皮膜ってなんかイヤらしい感じのするコトバだなぁ 

  • [2009/07/27 23:48]

近松門左衛門の演劇論に「虚実皮膜論」というのがある。
近松が穂積以貫っていう人に語ったとされる話で、それを穂積が「難波土産」って本に書き残した。

内容としては、「近頃のヤツはなんでも理詰めで実物通りに演じないと納得できない。歌舞伎役者もその所作が本物と生き写しでなければ上手いとはいえない」という話があって、それを近松が「此論尤のやうなれ共芸といふ物の真実のいきかたをしらぬ説也(この論はもっとものようだけれども芸というものの真実のあり方を知らない説である)」と一蹴するところから始まる。

芸といふものは実と虚との皮膜の間にあるもの也成程今の世実事によくうつすをこのむ故家老は真の家老の身ぶり口上をうつすとはいへ共さらばとて真の大名の家老などが立役のごとく顔に紅脂白粉をぬる事ありや又真の家老は顔をかざらぬとて立役がむしやむしやと髭は生なりあたまは剝なりに舞台へ出て芸をせば慰になるべきや皮膜の間といふが此也虚にして虚にあらず実にして実にあらずこの間に慰が有たもの也(註:漢字は引用者が旧字を新字に置き換えた)

『新群書類従第六 歌曲』第一書房 昭和40年8月25日 325p

つまり現代風に訳すと「芸ちゅうのんは、ホンマとウソの重なり合ってるところにあるんですわ。たとえば家老とかを演じはるにしても、実際にいる家老とおんなじように身ぶり口ぶりを真似したところで、それでは、実際の大名や家老が役者みたいに紅や白粉をつけて化粧したりしますか? 実際の家老はいちいち見た目を気にしないからゆうて、立役のお人がヒゲをモジャモジャ生やしたり、頭、禿げてマゲがゆえんようなってても、その格好で舞台に立てますか? そんなことして誰が喜びはるんやろ。皮膜の間っちゅーのはそういことですわ。ウソやけどウソやない。ホンマやけどホンマやない。このウソとホンマの間に人を慰めるものがあるっちゅうことなんですわ」ってな感じか? (ヘンな関西弁になってる?)

この続きがおもしろい。

生身の通りをすぐにうつさばたとひ楊貴妃なり共あいそのつきる所あるべしそれ故に絵そらごととて其の像をゑがくにも又木にきざむにも正真の形を似する内に又大まかなる所あるが結句人の愛する種とはなる也趣向も此ごとく本の事に似る内に又大まかなる所あるが結句芸になりて人の心のなぐさみとなる文句のせりふなども此こころ入れにて見るべき事おほし

同上

現代語に訳すと(もうあやしい関西弁はやめとく)
「生身通りに写せたとして、たとえそれが楊貴妃であったとしても、愛想をつかすところがあるものだ。だから楊貴妃の姿を画に描くにしろ、木に刻むにしろ、真正の形に似せつつもどこかデフォルメしちゃった方がかえって人から愛される元になる。こりゃ歌舞伎や浄瑠璃の趣向もそうでさ。本物に似せつつもデフォルメしているところがあってそれが詰まるところ芸となり、人の心をなぐさめてくれるものになるんよ。言葉の台詞にしても同じような心入れで作ると見るべきところが多くなる」

最近のAVは身も蓋もなかったりするから大人の鑑賞に堪えられなくなっているように思うね。
淫語モノなんて虚実入り乱れているからおもしろいんだよ。

いや、そもそも実際のセックスだってさぁ、虚実入り乱れている方がおっちゃんは興奮すると思うんだけどね。

女は感じたフリをし、男はだまされたフリをする。そのうち感じたフリがホンイキになり、だまされてやってるつもりが抜き差しならないぐらい好きになっている。
そういう男と女の皮膜の間にエロスはあると思うんだけどな。

みんながみんな「おねマス」なわけじゃない。 

  • [2009/04/10 21:57]

ああ、できれば明日アップして久々の週3の更新にしたかったのだが、明日は急に外出しなきゃいけない予定が入って作れないのであった。
今夜は、ちょっとした宿題を今日中に片付けたいので、更新用の作品を見ている時間がない。確実に来週だな。

今日、これ買ってきた。

名前のない女たち最終章 セックスと自殺のあいだで
中村 淳彦
宝島社
売り上げランキング: 49238
おすすめ度の平均: 4.5
5 壮絶です
4 名前のない女
5 泣きました

