どのジャンルでも言えることだろうけど
- [2011/01/06 21:42]
自分はおっばいの大きさにこだわってはいない。かといって巨乳が嫌いなわけではない。あればあったで興奮するが、手のひらサイズの微乳も結構好きだ。
そもそもふくらみもさることながら乳首の形も気になる。デカ乳首も好きだし、よくよく考えてみれば陥没乳首だって悪くはない。ちょっと延びてる乳首もいい。
乳輪も大きかったりすると興奮する。色素が薄かったりするとまた興奮する。その逆の焦げ茶も嫌いではない。
これは官能ラノベ作家の大泉りかさんとTwitterで話していて、たまたまその話に発展したのだけれど、自分はおっぱいは「たたずまい」だと思う。特にこの大きさじゃなければ興奮しないってことはない。おっぱいの形として趣があればむしゃぶりつきたくなる。
でもそれって本当の意味での乳フェチではないからだとも思う。
たとえば巨乳フェチな人に向かって、「おっぱいはたたずまい」と説いてもまったくもって意味がない。彼らからすれば「まず巨乳ありき」なのだ。巨乳でなくてなんでおっぱいと言えるのか。
そこにこだわる人がいるから「巨乳」というジャンルがあり、巨乳女優は需要がある。ただデカいと言うだけで興奮するからマニアなのだ。
自分は巨乳が嫌いではないが巨乳マニアではない。
だから「ただデカけりゃいいってもんじゃない」というのはマニアじゃないから言える正論である。これは淫語でもいえる。
淫語とはチンコマンコのことだ。俗に放送禁止用語と呼ばれる、人前で憚られる性的言葉を淫語という。そういった表現を好む人は昔から少なからずいる。
ドリフターズの全員集合のコントはそういうチンマン言葉が多用されたりしていた。
加藤茶のギャグ「うんこちんちん」もそういう言葉を聞いてよろこぶ心理が人間にはもともと備わっているから子どもたちに受けたとも言える。つまりそれは「小児性欲」の一種かもしれない。
だがそれと淫語で興奮するマニアと同等であるかというと決してそうではない。
「ただ淫語をいえばいいってものではない」
これは正論である。
だが淫語マニアからすれば、その前提として「まずチンマン語ありき」なのだ。
実は「ただ淫語を言ってればいい」のが淫語マニアなのだ。
ここは複雑で、ただ言っていればいいのだけれど、やはりただ言えばいいってわけでもないのである。
端から見ているとその異同がわかりにくい。
だがマニアというのはそういうものだ。そこに明確な違いがあるのだ。
制作者の中にも「淫語が好き」という人もいるだろう。
でも単に「淫語が好き」というのと、淫語マニアは違う。
「おっぱいが好き」というのと「巨乳マニア」が違うようにそこには質的に違うものがあるのだ。
だからなんの研究もなしに作ってしまうと、自分のようなコアなファンからこき下ろされる目にあう。
最近、淫語ジャンルのビデオが増えてきた。
それはとても嬉しいことなのだけれど、どうもわかっていない人が作る場合も少なくない。
自分も淫語マニュアルをつくるとき、淫語についてかなり研究した。いろんな淫語マニアの人の意見も聞いた。いまだにわからない部分もある。いつまで経っても勉強だ。
そんな自分に言わせると安易に淫語ビデオに手を出してくるなと言いたい。
最近、マニュアルに掲載する作品はかなり偏ってきている。それは自分もイヤだと思ってる。そして他のメーカーの、他の作品もなるべく見るようにしている。
もちろん経済的にも限界はあるからすべてを網羅しているわけではない。レンタル店に行って狙っているものがなかなか借りられないこともある。
それでもお金の許す限り見ているつもりだ。
しかしヒドいのだ。舐めているとしか言いようがない。
作っている人が決して淫語を嫌いってわけじゃないのはわかる。だけどこちらとの性的興奮のメカニズムが違うとしか思えないのだ。
実はいちばん困るのは、ちょっと淫語が好き程度の人間が作っている淫語ビデオだと思うのだ。
それなら淫語のエロさをまったくわからない人が作った方がいいのが作れるのではないか。
ときどきそんなことを思いながら、なんちゃって「淫語」作品を見たりしている。
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卯年は卯は萌え出ずるの意
- [2011/01/04 23:57]
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
今日、桜ちゃん(元・桜一菜)から手書きの年賀状が届いていてホクホク顔の淫語魔です。なんか90分ぐらいかけて仕上げたそうでおっちゃん感激っす。
ということで自慢っす。
一昨年ぐらいからリアルな生活とは別に純粋にこのサイトを通じて人と会うようになり、昨年はそれが加速して交流の輪がかなり広がった。
