化猫遊女 - 「猫と遊廓」は終わりのその6 

ええ、このシリーズさ。もう自分の興味が完全に別のものに移ってしまっているのでとりあえず「化猫遊女」の話を抜き書きして終わろうと思う。
この「化猫遊女」についてはググっても、Wikipedia以上のことを言及している人が少なかったから、まあそういうのもありだろうと。

といっても自分もさすがに、もういろんな文献を載せる気はないのね。
「化猫遊女」については、アダム・カバットの『ももんがあ対見越入道―江戸の化物たち』がとても詳しく書いているので、ここからちょろちょろっと引用するだけにする。

ももんがあ対見越入道――江戸の化物たち
カバット A.
講談社
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妖怪が好きな人なら知らない人はいない近世日本文学研究者のアダム・カバットだけど、この人が遊女についてこんなことを書いている。

 遊女は怪しげな存在である。少なくとも、男にはそう見える場合はあっただろう。
 隔離された遊廓という場所は、そもそも非現実的な空間であった。男は見慣れない部屋で遊女と一緒に床に入ると、暗闇のなかで彼女がどんな姿に変身するのかと想像するのだろう。夜が更けても、男はなかなか寝つけず、考えれば考えるほど不安がつのるばかりである。
 この状況を裏づけるように、草双紙の世界においても、遊女=化物という先入観があったと指摘できる。遊女にふさわしい化物というと、ろくろ首がまず浮かぶ。妖艶なる美女が、夜中に首を伸ばし、屏風の上から男を覗きこむ。急に目が覚めた客は「化物」と叫び、逃げようとするが、遊女が手を伸ばし、客をしっかり掴んでしまうのだ。ろくろ首と同様に、手の長い遊女のお化けが草双紙にはしばしば登場する。手練手管(さまざまな手を使ってうまく客をごまかしてあやつること)の遊女を象徴しているように思われる。

遊女をイメージする化物の筆頭として「ろくろ首」を上げている。
「ろくろ首」はラフカディオ・ハーンの『怪談』にもでてくるけど、別に「遊女」に限ったものではない。ただ遊女が寝入った客の横で首だけするする伸ばして行灯の油をなめるという怪談が江戸時代に流行ったことがある。それでアダム・カバットは真っ先に「ろくろ首」をあげているんだろう。

この遊女が油を嘗めるという話は、後述するが化猫が油を嘗めるという話と繋がっているようだ。
引用を続けよう。

 「化猫」も、化物の遊女の定番である。江戸時代では、遊女の別名は「寝子」であり、実際猫をよく飼っていたらしい。江戸の本所回向院の前で、「金猫・銀猫」(金と銀とは代金の金貨・銀貨を意味する)と呼ばれた娼婦がいて話題になっていた。「猫好きも男の方は金がいり」(柳樽十三)という川柳が、この「金猫・銀猫」を暗示している。また、鼠を商売にしている男が、「金猫・銀猫」と遊んでから家に帰ると、まだ「猫」の匂いが体についているので、飼っている鼠が皆逃げてしまうという小咄がある。

カバットも遊女は猫をよく飼っていたと書いている。
この「金猫・銀猫」の話は有名でググると結構あるから割愛ね。

 そして品川あたりには、本物の化猫遊女があらわれていたのである。

「本物」といっても、この化猫遊女が実際にいたかどうかを確かめるすべはないけれど、噂自体が江戸中に広まっていたのはまちがいのないことである。

 さて、品川の伊勢屋という店には、化猫の飯盛女がいたと噂されていた。その後、伊勢屋は「化物伊勢屋」または「お化け伊勢屋」と呼ばれるようになった。安永・天明頃(一七七二~一七八八年)には、品川の化猫遊女がキャラクターされており、黄表紙、洒落本、咄本、歌舞伎など登場するようになった。伊勢屋で働いていた三人の飯盛女の名前は皆「野」で終わっていたそうだ。それを真似して、キャラクターとしての化猫遊女の名前も、だいたい「野」で終わっている。

ということで、このあと具体的な文献をあげて、それぞれどのように「化猫遊女」が描かれているかを詳述していく。
だいたい共通するのは、客が寝静まったあとそっと寝間を抜け出して別の部屋で食事をとる。
そのときに「海老」を食べていたり、はたまた「人の腕」食べていたりする。そこをのこのこ起き出してきた客が見てしまう。
化け猫は振り返り客に向かって言う。

