今年もあともう少しで終わりです。 

  • [2006/12/27 10:17]

2006年って実は松本監督が「一期一会」で淫語ジャンルを確立してから、ちょうど10年目の節目の年なんだよね。
実質、この作品が世に出てヒットしなかったら、「淫語」という言葉はここまで普及しなかった。
淫語プレイそのものは昔からあったけど、「淫語」という言葉を当ててメジャーにしたのは松本和彦であることは間違いないところだろうから、そういう意味では10年目に淫語AVマニュアルができたことは、時の符号なのかもしれない。

ネットで見てみると、「淫語」という言葉はSM小説が初出という記述もあるんだけど、その原典は何か確認できていない。
ただ淫語プレイ自体はSMとは関係ないところで昔からあったと思っている。
確か井原西鶴の『好色一代男』で世之介がやってたように思うんだけど、今度、暇を見つけて当たってみようかと思う。
記憶が定かではないんだけど、古文で女性器を言わせるシーンがあったと思うんだよね。
「そそ」だったよな、確か。

さて、「棒読み」の話。

「棒読み」というと思い出すのは、小津安二郎の映画。
自分は昔の日本映画が好きで、黒澤も成瀬もよく見たんだけど、小津安二郎は原節子の魅力に取り憑かれてて、彼女の出演作はほぼ全部見ている。
たいてい、笠智衆がお父さん役をやっているわけだけど、小津作品のセリフの言い方は、よく言えば「感情を抑えた、淡々とした口調」ということで、まっ、要は「棒読み」なんだよね。

実際、小津の映画を最初に見たとき、なんて下手なんだろうって思った。
見たのは「東京物語」だったんだけど、口調が少し変すぎやしないかとも思った。
でも妙に説得力のある作品で、そのあと「晩秋」だとか「麦秋」だとか「秋刀魚の味」だとか見ちゃってね。
出てくる人みんな棒読み。杉村春子が少しだけ抑揚があるんだけど、間が変なんだよね。
でも、実はその間の開け方こそが、小津映画のリアリティーなんだな。

考えてみると、自分が主観好きなのは小津が好きだという流れと同じなのかもしれない。

世の中には、小津映画の良さを理解できない人もいるみたいだけど、あの映画を理解できない人って、漱石とか芥川とか読んで、つまんないと思うような人たちなんだろうなと思ったりする。
ストーリーが予定調和だとかね。
自分が日本の小説で一番好きなのは、漱石の「明暗」なんだけど、あの小説なんて未完だからね。起承転結も話の起伏もあったもんじゃない。

自分はエンターテイメント小説のような人工的な話も、ハリウッド映画のようなストーリーだけを楽しむような映画も好きだけど、純文学も、小津やトリュフォーのような映画も好きなんだな。

AVにも心理的なエロスを求めているところがあって、まぁ、そんなに高尚なもんじゃないんだけど、見ていてジワジワくるようなエロがほしいのよ。
「淫語」って言葉だから視覚よりも抽象的で、かなり心理的なもんだと思うのね。
そんなものにハァハァする自分ってなんだろうって思ったりもするんだけど。

小津映画なんかを例にとれば、どんなに抑揚を感情込めて言っていたとしても、間が悪い人はダメだし、逆に間がよければ抑揚がなくても、言葉がリアルに聞こえることもあるんじゃないかと思う。
「淫語」の言い方も同じだろうと。

特に映画や演劇の場合、「間」というのは、行動とも連動している。

動作とセリフによる間の相互関係にこそ、淫語AVにおける、淫語のリアルさがあるんじゃないかとにらんでいる。
だからどこからカットインするかは淫語AVの場合、とっても大事なはずなんだけど、全く理解していない監督さんがいたりして、そういうのに出会うとその監督さんを呼んで、その人のこめかみをグーパンチでぐりぐりしたくなることがある。

寧々さんはうまかったね。動作と言葉が連動してた。 編集もよかった。
でも、寧々がサポート アナタのオナニータイムも、ハードさがない、淡々とした作品だった。
だから、あの作品の良さを今ひとつわからない人もいるんだろうな。

淫語と緊張 その2 

  • [2006/12/23 09:20]

一口に「棒読み」といっても、いったい何をもって「棒読み」と言うのだろうね。
以前、広辞苑で調べてみたことがある。

「文章を抑揚や区切りをつけずに読むこと」

「区切り」というのは「間の開け方」、沈黙の時間を意図的に使うことと考えていいよね。
これはわかりやすい。
ただ「抑揚」とは何だろう? 今ひとつ、わかりにくい。

続けて、広辞苑で調べてみた。

「調子を上げたり下げたり、また、強めたり弱めたりすること。あげさげ。音楽の調子、文勢などにいう。イントネーション」

これがわかるようで今ひとつピンとこない。
とりあえず、そういうとこらへんを気にしながら、あらためて淫語AVを見ていこうと考えた。
まだ毎日更新していた5月のこと。アップを週3回にペースダウンして、サイト運営自体もじっくり見直していく必要性があるぞと思い出した頃の話だ。

