淫語とは何か -5次元淫語の発見- 前編 

  • [2012/01/10 00:18]

「淫語」というのは、96年に松本和彦が『一期一会』シリーズで、AVをジャンル分けして売るというコンセプトのもと名付けられたもので、それ以前の未分化状態の頃は「痴語」「卑猥語」などと表記はバラバラだった。もちろん淫語プレイそのものは『一期一会』以前からあったわけだし、作品的にも91年に発表されたゴールドマンの『無差別級淫乱症 藤小雪』(ヴィーナス)が淫語特化の最初の作品と考えてよさそうだが、初めて一つの概念として成立させ、そのジャンルに名前をつけて広く流布させたということで言えば、『一期一会』シリーズの一作品、『淫語』を基準点として考えるべきだろう。

さらに松本監督の話によれば、SODの初期のヒット作『淫語しようよ』も、企画に困っていた菅原ちえに松本和彦が助け船を出してまとまったということらしく、この作品をもって「淫語」という言葉の定着が決定打となったことを思うと、やはり松本和彦とSODの功績に帰するところ大であろう。すなわち「淫語」とは、カオス状態の中、松本が名前をつけて見い出し、SODの菅原がテレビのバラエティー感覚で育て周知させたものといっていいだろう。
テレビでは放送禁止用語であるものを、テレビ制作の流れをくむSODがエロとして売りだした。
その流れで考えれば、SODが当初、淫語にエロを感じていた理由がわかるような気がする。つまりは、制作者自体が禁忌と解放というエロスのメカニズムを強く感じていたということだろう。

松本和彦が『一期一会』で想定していた「淫語」とは、早川優美に「この作品はズバリ、いやらしい言葉がだーい好きな人たちだけのビデオです。特にその中でも、放送禁止用語に、とことんこだわってみました…ってなことで、まずは、わたくし、優美ちゃんが、エッチなエッチなファックに挑戦しようと思います。それじゃ、はじまり、はじまり」と言わせていることから明らかなように、「放送禁止用語を軸にしたいやらしい言葉」ということだ。
ただし放送禁止用語というのは、明確なガイドラインがあるわけではなく自主的なもので、せいぜい「公では禁忌になっている言葉」という曖昧な形でしかくくれそうにない。
該当する言葉で間違いなさそうなのは男性器・女性器ぐらいだろう。
したがって淫語というのは、「男性器・女性器を中心にした言語群ということであり、それを基軸とした性的表現」あたりでとりあえず納得するしかない。

もう一つ、別の判断基準がある。
『一期一会』がリリースされた頃のAVは、レンタル系が主流で、これらの作品では「チンポ」「おまんこ」は、まずビデオ倫理協会を通す段階で音声が修正されてしまう。レンタル系の自主規制団体・ビデ倫では性器をモザイクで隠すのと同等の意味合いがそれらの言葉にはあったのである。したがって「淫語」とはこういったビデ倫に引っかかりそうな言葉という言い方も出来る。
レンタル系では決して聞くことのできない言葉を、ビデ倫を通さないインディーズのセルAVでは聞くことができる。
『淫語しようよ』が価値を持ったのはそういう背景があるからであり、だからこそ当時は淫語が聞けるというだけで大ヒットしたのである。

一次元淫語

いずれにしろ、淫語の定義は、松本の『一期一会』とSODの『淫語しようよ』に基準を求めるべきである。
具体的には「オチンチン」「チンポ」「マンコ」「オマンコ」など、性器表現が有る無しでもって、淫語作品かどうか判断されなければならない。
嘆かわしいことに今でも、タイトルに「淫語」を入れている作品で、まったく「淫語」が出てこないというものが結構あるのだ。
注意喚起のためにあえて例を挙げると、たとえばアートビデオの『SM淫語噴射』シリーズがそうだった。

こういう作品を見つけてしまうとたとえそれが100円レンタルといえども相当、頭にきて眠れないものである。ましてやそれが購入したのならなおさらだ。
こっちは3千円なら3千円、金を払い、夜中に楽しみにして見たりしているのである。
そのお金と時間と楽しみにしていた気分をこの男に返せと言いたい。
なぜ制作側の勉強不足のせいで、こちらが馬鹿をみなくてはいけないのか。
こういうのを見ると、その監督に直接会って、あなたは何年、このAV業界にいるのか、松本和彦の『一期一会』やSODの『淫語しようよ』は見たことがあるのか問い質したい気分になる。

