ちょっとだけ風呂敷を拡げてみる 

  • [2008/09/04 22:53]

最初、淫語の線引きをしようとしたとき、真っ先に思ったのはそれが他人に向けられた言葉であるかどうかだった。

もともと自分の淫語好きはおしゃべりエッチがエスカレートしていったものだった。
羞恥を目的としたイタズラが知らず知らずのうちに淫語プレイへと発展した。
すなわち淫語の強要から始まったわけだが、こういうのはエッチを重ねるうちに相手も次第に言い慣れてくる。
そしてそのうち向こうから言うようになった。そのコにすれば無意識に言ってしまった淫語なわけだが、それが自分ではとてもイヤらしく聞こえたのだった。

自分が一番聞きたいのは、そういう無意識に言い放つ淫語で、それを「痴悦淫語」と名付けてみた。
自分は嘆息まじりのつぶやくような淫語が好きなのだが、痴悦淫語には獣のような絶叫系や、ひたすら連呼するトランス系までその女性の個性によってバリエーションがあることを知った。
ただ形はどうあれ誰に向けられたわけでもない独白淫語であることは違いない。

独白も2通りあるのではないか。
一つは明らかに自分に向けられて言っている場合。これは多少自覚が伴っていなくもない。
もう一つは心の反射に近い形で出てくる場合。
体が反応したとか、精神が高揚したとか。
そういう無意識のうちに出てきた淫語を自分の中では極上のものと位置づけた。

ただそうはいっても、もともとおしゃべりしながらするエッチが好きだったわけだから、「痴悦淫語」だけでなく、相手とのやりとりからくる淫語もそれなりに興奮する。
さらに拡げればSEXがともなわない日常的な場面での淫語も好物だったりはする。
場合によっては日常会話での淫語の方が興奮するときもある。
要するに言葉が好きなのだ。
言葉遊びが好きなのだ。
そういう意識的な淫語を「痴演淫語」と名付けてみた。

「痴悦淫語」も「痴演淫語」の地続きになっている方が、より深いエロさを醸し出す。
以前、二村監督の作品には絶対他者がいないと評したのも、そのあたりを気にして見ていたことが大きい。

痴演がしっかりあってこそ、痴悦への飛翔が起こる。
これは淫語AVに限ったことではなく、AV全般に言えることだろう。また芝居や落語のような独演ものにも通じると思って、このブログでもいろいろ書いてきた。

「痴悦淫語」は比較的定義しやすかった。今でもほぼぶれずにレビューで使わせてもらっている。
問題は「痴演淫語」の方で、淫語AVを見ていくといろいろあることに気がつく。

淫語朗読、街頭淫語インタビュー、淫語レポート、淫語レッスン、淫語ナレーション、アフレコ淫語。
昔、SODでは「心の声」なんていう設定で、アフレコをあてて淫語をたくさん言わせたりした作品があった。

すべて「意識的な淫語」ということで「痴演淫語」に含めてみたものの、これももっと細分化していいのではないかと思った。
それでさらに「公的か私的か」「不特定多数、不特定少数、特定少数、特定個人」「能動、受動」。そして言葉の「冗長度」。

さらに談話の種類にはどんなモノがあるか考えた。
講演、演説、告知、朗読、討論、命令、叱正、説諭、指導、対話、会話、挨拶、告白、懇願、謝罪、つぶやき、絶叫、ボヤキ、反応。
一つひとつ吟味したところ、「あけおめこ」(挨拶)など、それぞれに淫語を入れることは可能だということがわかる。

これに淫語を言うポイント(たとえば挿入直前とか、フェラ中にいうタイミングとか)、淫語の修飾(形状、ニオイ、色とか)、さらに擬音淫語、実況淫語、淫語連呼、淫語の部位・種類(女性器、男性器、タマ系、クリ系など)、まぁいろいろ考えてはみた。

サンプルには事欠かないし、ひょっとしたら卑語ゲーで飯を食っているライター連中よりも研究しまくっているかもしれない。
でもまだちょっとまとめきれていない。

いずれはこれに非言語表現との関連(目線、口角の上げ下げ、表情、身振り・手振り)とか、音声学的なアプローチも加わえ、さらに淫語のエロスについて追求できたらと漠然と思ったりしている。
淫語の歴史も追えれば追いたいし、中・近世の文献や民俗学的な資料とかももっと漁ってみたい。
そこまでいくとAVに収まんなくなるけどね。

