりしない」から「当たらない役者」というのもある。「当たらない役者」と言うことなら演技のうまい下手は別ということになる。
要は花がない役者ということか。

もう一つ気になるのは、「『大根役者』の略として『大根』があるのではなく、もとは単に『大根』と言っていたが、野菜ではなく下手な役者を指していることを明確にするために『役者』が付け加えられ」という記述。
もしそうなると「大根」とは、もともとどういう意味だったのだろう。

「根」という字は仏教では「能力」を意味する。
たとえば音を聞き分け、物事の先を読む力を持つような「神通力」の使える人間は「利根」なんて表現をしたりする。
「男根」なんて言葉もあるが、あれは仏教用語にある「三根」の「命根・男根・女根」から発生したものだろう。もとは「男としての能力」のことを言っていたのだ。だから本当は「男根主義」「男根崇拝」の対になる言葉は「女陰」ではなくて、「女根主義」「女根崇拝」という方が正しいのかもしれない。

で、「大根」だけど、仏教で「大根」といえば「大乗仏教を受け入れる能力」というような意味だ。良い意味で使われる場合もあるが、大乗仏教のような多くの人にも修業できそうな教えじゃなければ成仏がかなわない人たち、っていう意味あいもある。いわゆる悪人正機のたぐいはそこに入る。

ただこれだと「一般受けしやすい役者」ってことになりそうだ。とても「当たらない役者」ってことにはならないし「下手な芝居」っていうのも違うだろう。
この「大根」の「大」に何か別の意味が込められているのかもしれない。

二股大根と大黒
その「大根」だが、葛飾北斎がよく「大根と大黒」をモチーフにした画を残している。
ただしここで描かれる大根は「二股大根」だ。

二股大根というのは、どこかなまめかしい女体を想像させる。
その股下あたりに大黒さんがいるわけだ。

大黒さんは「男根」をかたどった神様とも考えられている。したがってこの二股大根は「女根」ということになる。
つまりこれは「男女交会の図」だ。
四天王寺の大黒さんの提灯には「違い大根」の紋が二股になっているが、それはそういう意味だろう。

かつて多摩には、家々の大黒さんに二股大根を備える風習があった。
大黒は豊饒の神であり、男女の交会の意図を持って小槌(男根)と袋(女根)を持たされる。
また大黒は台所の神さんである。各家庭の台所には必ず祭壇やお札が貼ってあった。

大黒天は伝教大師が日本に持ち込んだ。
それがいつの間にか大国主命と習合する。

昨日の夜、府中のレンタル店が100円サービスだったので大國魂神社の方まで出張ったら山車がでていた。
車両規制にあって行きすぎる山車を待ちながら「ああ、もうそういう季節か」と思った。
山車の中では狐の面を被った2人が神楽を舞っていた。
府中囃子が調子をつける。

秋なんだなぁ。
あったかいダシが沁みた大根喰いてぇーな。