ちゃんと見るということ 

HMJMのホームページに、この「ボヤキ」がリンクされました。
でもHMJM関連(正確にはHMJMのカンパニー松尾さんのこと)を大きく取り上げたのは2つぐらいしかありません。

1つはこの間のYOGAのレビュー。
YOGA(HMJM) レビュー
http://ingoma.blog.2nt.com/blog-entry-585.html

もう1つは作品から受ける監督さんたちの勝手なイメージをから、「カンパニー松尾は虚無の穴だ」と書いたもの。
ものすごく勝手なイメージなんだけどね
http://ingoma.blog.2nt.com/blog-entry-359.html

この「虚無の穴」については、松尾さんもものすごく共感してくださって、この間お会いしたときに「まったくその通りです」と頭を下げられました。
この「カン松は虚無の穴」発言は意外と知れわたったらしく、HMJMのタートル今田さんにお会いしたときも「ああ、虚無の穴の」って言われました。

この間松尾さんにもお会いしたときも言われましたが、自分がAV業界の方と話すと「細かいところまでよく見てますよねぇ。そこまで見ている人はいない」と感心されることがあります。
ただ見ているだけなら、AVライターの人たちの方が圧倒的に見ていると思うし、ユーザーの中にはそれ以上の量を見ている人たちもいるようです。

AVの作り手には、ものすごいこだわりを持って撮っている人たちがいます。
おそらく、こだわりすぎて「そこまで見ているユーザーなんていないだろう」と思いながら編集していたりするのではないでしょうか。
私は、そういう人に「ちゃんとあなたのメッセージは届いているよ」と伝えたい。

逆に見ていて、手を抜いている輩もいます。
あるいは自分勝手な映像でプロと言うより同人仲間の感覚のまま、ちゃんと市場に向き合おうとしないヘタレ自称天才監督みたいなのもいるでしょう。

「ボヤキの小窓」で自分がボヤキ続けていることは、「ユーザーを舐めるな」ってことなんです。中にはあなた達よりも多くの社会的な経験を積み、それなりの教養を身につけている人がいるかもしれない。あなた達より感受性の豊かな人間がAVを見ているかもしれない。

AVを見る人は実に様々な職種や経験をお持ちな方たちです。立派な人だっているはずです。
でも作っているうちにそういう相手がいることを忘れていくのかなぁと思ったりします。

だから「この人に自分のAVを見られるのは怖くて緊張する。何言われるかわかんない」みたいな存在になりたい。
そういうユーザーが一定数いて、ネットを使っていろいろ主張すれば、つまんない作品を作るヤツは減っていってくれるかもしれない。
舐めているメーカーは淘汰されるかもしれない。

今までも淫語作品1つまともに売ろうとしていないAV業界には、ただただあきれるばかりでした。
うんざりしながら、それでも見てきました。
なぜか。

やはりいいものを作ってくる人はいるからです。真摯なメーカーさんもちゃんと存在する。
もちろんなにより根性の座ったステキなAV女優さんたちの存在を忘れてはならない。
そういう人たちには「よかったよ」って言ってあげたい。

自分はこの人に褒められたらうれしいと思ってくれるようなレビューアでいたい。

そのためにもちゃんと見なければ。
2倍速で早回しなんかしないで、ちゃんと見て、抜かなければ。
淫語作品なら、淫語の言い回しを確認しカウントを取らなければ。

HMJMだけがいい作品を作っているわけではありません。HMJMだってこれはどうかと思うものも作っています。ひいきにしているアウダースもそうです。
逆になにかと揶揄される売れ線の北都系メーカーの作品だっていいのがあると思いますし好きな監督もいます。
どこのメーカーとは限らず、いいAVや、使える淫語AVはこれからも探し続け紹介していこうと思っています。

やっぱり自分はAVが好きだから。
もっといい作品が見たいんです。

コメント

あんまりAV見てないけど

 評論的なこと書く時は、AVに限らず、「褒めてくれてありがとう」ではなくて「怖くて緊張するけれども納得する」と思われるようなモノを書きたいですね。
 媚びちゃうと、アウトだ。

 実際に対象に会っちゃうと書きにくくなるかなぁと思ったら、そうでもなかった。
 って、そんな書いてないけど。

 そうか、媚びて書くと対象と対等になれないんだ。
 上から目線でも、媚びても批評は出来ない、対等じゃないと。

 よよちゅうさんに会った時に、対等で、いたい。
 
 

  • [2010/01/28 13:26]
  • URL |
  • 藩金蓮(せんずり貫太郎)
  • [ 編集 ]
  • TOP ▲

対等というより

作品は作品だけで評価するべきでしょう。
作っている方も納得していない作品を作っちゃっている場合があるはずだし。

むしろ位置関係も含めて、関係性を意識しちゃダメでしょ。
たとえ昨日激しく愛し合った恋人の作品だったとしても、正当に評価できるブレない批評眼を持たないと。
それって結局のところリスペクトしていないんですよね。ある意味、作家の尊厳性を無視している。しかもわかるヤツにはわかっちまう。

そんなんで自分の感性を曇らせるヤツは評論に向いていない。
そういう人は小説を書くべき。

別に貶めていっているんじゃないですよ。
単に向き不向きの問題なんだと思います。

それでも評論をしたければ、作者に絶対に近づかない。作者に惚れ込まない。
それしかない。

藩さんがよよちゅーに会うときは自分もその場にいて何を言うか聞いてみたいですね。
つーか、その気になればいつでも会えるでしょうに。
いつになったら会いに行くの?

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