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 2009年10月 

「猫と遊郭」 たぶんその1 

  • [2009/10/26 23:30]

原紗央莉は「パーフェクト女優誕生」っていうのが、淫語があるというので買ったのが最初。キャリアのあるAV女優に技を伝授してもらうってことで、はるか悠と赤西涼が淫語を言わせてくれていた。
でもやっぱりデビューしたてということもあるのかぎこちなくて、最後にカラミがあるのだが見ているうちに単なる「イモねぇーちゃん」にしか見えなくなっていた。

そのあとカン松が撮ったヤツをレンタルしたけど、花のあるきれいなお嬢ちゃんでロードムービーを撮ってもあまりパッとしない。
やはりカン松はもっと過去のある女性が出てこないと画に深みがでない。
「単なる小娘じゃん」と思って、さぁーと見て返した。

今回、「手コキ・淫語・痴漢女」を(つーか、痴漢女って何だよ)見たらうまくなっていた。
「AV嬢たるもの半年も見ざれば刮目して見よ」ってことですかね。


ボヤキで書きたいことがいっぱいあるんだけど、ことの発端は二村さんに「以前ブログに書かれていた『江戸の遊郭と、猫は、関係が深い』というのは、現代の独身女性が猫を飼うことがあるのと似てますかねえ?」という質問というかなんというか、まあそういうお題をちょうだいしたことから。

これにこたえるべく、まあいつものように長文の返事を書いてたんだけど、実際かなり長くなってしまってしょうがないので途中から端折って「くわしくはボヤキで」みたいなことを書いて返信した。
でも書いてるうちにさらにあっちこっち引っかかって、ますます収集がつかなくなっているんだよね。

まあとりあえず自分の思考をたどってわかってることわからないことそのままに思い浮かぶまま書いていきますか。
なんだかおっちゃん楽しくなってきたぞ。別に二村さんの質問はどうでもよくなってきた。どうせ1回は答えてているんだし、こっからあとは好きなように気が済むまで書くぞってことで。


まず「猫と遊郭」でよく引き合いに出される文献は『近世江都著聞集第五』にある「三浦遊女薄雲が伝」のところだろう。

近世江都著聞集第五

   三浦遊女薄雲が伝
晋其角句に、
 京町の猫通ひけり揚屋町 此句は、春の句にて、猫通ふとは申也、猫サカル、猫コガル、おだ巻の初春の季に入て部す也、京町の猫とは、遊女を猫に見立たる姿也といふ、斯有と聞へけれども、今其角流の俳諧にては、人を畜類鳥類にくらぶるは正風にあらず、とて致さず、此句は、元禄の比、太夫、格子の京町三浦の傾城揚屋入の時は、禿に猫を抱させて、思ひ思ひに首玉を付て、猫を寵愛しけり、すべての遊女猫をもて遊び、道中に持たせ、揚屋入をする事、其頃のすがたにて、京町の猫揚屋へ通ふ、と風雅に云かなへたりし心なるべし、

燕石十種 第五巻 中央公論社 1980.1.25発行 26p

二村さんに送ったときも、ざぁーと訳してはみたんだけど逐語訳に近かったのでもう少し手直しした形で訳してみますね。

宝井其角の俳句に
 「京町の猫通ひけり揚屋町」
というのがある。この句は春の句で「猫通う」と言っている。(ほかに猫さかる、猫恋がるなど)おだ巻きの初春の季語に分類されている。
「京町の猫」とは、遊女を猫と見立てていたことをいう。確かにそうなのだろうが、其角流の俳諧では人を畜生にたとえるのは正当ではないとして、このような(人を猫にたとえるような)句は作られることはない。
この句は元禄の頃、太夫や格子女郎が揚屋(上客と落ち合う茶屋)に向かうときにお付きの少女に猫を抱かせて、思い思いに首玉(首輪のようなもの)をつけて猫をかわいがるようなことが流行った。
すべての遊女は猫を愛翫し、道中は猫を持たせて揚屋入りすることがその頃の吉原のならわしのようになっていたので、「京町(吉原の一つの町)の猫が揚屋に通う」と風雅に謳ったのであろう。

このあとに「其比、太夫、格子の、猫をいだかせ道中せし根元は、四郎左衛門抱に薄雲といふ遊女あり」という文章が続き、ここから有名な薄雲太夫と猫のエピソードが語られていく。

実際に道哲にあったと言われている猫塚や、そのあとに付加された「招き猫」の発祥まで、ここからいろいろ話が広がる。
この三代目薄雲太夫の話を二村さんへのメールでかいつまんで紹介したので、もっと詳しくボヤキで書きますってことにしたんだけど、その前に冒頭の「おだ巻の初春の季に入て部す也」というのが引っかかるんだなぁ。

この「おだ巻き」ってなんだろうね?

