アーリンガナ(alingana) 

  • [2008/11/14 20:27]

基本的にSEXって突起しているところをねぶるか、穴に出し入れするかの2つの動作で成り立っている。
より深いパートナーとの密着感を得るために凹と凸のねぶりあいをする。
その上で人の性癖によっていろんなオプションがつく。

自分はそこに言葉のスリ合わせがほしい。
無言では人間と抱擁した気分になれない。
SEX中にも言葉による意思の疎通がしたいんだね。
よしんばたとえ体がつながってなかったとしても心ではつながりたい。
そういう触れ合いを求めているのかもしれない。

AVはSEXを描くモノだが当然のことながら触覚にうったえることは出来ない。
そのため視覚的な画として接触部分を見せ、触感を伝えることになりがちだ。
この点はフェチ映像でも同じで、足コキ好きの人間ならやはり足とチンコの接触面をどのように撮るかってことになるだろうし、尻フェチもやはりどう肉感的なところを表現するかって話になるはず。

でもこれにも限界がある。

特にキスなんかは口の中で舌がどう動いているかわかるといいんだろうけど、そんな画はどうやって撮るんだって話だ。
これがエロマンガのような二次なら断面図的なカットを入れたりすることも可能だけれど、あれなんかマンガだから描けるんで実写だとちんけなモノになってしまう。

そういう意味ではヘンリー塚本がやっているベッカンコーキスも不自然ではあるけれど、視覚的にうったえるキスとしてはありだと思う。
より密着感を出そうとすると口の中に収まって隠れがちな突起物、すなわちベロをできるだけ露出してしまった方が伝わりやすいってことだろう。

それはFUCKも同じで、正常位で男優が被さるとハメシロがどうだとか言い出すAVファンがでてきたりする。したがって正常位でキスするにしても屈曲位にして挿入場所が見えるようにするとか、側位でも男優が足をからめて股を閉じさせないようにするとかそういう工夫をしている。

昔の擬似姦ばかりのAVの頃はしっかり抱擁してエッチしているシーンも少なくなかった。
AV嬢も男の腰に足をからめて強く抱きつき、男優も上下ピストン運動だけじゃなく「のの字」「永字八法」運動もしていた。

麻美ゆま 美しい痴女の接吻と性交
自分はハメシロもいいけど、こういう(→)抱きつきFUCKの映像は好きなんだ。
実際のSEXでもこの状態で耳元に淫語を囁いたりして、淫語責めすると興奮するんですよ。
胸の体温を感じながら会話したり呼吸するのは気持ちいい。
そこでキスするからいいんだなぁ。

今はFAか熟女ジャンルしかやってくれないんだよね。
熱い抱擁AVっていうのがなかなかないのが残念だ。


渡辺監督のブログに淫語中出しソープ4のスチール写真が載っていた。

10月22日に撮影した、星優乃ちゃんです
http://www.avs-video.com/modules/wordpress/2008/11/14/497/

そういやぁ、「川瀬さやか 痴女遊戯」をこの秋あげるつもりだったんだよなぁ。
すっかり忘れていた。

これから少し取り戻そう。

アーチュンバナ(acumbana) 

  • [2008/11/14 00:05]

自分が「接吻」って言葉を最初に覚えたのはまだ小学校にあがる前で、確か「花のピュンピュン丸」でケメ子が使ってたか、それとも「いなかっぺ大将」の大ちゃんが使ってたかだと思う。
「せっぷん」っていう語感が妙に艶めかしかった。

AVの世界で「接吻」という言葉を周知したのは間違いなく二村ヒトシだろう。

でも「接吻」ていうのは字義からいうと口をつけることであって、ベロチューではないんじゃないかと思ったりもする。
「口吸い」なんて言葉もあるから、日本人は舌をからめるというより吸ってたんじゃないか。ベロベロやっている春画なんてあったっけ? 吸い合っているのは見た気がするけれど、からめているのはどうだったかなぁ。画じゃわかりにくいってこともあるけれど、今度、調べてみよう。
ついでにいうとフェラチオもあんまり見た記憶がない。逆にクンニリングスの方は昔から描かれている。

それであらためて思ったんだけれど、キス好きの人って、結局、舌の動きで興奮するのかねぇ。吸い合うところで興奮する人はいないのだろうか?
フェラも舌で舐めあげるのと咥えるのとでは興奮するポイントが微妙に違う気がする。

今日UPした麻美ゆまの「接吻と性交」なんだけど、途中、インタビューシーンでなぜか爆笑してしまった。
監督が「一番幸せなキスは?」とか「キスしたくなる唇はどんなの?」とか聞いていているんだけれど、その時に「ゆまちんはぁさぁ~」とか言って、「ゆまちん」を連発しているのがなんとなく気恥ずかしかったんだな。

麻美ゆまのブログはよく見ているんだけれど、彼女って自分の写真ばかり載せるんだよね。吉沢明歩なんかも比較的自画撮り写真を載せているけれど、それでも麻美ゆまの方が圧倒的に多い。つまり基本的にご自分のことを大好きなんじゃないかと思うんだ。それで自分の世界を作り上げて、そこの主人公を「ゆまちん」と自称するわけなんだけど、このゆまちんワールドに40過ぎのおっちゃんが巻き込まれてしまった感が妙におかしかったんだね。

自分だったら「ゆまちんはさぁ~」とか実際に口にするのはかなり抵抗がある。
だけどここで「ゆまはさぁ」なんて呼び捨てにしたら偉そうでイヤ。
かといって「ゆまさんは~」だと他人行儀だし、「ゆまちゃん」も当人が「ゆまちん」と言っているのに尊重していないようでつらい。
結局ここは相手にあわせて「ゆまちん」と呼んであげるべきなんだろう。
実際の二村さんはどう思っているのかしらないけれど、自分を投影したときに情けないことをさせられているような気分になった。それで笑いがこみ上げてきたのだろう。

でもね、冷静に考えてみると女の人に淫語を投げかけるのは好きなのに、「ゆまちん」と言うことには恥ずかしいと感じる自分の言語感覚ってなんなんだろうと思った。

あとマニュアルにも指摘した姿見でのポージングなんだけれど、これなんかも「ゆまちん」のナルシストぶりが出ているようで、それがとってもよいと思った。女の人って自分自身のことを好きな女性の方が光り輝いているように見える。女の人は自分の中にある女性性の確認でもって自信を持つようなところがあるからね。

その「自分大好き」な麻美ゆまが「がに股」で屈伸しているところはとてもエロキレイ。両足の踵はつけているのでちょうど足の形がパンタグラフのような菱形の開閉をするんだけれどこれがよいのよ。彼女はカラダのラインがむちゃくちゃ綺麗だから、全裸でのこのポージングは画になる。
まぁ着衣派には残念なクネクネダンスなんだろうけれどね。自分はマッパ好きなんでこれでO.K.

あえて今回の作品の瑕疵を探すなら男優がちょこちょこゆまちんのしゃべりを邪魔してたことかなぁ。大島丈なんてゆまちんが話し掛けている最中にキスでその口を封じやがった。
カラミ自体はいいんだけど、どうもそういうのが気に入らないんだよなぁ。
興奮しちゃっているから難しいのかもしれないけれど我を忘れたらダメだよね。
こういうのってFAプロあたりが使っている男優の方がうまいんだよなぁ。
もっともあれは台本があるから当然か?

!!

今、書いていて思い出した。
「奥様は18才」で富士真奈美が「接吻」って言葉を使ってたような気がする……。
それが自分の中で最初の出会いかなぁ。

うーーーん。