2009年もよろしくお願いします。 

  • [2008/12/31 13:19]

今年の反省はやはり更新数が激減したことだなぁ。

今年で3年目だが、作品数100タイトルまでは半年ぐらいでできた。ただしこのときは今みたいに淫語カウントを載っけていない。カウント数を入れだしたのは130からで、150を過ぎたあたりから週3のペースが乱れはじめる。
そして去年の今頃、週1なんてのもざらになり、今年のようにまるっきり更新しない週が出てきはじめる。

AVを見る時間が減ってきていることが大きいんだと思う。
買う量もあきらかに減った。
前は毎週のようにAVを借りていたが、今では月1ペース。
AVを借りなかった月もあった。

なんでAV熱が冷めてきたかというと、飽きてきているのもあるかもしれないが、昨年あたりからAV業界の対応に腹を立てることが増えたのも大きい。
こんなところでぶっちゃけるわけにはいかないけれど、ここは社会性に欠けている連中ばかりなのかと思うことがよくあった。
前にライターの中村淳彦氏が「AV業界は底辺だ」と言っていて、その時はあまり意味がよくわからなかったけれど、今ならなんとなくわかる気もする。
見るのは作品だけにして、制作者や女優さんにあまり近づくところではないのかもしれない。

ある業界関係者の人に「AV業界ってタコ壺社会みたいですよね」とメールしたことがあるが、そういうメンタリティーはAV作品の中でも反映されているんじゃないかと思うことがある。

今のAVは「身内の会話」のような台詞はあっても、他者と向き合う「対話劇」はなかなか作られない。仮にあってもドキュメンタリーものばかり。シチュエーションドラマ風の作りになると、生きた言葉のやりとりを作ることが難しいようだ。

「身内どおしの会話」では心の内部を引き出す台詞にはならない。
なんせ身内なのだから説明責任もない。お互いが分かり合っているという前提があるのだから、極端な話、全然、会話がなくてもいい。
ホントは身内でもそれじゃいけない。語り合わなければ壊れてしまうこともある。
でも、閉じられた空間では言葉の比重は軽くなる。特に男は喋らないか、意味のない自慢話をしまくるかどっちかになりがちだ。

「対話」とは「他者」との緊張関係の中で言葉のやりとりをすることだ。
他人は何をしでかすか予想がつかない。「絶対他者」だからこそ通じ合うために四苦八苦する。うまくいったり、いかなかったりで緊張と緩和が起こる。そこに人間ドラマが生まれるのである。
そういう作品は昔、いっぱいあったのではないか。
別に代々木忠のようにそこを丹念に描けというのでもない。そこを敢えて映し出さなくても、少ない情報からそういったものは透けて見えてくるのだ。

今は、赤の他人から言葉を引き出す対話術を駆使する監督や男優が減った。
唯一、ナンパものぐらいか、そういった能力が発揮されているのは。
あれも仕込みじゃなければだけど。
作品上、必要ないということで、そういう能力自体いらないという風に思われているのかも知れない。

でもそれはユーザーを馬鹿にした話だ。こちらには想像力とそれまでの経験というものがある。それによって画面に映し出されてない部分を感じ取ったり、思いをいたしたりする能力があるのだ。
なんの人生経験もないガキじゃないのだ。それなりにいろんな人と交わり、知識を仕入れ、時には泥をすするようなこともしてきたオトナなのだ。

淫語もそういった背景があってこその作品ではないか。
淫語連呼だって、ただ闇雲に言わせるんじゃない。ちゃんと見えない背景のようなものが必要なのだ。ちゃんと画面には出てこない裏設定まで考えて人物のキャラを作り込んでいく監督はいるんだろうか。
そこまで作って初めて生きた「劇的対立」を演出できるのではないか。

そういう作品を見たい。できればドキュメンタリーじゃなく作り込んだもので。
今でもないわけじゃない。一所懸命に作っている制作者もいる。
でも決して多くはない。

それともAVはガキの見るもんなのか。
AVは社会性の薄い人が見て楽しむ子供だましのものなのか。

いずれにしろ、何が何でもAV見なきゃいけないわけでもない。

来年は、もう少し別の展開を考えている。
面白くなってくれば更新数も増えるだろう。
AVが嫌いになったわけじゃない。
見方を変えればまだまだ面白くなってくるかもしれない。

まぁどっちにしろ無理しないでボチボチやっていくのみ。
そしていっぱいボヤいていこう。
このネットの片隅で。
飽きるときが来るまで。