さっきちょこっと読んだんだけど、「目次」見たら読後の感想なんてとても書けそうに思えない。
とりあえずAmazonに目次が載ってなかったので、ラインナップだけ列記しておくわ。

  • まえがき
  • 消えることのない血の怨念 山崎アジコ
  • ゴミ屋敷に生きる女 夕張めろん
  • 壊れないオモチャになりたい ぴぃ
  • あたし、けっこう終わってるから 島谷聖羅
  • 足立区の美人局とダラしない女 名波ゆら
  • 厚塗りの化粧した女がやってきた 北崎未来
  • 一生カラダを売り続けなければならない 高橋ゆりか
  • ロリコンパーティーで輪姦されてパパから十万円もらった 福橋由芽
  • 肉便器と呼ばれた女 山形チェリー
  • 取り残される不安、孤独な焦り 美咲沙耶
  • 一日十発セックスしたら学校なんて行く気にならない 大沢佑香
  • 生と死、境界線を生きる女たち 桃色まあち、桜一菜
  • エピローグ
  • あとがき
「まえがき」からして、いつも以上に色調が暗い。

 二十数年前、産声をあげたアダルトビデオはあらゆる隙間に挑戦して、遂に芸能人のみをキャスティングするメーカーまで現れて、表現的には最終地点まで到達してしまった。書店売りは淘汰されてコンビニ流通で首の皮が繋がっていたエロ本は、もはや終焉が秒読みとなっている。どんなメディアも頂点を掴んでしまった後は、下降と悪化の一途を辿るのみである。お客はどんどん離れて市場は急激に狭まり、すべての関係者が限界まで定価を下げて生き残りを図るデフレ状態となり、苦しみながら生きていた。

中村淳彦『名前のない女たち最終章』宝島社2009.4.24発行 1p

そして中村は「メディアは人間の足を引っ張ることはあるが、決して人を救うことはできないと悟ってしまって、この『名前のない女たち』は苦痛でしかなくなっていた」と自分の心境を吐露する。

 現在、芸能人までが登場するようになったアダルトメディアの中で、企画AV女優はもはや無価値に等しい存在になっている。よほど美しいか性的に成熟してない限り、自分の生活を支えるだけの貢献をすることさえも困難である。アダルトビデオの仕事がお金になるというのは完全に過去の産物であり、フラッシュバックした幻覚であり、女の最終手段ももはやメディアに売ることはできない。最終手段を売ることを決意したにもかかわらず、その現実を知らないまま蠢いている企画女優は底なし沼の世界になっていた。
 ピリオドのその先へ――自分自身の限界を超えたボクは、本当の絶望を見ることになった。

中村淳彦『名前のない女たち最終章』宝島社2009.4.24発行 3p

相変わらず中村淳彦の文章は健在だ。
この人の特徴は読者に「そんなことはないだろう」「それは言い過ぎだろう」という気分にさせていく。そういう読者の反駁心を使って話に引き込もうとするのだ。
それがこの人の文才であり、それがまた人によって生理的な嫌悪感を引き起こし、業界内部にいらぬ敵を作るわけでもある。

でもこれは昔からある文章技術の1つである。
たまたま店頭で「まえがき」を読んでしまった読者は、たとえ買わないにしても、「こんなことを書きやがるヤツは女優の何を知って言いやがるんだろう」と店先で斜め読みぐらいはするかもしれない。
この芸はそうそう余人の真似できるものではない。まぁ、真似したくもないが。

いずれにしろ、これが最後というのはかなり残念でもある。
ただ終わる理由が「オレンジ通信」の廃刊からくるものなわけで、そういう意味では『名前のない女たち』は時代を馳せたエロ雑誌の死亡とともに終わったのだ。

数字は何を語るのか おまけ 

  • [2009/02/17 22:02]

いかんいかん、やってしまった。
昨日アップしたデータで「13歳未満の相手とセックスをする」の表を「13歳になる前にセックスをする」と取り違えてしまったよ。今朝気づいてあわてて直しておいた。

実は今回はATOKでのタイピングの調子を見たいのと、ブログで表を載せた場合どんな感じになるのか知りたくて、あらかじめいろんなデータを打ち込んでおいたんだよね。だからストックしていたデータから貼るのを間違えてコピペしてしまった。
ほかにも入力の調子を見るために、この本からいろいろ抜き出してみたりしたのでいくつか気になったものを。

