七つ前は神の内 

ああもうダメ人間だなぁ。
今はやることがいっぱいあって、次から次へと作業を進めなければいけないのに、何から始めようかと考えているうちに、全然違う別のことをし始めたりする。

さっきも柳田国男全集とか読み出しちゃったよ。
本当はJavaScriptをいじんなきゃいけないのに。
合間にマニュアルのデータ抜きもしたかったのに。
「癒らし。」も見なきゃイケナイのに。

死んだうちの親父は金は残さなかったけど、たくさんの本は遺していった。
司馬遼太郎なんかは、出版されたほとんどの本はそろっていたと思う。
いくつか処分してしまったけど、『街道がゆく』なんかはまだほとんどうちにあるはず。

『柳田國男全集』なんかもきれいな状態のまま遺していってくれた。
じぶんはこれが一番うれしかったかなぁ。

久しぶりに『遠野物語』を読んでいたんだけど、やっぱり面白いね。
たとえば河童の話なんかが出てくるんだけど、河童の子を産んじゃう村の娘の話っていうのが妙にあやしかった。

柳田国男全集〈4〉 (ちくま文庫)
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4 ロマン溢れる民俗学…

当然、その河童の赤ちゃんはただではすまない。
「生まれし子は斬り刻みて一升樽に入れ、土中に埋めたり。その形きわめて醜怪なるものなりき」(『柳田國男全集 4』ちくま文庫 35p)ってなことになる。
でもこれって今なら、「赤ん坊が奇形で生まれてしまいました」って話なんじゃないかと疑っちゃうよね。
それを「河童の子」として処分してしまった。

ほかにもこんなのがある。

上郷村の何某の家にも川童らしき物の子を産みたることあり。確かなる証とてはなけれど、身内真赤にして口大きく、まことにいやな子なりき。忌まわしければ棄てんとてこれを携えて道ちがえに持ち行き、そこに置きて一間ばかりも離れたりしが、ふと思い直し、惜しきものなり、売りて見せ物にせば金になるべきにとて立ち帰りたるに、はや取り隠されて見えざりきという。

『柳田國男全集 4』ちくま文庫 1989.10.31発行 36p

「河童の子だという確証はねえけど、きっとそうに違いない」ってことで棄てにいっちゃうのもすごいけど、棄ててから「見せ物小屋に売っぱらえば金になるじゃないか。惜しいことした」っていうのもすごいよなぁ。
こりゃ「エレファントマン」の世界ですよ。

昔、「美しい国」とか言ってた人がいたけど、日本人は人権とかを欧米の人たちから学んでいったんだよね。お隣の国の人権問題も、ちょっと前の日本人は似たようなもんだったはず。

今より昔の方が倫理的にしっかりしていたなんてことは全然ない。
かと言って自分は昔の人が人道的に野蛮な性格だったとも思っていない。

人間の本質は今も昔もそんなに大きく違うわけがない。
変わったのは社会的な制度だけ。

「命は大切」だ。むやみやたらに生き物を殺していいわけはない。
でも自ら家畜をさばくこともせず、精肉になっているところだけを見て、うまいだのなんだの言って食っているのが現代人。死んでいった動物たちの命をおもんばかって食べている人間なんてどれほどいるのか。
最近では「いただきます」とも言わずに食っているヤツがいるからね。金払っているから当然だって感覚になっているのか。

考えようによってはそれもじゅうぶん生命軽視していると思うけど、それだって社会システムがそうなっているとも言えるんだよね。

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