ということでまずは男性器・女性器の淫語ありきである。
これをとりあえずは一次元淫語と名付けることにしよう。
なぜなら、ただ淫語を言ってればいいわけではないからである。

二次元淫語

言葉というのは記号としての部分と、それを指し示す意味内容としての部分に分かれる。
ソシュールのシニフィアンとシニフィエでも、仏教用語の能詮・所詮でもなんでもいいが、言葉には記号部分が同じでも、その指し示す内容は人によって違ったイメージが伴うものだ。
またそれとは逆に、同じ意味内容を指す言葉でも、その表現の仕方は何種類もあるといえる。

もしも言葉がただ単に意味さえ通じればいいということなら、「アソコが濡れている」でも「股間が濡れている」でも「おまんこが濡れている」でも、なんでもいいということになる。
その違いが感じられないのであれば、確かに「おちんちん」も「チンポ」も指示内容が同じなのだから一緒だろう。

しかし実際はそうはいかない。
淫語といっても、どの言葉を聞きたいかは人それぞれで、男性器であれば「チンポ」なのか「おちんちん」なのか、「キンタマ」はあるのか、「チンポ汁」はどうなんだ、みたいなことが大事であったりするのだ。
その女優のチンポ発言が聞きたいのに、買ってみたらなかったではすまされないのである。

ところが淫語をタイトルに入れている作品で、そのことを明記しているメーカーは本当に少ない。10年前のSODはそのあたりをちゃんとやってくれていたのだが、今は見たことがない。
SODですらそうなのだから他は推して知るべしだ。辛うじてアロマ企画とアウダース、映天系のいくつかのレーベル、それとドグマのみのる監督の作品が、台詞の抜き出しをすることでニュアンスを伝えてくれている。
やはりパケ等に記載するのは、デザイン的に見映えが悪いということだろうか?

しかしながら、淫語が聞きたい人間はそんなことは関係ない。どんな理由があるにせよ、不親切であることには違いがないのである。メーカーの広報担当者はまず淫語の記号には種類があり、そしてそれは淫語マニアにとってものすごく重要なことであるということを理解するべきである。

それは制作する側もそうで、そもそも淫語の記号部分と意味内容は次元の違う話なのである。その違いを意識せずに淫語作品など作れるはずもない。

ついでに言えば、同じ記号でも「音声記号」と「文字記号」とではまったくもって違う。
よく書き言葉をそのまま台詞にして言わせる下手くそなシナリオを書く人がいるが、そういう人はまずもって他人の話している言葉というものを斟酌できない人間ということになる。
「書き言葉」と「話し言葉」は違う。小学生でもわかりそうな理屈である。

このように、「記号と意味とは次元のズレがある」と意識することで別の地平が見えてくる。
これを2次元淫語としよう。

文章を書く人間ならわかると思うが、同じ意味内容を伝える文章でも、ある人間が書けば非常につまらないものが、ある人間が書けば胸にせまってきたりする。
自意識をこじらせまくっている文章もあれば、ヘミングウェイのようなハードボイルド調の名調子もある。文章の上手下手があるのはまさに記号と意味内容に位相があるからだ。

ふつうの文章でもそうなのだから、「淫語」という局所的な文脈にも違いが生じるのは当然である。すなわち「ヌルヌルのマンコ」と「ビチョビチョのマンコ」は違うのである。

先ほどの話に戻るが、この違いを斟酌できない愚か者が作品のパッケージを担当すると、淫語マニアにとって大変迷惑なものができあがる。
淫語AVマニュアルで例を引くなら、これなんなんかがそうだ。ビックリするぐらいの虚偽記載だ。
こういうのをやられると本当に悲しくなるのだ。