まずこの本には上野千鶴子と宮台真司の対談も載っかっているんだけど、やっぱりというかなんというか、上野千鶴子は毒を吐いていた。

宮台 10代に言及するときに、どうしても両義的にならざる得ないんだけれども、男の子の側に二極分解が生じているような気がします。粗製乱造エロ・メディアにどっぷり浸かってマスターベーションをして、それで特にディプレッション(抑圧)がないというタイプの人がとても増えている。他方で、マッチョを捨てて、パッシブな性的コミュニケーションについての許容度もあって、女の子にとってコミュニケーションしやすい、そういうタイプの男の子も、もちろん数は少ないんだけれども出てきていて、その間の距離は増していると思います。

上野 今おっしゃたことは、このデータそのものから出ませんけれど、よくわかります。前者のほうはおそらく晩婚化の担い手でしょうし、ストーカー予備軍でもありますね。

宮台 今、コミケとか同人誌系のイベントの参加者は30代男性がとても多い。まさに晩婚化の影響であると思います。たとえば13~14歳のグラビア・アイドルの地方営業イベントがあると、30代男が大挙してカメラ持って押しかけていったりする。そうするとアイドルの親御さんたちが、気持ち悪がるわけですよ。「いったいこれは何なんですか」と。でも、そういう人たちは、「変態さん」というよりも、そういう世代の人々がアイドル・ファンとしてついているのは、今や少しも珍しくない現象なのです。彼らには、おそらく仕事もそれなりにちゃんとあり、場合によっては晩婚化とはいえ奥さんもいるかもしれない。そういうタイプの性行動が、やっぱり30代の……これは20代ももちろんそうなんだけれども、かなり男の側に広がっていて、その事実があまり女性の側に知られていないという気がします。

上野 いやいや、知られてないばかりじゃなくて、女性は彼らを選択しないわけでしょうから。

宮台 そうだね。そりゃそうだ(笑)。

上野 だから、データを見ると、 40代以上の男女の既婚率はとても高いですよね。90パーセント前後ですから。これが年代が下がるとともに低下していく。30代以下は単なる晩婚化なのか、それとも生涯非婚かはまだわからないけれど、シングル率は高まってきていますから、今おっしゃったような二極化が起きるでしょう。その一方の層の方々は、結婚もせずストーカーにもならず性犯罪も犯さずに、そのまま生きていただきたい……。私は、これを「安楽死」と呼んでいますが(笑)。こういうことを言うと、また石が飛んでくるのよね。性的弱者差別だって。

170p~171p

自分もこのまま安楽死してやろうと思っていたりする。
余生を静かに暮らすというのはある意味、安楽死と言っていいだろう。

この調査からちょうど10年経つわけだけど、この番組を制作した森プロデューサーの次の言葉は今なおその問題を投げかけ続けている。

テレビには、様々な男女が登場し、様々な恋人たち、夫婦、そして家族が描かれてきた。また、男女の役割(ジェンダー)が問い直され、性をめぐる様々な事件が報道されてきた。しかし、いまだテレビは、性=セックスそのものに本格的に迫ったことも、性=セックスを通して日本の今を根底から見つめ直したこともない。

(中略)

 そんな我々が、「性に関する実態調査」を企画したのは、今から3年前、1999年の夏のことだった。「揺れる男と女の絆」という特集番組制作のためだった。  番組の企画意図は、ひとつの仮説に基づいていた。今、日本社会の中で男女の関係が大きく変わりつつあるのではないか、その問題を「男と女の絆」、ひいては「家族や社会の絆」のひとつの原点とも言えるセックスという観点から描きたいという試みだった。その動機は、とてもテレビ的なものだったと言える。

 当時の状況は、今(2002年3月)とさほど変わらない。テレビや新聞には、雇用機会均等法から男女共同参画社会などの言葉があふれ、企業や家族そして社会の中の男女のあり方が盛んに議論され、様々な変化が伝えられていた。一方、性の低年齢化や援助交際、老人の性、そして東電OL殺人事件、新潟・柏崎の少女監禁事件などの性をめぐる様々な問題や犯罪がセンセーショナルに報道されていた。さらにとどまることのない出生率の低下。少子化の問題が大きくクローズアップされたのもこの頃である。

