「猫と遊郭」 画で見るその3 

  • [2009/10/31 23:59]

今日は薄雲太夫の話を中断して、画で「猫と遊郭」を見てみることにしてみよう。(画像をクリックすると拡大する)

北尾政演画吉原傾城新美人合自筆鏡
まず最初の画は山東京伝が書いた「吉原傾城新美人合自筆鏡」(千葉市美術館蔵)。
道中を描いているこの画は遊郭の生活に精通し、自ら吉原の遊女を女房とした山東京伝ならではの画で、中央下に2匹の猫が戯れているのが確認できるだろう。(一匹、動きが犬っぽく見えるけど…)

百川子興「美人に猫図」
2枚目は江戸中後期、西暦でいうと1800年前後に活躍した画師、栄松斎長喜が書いた「美人に猫図」(東京国立博物館蔵)。
浮世絵では「美人と猫」というモチーフはよく描かれる。そういう意味では遊女に限ったことではないのだが、しかしそれにしても犬の方は猫よりも少ないように思う。
当時は今みたいに小型犬が一般的でなかったせいだろうか?

歌川広重 「浅草田甫酉の町詣」
次は広重の「浅草田甫酉の町詣」。
吉原の妓楼から浅草酉の市の様子を眺めている猫を描いた画だ。
吉原の目と鼻の先にある鷲神社は毎年11月の酉の日に酉の市がある。
この日は吉原も特別な日となっていて、ふだんは閉まっている大門以外の門もこの日ばかりは開け放たれ、遊女も鷲大明神までお参りに行ったりしたそうだ。
酉の市まで出てきた野郎は、そのまま吉原にくり出すって流れがあったらしい。

池田蕉園「秋苑」
最後は遊郭とは関係ないけれど、自分がかなり気に入っている池田蕉園の「秋苑」(福富太郎コレクション蔵)という美人画。
この池田蕉園は京にいた上村松園と比されて、「西の松園、東の蕉園」なんて言われていたらしい。

この焦園の旦那が同じ画家の池田輝方という人で、あまり詳しいことはわからないんだけど、ウィキペディアを読む限りなかなか面白い夫婦だったようだ。

この池田輝方の書いた文章が青空文庫にあったんだけど、文章の出来はともかく妙に印象深い怪談だったので、夜の堀っぱたを見るとときどき思いだしてしまう。

「猫と遊郭」 ちょっと中だるみのその2 

  • [2009/10/29 23:54]

猫耳ってさぁ、大島弓子のマンガのキャラを見たときからずっと思っていることなんだけど、あれって顔の横には人間の耳はついてないんだよね、きっと。
そんで横髪をたくし上げると顔の横はやっぱりつるんつるんしてるってことになるんだよねぇ、おそらく。


今日更新した「萌えっ娘 痴女 だぶるぷに」にも、猫耳バンドをつけてるコーナーがあったんだけど、耳が見えてしまうもんだから、あらためてそのことを思った。
でもあまり違和感が感じられない。結局猫耳って、見た目「耳」というより「角」なんだろうなぁ。

「うる星やつら」のラムの角も、「綿の国星」が先にヒットしてたから、あまり違和感なく受け入れられたのかもしれない。
(と思ったら、この2つの作品は1978年の同時期にスタートしたのね。【追記】)