考えてみてほしい。
「ママのお口にいっぱいチンポ汁出していいよ♥」と吹き出しで書かれたら、この綾瀬ひめが、この言葉を口にしてくれているんだろうとエロ妄想に火がつく。そして店頭でああでもないこうでもないと他の作品を選びながら、最終的にはこの言葉を綾瀬ひめから聞きたいとチョイスして2980円を払うとしよう。家に持ち帰って、再生。120分間、その言葉が聞けるのをチンポを握りながら待つ。
無い。なかなか言いそうにない。それでも信じてそのときを待つ。
しかし無情なことに最後までその言葉がでない。「END」の文字で目の前が暗くなる。
そのときの絶望感と怒りといったらない。これほど残酷なことがこの世にあるだろうか?
そのユーザーはひょっとしたら、仕事でものすごい失敗をしているのかもしれない。あるいは家族に不幸があって唯一の楽しみがAVなのかしもれない。それがこんな理不尽な仕打ちを受ける。そんなユーザーがいるかもしれないということを、これを作ったヤツは理解しているのだろうか?
こいつにそれと同じ気持ちを味わってもらわないと気がすまない。しかもこいつらはこんな仕事で金をもらって生計を立てているのである。
ふざけるな!
お前のお粗末な仕事のせいで、なんでこんなに惨めったらしい気持ちにさせられなきゃならないんだ!!

以上、これぐらいの情報は淫語AVを買う・借りるのに最低限、必要な情報ということで、淫語AVマニュアルでは淫語の種類をカウントして載せている。
本来はメーカー側がやるべきことだとは思うが、多くのメーカーはこの点において淫語AVを作っているという気構えが感じられなくなくなっている。淫語のパイオニアであったSODですら今はその気概もないようである。

(以下続く)

ボヤキのボヤキ 

  • [2012/01/09 12:14]

「淫語」について書いていたら、やたら長くなってしまって収集がつかなくなったので、削って削ってなんとか読めるものになったが、それでも長いので、2回分にわけることにする。
今すぐ載せてもいいんだけど、ここはもったいつけて明日にしよう。

しかし昔はこういうの、時間をかけて書いていたなぁ。
久しぶりにブログを頑張ってしまった。

更新作業もしないとだけど、まだ淫語抜きが終わっていない。
一応、予定では晶エリーの中出しソープ。そのあと瀬奈ジュンをやって、みづなれい、椎名ひかるの淫語痴女あたりか。ずっとサボってきたから候補はいっぱいある。

しかしまた最近、ひどい淫語タイトル作品が増えてきたよなぁ。
淫語がぜんぜんないのに「淫語なんたら」とかの作品が出始めている。
マニュアルの更新と連動しているのかと思うぐらいひどいよ。
やっぱりつづけないとなぁ。

正月から腰が痛い。書く姿勢が悪いのか、急激に太ったせいかわからないが、あまり長い時間、座って文章が書けない。
昨年、iPadを買ったんだが、これがものすごく重宝している。どんな姿勢でもちょっとした文章ならこれで書ける。それでも限度はあるよね。

あと最近は長電話が多くて、ついつい長話をしてしまう。
切るタイミングもなんだか難しい。仕事などの用件で電話しているときはいいんだけど、おしゃべりとなるとなかなかねぇ。
昨日なんか3連荘だったもんで、19時から23時まで何もできなかった。
やらなきゃいけないことがたまっている。今日こそは決着をつけなきゃね。

淫語からエロの構造を考えてみる 

  • [2012/01/03 23:49]

みのる監督のこの記事なのだが、淫語にもいろいろ種類があるというのはマニアからすれば自明の理で、自分の場合は真性の淫語マニアでもあるので、淫語を使う作品の内容がSかMかなどはどちらでもかまわない。この記事の場合は主に痴女淫語とゴールドマンの強制淫語を例としてあげているが、自分の場合はさらに淫語テキストの朗読もいけるし、それこそ単なる淫語まじりのガールズトークでも興奮できる。要するに淫語が出てくればなんでもいいのである。
そのかわり痴女なら痴女としての完成された淫語が聞きたいし、強制淫語なら女性側を追い詰めて羞恥、戸惑い、諦め、被虐と表情の変化をちゃんと捉えている淫語が聞きたい。
その他、朗読ならやはり鼻濁音の使い方がうまい人がいいし、ガールズトークなら無防備な女性の言葉を聞いてみたい。街行く素人に淫語を言わせるなら生々しさこそ生命線だと思う。

ついでながら言っておくと、真性の淫語マニアというのは、なによりもまして淫語で興奮する人間のことであることは言うまでもないだろう。でもこういうフェチ心は意外と理解されていないようだ。
たとえば「いいセックス」をするために、いろいろ考えつくオプションの一つとして「淫語」というスパイスを使ってよりエロくするというのが大方の認識だろう。
だが真性の淫語マニアというのはそうではない。いいセックスのためにいい淫語があるのではなく、いい淫語が聞きたいから、いいセックスが必要なのだ。
目的と手段が逆なのである。

これは淫語に限ったことではない。フェティシズムやパラフィリアのほとんどがそうであり、だからこそフェチは性倒錯とも言われるのである。
だが自分は思うのである。簡単にフェチだ、性倒錯だと言うけれど、もともとエロの本質というのはそういうところにあるのではないだろうか?
実はエロに対してノーマルだと思っている人も、セックスそのものがエロだと思っている人は少ないのではないか?