 しかし、それらの報道や番組取材・制作に我々はもどかしさを感じていた。男女のあり方に関するものは、男女の性的役割分担(ジェンダー)の変化を追うものばかりで、性=セックスの問題を取り扱ったものは皆無に近かった。性をめぐる事件や問題に関しては様々な解釈や言説が飛び交うのみで、援助交際ひとつを見てもスキャンダラスな実態レポートが繰り返されるばかり、果たして何割の少女の問題なのかすら伝えられることはなかった。少子化の問題にいたっては、「子どもの生みやすい・育てやすい社会」や「女性意識」が論じられるだけで、産むことの前にあるセックスの問題は巧みに回避され、その謎自体が解明されることはなかったのである。

 日本社会の中で男女のあり方が急激に変化していることだけは確実である。そしてそれはジェンダーだけの問題ではなく、セックスと何らかの関係をもっているはずだ。しかし、我々は、日本人の男女の関係の根底にある性=セックスについて何を知っているのだろうか……。  

6-8p

NHKのいいところは視聴者に媚びない制作ができることだろう。是非とも10年経った「それからの揺れる男と女の絆」を作ってもらいたいものだ。

性の問題は人間の倫理や宗教の問題とも深く関わっていると思うし、身も蓋もない中村淳彦風に言えばAVは売春となんら違いがないわけだから、そのあたりも深くえぐってほしいね。

そもそも売春は本当にいけないことなのか。
いけないならどうしていけないのか。
それで救われる人はいないのか。
それともそんなことで救われちゃいけないのか。

金をもらわないセックスだからといって純粋とは限らない。
金品の授受がないからこそ、逆におぞましくなっちゃうセックスだってあるんじゃないかな。

数字は何を語るのか 

  • [2009/02/13 23:15]

AVというのは実にいろんなジャンルがある。
そしてそれぞれに固定ファンがいる。

淫語マニュアルを立ち上げた当初、しばらく2ちゃんねるのスレを巡回し、各メーカーのBBSを覗き、それぞれの専門サイトを見て回った。
AV情報誌のレビューやレビューサイトも参考にしたし、その中でAVライターという職業があるのを知った。

だがそのころからつくづく感じるのはAVにはまともなデータが見つからないということだった。
とりあえずDMMを見れば今、何が一番売れているのかはわかるのだが、どれがどのように受けているのか。おそらくマーケティングをしているはずだと思うがさっぱりわからない。

2ちゃんねるもあてにはならない。
たとえば2ちゃんねるでは「ハメ撮り」はすこぶる評判が悪い。
だが実際はカンパニー松尾の作品が売れていたりする。
つまり2ちゃんねる世論は決して多くのユーザーを集約した声ではないということになる。

果たしてちゃんとデータを持っている人はいるのだろうか?
実はアンケートハガキ読むのがせいぜいで、まともな市場調査など一度もやってないんじゃないだろうか、そう思った。

昨年、ビデ倫メーカーから逮捕者が出たとき、自分はビデ倫の無能さにあきれた。
この人たちは「表現の自由を守る」「改善発展を促進するための方策を推進する」「振興と文化の普及向上に寄与する」と謳っておきながら何も方策を立てていなかったようだ。

まず彼らがするべきことは科学的データを集めておくことだろう。
アダルトメディアがどのように青少年に影響与えるのか。卑猥な画像とはどういうものか。
頻繁にランダムサンプリングでの社会調査を実施し、それをもとにして改善するなり、振興策を立てるなりすればいいのに、そういうことをやってきてない。
日本人のメディアと性意識について、科学的データをもって誰よりも把握しておくべき立場のはずである。
それさえあれば取り締まる側とも互角に戦えるかもしれないのにそれをやろうとしない。
性意識に関してはちゃんとした調査があまりなされていない。
特に込み入った性癖に関する問題は皆無といっていいだろう。

ホント、無能の集まりだ。

本格的な日本人の性意識調査となると、自分はこの本ぐらいしか思いつかない。

データブック NHK日本人の性行動・性意識 (データブック)データブック NHK日本人の性行動・性意識 (データブック)
(2002/03)
NHK「日本人の性」プロジェクト

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これはNHKの番組をきっかけに調査したもので、上野千鶴子や宮台真司も設問のアドバイザーとして参加している。(調査日程は1999年 11/25~12/12の18日間 全国16~69歳 層化二段階無作為抽出法による3600人 有効数2103人)

