皮膜ってなんかイヤらしい感じのするコトバだなぁ 

  • [2009/07/27 23:48]

近松門左衛門の演劇論に「虚実皮膜論」というのがある。
近松が穂積以貫っていう人に語ったとされる話で、それを穂積が「難波土産」って本に書き残した。

内容としては、「近頃のヤツはなんでも理詰めで実物通りに演じないと納得できない。歌舞伎役者もその所作が本物と生き写しでなければ上手いとはいえない」という話があって、それを近松が「此論尤のやうなれ共芸といふ物の真実のいきかたをしらぬ説也(この論はもっとものようだけれども芸というものの真実のあり方を知らない説である)」と一蹴するところから始まる。

芸といふものは実と虚との皮膜の間にあるもの也成程今の世実事によくうつすをこのむ故家老は真の家老の身ぶり口上をうつすとはいへ共さらばとて真の大名の家老などが立役のごとく顔に紅脂白粉をぬる事ありや又真の家老は顔をかざらぬとて立役がむしやむしやと髭は生なりあたまは剝なりに舞台へ出て芸をせば慰になるべきや皮膜の間といふが此也虚にして虚にあらず実にして実にあらずこの間に慰が有たもの也(註:漢字は引用者が旧字を新字に置き換えた)

『新群書類従第六 歌曲』第一書房 昭和40年8月25日 325p

つまり現代風に訳すと「芸ちゅうのんは、ホンマとウソの重なり合ってるところにあるんですわ。たとえば家老とかを演じはるにしても、実際にいる家老とおんなじように身ぶり口ぶりを真似したところで、それでは、実際の大名や家老が役者みたいに紅や白粉をつけて化粧したりしますか? 実際の家老はいちいち見た目を気にしないからゆうて、立役のお人がヒゲをモジャモジャ生やしたり、頭、禿げてマゲがゆえんようなってても、その格好で舞台に立てますか? そんなことして誰が喜びはるんやろ。皮膜の間っちゅーのはそういことですわ。ウソやけどウソやない。ホンマやけどホンマやない。このウソとホンマの間に人を慰めるものがあるっちゅうことなんですわ」ってな感じか? (ヘンな関西弁になってる?)

この続きがおもしろい。

生身の通りをすぐにうつさばたとひ楊貴妃なり共あいそのつきる所あるべしそれ故に絵そらごととて其の像をゑがくにも又木にきざむにも正真の形を似する内に又大まかなる所あるが結句人の愛する種とはなる也趣向も此ごとく本の事に似る内に又大まかなる所あるが結句芸になりて人の心のなぐさみとなる文句のせりふなども此こころ入れにて見るべき事おほし

同上

現代語に訳すと(もうあやしい関西弁はやめとく)
「生身通りに写せたとして、たとえそれが楊貴妃であったとしても、愛想をつかすところがあるものだ。だから楊貴妃の姿を画に描くにしろ、木に刻むにしろ、真正の形に似せつつもどこかデフォルメしちゃった方がかえって人から愛される元になる。こりゃ歌舞伎や浄瑠璃の趣向もそうでさ。本物に似せつつもデフォルメしているところがあってそれが詰まるところ芸となり、人の心をなぐさめてくれるものになるんよ。言葉の台詞にしても同じような心入れで作ると見るべきところが多くなる」

最近のAVは身も蓋もなかったりするから大人の鑑賞に堪えられなくなっているように思うね。
淫語モノなんて虚実入り乱れているからおもしろいんだよ。

いや、そもそも実際のセックスだってさぁ、虚実入り乱れている方がおっちゃんは興奮すると思うんだけどね。

女は感じたフリをし、男はだまされたフリをする。そのうち感じたフリがホンイキになり、だまされてやってるつもりが抜き差しならないぐらい好きになっている。
そういう男と女の皮膜の間にエロスはあると思うんだけどな。