「ぬしあ何ぞ見なんしたか」

ところでアダム・カバットはなぜか言及してないのだが、化猫というのは油嘗めするというイメージがすでにこの時代にできあがっていた。

もともと灯明の油を舐めている猫というのはそんなに珍しくもない風景だったようだ。
日本の猫飯に不足しがちな油分を補っているという人もいる。
自分も食用油をなめる猫を飼っていたこともあって、やっぱりそういうもんかと思ったことがある。

寛永3年(1849)に書かれた本で『想山著聞奇集(しょうざんちょもんきしゅう)』という本がある。これは三好想山という尾張藩士が聞いて集めた奇譚集だが、その三巻に行灯の油を嘗める化猫遊女の話が出てくる。

引用するのも面倒なのでかいつまんで書くと、この本を書いた三好想山(みよししょうざん)の知り合いが、川崎大師のお参りの帰りに品川宿によると、器量よしの飯盛女がいたのでそのまま泊まることにした。
夜半過ぎ、一緒に寝ていた女がやおら起き出す。男は気配に目を覚ましたが、女が男の寝息を確認しているようなのでそのまま寝たふりをする。
すると女は行灯の位置を変え、そのまま顔をつっこんで油を嘗めだした。
「いやこれは(妖怪芝居で有名な尾上)菊五郎の妖猫がそのまま現実となってあらわれたか」と男は肝を冷やし、一目散に逃げ出す。
隣の旅籠に助けを求めて泊めてもらう。店の者に話を聞いてみると、その遊女は化物でもなんでもなくて、ただ前から油を嘗める癖がある女だということで大笑いになった。

当時は劣悪な食事環境で、鰯などの魚脂で作った灯の油を嘗める遊女もいたという。
この「油」「遊女」「猫」がイメージとして重なる。「化猫遊女」はこうしてできたのかもしれない。

アダム・カバットは「化猫遊女」とセットにして「油嘗め禿」という妖怪も紹介している。
禿とは遊女の見習いのようなものだが、禿もまたひもじい思いをしていたのかもしれない。

コメント

ありがとうございました。

今、テレビでラピュタやってるんですけどね

私は宮崎アニメでいまだにラピュタが一番好きなんですけど、もしもパズーが男の子じゃなく、お姉さん設定だったら百合アニメの傑作と呼ばれていたかもしれませんね。

しかしDVDも持っているのになんでテレビで見ちゃうんだろう?

ぼくはですね、

NHKなのにレプカがモンスリーの顔を踏んづけたり
ラナを踏んづけたりするシーンで
興奮してオナニーしました。
それにくらべてムスカはシータのあつかいが
てぬるい
伯爵もクラリスのあつかいがてぬるい

でもこっちにDVD持ってきてるんですが
息子と二人で観てて「……バルス!」で号泣しました(ぼくが)

いいお父さんですね!

ルソーが『エミール』の中で、大人が子どもに真っ先に教えなくてはいけないものは、美しいと思う心だって書いてました。その次に損得で、正義と悪は最後だって。
親が泣いているのって結構、記憶に残るんですよね。

「未来少年コナン」はテレビシリーズだから私の中では別格扱いなんですよ。
というか、本来、アニメはテレビシリーズで見るもんって思っていたりもします。
スターシャが死んで出てきたときのガッカリ感と言ったら。

コナンはギガントの戦闘シーンが好きで今でもときどき見るんですけど、ジムシーと船長がどうして助かったのかいまだによくわからない。
いくらなんでもあれは死ぬでしょう。

ルソーはいいこと言いますね…


話は変わりますが
『ルパンVSギガント』はご覧になられましたでしょうか。
テレビの新ルパンの宮崎演出版なんですが(放映はラピュタより前だったのかな)
悪役は美中年ではなく、瓶底メガネのヒゲ親父で、不二子と結婚しようとするw
『ルパンVSラピュタ』というのもあって、
ラナとナウシカをまぜたような子が、ルパンといっしょにあの飛行ロボットに乗ります。
ルパン好きには「これは宮崎アニメであってルパンではない」と評判が悪いようですが

息子は1stルパンにハマっていますが、
『ルパンVSラピュタ』の存在を(まだ観てないので)信じようとしません

どちらも本放送で1回、見ましたね。

新ルパンはつまんなくて途中から惰性で見てたんですけど、青ルパンになった回は楽しかったですものね。有名だからすぐにネットで見つかりました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E3%81%AE%E7%BF%BC%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%B9

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%82%89%E3%81%B0%E6%84%9B%E3%81%97%E3%81%8D%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%B3%E3%82%88

最後のは再放送で何回か見ているかなぁ。

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