冒頭、番組プロデューサー森博明のこんな出だしでこの本は始まる。

 本書は、我が国で初めて科学的に行われた「日本人の性行動と性意識の」に関する社会学的調査の記録である。我が国で初めてという言葉に、ちょっと意外な印象を受ける読者も多いことと思う。週刊誌や月刊誌でよく見かける「セックス調査」はどうなのかと。しかし、これまで全国の国民を対象に無作為抽出法という科学的手法で「日本人の性」を明らかにした調査は、一件も公開されていない。

『データブック NHK日本人の性行動・性意識』 NHK「日本人の性」プロジェクト 日本放送出版協会 2002.03.30 6p

性に興味を持っている人は是非、手元に持っていていい本だと思う。普段、なかなか知り得ない興味深い調査がなされている。

「婚前交渉は容認できるか」「男性の婚前交渉はどうで女性の婚前交渉ならどうか」「売春は容認できるか」「配偶者や恋人以外の性交渉は容認できるか」「処女のふりをしたことがあるか」「絶頂感のふりをしたことがあるか」「オナニーはしたことがあるか、頻度はどれぐらいか」などなど。
「1回のセックスにどれぐらい時間をかけるか」なんてのもある。

そういった設問を男女差、世代差、学歴、職種、都市と地方、既婚未婚などで見直すと、さらに日本人の性意識が浮き彫りになる。

たとえば、「その人とセックスをするのはなぜですか」という質問に13の選択肢 (1.愛情を表現するため 2.ふれあい(コミュニケーション)のため 3.安らぐため 4.子どもがほしいから 5.性的な快楽のため 6.ストレスを解消するため 7.義務だから 8.相手を征服したいから 9.相手に求められるから 10.相手に強要されるから 11.なんとなく 12.その人とセックスしたことがない 13.その他)を用意し複数に丸をしてもらう設問をした。
結論から言うと「愛情表現」が73%と一番多いのだが、これを男女の既婚未婚で見てみるとある意識の違いが見えてくる。

ここは男女で微妙な差がある。男性はセックスを「愛情表現」とする率が独身時代の83%から84%へとほぼ同程度で推移するのに対して、女性は85%から67%へと急降下する。性的なことに対する関心も、男性は89%から91%へとやはり同程度だが、女性は68%から42%へと急降下する。反面、「女性は、セックスでは男性のリードにしたがうべきである」に「そう思う」と回答する比率は、男性では6%から23%に急上昇するが、女性では14%から22%へとそれよりわずかな上昇にとどまる。「妻には、セックスを断る権利がある」に「そう思わない」と回答する比率は、男性では20%から51%に増加する、女性は14%から13%とほぼ同水準。男性は結婚によって男性中心主義的な傾向を強め、女性は性的な関心が薄れ、夫とのセックスに愛がともなわなくなる傾向がある。恋愛結婚が見合い婚を大きく上回り、恋愛関係の結果として結婚にいたるカップルのほうが多数という時代ではあるが、結婚後の夫婦の性関係には、なにやらうすら寒いものを感じる。

68-69p

ほかにもブルーカラーは保守的でホワイトカラーはやや逸脱気味の趣向をもっているとか、セックスレス夫婦は性に対する考え方に男女の落差が少ないケースが多いとか、いろいろ書かれていて面白いし、また深刻な問題もあらためて提示している。

【妊娠したことがあると答えた方へ】
あなたはこれまで中絶したことがありますか。

妊娠経験者の中絶経験
 全体%16-19 20代 30代 40代 50代 60代
1回26 02118223431
2回12 0 5 9131019
3回 3 0 3 3 2 6 2
4回 1 0 0 1 1 0 1
5回以上 0 0 0 1 0 0 0
いいえ55 07069594640
無記入 3 0 2 0 4 4 6
100%=789名

要するに妊娠経験者のうち中絶経験が42%あり、しかも50、60代は半分に1人経験があるという、にわかに信じられない数字がでてきている。
日本人の中絶率は前から高いと言われていて、実はこのことが70年代にブームとなった水子供養の問題とも関連してくるんだが、自分が「中出し」の問題で真っ先に頭に浮かんだのは性感染症よりも、このことだった。

中絶の問題は昔からあって、江戸時代に中絶・間引きに比較的寛容だった仏教界とそれを批判する儒者・神道家との間で大論争が巻き起こったこともあった。
まぁ、この話は今回のこととはかなり話がそれるので紹介だけにとどめるけれど、この調査の5年後に厚生労働省が同じような調査をしていて、そのときは中絶経験者が「6人に1人の割合」ということだった。