さて早速、この間の続き。

其比、太夫、格子の、猫をいだかせ道中せし根元は、四郎左衞門抱に薄雲といふ遊女あり、此道の松の位と経上りて、能く人の知る所也、高尾、薄雲といふは代々有し名也、是は元禄七八の頃より、十二三年へ渡る三代薄雲と呼し女也、近年板本に、北州伝女をかける、甚非也、但し板本故、誠をあらはさゞるか 此薄雲、平生に三毛の小猫のかはゆらしきに、緋縮緬の首玉を入、金の鈴を付け、是を寵愛しければ、其頃人々の口ずさみけると也、夫が中に、薄雲に能なつきし猫一疋有て、朝夕側を離れず、夜も寢間迄入て、片時も外へ動かず、春の夜の野ら猫の妻乞ふ声にもうかれいでず、手元をはなれぬは、神妙にもいとしほらしと、薄雲は悦び、猶々寵愛し、大小用のため、かわや雪隱へ行にも、此猫猶々側をはなれず、ひとつかわやの内へ不入してはなき、こがれてかしましければ、無是非夫通りにして、かわや迄もつれ行、人々其頃云はやし、浮名を立ていひけるは、いにしへより猫は陰獸にして甚魔をなす物也、薄雲が容色うるはしきゆへ、猫の見入しならん、と一人いひ出すと、其まゝ大勢の口々へわたり、薄雲は猫に見入れられし、といひはやす

燕石十種 第五巻 中央公論社 1980.1.25発行 27p

このあとまだまだ続くのだけれど、取り敢えずこのあたりでいったん切って、ここでひっかかったところを。

「近年板本に、北州伝女をかける、甚非也、但し板本故、誠をあらはさゞるか」と小さく書かれているところなんだけど、これの意味が取れなくてね。
ここは作者の補足(というより蛇足)情報なので、意味がわからなくても訳出する上で大過はないんだけど、意味が取れないのは気になるんだよね。

「北州」というのは吉原のことなんだけど、「吉原の女性」について書かれている本ってことだろうか? いわゆる「吉原細見」などが、「北州伝女をかける」ってことになるのかなぁ。
それとも吉原の伝説の遊女について書かれていた本なのか。

ということで訳しては見たものの、ここはちょっと自信がない。

そのころの太夫や格子女郎が猫を抱いて歩くようになったのは、三浦屋にいた薄雲という遊女による。この薄雲は吉原女郎でも太夫まで登りつめた、世間にもその名の通った人気の遊女だった。
「高尾」「薄雲」というのは吉原において代々引き継がれる名で、この時は元禄七、八年から十二、三年の間に活躍した三代目にあたる「薄雲」という女だった。(最近、出された吉原の遊女の本は、内容がはなはだいい加減である。ただし板本程度ゆえに事実に即した内容とはならないものなのかもしれない)
この薄雲太夫は日頃から三毛の小猫を愛翫し、緋色の首輪に金の鈴をつけてかわいがっていた。そしてそのことは当時の人々にも広く知られるところであった。

その猫の中でも、特になついていた一匹は、朝も夕も薄雲から離れない。夜は寝間まで入ってきて片時も離れず外に出ようとしない。春の夜などで野良猫がさかるようになっても、その声にも見向きもしないで、じっと傍らにいて神妙にしている。なんとも愛らしいことと薄雲は喜び、ますますその猫を可愛がった。

大小の用たしにかわやに行くときもこの猫はなおいっそう側にいようとする。かわやの中に入れよとうるさいので、仕方なくその通りにしてかわやまにも連れて行くようになった。

そうなると人々はある噂を立てるようになった。「昔から猫は陰獣といって、はなはだしく魔事をなすものだ。薄雲の容貌がうるわしいので、猫に目をつけられたのだろう」と誰か一人が言いだし、たちまちのうちにそれが人々の口にのぼるようになって、「薄雲は猫に魅入られた」と言い囃されるようになった。

今回のポイントは、薄雲が好んだ猫は「三毛」で、しかも「緋色の首玉」に「金の鈴」ってことだね。
これってまさしく「招き猫」でしょう。おそらくこのあたりで「招き猫」と関連づけられたのだろう。

ところで猫好きの人なら知っていると思うけれど、三毛猫ってほとんどがメスで、オスは滅多にいないんだよね。
だからふつうに考えれば、この薄雲の猫もメスだったはず。オスだったら逆にそのことが言及されてなきゃおかしい。三毛のオスはそれだけで珍重される。高価な取引きがなされてたと言われるぐらいなんだから。

