ネコを使って言い訳をしてみる。 

  • [2007/08/14 12:10]

先週は飼っているネコのせいで往生した。

ことの発端は、毎年、夏にやるネコの混合ワクチン。
うちの母親が夕方、いつものように自転車のかごに乗せて近くの犬猫病院に連れていった。病院に着いてネコを下ろそうとしたところ、スルッと逃げ出した。ケージが少し開いていたらしい。

そこからまぁ、大騒ぎ。母も病院の先生も慌てて探し回ったが見つからずじまい。その病院からうちまで1キロぐらいの距離。途中には2車線の道がある。
落ち込む母に獣医の先生は「○○ちゃんの場合、帰ってくることもありえますから、決してあきらめないでください」と励ましていた。
というのも、実はうちのネコ、屋内飼育をぜすにしょっちゅう外を出歩いているネコだったのだ。完全屋内飼育の場合、ほぼ絶望的らしいのだが、外に出すことがあるネコは可能性がゼロではないらしい。

夜、事の顛末を聞いた自分は、早速、地元の友人でもあるその獣医と話した。
でも彼は、うちの母にはああ言ったが「まず難しいだろう」と言う。昔ならいざ知らず、最近は一度逃げたネコが帰ってくるケースを聞かなくなったということだ。
とりあえず「病院に迷いネコの張り紙でも貼ることにしようか」ということで電話を切った。

「最近は」と獣医が断ったのは、子どもの頃の経験を話したからだ。
うちには歩いて出かけるとよく途中までついてくるネコがいた。ただ、ある道を超えるとそれ以上追ってこない。途中でピタッと止まってこちらを眺めている。どうやらその辺りがヤツの縄張りだったのだろう。
でもある時、そのネコを抱えて近くの友だちのうちに連れていったことがある。手を離すとすぐに逃げ出したが、うちに帰ってみると、1キロ以上ある友だちの家からちゃんと戻ってきていた。
つまりネコは縄張りより先に行くことはないが、かといって隣の縄張りぐらいなら、ある程度わかっているような気がしていた。

ここ数日、東京は熱帯夜。
その夜も暑くて、夜中、アイスを買いに外に出た。
すると車の上にネコが。
何事もなかったように屋根の上に寝そべって涼んでいた。

もちろん、母は喜んだ。

東京では屋内飼育が推奨されている。
自分も母に何度かその話をしてきたが、昔からこの飼い方をしてきた母はガンとして受け付けない。

以下が平成11年3月「猫の適正飼育推進策について」として東京都動物保護管理審議会が出した答申だ。

屋内での飼育

猫を屋内で飼育すれば、飼い主とともに過ごす時間と触れ合う機会も増えるので、お互いのつながりがより親密になり、心豊かな生活を送ることが可能である。また、飼い猫を交通事故や感染症の危険から守れるとともに、猫による生活環境への被害を未然に防止することにより近隣住民とも良好な関係を保つことができる。
猫の特性をよく理解し、不妊去勢手術を実施するとともに、猫にも配慮した環境を整えれば、屋内飼育は十分可能である。東京都における猫の飼育実態調査においても、約8割の飼い主が猫の屋内飼育について肯定的な意見を持っており、今後はその有効性を飼い主が理解し、広く実践することが望まれる。

うちのネコは不妊手術もしている。他人に迷惑をかけるとすれば糞害と共通感染だろうか。糞害は近くにあるデカい墓園の茂みでしているみたいだから問題はなさそうだが、共通感染の責任はあるんじゃないかと思う。
だからこそ母に話すわけだが、ただそれでも自分は屋内飼いを推進する人たちの物言いのなかで納得できないものがある。

たとえば「飼い主とともに過ごす時間と触れ合う機会も増えるので、お互いのつながりがより親密になり、心豊かな生活を送ることが可能である」とあるが、屋内飼いの方が「親密に」なるのだろうか? ましてや「心豊かな生活」というのも偽善めいたものを感じる。

どういう言い方をするにせよ、屋内飼育というのはネコを部屋に閉じこめているのだ。
そこに一抹の後ろめたさを持たずに、「心豊かな生活」と言いきるのはどうかと思う。
中にはネットなどで「それでもネコは幸せである」と言いきられる文章に出くわすことがある。
だが部屋に閉じこめることで、そのネコの持つ特性を矯めている可能性はゼロではないはずだ。実際、うちのネコは屋内外飼育をしていたからこそ戻ってこれた。
ヤツは毎日、朝早くからネコの集会にも参加しているみたいだ。そうやって地域のネコたちとコミュニケーションを図りながら、ネコにはネコの生活があったのではないか。

ネコの気持ち
これが自分のコドモならどうだろう。
学校でいじめに遭うからと、親が部屋に閉じこめておくだろうか。外に出ると暴漢に襲われるかもしれないし、交通事故に巻き込まれるかもしれないから、死ぬまで部屋にいなさいと言うだろうか。
「飼い猫を交通事故や感染症の危険から守れる」というのもどういう思想性のもとで出てきた言葉なのだろう。

別に自分は屋内飼育を否定する気はない。むしろ都会に住む以上、その飼い方でないとまずいんじゃないだろうかとすら思っている。
ここ多摩地域も住宅の造成が進んで、昔のように空き地や原っぱが激減している。密集した住宅空間に屋内外飼育は問題が生じやすいだろう。ましてやアスファルトで覆われた場所やマンションで飼うとなると屋内飼育は必須だ。

でも、それでもやはり、ネコの飼い主にはちょっとぐらいの後ろめたさは持つべきじゃないかと思う。自分が母には「屋内飼い」を強く言えないで多少の罪悪感を感じているぐらいには。
ホントは東京みたいな都会で、ネコなんて飼ってはいけないのではないだろうか。
そんなことを思った。

ネコが戻ってきた次の日、早速、病院に連れていった。
リュック型のケージにネコを入れ、原チャリで搬送したのだが、ネコは最後までギャースカ騒ぎまくっていた。
病院では、先約の治療が長びいているみたいだ。どうやらお話好きのおばさんが、人のいい獣医のセンセを相手におしゃべりに興じてしまっている。
時間ぴったりに行ったので、すぐ終わるものと思ってケージから出してしまっていた。
順番がくるまで、しばらくの間、逃げないようにネコをしっかり抱きしめた。ネコは逃げようともがく。だからいっそ強く抱く。心臓の鼓動は早く、肌色のはずの肉球はかなり赤くなっていた。

それがいけなかった。
自分はネコアレルギーなのだ。ネコを5分以上抱いていると、ジンマシンと呼吸困難に襲われる。
案の定、その夜は鼻の廻りが炎症を起こして、眼を明けることができなくなっていた。痒くてたまらない。

ということで、本来なら今週中に永瀬・癒らし。のレビューをここに書いて、しかも今日はマニュアルにデータをアップする予定だったが、それができそうにない。
昨日も夜中、後輩に呼び出されたし。

今日の言い訳はこれにて終わり。
このblogのカテゴリに「今日の言い訳」というのを増やそうかなぁ。

あと、独り身の男に悩みを相談してくる君たち。
これから君たちにはこれしか応えないことにする。

仕事先で悩んでる→だったらそんな仕事やめちゃえ! オマエの人生だ。
家庭でいろいろあってさぁ→離婚しろ! 楽になるぞ。
金が貯まらない→まず酒とパチンコをやめろ! 話はそれからだ。

確かに人間もネコも劣化しているのかもしれないな。
都会暮らしというのは、そういうことなのかもしれない。