もしも単にチンコがマンコに入ることをもってセックスと呼ぶのなら、それは単なる生殖行為でしかない。その場合、セックスの目的はエロスではなく、あくまでも種を残すためのものである。エロと生殖は同じわけではないだろう。
厳しくいえば、子どもを作るため以外にセックスをしてはいけないのである。
しかし、エロは違う。エロは子どもを作る目的で存在する感情ではないだろう。関連はあるが同じものではない。

エロが官能という言葉に置き換えられるなら、まさにエロとは感覚のことである。それはまさに感覚器官を使ってなされる何かということにほかならない。
ならばエロとはチンコとマンコが出会うことではない。性行為そのものというより、そこにまとわりつく感覚や感情なのではないか。それはふだんは心の奥深くに沈殿している澱のようなものだ。ある刺激を受けて、心の水がつまったビーカーが激しく揺さぶられると、とたんに欲情という澱カスが吹き上がって心の隅々まで拡散する。

そんなイメージで、フェチがわかればエロの本質がわかってくるのでないか。それが淫語AVマニュアルをはじめたことの意義でもあった。

これは決して観念的な話ではない。
こちらはこれ以上ないぐらい具体的な「コト」を扱っている。すなわち、AVで実際に話されている会話を抜き出し、さらにそこでいわれているマンコやチンポといった淫語の数をカウントしているのである。
そんなことをやっているヤツは世界中探したって一人もいない。
しかしそんな一見、無意味な数をかぞえていくと、そこには確かになんらかのメカニズムがあることがわかってくる。
そこを追求して面白いと思えたので五年間もつづけられたのである。 しかも自分にとってはエロそのものを扱っているので冷静に数をかぞえるのも一苦労なのである。油断するとオナニーをしてしまいそうになる。股間に伸びるその手を思いとどめてAVを観つづけるというのは、非常なタフさを要求されるのである。
これは一種の苦行だ。その先に悟りがあるのかないのかわからないまま、いまだ煩悩にまみれた荒凡夫の姿をさらしつづけているのである。

そういった事例研究の上に、淫語を通してエロを考察していくのが、淫語AVマニュアルであり、このボヤキの小窓であった。

そんな自分が、AVではなく実際の女優さんを使って、淫語とエロについて考えられる機会を得た。相手は映像ではない。生身の女性である。
もちろん相手は仕事でくるわけだが、それでもこちらは淫語研究家である。彼女たちからするとまず聞かれることのないようなおかしな質問をいろいろしていたりする。
その答えを聞いて、自分は一人ほくそ笑んでいるのである。

変態である。
我ながら狂っていると思う。
しかしものすごく愉快なのである。
撮影もそうだが、監督面接なんて楽しくてしょうがない。

しかしだ。
そうなるとやはり映像と生とでは違う。
予想するだけで確認できずにいた様々な仮説が生のやりとりで実証されつつあって、それはそれで大変に満足なのだが、そこからさらに新しい感覚が生じてくる。
どうやらMotheRsに参加することにより、それまでとはまったく違う、まったく新しい地平線から見た、まったく気づけずにいた淫語のエロメカニズムを探り当ててしまったようだ。
実は今年の9月からこれが妙にモヤモヤしていて判然としないのであった。なかなか言語化できずにいたのである。

そこで次回、それを少し書いてみようと思う。いつまでもこれらの問題を幽玄の彼方においておくわけにもいかないだろう。
ただしこれはあまりにもマニアックすぎるので、おそらく大方の人はどうでもいい話である。実はまだ二村さんにも話したことはない。
でもこういうのを書くのが淫語魔なのである。
淫語魔はもともと理屈オヤジなのである。
新しく生まれ変わった淫語魔Ⅱは、さらに輪をかけて理屈オヤジになるのである。