んで、今のところのまとめとして書いておくと、淫語がうまく聞こえる女優さんの言い方は、声の大小・高低・緩急がその意味内容に従って、どうその人なりに強弱をつけられるかということみたいだ。
これに発音・滑舌、間・リズム、それに語尾の使い方がかなり大事だったりする。
当然、これには自分の趣向もあるかもしれないから、まだ精査していく必要があるけどね。

それとくれぐれも注意しておかなくてはならないのは、これはあくまで音声のみを抜き出して聞いた場合。
これに画がともなうとさらに事情が変わってくる。

前々から言っていることだけど、自分は作品データを作るときに、よく音声だけを聞きながら、作っていることがある。
「よくできている作品は音声だけ聴いていても、ちゃんと意味が伝わってくる」なんて書いたこともあるけど、音声はよくできているんだけど、映像と一緒に見るとまるでダメって作品もあったりする。

絡みでの淫語で大事なのは、なんといってもその女優さんの表情だ。

顔の表情が豊かどうか。
笑みや怯えや困惑顔があるかどうか。
口元や眉毛の上げ方はどうか。
頭(首?)の振り方はどうか。

特に目はかなりのポイント。
目の表情。目線の投げ方。瞬きの仕方でかなり変わってくる。

緊張していたり、段取りに追われていっぱいいっぱいの時は、たいてい顔が死んでいたりする。
前回の広瀬晴美は、ほぼ能面状態。
顔が緊張しているから、声帯もこわばっている。
だから、音声が平板で硬い。

零忍の「痴」女優はそのあたりが如実にわかっておもしろかった。
彼女の最初の演技は硬くなっていて、淫語がクリアに聞こえない。
ところが、撮影が進行していくに従って、口元が弛緩しだした。
目もトローンとなったり、瞳孔がパッと開いたり。
舌がよく口の端からダランと出始めた頃には、音声が聞きやすくなった。
声帯の周りの筋肉が緩んだこともあるんだろうけど、言い方も声の高低、間の取り方などがうまくなっていた。

この「表情」っていうのは、何も顔だけにとどまらない。
手振り・脚振り・腰の振り方にもかなりその人なりの表情が出る。
牧原れい子さんは芸術的だった。
今なら友田真希ちゃんだろうか。彼女はそんなに淫語を言うわけじゃないけど、淫語も含めて、彼女のおしゃべりエッチの才能はすごい。彼女はその言い方からしてまた他の人とは違うものがあるんだけど、それはまた別の機会に振れることにする。ここら辺になっていくと神業の領域に入ってくるのでね。

「棒読み」でのイントネーションの問題は、地方出身者の女優さんによっては、もともとそこの土地柄があまり抑揚のない言い方の場合もあるから、それはまぁ、しょうがない。
でも、間の開け方、沈黙の使い方一つで、見ている側に緊張を与えることは可能だ。
またあえて沈黙の貯めを作ることで、女優さんにも何かを考える一呼吸をおかせる作用が起きるかもしれない。

間の取り方については、また別の機会で話すけど、セリフをゆっくり言わせてあげることで、聴いている側に多少なりとも緊張関係が生まれることを、淫語を言わせる監督さんには理解しておいてほしい。
その間で、表情が変わるようになれば、そこでの淫語は光るし、何の表情の変化も生まれず、顔の筋肉が全然、変化しなければ、駄作になる。

演技が下手くそな上に、早口でしゃべるから、とってもひどい棒読みに聞こえてしまうんだ。

特に、高めの声での早口は、よほどの技術がないと難しい。

これは男優も同様で、声が高めの田淵君も、まだゆっくり話しいるときはいいんだけど、興奮してる演技で早口になるとどうもね。
そのたびに脳内で何度、彼の口元にグーパンチをお見舞いしたことか。

本番そのものが秘め事じゃ、ボケぇ!! 

  • [2006/12/09 17:34]

ある女優さんのブログを覗いていたら、大分前の記事に「淫語が苦手」だと書いてあった。
普段は無言でエッチする人だから、言い慣れない言葉を言うとウソっぽく聞こえるとのこと。

そこを喋らせるようにするのが、淫語をし向けていくこちらの醍醐味なわけだから、この反応自体は微笑ましい感じがした。

ただ、プロだからね。その辺は頑張ってクリアして欲しいとは思うんだけど、そのブログにコメントしてきたファンの人の書き込みがね、とてもバランスに欠いた内容だった。

「男でも秘語にしている」淫語を言わせるのは「要するに、売れればそれでよいという志向でいるからコワイ」らしい。
んで、「今平和ボケの時代だから美意識に欠けてもいる。というのは淫語使わなくても売れるものは売れる。と思うのですが?」と締めくくっている。

「淫語が秘語」だったのはその通りだ。

昔、昭和40年代ぐらいまでは「おまんこ」なんて言葉を出版物に載せて、それがお上の知るところになったら、その出版物はすぐに発禁処分、廃刊にされることもあった。
でも、今は「おまんこ」と書いて発禁処分にはならない。

確かな記憶を元に書けば、80年代後半ぐらいには雑誌などで「オマンコ」表記は徐々に解禁されていった。フランス書院のエロ小説ではその辺りから伏せ字じゃない小説も登場してきた。