実はこの薄雲の猫好きについては、あの曲亭馬琴も『巷談坡堤庵』という読本の中で取り上げている。

だがそこには「牡猫」とは書かれいるけれど、とりたてて「三毛だった」とは書いてない。
この話では薄雲が惚れた男の、子を懐妊するのだけれど、周囲には誰の子かを言わないものだから、「猫の子を身ごもった」と噂されたって話になっている。
しかもこのあと薄雲は男に振られて自害してしまう。もちろんこれは馬琴流のフィクションなのだろうが。

薄雲の活躍していた時代は『著聞集』の記述通りなら元禄7年(1694)から元禄13(1700)年の6年間。
年季明けの元禄14年には「忠臣蔵」の松の廊下の事件が起こり、浅野の殿様が切腹することになる。
「京町の猫通ひけり揚屋町」の句を作った宝井其角も、赤穂浪士の大高源吾と仲が良く、「年の瀬や水の流れも人の身も」と「あした待たるるこの宝船」のやりとりで討ち入りの日がわかるくだりは、いかにも江戸っ子が好みそうな話だ。

その50年後に『近世江都著聞集』(宝暦七年 1757)が書かれ、さらに50年後、馬琴が読本(文化五年 1808)を書いているので、三代目薄雲太夫の猫好きの話は100年経っても有名だったってことだろう。

つまりここまでの話はおそらく史実に近いのだろう。
三代目薄雲太夫は猫好きだった。そしてそののちもしばらくの間、超人気女郎の薄雲太夫にあやかって猫を飼う遊女がたくさんでてきた。

だけど『著聞集』はこっから奇っ怪な話を続けるんだね。
といってもよくある報恩譚の一種でもあるんだけど。

「猫と遊郭」 たぶんその1 

  • [2009/10/26 23:30]

原紗央莉は「パーフェクト女優誕生」っていうのが、淫語があるというので買ったのが最初。キャリアのあるAV女優に技を伝授してもらうってことで、はるか悠と赤西涼が淫語を言わせてくれていた。
でもやっぱりデビューしたてということもあるのかぎこちなくて、最後にカラミがあるのだが見ているうちに単なる「イモねぇーちゃん」にしか見えなくなっていた。

そのあとカン松が撮ったヤツをレンタルしたけど、花のあるきれいなお嬢ちゃんでロードムービーを撮ってもあまりパッとしない。
やはりカン松はもっと過去のある女性が出てこないと画に深みがでない。
「単なる小娘じゃん」と思って、さぁーと見て返した。

今回、「手コキ・淫語・痴漢女」を(つーか、痴漢女って何だよ)見たらうまくなっていた。
「AV嬢たるもの半年も見ざれば刮目して見よ」ってことですかね。


ボヤキで書きたいことがいっぱいあるんだけど、ことの発端は二村さんに「以前ブログに書かれていた『江戸の遊郭と、猫は、関係が深い』というのは、現代の独身女性が猫を飼うことがあるのと似てますかねえ?」という質問というかなんというか、まあそういうお題をちょうだいしたことから。

これにこたえるべく、まあいつものように長文の返事を書いてたんだけど、実際かなり長くなってしまってしょうがないので途中から端折って「くわしくはボヤキで」みたいなことを書いて返信した。
でも書いてるうちにさらにあっちこっち引っかかって、ますます収集がつかなくなっているんだよね。

まあとりあえず自分の思考をたどってわかってることわからないことそのままに思い浮かぶまま書いていきますか。
なんだかおっちゃん楽しくなってきたぞ。別に二村さんの質問はどうでもよくなってきた。どうせ1回は答えてているんだし、こっからあとは好きなように気が済むまで書くぞってことで。