ということで続きは次の記事で。

2012年 淫語魔Ⅱ 始動 

  • [2012/01/02 23:53]

2012年、あけましておめでとうございます。
旧年中、おつきあいくださった皆様にはより以上のご愛顧を、またこれから出会う皆様、拙い人間ですがよろしくお願いします。

いやぁ、始まってしまいましたねぇ、2012年。
なぜだかわからないんだけど、昨年の暮れから2012年のことを考えるとなんだかワクワクしてしょうがないんですよねぇ。なんか漠とした期待感がどこからともなくやってくるんですよ。
まあいろいろ計画があるからなんだけどね。

もちろん新生淫語魔、「淫語魔Ⅱ」としては、昨年の夏からはじめたAVのお仕事にかなりの比重がいくのは間違いないんだけど、それ以外にも昨年から始めていること、あるいは仕掛けようとしていたことが、何か一つにまとまり始めているんだな。
昨年までは正直、いろいろモヤモヤしていたわけなんですよ。
なんかこう、常にどこか屈託があって力が入らないことがしょっちゅうあったんだよね。

それがようやくここにきて整合性がとれてきたというか、今までやってきたことが何らかの形に統合されて、それが発展していくみたいなイメージがわいてくるんだ。
その中には、直接自分がかかわるわけではなく、ただ楽しみにしているだけの案件もあるんだけど、とにかく今年は個人的に動きがいのある年だなぁと思っている。

淫語マニュアルもなんとかしないといけないね。
とりあえず今週中に最低1本は上げときますよ。

実は最近、渡辺琢斗監督にお会いする機会があってね。いろいろ相談にも乗ってもらったんで、まずは「淫語中出しソープ」を立て続けにいきましょうかね。
あとは、ビーバップ・みのる監督が年末に自分のブログで淫語について語ってくれていたので、「淫語痴女」も1本ぐらいやって、それから満を持してMotheRsの淫語作品を紹介する感じかね。
本当はもっと売らないといけないんだけど、それはボヤキや淫語AVマニュアルというよりはMotheRsのホームページでやるとして、このスペースはもっと突っ込んでいいのを取り上げていくよ。

本当はサイトのリニューアルもしたいので、これは今までのように行き当たりばったりではなく、計画を立ててやっていきましょうね。

あとは官能小説。
コンビニ売りのエロ雑誌に、官能小説の書評を連載するようになって、自分は意外と官能小説を読んできた人間なんだなぁって、初めて自覚したのね。

よくよく考えてみると子どもの頃に、家に官能小説がよくあったんだよね。今思えば父親が好きだったわけだけど、そこで富島健夫やら川上宗薫なんかをよく盗み読みしていたわけなんですよ。

それでついこの間、急に思い出したんだけど、うちの父は泉大八と知り合いだったんだよね。そういえば家に来ていたことがあったよなぁ、なんてね。こういうのって突然思い出するもんなんだねぇ。

もちろん、それを思い出させるきっかけを与えてくれたのは、花房観音ではあるんで、彼女の小説もボヤキで書かないといけない。これは彼女とも約束しているのでね。
彼女はホントにいい小説を書いていますよ。
彼女の小説は全部読んでいるけど、読むごとにうまくなっている。
実に楽しみですねぇ。
芥川賞とか、取んねぇーかなぁ。官能から純文学に殴り込みにいくのは、団鬼六の遺志でもあるしねぇ。

ということで、今年の淫語魔はAVと官能小説が基軸かな。
年末には撮りたい女優さんで、撮りたい企画で、自分でもできあがりに納得のいく作品を作る。なおかつ淫語魔しかできないようなプロモーションをする。
今年の目標はそれだね。

魔が消えずに桜と蓮が消えた。 

  • [2011/12/30 23:59]

本当は、昨年の今頃、自分はひそかにある決意をしていた。
平成18年から始めた淫語AVマニュアルだったけど、「淫語魔」というネット人格とともに平成23年をもって終わらせるつもりでいた。
ところが、来年もまだ「淫語魔」を名乗って活動を続けることになってしまった。

むしろ盟友の「藩金蓮」が、「花房観音」となってプロの作家としてデビューしその名前を捨てしまった。
そして今月になって元AV女優の「桜一菜」が、それまでの自分のキャラと決別して、まったく別の道をいく決意をしたらしい。