AVでいうなら昔から心がけていることが一つ。

「淫語AVが台詞や音声を配慮したAVであるならば本来それはどうあるべきか」

これはずっと気にしているテーマだ。

でも自分はウグイス派だけどね 

  • [2008/06/01 10:48]

この間、久しぶりにホトトギスの声を聞いた。
清少納言はウグイスよりホトトギスの方がいい鳴き声をすると言っていたが、声のキレイさだけなら、自分はウグイスの方がクリアで聞きやすいと思う。実際「ホーホケキョ」と文字化もしやすくわかりやすい。
それにくらべてホトトギスの鳴き声はなかなかうまく書き表せない。いちおう「テッペンカケタカ」という聞きなしがあるが、自分にはどうもそう聞こえない。

淫語台詞をディクテーションしていると、よく文字化できない声が発せられていて苦労することがある。
たとえば女優さんが淫語まじりの会話中に照れ笑いして「えへっ」みたいな声がでたりするのだが、これがなかなか正確に表記できない。
こういうのをなんていうのだろう。オノマトペか。
でもたとえばマンガのオノマトペは、やはり視覚化された言語表記で人工的ですらある。現実の音からはかけ離れていたりするのではないか。

あえぎ声もそうだ。
淫語AVマニュアルには「あはん」とか「ああああ」とかオノマトペとして書いたりするが、正確には「あはんっ」なんて言っていない。実際はもっと複雑な音だ。
あえて似せて書くなら「えふぅ」とか「ぬほ」とか人によっていろいろだ。「ああああ」も人によって微妙で、「ん」と「う」、「あ」と「わ」、「え」と「お」の間をいったりきたりしている。いずれもはっきりとした言葉でないので表記できないんだが、文字で「えふぅ」なんて書くとあまりにも伝わりづらいから定型化したオノマトペで書いてみている。

この文字化しにくい音は、おもに日本語のアクセントの場所に発生する。

現在、一般に使われている日本語のアクセントのほとんどは、欧米言語と違って「強弱」ではなく「高低」だと言われている。日本語は何もアクセントをつけずに話すと、だんだん音が下がる傾向にある。最初の音は自分が一番言いやすい音域から発っせられ、それからだんだん下がっていく。そのうち発しにくい音程になると息継ぎの時にあらためて音をあげて、再び自分の発しやすい音域から発語することになる。
この息継ぎの場所というのは、たいてい文節のところにあるから、体言止めのような例外をのぞけばアクセントは助詞につくことが多い。ここにこそ日本語の話し言葉の表情がある。
助詞そのものというより、その前後の音の最後につく母音の高低や強弱、長短などに言外の意味が含まれているのだ。
「○○がぁ~」「××だったのにぃぃぃぃ」「▲▲でっ!」「□□したーい」など、特に若い女の子の助詞の使い方はユニークだ。
助詞終わりの息継ぎにあたる場所で、「あはんっ」や「ああああ」のような非言語の音が入り込んでさらに言葉に彩りを添えることがある。

この文字化できない声や助詞の高低アクセントが「一般の会話における日本語」の表情ではないかと睨んでいて、あえぎ声のいやらしさの重要なポイントではないかと思っている。

ここで「一般の会話」とあえて断ったのは「訓練されてない声での会話」という意味において、ということだ。
この非言語の声は声優さんなどでもやってないわけではない。自分もときおりエロボイスを聞いて楽しんだりするが、一色ヒカルさんなどはそういうあえぎ方がうまいし、聞き惚れてしまうことがある。
だが、それでもそのあえぎ声は実写のそれとはかなり趣が違う。どうもキレイすぎるのだ。エロゲなどで書かれたシナリオの声はやはり作られたあえぎ声の音で、不規則な部分、ある意味、汚い音がないのだ。この間更新した片瀬まこさんのあえぎ声と較べるとライブ感が足りない。
あの音のつらなりは今のところ声優さんの演技では表現できないのだ。

ただこれは実写だから必ずできるかというとそういうわけでもない。
この間の麻美ゆまちんの作品はそのあたりが乏しい。彼女は助詞のアクセントの使い方はいいので演技自体はうまい。だが逆にそれが彼女の演技臭さにつながってしまう。「僕だけの麻美ゆま」での強制淫語などはその演技臭さがでていてこのあたりを嫌う人もいるだろう。やはりキレイすぎるからだ。