まず「猫と遊郭」でよく引き合いに出される文献は『近世江都著聞集第五』にある「三浦遊女薄雲が伝」のところだろう。

近世江都著聞集第五

   三浦遊女薄雲が伝
晋其角句に、
 京町の猫通ひけり揚屋町 此句は、春の句にて、猫通ふとは申也、猫サカル、猫コガル、おだ巻の初春の季に入て部す也、京町の猫とは、遊女を猫に見立たる姿也といふ、斯有と聞へけれども、今其角流の俳諧にては、人を畜類鳥類にくらぶるは正風にあらず、とて致さず、此句は、元禄の比、太夫、格子の京町三浦の傾城揚屋入の時は、禿に猫を抱させて、思ひ思ひに首玉を付て、猫を寵愛しけり、すべての遊女猫をもて遊び、道中に持たせ、揚屋入をする事、其頃のすがたにて、京町の猫揚屋へ通ふ、と風雅に云かなへたりし心なるべし、

燕石十種 第五巻 中央公論社 1980.1.25発行 26p

二村さんに送ったときも、ざぁーと訳してはみたんだけど逐語訳に近かったのでもう少し手直しした形で訳してみますね。

宝井其角の俳句に
 「京町の猫通ひけり揚屋町」
というのがある。この句は春の句で「猫通う」と言っている。(ほかに猫さかる、猫恋がるなど)おだ巻きの初春の季語に分類されている。
「京町の猫」とは、遊女を猫と見立てていたことをいう。確かにそうなのだろうが、其角流の俳諧では人を畜生にたとえるのは正当ではないとして、このような(人を猫にたとえるような)句は作られることはない。
この句は元禄の頃、太夫や格子女郎が揚屋(上客と落ち合う茶屋)に向かうときにお付きの少女に猫を抱かせて、思い思いに首玉(首輪のようなもの)をつけて猫をかわいがるようなことが流行った。
すべての遊女は猫を愛翫し、道中は猫を持たせて揚屋入りすることがその頃の吉原のならわしのようになっていたので、「京町(吉原の一つの町)の猫が揚屋に通う」と風雅に謳ったのであろう。

このあとに「其比、太夫、格子の、猫をいだかせ道中せし根元は、四郎左衛門抱に薄雲といふ遊女あり」という文章が続き、ここから有名な薄雲太夫と猫のエピソードが語られていく。

実際に道哲にあったと言われている猫塚や、そのあとに付加された「招き猫」の発祥まで、ここからいろいろ話が広がる。
この三代目薄雲太夫の話を二村さんへのメールでかいつまんで紹介したので、もっと詳しくボヤキで書きますってことにしたんだけど、その前に冒頭の「おだ巻の初春の季に入て部す也」というのが引っかかるんだなぁ。

この「おだ巻き」ってなんだろうね?

素直に読めば、「苧環」つまり昔使われていた糸車のことだけど、その「苧環」というのはなにか季語と関係があるのだろうか?

それでずっと「おだ巻き」「小田巻き」「苧環」で検索しているのだがよくわからない。

たぶん「おだ巻き」って俳諧の本があるんだろうね。自分の知っている範囲では「詞の緒環」という天保年間に書かれた文法の本があるんだけど、そういうのかなぁなんて思った。
だから「おだ巻の初春の季に入て部す也」とは、「『おだ巻き』という俳諧の解説書にある『初春の季の部』に『猫』が入るなり」って意味なのかもしれない。
【追記】ひょっとしたらこれか。『俳諧をたまき綱目大成』竹亭 [撰]

ところでこの「おだまき」だけどさ。
「糸車」って言ってもいろいろあって、どんな形をしているのかってたぶん民俗資料館みたいなところに行くのが好きなヤツぐらいじゃないと、わからないんじゃないかと思ってさ。
んで画像で検索してみたんだけどこれがまた少ないね。ネットではたいてい苧環の「花」の方ばかりがヒットしてしまう。