ヘア写真集が出版され世間にヘアー解禁が囁かれ出したのも、その頃ぐらいだったと思うけど、ただ性的な表現をともなう解禁はもっと後のことだ。
「Beppin」って雑誌は、ヘアーを手でつかむ写真を掲載しただけで廃刊に追い込まれたことがあった。94年暮れのことだ。

そんなことを思い浮かべながら、「平和ボケ」とか抜かしているこの「見識のない独りよがりな感想」を読み流すつもりでいたんだけどその後、この女優さんは、その人のコメントを受けて

「・・・だーよーね~!!!私もそう思うので、我が道を突き進むことにします♪心強いお言葉ありがとう!」
と応えていた。

淫語AVマニュアルの女優別ページに上げていた彼女の名前と作品名を、速攻で消した。

昨日のVOICE☆FACTORY 

  • [2006/11/26 09:59]

>VOICE FACTORYのもちだ弁慶さんへ

昨日のブログの記事「淫語とシチュエーション」にコメントしようとしたら長すぎてエラーになっちゃいました。

だから、私のブログに書くことにします。

むかーし、普段、「おちんちん」とか「マンコ」とか普通に会話で口にしていた彼女が、いざエッチとなって、「マンコをおちんちんで掻き回して!」って言わせようとすると、激しく恥ずかしがったってことがありましたね。

淫語の単語そのものにも、恥ずかしがるコもいますけど、あるシチュでの淫語セリフが恥ずかしい人もいるみたいです。

デビュー間もない長瀬愛ちゃんのビデオで、一条真都がV字開脚した愛ちゃんに「このマンコに肉棒をぶち込んでください」って言わせようとしたら、愛ちゃんが困った顔して、言いよどむシーンがありました。
横にいる一条が「恥ずかしい? 恥ずかしい? じゃ、おちんちんでいいよ」って素で言うと、頷きながら「肉棒なんて言えない…」と言って「おちんちんを…」と淫語ゼリフを続けたことがありましたね。
つまり愛ちゃんが言えなかったのは、「肉棒」って単語じゃなくて、「肉棒」が入ったセンテンスをマンコをV字に開きながら言うシチュにあったということで、そこがミソなわけです。

羞恥系淫語の醍醐味は、相手の恥ずかしがるセンテンスを、恥ずかしがるシチュで、探る楽しみも、あったりすると思います。

ちなみに私は「痴女」も「羞恥」も「連呼」もなんでもいけます。
ただ、それぞれツボが違いますね。
だから「淫語」ってことで一括りにして、そのツボの違いを意識しない作り手にはイライラさせらることが多いです。
かつて、私が好きだった大手AVメーカーが、今、その状態のような気がして嘆いている今日この頃です。

所有格淫語 

  • [2006/11/16 21:57]

今回の早坂・nao.ダブルドリームもそうなんだけど、レアルの淫語で、安田・新井・望月の3人の監督さんが撮った作品は、わりと所有格淫語を使ってくれていて、その点が嬉しかったりする。
「nao.のおまんこ」とか「ご主人様のおちんちん」とか。

この所有格淫語、すなわち名詞の前に「の」という格助詞をつけて、そのあとに淫語をつなげるパターンは大体、4種類に分けられる。

①指示代名詞 「このおまんこを…」「そのキンタマ袋…」
②人称代名詞「私のクリちゃんが…」「あなたのキンタマに」
③社会的呼称 「童貞君のおちんちん」「先生のお尻の穴」
④固有名詞 「ひとみのマンマンも」「nao.ちゃんのお豆ちゃん」

この所有格淫語、淫語マニアは大抵、好きだと思う。

所有格淫語は、相手との距離感をグッと近づけるような効果がある。
そのことは、指示代名詞の淫語がほとんど「この」を多用して使われていることからもわかると思う。
あまり「あの」とか「その」とかは使わない。
やはり

このおちんちんをおまんこに入れて!」

だろう。

ただ、どうせ言わせるなら、さらに明確な方がいい。

このあなたのおちんちんをおまんこに入れて!」

ちょっと心理的に近づいた感じがする。

さらに、社会的な呼称が入るとより相手との関係がハッキリしてきて、つながりが太くなぞらえてくる。

「このあなたのおちんちんを先生のおまんこに入れて!」

やっぱりグッとくるよね。

そしてより強い一体感を得るには、なんといっても固有名詞。

「このあなたのおちんちんを先生の…、うんうんっ、ナオの、ナオのおまんこに入れて!」

どうよ。

逆にね。淫語作品で、この所有格がないのは、おざなりに淫語を言わさているようで懐疑的になる。「この監督はとりあえず淫語を言わせておけば淫語好きは喜ぶんだろ程度に思ってんじゃないの」ってね。
所詮、淫語が好きじゃない人間には、わからないんだろうなぁ、こういう感覚。
強制淫語でも、わかっている男優や監督は、必ずここを言わせようとする。

「はい! 誰のどこに何が入るのかちゃんと言ってみろ!」

大事だよねえ。