だいたい美しい言い方などというと、たいていの場合、鼻濁音の使い方がどうだとか言われるわけだが、自分などは鼻濁音の美しさより牧原れい子さんの鼻声の淫語連呼の方がよほど魅力的に聞こえたりする。
訓練されているから、あるいはプロだから当然、技は優れているだろう。だがそれがエロいかとなるとそれはまた別の話だ。

高級なフランス料理より、吉野家の牛丼が勝つときもある。

アフィリの運営会社も厳しいらしいね。 

  • [2008/05/17 12:28]

淫語AVマニュアルの独自ドメインを取得するとき、「ingomanual」とavを抜いて登録したのは、AVだけにこだわらず、もっと広汎な「淫語サイト」に発展することもあるかとチラっと思ってしまったから。今のところは淫語AVのレビューで手いっぱいだけど、淫語の世界を広めていきたいという気概は常にある。

WEB上での淫語分野は大きく5つぐらいに分けられそうだ。

1つは淫語テキスト。
官能小説もそうだが、掲示板の書き込みのような素描程度ものなど。サイトとしてはまとまったものがなかなか見あたらないので残念だが、探せばないわけでもない。
もともと自分はエロ小説を読んでた口だし、日本の古典も西鶴の『好色一代男』みたいな長編から艶笑小咄のようなくすぐりまでどれも好きだ。その中には淫語文章も結構あって、当たり前だけど伏せ字とかで書かれていたりはしない。

2つ目は淫語音声。
妖声堂さんYSクラブさんなんかが昔からやっているやつで、YSさんの場合はテキストやAV紹介もあって、ひょっとしたら総合サイトも考えていたかもしれない。
自分なんかは淫語サイトというとまずこのあたりをウロウロしていた。官能小説は本屋で買ってたが、音声となるとそうもいかない。
これらの音声サイトはだいたい素人っぽい女性の淫語オナニーで自分の場合、オナニーものはAVより音声の方が好きだったりする。

3つ目は18禁のPCゲーム。いわゆるエロゲーなんだけど、2ちゃんねるのエロゲ板で昔から淫語を卑語で通してきたってこともあってか、メーカーの中には淫語より卑語で表記しているところもある。実際、「淫語ゲー」と発音するより「卑語ゲー」の方が語呂がいい。卑語ゲスレは淫語スレの中でも長く続いていて、住人もそこそこいるので情報が充実している。データベースもしっかりあって、中の人もよく頑張っている。

4つ目が淫語発言。
テレビとかラジオとかで思わず言っちゃっているとか、何気なく淫語まじりの会話をしているとか。あるいは、○○○のように聞こえるという「空耳」テイストのも含まれる。
鶴光のオールナイト世代からすると潜在的ファンはいっぱいいるような気がする。
サイトとしては本来なら、相互リンクしているフェチな奴らのためのおちんちん発言・キンタマ発言さんに頑張ってもらいたいところなんだけど、こちらは深い眠りについてしまって終了っぽい。残念だ。

そして最後にAVってことになるんだけど、AVは実はその黎明期からして、代々木監督が女性に「卑猥語」を言わせていて、そういう意味ではAVの歴史とともにあったと言えるんじゃないか。

FAプロのヘンリー塚本監督はAV製作するずっと以前、まだビデオが「一般家庭では再生するデッキすら珍しい」時代に、高価なカメラとデッキを買い、ビデオ撮影依頼の商売をはじめた。70年代終わりぐらいの話だ。
当初、「なんでも撮ってあげますよ」という触れ込みで、結婚式や子どもの運動会などの撮影を当て込んでのものだったらしいが、実際に舞い込んできたのは「愛人とのセックス」。金持ちのオヤジや親分さんみたいな人の依頼でSEXを撮り、それが話題になり当時の写真週刊誌に載ってそれ専門になっていったらしい。

「ええ、もちろん驚きの連続ですよ。初めての時ですか? もちろんはっきり憶えています。場所は渋谷の『東急イン』です。男は六十歳くらい、女は二十七、八といったところでしょうか。きれいな女性ですよ。それがね、二時間『オマンコいい、オマンコいい』って言いっぱなしなんです。僕は真面目でしたから、オマンコなんて言葉を口にしたことも無かった。ところがそういう世界では女性が『オマンコ、オマンコ』って言うんです。本当にびっくりした。それが彼らの悦びなんですね。それを言うことによってすごく興奮するわけです。凄い世界だと思いました。そして私自身も驚いているだけではなく、そういった世界にのめり込んで撮っていくようになったんです」