やっぱりネットの情報って結構、偏っているんだよなぁ。

だからさぁ、たとえば静御前が鶴岡八幡宮で舞ったときの「しずやしず しずのおだまき 繰り返し」って言う意味も実はあんまりピンとこないんじゃないかって思ったりするのよ。
苧環をしらないんだから、賤の苧環を繰り返すって言われてもなぁ。
映像的に浮かんでこないよね。

平家物語の第八に「緒環(おだまき)」の段というのがある。
これは平家物語にはよくあることなんだけど、ここで語れる「おだまき」の挿話は物語の本筋とまったく関係がない。最初の方でちょっと木曾義仲に追われた平家の話が出てくるんだけどこの話のメインである「緒環」の話はそこにちょい役で出てくる緒方三郎維義って武将の、その先祖の話。なんで先祖の話がでてくるんだってことなんだけど、話の筋はこう。

昔、山里にある女が住んでいた。そこに夜な夜な通ってくる男がいる。
そのうち女の腹がどんどん大きくなりだしたので、さすがに女の母親が問いつめると、娘は「来るのは知っているが、男がどこに帰るのかは知らない」と言う。

そこで母親は娘に入れ知恵をして、男が帰る前に男の服に針糸を刺して、「倭文(しず)の緒環(おだまき)」にくくりつけさせる。何も知らない男が帰るのを娘が糸をたぐってついていくと、姥岳という山の麓の岩屋にたどり着く。
そこで女が声をかけると、中から「私は人の姿ではない。お前が私の姿を見たら生きた心地がしないであろう。すぐに帰れ。お腹の子は間違いなく男子であろう。弓や剣をとっては九州・壱岐対馬に並ぶものはおるまいぞ」と言う。
「どんな姿であっても私はかまいません。どうしてこれまでの契りを忘れることができましょうや」
「そこまで言うなら」と穴から現れたのが十四、五丈(42~45メートル)の大蛇。見るとのど笛に針が刺さっている。
女は気を失い、従者に担われてどうにかこうにか家に帰ってくる。

その後、ほどなく女は丈夫な男の子を産む。
のちに背の高い体の大きい子どもに成長するが、その男の子は夏も冬も手足にあかがり(あかぎれ)がいっぱいできるので、「あかがり大夫」と呼ばれるようになった。

そしてあの大蛇は日向の国の高知尾の明神のご神体だったということだ。

『平家物語』第八 緒環段 を淫語魔がてきとーに要約

この「あかがり大夫」というのが、緒方維義の5代前の先祖っていう、この話自体は「姥岳伝説」とも言われているお話。

でもこれってよくよく考えてみると夜這いの話じゃねぇーの。
そしてここでもまた蛇とまぐわうわけで、日本には蛇に娘が犯される話が少なからずあるんだよねぇ。蛇懸かりっていうのかなぁ。しかも実はその大蛇っていうのが、日向の国(今の宮崎県)の高千穂皇神(高知尾の明神)だっていうんだから、何が言いたいんだがさっぱりわからん。
つまり神さまが夜這いしていたってことですか?

ということで、日本の神さまも性欲に勝てないって話。

全然、二村さんのお題からかけ離れちゃってるじゃん。
以下次号?

七つ前は神の内 

  • [2009/10/09 23:51]

ああもうダメ人間だなぁ。
今はやることがいっぱいあって、次から次へと作業を進めなければいけないのに、何から始めようかと考えているうちに、全然違う別のことをし始めたりする。

さっきも柳田国男全集とか読み出しちゃったよ。
本当はJavaScriptをいじんなきゃいけないのに。
合間にマニュアルのデータ抜きもしたかったのに。
「癒らし。」も見なきゃイケナイのに。

死んだうちの親父は金は残さなかったけど、たくさんの本は遺していった。
司馬遼太郎なんかは、出版されたほとんどの本はそろっていたと思う。
いくつか処分してしまったけど、『街道がゆく』なんかはまだほとんどうちにあるはず。