それでやっと本題に入るわけだけど、この調査の中で「あなたは、アダルトビデオやレディースコミックなどに描かれているセックスを実際に真似してみたことがありますか」という質問が設けられている。

この話をしたくて長々書いてしまったわけだけど、長くなりすぎたんで、以下つづく。

羞恥心には裏があります 

  • [2008/12/11 15:33]

裏マニュアルを作んなきゃとモニターの前に座るわけなんだけど、どうもすぐに脱線してしまう。
もともと趣味で作っているから切迫感が足りないってのもあるんだけど、このままじゃ年内中に終わんない。なんとか集中したいんだがダメなんだなぁ。

たとえばサイトの基調色を考えるとするでしょ。
裏マニュアルだからね。「裏にふさわしい色ってなんだろう?」って思うわけ。
ここがまず出発点。

「裏」があると言うことは「表」があるわけで、当然、うちの場合、表は「淫語AVマニュアル」。
こっちは白と赤がベースになっている。そこで単純に「反対色で作るか」なんて思う。
白の反対は黒。赤は緑。
黒と緑か、んー、まぁ悪くないかなぁ。

でもね。ここで気がつく。
ふつう「表と裏」って言った場合、「コインの裏表」みたいなリバーシブルな意味を思い浮かべるわな。でも裏ビデオの「裏」ってよくよく考えてみるとそういう意味じゃない。
「国内の正規ルートには流れてないもの」とか、場合によっては「不正に流通しているもの」なんかを言うわけでしょ。
つまりあまり「表立っては取り引きできないもの」を「裏」と呼ぶ。
「表をひっくり返して裏」じゃない。「表には出しづらいので裏」なんだ。

そこに思いいたって、反対色で表現するのは違うんじゃないかって思った。

んじゃどうしようと。

正規じゃないからうさんくさくするか。
似ているけど非なるものっていう意味で色を薄くして、枠線をぶっとくするとか。ちょっとニセセブンなんかを思い浮かべちゃったりして。何か巻いているとか、尖っているとか。

どこをだよ。

そんな1人つっこみを入れながらすぐに作業にかかればいいんだけどさ。
そのうちこのあいだ読んでいた本の気になった箇所を思い出しちゃって、それが「裏と表の話」につながって、想念が続く。

男を抱くということ男を抱くということ
(2001/04)
斎藤 綾子亀山 早苗

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カメ つまり、本来の自分を確認するための"癒し"の場を求めているのかもしれませんね。でも「羞恥心」というのは当然、どのカップルにも多少はあるはずで、それがなくなったら、恋愛自体の必然性もなくなっていくわけですよね。生活をともにしていない恋人同士なら、セックス自体はいつまでたってもある種の"非日常"であって、新鮮な羞恥心は保てるような気がするんですけど。

斎藤 お互い、社会的なものを持ち込んだときに、変な羞恥心が起こるんじゃないの? 純粋に、個人としての羞恥心なら、それは興奮剤になると思うけど。

南  そうね。セックスに関しては、社会的な刷り込みや、育つ過程で培われた思い込みが大きいわね。自分自身の身体に聞いているんじゃなくて、社会的な常識、通念で自分の身体をはかっている。例えば、「男はペニスしか感じないものなんだ」とか、「男が身体を愛撫されてよがるのは変だ」とか、そう言われ続けてきて。

斎藤綾子・南智子・亀山早苗『男を抱くということ』14p 飛鳥新社 2001.5.7

「カメ」って言うのは、ライターの亀山早苗のこと。
この話の直前で「男性が自分のセックスを相手にどう見られるか恐れる人が多いのはなぜか」という問いが設けられ、「男は恋人とのセックスに社会的な自分を持ち込みすぎている」って話になってこの箇所になる。

「んん?!」って思ったのはこの「羞恥心」のことなんだけど、心理学とかで説明される羞恥心って、たとえばこの↓本だと個人が社会(この本の中では世間の目)を意識することで生まれるなんて考えられている。