(中略)

当時の体験は現在のヘンリー塚本作品の基礎になっていると氏は言う。FA作品における性のリアリティーが他社の作品とひと味違うのは、そういった背景によるものではないだろうか。

東良美季『アダルトビデオジェネレーション』メディアワークス 1999.11.20

そのうちFAプロの淫語作品を上げてみようと思うけど、あそこの淫語モノはまさに『オマンコいい、オマンコいい』って言いっぱなしの作品ばかりで、また男優の花岡じっ太あたりがとてもいい淫語あおりを入れてたりする。
あれこそヘンリー監督の実体験をもとにしたものなのだろう。
ふだんのSEXで「いやらしいコトを言わせるのはAVの見過ぎだ」みたいなことをいう人がいるが、それは順番が逆なのだ。

SMの巨匠・団鬼六は奥さんを自分の弟子に寝取られたことがあった。
それがわかったとき、団先生は自分の弟子に「アノ時の声」の録音をさせるのだが、その淫声を聞いて何よりショックだったのが、奥さんのSEX中の女性器発言だった。
夫人とはいたってノーマルなSEXしかさせてもらえず、むしろアブノーマルな夫の性癖をさげすんでいるようなところがあったはずなのに、若い男に縛られ自分の時には決して口にしない「おまんこ」発言をしている。そのことに激しく動揺し深く嫉妬する。

こんなふうに淫語プレイはAVができるはるか前から存在していたし、卑猥なことを聞いて喜ぶ男女はいた。自分の場合もそうとは意識せずSEXの時は自然な成り行きで淫語会話をしていた。
今ひとつマイナーな世界であることは認めざる得ないが、であればこそ、この世界をもっと広げていきたいし、淫語関連で頑張っている人にはバックアップしていきたい。そのために総合サイトみたいなものが作れたらいいなぁと漠然と思ったりする。

ただ今のところ、後ろ盾できるほどの力はない。
今、自分ができそうなことはアクセスを回すことぐらいか。

実は頼まれて、同人系のDLsite.comのアフィリエイトに申請をしてみた。
音声サークルも売れないらしい。だからせめてトラフィックを回そうと思った。ところが、肝心のDLsite.comに断られてしまった。
実写を主体とするところはダメらしい。
規約にも書いてあるから、それはそうなんだろうと思う。
そこで勝手にリンクすることにした。リンクフリーらしいから。

別に小遣い稼ぎがしたくてやっているわけではない。
最初からそうしておけばよかったのかもしれない。
そんなことを思い出させる一週間だった。

悪いのはこの汚れたおっさんだぜ! 

  • [2008/05/04 11:22]

淫語を好きになるってどういうことか http://voicefactory.blog78.fc2.com/blog-entry-74.html

もちださん。
自分ならこっちの動画をお薦めする。

小林じんこのマンガ「風呂上がりの夜空に」もこれと似たような題材の話があった。

着ぐるみショーでバイトしながら芝居を続けている2人の若者がいて、バイトの休憩中、男の子と女の子の2人の子どもが凧あげをしているところを見て「いつから凧揚げをしなくなったんだろうなァ」と感慨にふける。

「(凧あげをしなくなって)凧糸を手放した瞬間 何かを一緒に手放してしまった気がする・・・」

その直後から、子どもたちが無邪気な会話を続けるのだが、それが聞きようによってはとってもエロい会話に聞こえなくもない。
そういう描写がさんざん続いたあと、こういう台詞で締めくくられる。

凧糸を手放した瞬間にだなァ

ん?

手に入れた物もあるぞ

え?何?何?

スケベな耳

・・・・・。

嬌声(上) 

  • [2008/02/03 22:03]

小学校2年の時の話だ。
休み時間、女の子が教室の窓から外を眺めていた。
彼女の小さな体では小学校の窓といえど少し高い。
その子は窓枠に手をかけてジャンプし、腕や腹に体重を乗せるようにして身を乗り出している。足はブラブラ、お尻は軽く突き出たような格好。

それを見てにわかにイタズラ心がめばえた。
ソロリとその子に近づき、その無防備なお尻を手で下から押し上げる。
「キャッ」と声をあげる女の子。すぐに窓から降りてこちらを振り返る。
特にそれまで話したことのない子だった。
それでも彼女はうれしそうに笑っていた。
その場から逃げていく自分も、たぶん笑っていた。