『柳田國男全集』なんかもきれいな状態のまま遺していってくれた。
じぶんはこれが一番うれしかったかなぁ。

久しぶりに『遠野物語』を読んでいたんだけど、やっぱり面白いね。
たとえば河童の話なんかが出てくるんだけど、河童の子を産んじゃう村の娘の話っていうのが妙にあやしかった。

柳田国男全集〈4〉 (ちくま文庫)
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4 ロマン溢れる民俗学…

当然、その河童の赤ちゃんはただではすまない。
「生まれし子は斬り刻みて一升樽に入れ、土中に埋めたり。その形きわめて醜怪なるものなりき」(『柳田國男全集 4』ちくま文庫 35p)ってなことになる。
でもこれって今なら、「赤ん坊が奇形で生まれてしまいました」って話なんじゃないかと疑っちゃうよね。
それを「河童の子」として処分してしまった。

ほかにもこんなのがある。

上郷村の何某の家にも川童らしき物の子を産みたることあり。確かなる証とてはなけれど、身内真赤にして口大きく、まことにいやな子なりき。忌まわしければ棄てんとてこれを携えて道ちがえに持ち行き、そこに置きて一間ばかりも離れたりしが、ふと思い直し、惜しきものなり、売りて見せ物にせば金になるべきにとて立ち帰りたるに、はや取り隠されて見えざりきという。

『柳田國男全集 4』ちくま文庫 1989.10.31発行 36p

「河童の子だという確証はねえけど、きっとそうに違いない」ってことで棄てにいっちゃうのもすごいけど、棄ててから「見せ物小屋に売っぱらえば金になるじゃないか。惜しいことした」っていうのもすごいよなぁ。
こりゃ「エレファントマン」の世界ですよ。

昔、「美しい国」とか言ってた人がいたけど、日本人は人権とかを欧米の人たちから学んでいったんだよね。お隣の国の人権問題も、ちょっと前の日本人は似たようなもんだったはず。

今より昔の方が倫理的にしっかりしていたなんてことは全然ない。
かと言って自分は昔の人が人道的に野蛮な性格だったとも思っていない。

人間の本質は今も昔もそんなに大きく違うわけがない。
変わったのは社会的な制度だけ。

「命は大切」だ。むやみやたらに生き物を殺していいわけはない。
でも自ら家畜をさばくこともせず、精肉になっているところだけを見て、うまいだのなんだの言って食っているのが現代人。死んでいった動物たちの命をおもんばかって食べている人間なんてどれほどいるのか。
最近では「いただきます」とも言わずに食っているヤツがいるからね。金払っているから当然だって感覚になっているのか。

考えようによってはそれもじゅうぶん生命軽視していると思うけど、それだって社会システムがそうなっているとも言えるんだよね。

天の月を識らず ただ池の月を観るのみ 

  • [2009/09/12 10:23]

ときどき何かに取り憑かれたようにレイアウトを調整し出したり、イラレでイラストを作ったりし始めちゃうんだよね。
おかげで更新する予定の淫語データを抜いてる時間が無くなってしまった。

一応、次は桜木凜のオナタイムにしようと思っているんだけど、またもや180分だからさぁ、時間がいつもより手間取ると思うんだよね。
AVって2時間ぐらいがいいんじゃないかって思うんだけど、長ければ長い方がいいって思う人が大半なのかね。
まぁ、大半の人は淫語を数えたりしないだろうからね。気楽だよね。

それで桜木凜のオナタイムだけど、表4の台詞は結構、正確に抜いてあった。
表4を作っている人。この淫語魔のおっちゃんの苦労を少しは理解したでしょ。
パッケージを作っているのは大抵メーカー側だからね。自分の文句の矛先は現場の制作サイドよりもメーカーで惹句を作っているプロデューサーの方にある。