淫語魔というネット人格は消えないで、2011年に消えたのは藩さんと桜ちゃんの方だった。
そのことを昨日と今日、それぞれ皮肉と自嘲をこめて二人に告げたら、二人とも「MotheRsを始めちゃったんだから、無理に決まっている」って言っていた。

そうなんだ。すべては淫語魔の最後の花道と思って、二村さんの誘いに軽くこたえてしまったことにあるんだよね。

そのMotheRsについては書きたいことがいろいろあるが、すべては来年から本格的に書くことにする。
作品自体も、ようやく撮影に慣れてきて、自分なりに及第点を出せるものがリリースされはじめる。これでタイトルにどうどうと「淫語」と入れられるようになる。
ラインナップがそろってくれば、ボヤキとしても淫語AVマニュアルとしてもいろいろ言及しやすくなる。
正直、ここでは厳しいこともきっちり書こうと思っているんだ。そうじゃないとおかしいしね。

作品のことももちろんそうだけど、やはり中に入ってみないとわからないことがいっぱいある。
AV不況というの本当にものすごいことになっていて、たとえば2004年頃に二村さんやKINGDOMなんかが毎月リリースしていたような作品はまったくもって作れない。
そんなことがよぉーくわかった。

とにかく制作費の桁が違いすぎるんだもの。
自分は最初、MotheRsの目指すものは、松本和彦や高橋がなりの時代のインディーズみたいな作品をイメージしていた。だけど松本さんに聞いたら、あの「一期一会」シリーズですら制作費が6000万だそうで、今はその1/30以下で作ったりしなきゃなんだもんね。これではぜんぜん話にならない。
MotheRsも最初は「アマゾネス」でドカンと花火を上げたように見えるけど、あれはあくまでベイビーエンターテイメントとのコラボだから出来た話で、そういう意味ではこれから予算的には堅実な作品のリリースが続く。
結局は身の丈にあったものをコツコツ作る。華々しい作品はお金のある大メーカーにまかせて、ジャンルもかなりピンポイントにして、まずはメーカーを軌道に乗せることを最優先にしてじっくり作っていくしかないだろう。
そういう意味で管野しずかの『男魂快楽地獄責め ~戦慄のマルチプル・オーガズム研究所~ 第一巻』がヒットしてくれたのは、今のMotheRsがまず何を作るべきかの方向性を示しているのだろう。
こうやって一つ一つ、やっていくしかない。

それとライター業の方もだんだん面白くなってきてしまった。
WEBだけではなく、紙媒体にも自分の書いた記事が載り始め、とうとう定期連載の仕事もできてしまった。来年はさらに広がりを見せそうな気配だ。

そうはいっても、自分の場合、この淫語AVマニュアルを抜きにしては語れないので、こちらの方の充実もやっていかないとね。
やりたいことはいっぱいある。もう少しうまく時間を使っていかないとなぁ。

ちょっとまだMotheRsの仕事の要領がわからなくて、精神的にきついときがある。
こればっかりは慣れるしかない。

二村さんとは四〇を過ぎてからできたともだちで、自分はもともと二村信者でもなんでもないし、むしろ二村さんの作品にはどこか批判的なところがあったのだけれど、それでも二村さんとなんかできるのはとても楽しみであった。
実際にすごく楽しい。
自分の見通しの甘さから、ときには他の仕事に差し障りがでることもあったんだけど、それでもMotheRsに参加して後悔していないのは、やはり楽しいからなんだよね。

これはよく聞かれるんで言っておくと、はっきり言って今の自分の状態でAVメーカーに関わってもまったくもって金銭的なうまみはない。むしろ副業ではじめたライターの仕事の幅を広げた方が実入りはいいので、それを考えると損しているのかもしれない。
でも仕事って結局、仕事内容と、一緒に仕事をする人たちとの関係性によると思うんだ。MotheRsに関わる人たちは基本的に好きになれる人たちばかり。だから当初はもっと距離を置くつもりでいたのに、気がついたらかなり前のめりに、のめり込んでいた。

そんなこんなで「淫語魔」はやめられず、もっとがんばんなきゃならなくなってしまったわけ。
むしろ来年は生まれ変わった気持ちで淫語魔Ⅱぐらいにならないといけないかもね。