考えてみればこのサイトを始めた頃はすべてに絶望していたようなところがあって引きこもりがちであった。それがサイトをやったおかげで完全に恢復したようなところがある。そういう意味では何かをはじめてみるというのは決して無駄なことではないようだ。スジを通し真剣に取り組めばこんな自分でも注目してくれる人がいる。
今ではまったく思いもかけなかった展開になっているのだけれど、せっかくなので今年はもうちょっと何か還元できることがしたいなぁと思ったりしている。
何をどう還元するのかはまだわからないんだけど、でもたとえば藩金蓮に桜ちゃんをつなげたのは自分だしね。なんかそんなようなことなのかもしれない。
それと昨年は確かにいろんな人と交流させてもらえて楽しいことは楽しかったんだけど、マニュアルやボヤキが疎かになっているような気もしなくもなかった。
結局、いろんな人に会えたのは淫語マニュアルを更新し続け、さらにボヤキで書いている記事が一部の業界の人たちに受け入れられたからで、そこの質が下がってしまっては本末転倒だろう。
実際ここ最近どうもAVの見方が散漫になっているような気がしてならない。
昔はもっと隅々までAVを見ていて、細かいところに言及していたから制作側の人たちに驚かれたわけで、そういう感じがなくなっているのはよろしくない。指摘する点が大雑把というか、そもそもあまり指摘しなくなってきているような気すらする。
5年近くもレビューサイトをやっていると「いかに手間を省いて効率よく運営するか」みたいなことを考えるようになる。
たとえばレビューをやり出した頃は紙にメモ書きしながら作品を見ていて、そのメモをもとにして書いたりしていた。ところがここのところ効率化を考えて、PCのテキスト文書に直接メモ書きしていくようにした。これだとそこに書いた台詞をそのままコピペすればいいわけで、紙からいちいち書き写すよりも時間が短縮できる。
でもこれを先月の後半ぐらいからもう一度手書きでメモるようにしてみた。
2度手間にはなるがメモ書きからPCに書き込むときにもう一度咀嚼する時間が生まれる。このときにあらためて気づくことが出てくるようだ。
そこで気になればもう一度、その箇所を見て確かめる。この行程まで入れると3度手間だ。
でもだからいいのだろう。
ということで明日の更新はそんなやり方で時間を取られながらもできた西野翔ちゃんの作品。
ちなみに彼女はムーディーズの専属女優なんだけど、明日、更新するのはムーディーズではない。でも淫語は今までの西野翔の作品の中で一番言っていると思う。
そういやぁ、これを撮った監督さんとも一度話したことがあるな。
かっこいい兄ちゃんでしたよ。
ボヤキの方もとりあえず真咲南朋さんの作品をレビューしようと今日いろいろ借りてきた。当人に聞いたらこのあたりの作品でやってくれというので、その自薦のヤツを今週は見てみようと思う。Hanaさんのレビューで確認したらHanaさんは高評価をつけていた。
もっともなんともさんが推した理由は別にあるんだ。
それも書こうとは思うけど、それにしても、ホントこの夫婦は仲がいいよ。
劇的対立のない話はうちわ受けでしかない。
- [2010/12/30 11:04]
本当は年内中に一度、藩金蓮について何か書いておこうと思ったんだけど、まだ「藩金蓮」名義の最後の仕事が残っているらしくて、むしろ「花房観音」としては何も発表されていない状態なので、1月か2月に書くことにする。
なぜその時期にするかというと、「花房観音」の小説が人前に出てくるのがおそらく2月になるからだ。
「第一回団鬼六賞受賞作」の「花祀り」がそのあたりで本の出版になるみたいだし、もし何らかの事情でその出版がズレ込むことがあったとしても、無双舎の季刊本「悦」が2月発売予定となっており、そこには彼女の短編小説が載ることになっている。おそらくその前には授賞式があるかと思うので、小説家・花房観音が誕生するのは2月ということになるわけだ。
一方の「藩金蓮」の方は、代々木忠監督を追いかけたドキュメンタリー映画『YOYOCHU SEXと代々木忠の世界』にスタッフとして参加していて、その公開が1月。
つまり「藩金蓮」は1月でいったん死に、2月に「花房観音」として誕生するとも言えるわけだ。
個人的には今年の1月と2月に彼女に起こったことを思いいたすとき、時の符号の不思議さを感じざる得ないのだが、「藩金蓮」を語るのはやはりこの端境期がいいだろうと思う。
その、映画『YOYOCHU SEXと代々木忠の世界』だが、1月にイベントが行われる。
「YOYOCHUでナイト!」映画『YOYOCHU SEXと代々木忠の世界』公開直前 スペシャルナイト~あの代々忠が再び、ロフトプラスワンに降臨!~
映画『YOYOCHU SEXと代々木忠の世界』の貴重な制作こぼれ話と本編の中で取り上げられる個々の代々木作品の当時の裏話について、来年1月にキネマ旬報社より発刊される代々木忠の研究本「代々木忠 虚実皮膜」を著した東良美季さんが、代々木監督と石岡監督(石岡監督は当時の作品の助監督として現場に付いていた)に鋭く迫ります。
本編出演者がゲストで登壇!