今、中村うさぎの『愚者の道』を読んでいるんだけど、引っかかっちゃってなかなか前に進まない。
去年、興味を持ってこの人の本をいくつか買っておいたんだけど、『女という病』『私という病』は面白かった。2冊とも『愚者の道』と同時期の2005年に出版され、文庫化も2008年とこの3冊は三つ子ちゃん状態なわけだけど、出版されたところが違うこともあるのか、『女という病』『私という病』と『愚者の道』とは思考の流れが違うように思った。

『女という病』は実際に女性が起こした事件を中村うさぎが分析していくのだが、その切り刻み方がとても上手くて感心させられた。
彼女の心理分析のタネはフロイトが根っこにあるんだろうけど、女性がファルスを求めてうろうろする様を中村うさぎ流に表現してみせた。
実際の女性がどこまでフロイトの仮説通りなのかはわからないが、中村うさぎが説得力を持って説明しているのは確かである。

女という病 (新潮文庫)
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5 女たちを想う中村うさぎの心の軌跡・・・そして祈り
5 女の自意識は、それ自体、病である
4 女であるという呪詛
4 『私という病』『女という病』の次は、『書くことの病』ってどうでしょう?
1 全て中村うさぎの13の事件

『私という病』は今度は自分の体験したことを使って分析を試みるわけだが、これもまた読んでいて感心することしきり。

私という病 (新潮文庫)
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4 前半の実体験レポートは◎、後半はフェミニズム系論考になり△。
5 今、信用できるのはこの人だけだと心の底から思う。
5 私が私である限り
4 私という病。。それはわかりやすいタイトルです。

でも『愚者の道』にいくととたんに理屈が苦しくなる。
さっきの2冊に比べ、実例を使っての説明に乏しいせいかもしれない。
抽象的な話に徹すると綻びがみえてしまう。

愚者の道 (角川文庫)
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5 今、信用できるのはこの人だけ
1 これは本当に中村うさぎの本なのか

まだ全部、読み終わってないから読了後にあらためて考えようと思うけれど、この人はこんなやり方で自分自身をペテンにかけているのかなぁなんて思った。

たとえば「バカの反対は利口」「愚者の反対は賢者」だから「バカ」と「愚者」は違うって話。
「バカ」には「一つの事に徹してほかのことには疎い」という意味もあるが、多義のある言葉ってことで、「愚者」の意味もしっかりある。もともと愚痴蒙昧の者を指す仏法用語だ。

そのことは物を書いて食べてきた中村うさぎなら辞書を引いて知っているはず。
よしんば現代的な使われ方としての「バカ」だとしても、「バカ⊃愚者」つまりバカの中に愚者も含まれるというのが妥当なところだろう。

ほかにも「女は自己を犠牲にする生き物である」という話があって、「自分は自己犠牲の義務を怠ってきた」と自ら責めるのだが、これも部分だけ取り出してミスリードしていると思う。

「気遣いの出来ない女はダメ」的なものなら、これは単に女性の地位が低かったからで、男性も先輩後輩の関係だったりすれば、下が上の人の気持ちをおもんばかって動かなきゃいけない。
下の立場が空気を読み、お茶くみもパシリもやり、時に主君のために腹かっさばいたりするのだ。

これこそ母性社会の典型だと思う。

あるいは母親は子どものために自らを犠牲にするってことなら、それは男親にもあることで女性の特権ってわけでもない。
むしろ男の方こそ、腹を痛めていないににもかかわらず我が子が川で溺れてれば命を投げ捨てる。他人の子どもを救おうとして死んじゃうケースもある。

もちろんこれは人による。
だが男だけが幼児虐待をしているわけじゃない。

そういう綻びというか、「そりゃ、あんたのさじ加減じゃん!」的な理論展開が見られるので、あらためて『女という病』『私という病』を読み返さなきゃいけないかなぁと思ったりしている。

共感できているからってその人が正しく認識しているとも限らない。
むしろ母性が強すぎると、共感だけがすべてで理屈がおざなりになりがちだからね。

母性社会の気に入らない部分は、まさにそういうところなんだよね。