それからは、彼女のお尻にタッチすることが半ば挨拶がわりになっていた。
お尻に触れると「キャッ」と軽く叫び、またやられたぁという顔で笑う少女。その反応に満足しながら逃げさる少年。果たしてそこにみだらな感情はあったのだろうか。おそらく彼女のことは好きだったのだろう。でもそれがどんな種類のものかまでははっきりわからない。
それでも彼女が突然引っ越すという話を聞かされたときはショックだった。
淡い感情。それは7才の自分にとって間違いなく1つの事件だったのだ。

それから何年も過ぎ、年を重ね、自分もいつしか女を知る。

その女性とつきあいだしたのは大学3年の時だ。
出会った頃の彼女は昔の彼氏のことをいまだに引きずっていて、そこから抜け出そうと必死にもがいていた。

その彼というのは彼女にとても優しかった。
彼女からすれば6つ年の離れたその男は間違いなく大人で博識で、モノの見方もオシャレの仕方も彼からほとんど教わったと言っていた。
彼とつきあいだして彼女の見ている世界がみるみる変わっていく。
何よりもうれしかったのは何も知らない子どものような自分を、一人前の女性として扱ってくれたことだ。
夢中になった。これが本当の恋だと思った。
その頃の彼女にとって彼はまさしく神のような存在だった。

しばらくして、彼の仕事がうまくいかなくなる。家庭での不幸も重なり、彼女といても沈痛な面持ちでいることが増えた。
まじめだった彼女は、始終イライラしている彼氏を支えるべきだと考えた。自分さえ頑張ればなんとかなる。そんな甘い幻想を抱いていたのかもしれない。
しかし現実は思い通りにいかない。あれだけ自分のことを大事にしてくれていた男は彼女にわがまましか言えなくなっていた。
彼からの理不尽な要求も増えていく。罵られることもあった。うまくいかないのはまるですべて彼女のせいだと言わんばかりに。
それでも彼女は身を削り、時間を作っては彼に会った。
それが真実の愛だと思った。そう思い込んでいた。
純粋ではあったが、愚かでもあった。
だからそんな無理が長く続くわけもなかった。

通勤途中のある日、彼女の身に些細な異変が起きる。電車のつり革につかまっていた彼女の視界が突然おかしくなった。窓の外の景色が歪む。強い動悸に脂汗がしたたり落ちた。
次の駅までなんとか我慢してすぐにベンチでうずくまる。
「…もうダメだ」
何かが壊れた気がした。
そして彼女はようやく別れる決心をした。

「オレを捨てるのか」と男はなじった。「お前は薄情な女だ」と。
泥沼の愁嘆場が幾度となく繰り返される。
尊敬していたはずの男は自分を正当化することしかできなくなっていた。
彼女の愛した男はもういない。目の前にいるのは別の男。ただ甘ったれることしかできない卑小な存在。
最後は殴られた。でもそれをきっかけに別れることができた。

それからいろんな男とつきあった。新しい恋をすれば少しは傷が癒えると思った。
もともと愛嬌のある顔立ちをしていた彼女にもそれなりに言い寄ってくる男はいる。
時はバブルの時代だ。20代の成金連中。羽振りのいい高級サラリーマン。それと夜な夜な六本木に集まってくる外人。
でも彼女の傷がいやされることはなかった。

彼女は最初の男との恋に破れてから、腹の底から笑うことができなくなっていた。
電車に乗るのも苦痛だった。出勤の朝はいつも自分と格闘していた。断続的に襲ってくるお腹の痛みに辟易しながら会社に向かう。
それまでどちらかというと外向的な性格だった。それが初対面の人と会うときは常に緊張して震えがとまらなくなっていた。
彼女は自分のひ弱さ責めた。そんな自分が許せなかった。強い意志さえあればなんでも乗り越えていけるはずだと思った。
昔から弱いヤツが嫌いだった。愚鈍で愚図な人間を嗤っていた。だから今の自分を心から呪った。

そんな彼女がどうして自分のような貧乏学生を相手にしたのか、今でもよくわからない。
金もなければ将来を約束されていたわけでもない。服装や身だしなみも気を使っているとは言い難い。彼女が今までつきあってきた男性と較べるとずいぶん見劣りがしたはずだ。
彼女の方もそこは不思議だったらしい。
ときどきこちらの二の腕を捉まえて「ここにいるあなたは現実なの?」と聞いてきた。
聞かれた方は困る。
あの頃それに対して自分はどう答えていたのだろう?

(下)につづく

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