最終的にはプラトニックラブってことになるらしい 

どうも自宅のパソコンの調子が悪いねぇ。
前月あたりからFirefoxが終了時にスクリプトエラーしたり、やたら時間がかかったりしているのが気になる。なんかGoogle先生のところにお伺いを立てにいっているようなんだけど、なんなんだろうなぁ。

ということで週末にクリーンインストールをしようかと。
それが一番よかろう。
また一からいろいろ入れなきゃいけないけど、そのリストを作っておかなくちゃなぁ。

最近、性欲がわかなくてねぇ。AVを見る量もかなり減っていて、今月はまだ何も買ってないんだよね。
今日もいつも行くレンタル店はアダルト100円デーだったんだけど結局まっすぐうちに帰ってきちゃった。

「草食系男子」って言葉があるけれど、あれって結局、セックスよりも楽しい娯楽がほかにもたくさんあって、セックスそのものの相対価値が下がっているってことじゃないかと思ったりするんだよね。
よく地方は娯楽がないからセックスしている時間が多いとかいう話があって、なんかのデータでそれが実証されていたけど、その逆で都会の人間はそれだけ刺激的なものがほかにいっぱいあるってことなんじゃないのかな。

1日は24時間と決まっているわけで、昔にくらべて色恋よりも面白いモノがあればそっちにも時間を割くのは当然とも言えるよね。
余暇をどう過ごすかっていうときの魅力的な選択肢が多くなってしまっている。
だから必死になって「女とまぐあう」努力をするよりも、もっと別のことで熱中していることの方がラクっていうこともあるんじゃないかと思う。

特に男の場合、女性みたいに恋愛のプレッシャーみたいなものは少ない。恋愛しなきゃ女じゃないみたいな呪いがない。だから非モテだとしてもそんなに切実な問題になっていかない。
恋愛の快楽や刺激よりもっと楽しい快楽や刺激がいっぱいあるんだから。

むしろ今これだけいろいろ娯楽のある時代に、恋愛に血道をあげる奴等は、実は単なるセックス依存のメンヘラ連中なのかもしれない。
いや、恋人と一緒に過ごすんだって、セックスでしか過ごせないわけじゃない。

デート場所だっていつも行くところが決まっている昔と、その気になればいくらでも楽しい場所がある今とでは全然状況が違うだろうし、もしも2人がゲーマーならば、セックスよりも対戦ゲームをして過ごす方が楽しいのかもしれない。

選択肢が増えるということは、欲望が分散化するってことでもある。
さらにこんだけ性の情報が増えれば、自分の理想のセックスは生身の女よりも創作物の中にあったりして、性欲の分散化も昔よりずっと進んできている。

それと性に対する考え方がかなり奔放になって、性風俗が充実し、フリーセックス化しだしたら、愛を確かめる方法は肉体的なことを離れて、プラトニックなものになっていくんじゃないかと思ったりしてね。

この間、太賀麻郎さんに聞いた話はまさにそれだった。
麻郎さんみたいに仕事やプライベートで何千人もの女性とセックスしちゃうと、もはや誰とやってもそんなに違いを感じられなくなってしまい、セックスそのものは特別なものではなくなってしまうらしいんだな。ただおちんちんが勃つから性交するという状態になってしまって、「それでは愛ってなに?」ってことになりかねないらしい。

だから麻郎さんは、「あえて愛については考えないようにしている」って言っていた。
「それを考えるとどうなちゃっうかわからなくなる。でも自分はまだ男でいたいから」って。

「太賀麻郎」って人は何気に哲学的なことをポッと言う人なんだよね。この間も「わかる、わからない」って話で「無知の知」みたいなソクラテスっぽいことを言っていた。

もともと他の人より執着がない人なんだろう。そういう意味では愛から一番遠いところにいる人だと思う。
それを称して自分は「無所有の人」って言ったりするんだけど、そのことを当人に言ったら、キョトンとされてしまった。

もっと話したいことはあったんたけど、またそのうち会えるだろうから、その時にでもじっくり話を聞いてみようと思う。

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