『チャネリングFUCK悪霊と精霊たち』の、当時プロモーションに使用した 貴重な8分間の蔵出し映像を基に、代々木監督が「オーガズムとは?」「SEXとは?」について熱く語ります。
【出演】
代々木忠、石岡正人
スペシャルゲストあり!
【MC】東良美季場所 新宿ロフトプラスワン
OPEN 18:00 START 19:00
前売¥2,000当日2,500円(飲食代別)
前売はローソンチケットにて【L35668】12月29日発売!
昨日のアクセスの「虚実皮膜 東良」はここにつながるんだね。
スペシャルゲストは今のところ加藤鷹さんが発表されているけれど、まだまだすごい人がくるらしい。
まだ出演依頼している途中だろうからハッキリとは言えないのだろうが、個人的には太賀麻郎さんにも出演してもらってカトタカと対決してもらいたいなんて思ってる。
このイベントの主催者はどう思っているかわからないけれど、自分のような40代以上の人間にとって「AV男優」といったら「加藤鷹」ではなく、間違いなく「太賀麻郎」なんだよね。
若い人はわからないかもしれないけれど、自分が学生の頃は借りて見るもの見るもの、みんな「太賀麻郎」だった。カトタカなんてそのあとの人だ。
麻郎さんは今度セックスのハウツー本を出すみたいだし、加藤鷹さんとはちょっとした対立構図もできるはずなので、それによって話もより深くなると思うんだよね。
自分としては、この2人を前にしたときのヨヨチューさんと東良さんの司会での捌きが見てみたい。
AV業界もそうなんだけど、すでにエロは40-60代しか金を落とさなくなっている。エロはタダでネットに流れているものと思っている若い人は少なくない。
そもそもヨヨチューさんの作品は大人の作品だからね。
だから関係者各位、是非とも麻郎さんの出演を考えてみてほしいなぁ。
もし実現したら仕事を早引けしてでも駆けつけるよ。
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食べるならもっと太らせてからにしよう
- [2010/12/29 19:51]
たぶん今日更新した作品が今年の最後の更新になると思う。
希美まゆさんはこれが初見だったんだけど、かなり面白い子だなぁと思った。
マニュアルにも書いたけど、うまくいけば次代のスターになりそうな気がするね。
それと今回のは監督の力が大きいなぁと思った。作品からはいろんな意味で苦労したように見えるんだけど、この出来ならその苦労は報われたと思うな。
なんだかんだ言って宇佐美忠則監督の作品はたくさん見ているけど、久しぶりに宇佐美監督じゃなきゃ出来ない仕事を見たような気がした。できれば会って確かめてみたいなぁってちょっと思った。
今年はとにかく制作側の人たちと話す機会が出来て、そのせいでずいぶん撮影の裏話を聞かせてもらった。女優さんの素だと思っていたものが実は演出だったりね。やはりユーザーのうかがい知れない部分も結構あるということだ。実際何人かの女優さんにも会ったけど、現実はやっぱり生々しい。昔のように好き勝手に書けなくなってきた。
これはいいことなのかねぇ。いまだによくわからない。
2ちゃんねるのAV・女優板や個人のレビューブログなどをぶらついていると全然見当違いなことが書かれてることがある。ときには板挟みみたいな気分にもなった。でも口はつぐまざる得ない。結局、イメージを売る商売だから致し方ない。
商売を邪魔するわけにはいかない。
ところでさっきアクセス解析で「虚実皮膜 東良」で来た人がいたので、何の記事を読んだのか見てみたら2009年の7月の記事だった。
そんでその記事を読み返していたらめちゃくちゃ面白いんだよね。
「オレ、こんな面白いことを書いていたのかぁ」と思ったら、「それに比べて最近の記事はつまんなくなってんじゃねぇーの」ってちょっと思ってしまった。
もともと「ボヤキの小窓」は自分のエロと向き合い考察する場所でもあった。
加えて1ユーザーでしかない自分がどこまで本格的なAVの批評が書けるか挑戦してみたり、一般人として今、AV業界で起こっていることがどんなふうに見えるかを忌憚なく書いたりした。
今年の反省点は、こういうのを書かなくなったことだよなぁ。
もっとも本当は5年ぐらいやったら閉鎖しようかなぁと思っていた。ネットから全部消えちゃってさ。跡形もなく消えるという。