素直に読めば、「苧環」つまり昔使われていた糸車のことだけど、その「苧環」というのはなにか季語と関係があるのだろうか?

それでずっと「おだ巻き」「小田巻き」「苧環」で検索しているのだがよくわからない。

たぶん「おだ巻き」って俳諧の本があるんだろうね。自分の知っている範囲では「詞の緒環」という天保年間に書かれた文法の本があるんだけど、そういうのかなぁなんて思った。
だから「おだ巻の初春の季に入て部す也」とは、「『おだ巻き』という俳諧の解説書にある『初春の季の部』に『猫』が入るなり」って意味なのかもしれない。
【追記】ひょっとしたらこれか。『俳諧をたまき綱目大成』竹亭 [撰]

ところでこの「おだまき」だけどさ。
「糸車」って言ってもいろいろあって、どんな形をしているのかってたぶん民俗資料館みたいなところに行くのが好きなヤツぐらいじゃないと、わからないんじゃないかと思ってさ。
んで画像で検索してみたんだけどこれがまた少ないね。ネットではたいてい苧環の「花」の方ばかりがヒットしてしまう。

やっぱりネットの情報って結構、偏っているんだよなぁ。

だからさぁ、たとえば静御前が鶴岡八幡宮で舞ったときの「しずやしず しずのおだまき 繰り返し」って言う意味も実はあんまりピンとこないんじゃないかって思ったりするのよ。
苧環をしらないんだから、賤の苧環を繰り返すって言われてもなぁ。
映像的に浮かんでこないよね。

平家物語の第八に「緒環(おだまき)」の段というのがある。
これは平家物語にはよくあることなんだけど、ここで語れる「おだまき」の挿話は物語の本筋とまったく関係がない。最初の方でちょっと木曾義仲に追われた平家の話が出てくるんだけどこの話のメインである「緒環」の話はそこにちょい役で出てくる緒方三郎維義って武将の、その先祖の話。なんで先祖の話がでてくるんだってことなんだけど、話の筋はこう。

昔、山里にある女が住んでいた。そこに夜な夜な通ってくる男がいる。
そのうち女の腹がどんどん大きくなりだしたので、さすがに女の母親が問いつめると、娘は「来るのは知っているが、男がどこに帰るのかは知らない」と言う。

そこで母親は娘に入れ知恵をして、男が帰る前に男の服に針糸を刺して、「倭文(しず)の緒環(おだまき)」にくくりつけさせる。何も知らない男が帰るのを娘が糸をたぐってついていくと、姥岳という山の麓の岩屋にたどり着く。
そこで女が声をかけると、中から「私は人の姿ではない。お前が私の姿を見たら生きた心地がしないであろう。すぐに帰れ。お腹の子は間違いなく男子であろう。弓や剣をとっては九州・壱岐対馬に並ぶものはおるまいぞ」と言う。
「どんな姿であっても私はかまいません。どうしてこれまでの契りを忘れることができましょうや」
「そこまで言うなら」と穴から現れたのが十四、五丈(42~45メートル)の大蛇。見るとのど笛に針が刺さっている。
女は気を失い、従者に担われてどうにかこうにか家に帰ってくる。

その後、ほどなく女は丈夫な男の子を産む。
のちに背の高い体の大きい子どもに成長するが、その男の子は夏も冬も手足にあかがり(あかぎれ)がいっぱいできるので、「あかがり大夫」と呼ばれるようになった。

そしてあの大蛇は日向の国の高知尾の明神のご神体だったということだ。

『平家物語』第八 緒環段 を淫語魔がてきとーに要約

この「あかがり大夫」というのが、緒方維義の5代前の先祖っていう、この話自体は「姥岳伝説」とも言われているお話。

でもこれってよくよく考えてみると夜這いの話じゃねぇーの。
そしてここでもまた蛇とまぐわうわけで、日本には蛇に娘が犯される話が少なからずあるんだよねぇ。蛇懸かりっていうのかなぁ。しかも実はその大蛇っていうのが、日向の国(今の宮崎県)の高千穂皇神(高知尾の明神)だっていうんだから、何が言いたいんだがさっぱりわからん。
つまり神さまが夜這いしていたってことですか?

ということで、日本の神さまも性欲に勝てないって話。

全然、二村さんのお題からかけ離れちゃってるじゃん。
以下次号?