羞恥心はどこへ消えた? (光文社新書)羞恥心はどこへ消えた? (光文社新書)
(2005/11/16)
菅原 健介

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人間がここまで力を持ち得たのは「人間社会」を高度に発達させたからだ。
社会性をじゅうぶん身につけることで人は大人、すなわち「ヒトとしての成体」になる。逆に社会性を持たなければ食い扶持をえることも困難になる。
したがって社会から孤立するということは、ヒトという個体の生物としてはもっとも危険な状態ともいえる。

この本によれば「羞恥心」というのは、「社会から浮いた存在になること」を回避するセンサーの役目をはたすらしい。
「恥ずかしい」という感情は、その人が思う社会通念から多少なりとも逸脱する状態になったときに起こる。つまり「オマエ、周囲から少しズレているみたいだから、ちょっと調整した方がいいんじゃないの?」っていう信号が送られる。それによって社会との協調をはかるきっかけにするわけだ。

これ、なかなか面白い本だったんだけど、自分は一点だけ気になったことがあった。
確かに日常生活を送るうえで「羞恥心」は社会規範と個人の行動の微調整をはたすのかもしれないが、それならなぜ一方で、それが「性的興奮」を生んだりするんだろうか?

そんなことが気になってたもんだから、斎藤綾子が「お互い、社会的なものを持ち込んだときに、変な羞恥心が起こるんじゃないの? 純粋に、個人としての羞恥心なら、それは興奮剤になると思うけど。」という発言にひっかかったんだ。

羞恥心に社会的と個人的があるものなのか?

でも、言っている意味はわかるので、もう少し自分なりに言葉の言い換えが必要だなぁなんて思っていた。

そこでさっきの裏と表の関係を思い合わせたときに、斎藤の言葉をうまく補足できたように思えたんだ。

要は「場の転換」で羞恥心の持つ意味が変わるってことなんじゃないか。
つまり「羞恥心」にも裏と表があるんだ。
そしてそれは観察者の立ち位置で決まる。

基本的に性的空間というのは人目を憚るもの。「非日常」なわけ。
当然それは、社会的な制約から解き放たれている空間。社会的なものが無効化されている聖域で、理想を言えばジェンダーすらもないといえるかもしれない。

たとえばSMにしてもあれはお互い了解した上での性的暴力なわけで、了解してなければ単なる性犯罪。
セクハラも公の場所で誰彼かまわずやると問題化するが、自分の恋人ならプレイの一種となる。
もっとも恋人だからといってその行為を了解するとは限らないわけで、そこもやはりコミュニケーションスキルが要求される。セックスするにはまず社会性がないとダメってことだね。

その了解事項の元で、社会の呪縛が溶解する刹那「羞恥心」が芽生える。通常それは制御を求めるわけだが、性的空間は社会的な従属から逸脱してもいいので、そのブレーキをとっぱらい、安心して相手に身をゆだね、肉欲のみを貪り尽くすことも可能。そこにエロティシズムがあるのではないか。
「羞恥心」から性的興奮を引き出されるのは、そういう社会的な自我の崩壊が行われるからなのだろう。
だから自分なんか「貞淑な人妻がそんな淫語を!」みたいなことで萌えるんだろうね。

まぁこのあたりは代々忠も言っていることではあるけど。

プラトニック・アニマル―SEXの新しい快感基準 (幻冬舎アウトロー文庫)プラトニック・アニマル―SEXの新しい快感基準 (幻冬舎アウトロー文庫)
(1999/12)
代々木 忠

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 人間は理性に基づく<制度の世界>と<本音の世界>に生きている。学校や会社や国家は制度の世界に属しているが、SEXとは本音の世界のものだから、「かくあらねばならぬ」という制度のよろいかぶとをどこまで脱げるか、自分の価値観や固定観念をどこまで捨てられるかが重要になってくる。
 本当は捨てたくても、捨てようとしたとき、人からどう思われるだろうかという自意識が邪魔をする。だがそれは、本音の世界に制度の世界の価値観や固定観念を持ち込んでいるということである。

代々木忠『プラトニック・アニマル』53p 情報センター出版局 1992.5.4

しかしこのおっちゃんの本を読むたびに思うんだけどさ、この人より年若いAV監督で、この人なみにセックスに向き合い、求道している人ってまず見ないよね。
この点に関しては誰もヨヨチューを越えられないみたいだ。

ということで。

こーんな感じでいろいろ思考がさまよっているうちに、気づけば今日もまた裏マニュアルのサイトの色が決まらないんですよ。
そして明日へ持ち越しなんですね。

なーに、やってんだろうね。