来年がその5年目になるんだけどさてどうするかなあ。
なんかほとんどやり尽くしたような気もしなくもない。
来年はいろんな意味で「淫語魔」として決着をつけてしまいたいね。
消えるにしろ、立場を変えるにしろ、スジだけは通しておかないと。
高い山に登れ
- [2010/12/26 23:52]
レビューとはなんだろう。
AVをレビューするとはどういうことだろう。
WEBスナイパーでレビューを書き始めて常に考えることだ。
淫語マニュアルは書く内容が決まっている。
「おちんちん」でなくては興奮しない人に「チンポ」しか言っていないビデオを見せることは無意味と言っていい。だが「淫語」と謳っていながらそのことについて表記がなされていない作品は多い。だからそこに「淫語マニュアル」の存在する理由がある。
また人それぞれ女優の好みもある。
熟女がいい人もいれば、ロリ系じゃないとダメな人もいる。
アニメ声がいい人もいれば、ハスキーな声がいい人もいるだろう。
淫語の言い方もシチュによっては違う。それがまったくの素の反応ならばともかく演技であれば当然、うまい・下手がある。
基本的に自分がマニュアルで書かなくてはならないのはそういった情報だ。
当然、これはレビューと呼べるものではない。だが自分のようなユーザーにとってそういう情報こそ必要なのだ。いいAVかどうかの前にそういったデータの羅列がなければ話にならない。
となると、AVレビューは自分のようなユーザーにとって必要のないものかもしれない。
ボヤキでレビューを書くことがある。
フレームの中で感じたことをそのまま文字に起こしてみる。たいていボヤキでレビューするものはヌキが前提になっていない。自分の場合、ヌキの部分は淫語があるかどうかだ。だからこのボヤキで書くレビューはエロではあるがもっと根源的な部分の話だ。
自分は「エロとはなんだろう」とよく考える。
「自分にとって性的興奮とはなんだろうか」と考える。
AVを見ながらそこで描かれる性愛についてどうしても考えてしまう。
それをそのまま文章にしてみる。
すると制作者も気づいていないことを探り当ててしまうことがある。カンパニー松尾さんからも言われた。中村淳彦さんからも言われた。
ボヤキに書いているものは間違いなくレビューだろう。
単なる感想文ではない。自分語りはしていない。あくまで作品に寄り添って書いているつもりだ。
でもこれは実は読者不在なのだ。淫語AVマニュアルの方は淫語ユーザーを想定して書くが、ボヤキのレビューは完全に自分の楽しみとして書いている。
マニュアルは、きっと誰かのためになっているだろうと思っている。だがボヤキはそうではない。
ここは自分の部屋だ。誰かのためになるかどうかは二の次だ。
WEBスナイパーのレビューはそうはいかないだろう。
やはり読んでもらう人に、なんらかの役に立ってほしい。
だが淫語データを書き連ねていくようなわけにはいかない。スナイパーの読者はどちらかというとSM色の強いユーザーが多いだろう。もちろんWEB上のものだから検索で訪れる人もいるはずだ。となれば不特定の雑多なアダルト趣味のユーザーが見るものだということになる。
さて自分はWEBの訪問者に何を伝えることが出来るだろう?
あの文章で楽しんでもらえるだろうか?
そもそもレビューは楽しんでもらうために書くのだろうか?
AVレビューを書くとはどういうことなのだろう。
文芸批評とはどう違うのか。音楽のライナーノーツと同じような解説文でいいのか。
AVにはAV独自の批評があってもいいのではないだろうか?
AVがヌクことを目的としているのなら、自ずと違ってしかるべきだ。
そうか?
本当にそうだろうか?
「淫語AVマニュアル」とも「ボヤキの小窓」とも違う、まったく他人様のスペースで書くようになってそのアプローチの仕方に頭を悩ませている。
ずっと答えを探している。
感動した
ありがとう名無し@ボヤキスポンサーサイトがうざいので更新は必ずするつもりです。
今年はようやく淫語魔に戻れるんじゃないかと思っています。淫語魔ものすごく勝手なイメージなんだけどね山下さんの印象は、エロ仙人ですかねー。淫語魔「名前のない女たち」AVレビューどうなっているんですかねー。今度、ナカムラさんに聞いてみます。淫語魔