でもやっぱりたとえが気に入らねぇーなぁ 

  • [2009/08/20 22:22]

えっーと明日の更新分の抽出分はすんでいるのだけれど、あいかわらずプログラムのテストにはまって、なかなか進まない。
細かいところでいちいちエラーが出てしまっていたりして、そのたびに立ち往生。
根本的な理解もないまま見切り発車しているからなんだけど、とかにく「まずプログラムを書いて、動かしてみて、エラーを出して、ネットで調べて、直して、また動かして、PCに向かってないときは本で基礎知識を勉強して」ってなことを1ヶ月以上やっている。

ああもっとじっくりことを構える時間がほしいなぁ。

昨日から前に買っておいて読まずにいた『ゼロ年代の想像力』っていうのを今さらながら読み出したんだけど、なんか今のところ、いまひとつ内容的にしっくりこないなぁ。

ゼロ年代の想像力ゼロ年代の想像力

早川書房 2008-07-24
売り上げランキング : 13567

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

前に二村さんが「草食系」でTBSラジオに出ていたのを聞いたとき、なぜこの人たちはマンガやアニメで世相を語っているんだろうと不思議に思ったもんだったが、そのときと同じニオイがする本だ。
あのラジオ、マンガの例自体はわかるんだけど、あれは偏りすぎたよね。
たとえば石坂洋次郎の話をするヤツとか誰もいないんだもん。庄司薫なんて思いっきり草食系男子っぽいし。

あと言っていることがよくわからないってこともあったんだけどね。

 東浩紀の主張を、本書の言葉に置き換えながら要約しよう。東は現代の世の中をデータベースと、そこから読み込まれる小さな物語として捉える。かつて――近代においては、(社会全体を説明する)大きな物語の部分集合として(個人が生きる)小さな物語が存在するされー型の世界像が人々に共有されていた。
 しかし、ポストモダン状況の進行に伴って、大きな物語は解体され、世界像は秩序だったツリーから無秩序なデータベースへ移行する。そんなポスモダンの時代、人々は歴史や社会の与える大きな物語ではなく、情報の海としての静的に存在するデータベースから、自分の欲望するとおりの情報を読み込んで「小さな物語」を自身で生成する。そのため、人々は意味の備給にコミュニケーションを必要としなくなる――東はこれを「動物化」と呼んだ。

宇野常寛『ゼロ年代の想像力』早川書房 2008.07.24 36P

ここに書いてあるのもさ。今はちょうどデータベースの勉強をしだしたこともあって、この喩えの意味を直感的に理解できるけど、半年前のおっちゃんだとあんまりよくわからなかったろうなぁ。

実は今の悩みはまさにこれで、マニュアルは今のところツリー構造になってるいんだけど、データベース化するにはツリー構造そのものを一回壊さないといけないかなぁなんて考えていたもんで余計切実な話のように思えたよ。
まぁそんな大規模なサイトでもないし、今のままでも十分問題ないんだけどさ。

あと、昨日は借りているサーバー屋さんに「容量がオーバーしてますよ」って、ゴラぁッされてしまいました。
最近、よく質問メールもしているんだけど、素人相手にちゃんと答えてくれてありがたい限りです。
たぶん当分は初心者丸出しの質問メールが届くと思うけど、もうしばらく付き合ってね。