うわゃぁぁぁあ、話の前提がくずれてますがな。 

  • [2009/11/12 19:15]

淫語魔さん 07:22 - 今日のどるちゃん情報
http://d.hatena.ne.jp/doller/20091112/1257978174

もっもっ、申し訳ございません。
「品川」ではなくて、「深川」なんですね。
「品川」よりもさらに下がる「岡場所」ってことになりますね。
天保の改革(1842年)で新宿、品川、板橋、千住以外の岡場所はすべて取りつぶされたので、それ以前の時代の話ってことでしょうか。

「品川の郭」という思い込みからどんどん連想していって、ああでもないこうでもないと個人的に楽しんじゃいましたが、まったくの事実誤認となるとうまく修正しないといけませんね。

いずれにしろ「どぶねこ」は読んでみたかったので、読んだらあらためて紹介し直します。その方が私としてもスッキリしますから。

実はこの話には二村さんとの伏線がありまして。
私が江戸の遊女を考えるとき、多少なりとも今のAV女優に置き換えて考えるところがあります。
で、そのことを以前、二村さんに話したことがあるんですね。

私の中では遊女、とりわけ吉原遊郭のような大きなところの花魁と「AV女優」は重なって見えます。 花魁を菩薩のように恋いこがれる町人がいる一方で、一度もそういうものを見ずに、ときおり浮世絵師の書いた美人画でその存在を知る人もいる。またその存在自体を悪処と切り捨てる人もいました。 今のAV業界に対する世間のイメージと重なるところがいくつかあります。

「AV女優」から遊女と一緒にするなと怒られるかもしれませんが、でも江戸の花魁も出世すると、たとえ相手が大名だろうが豪商だろうが気に食わなきゃ鼻にもかけませんでした。かといって入りたてはどんな辛い仕事も頑張らないといけない。 年季が明けて吉原を出たあとでも、また戻って品川宿あたりに流れて安い客を取ったりする。もちろん結婚して二度と戻らない人もいる。

なんか似てません?

この話自体は他の方にもよくするんですが、二村さんの場合はこの話に乗っかってきてくださったのです。そんな人は今までいなかったんでうれしかったんですけど、それで今回「江戸の遊廓と猫の関連」についてあらためてお話があった。
たぶん思いつきで実に他愛のない話をしただけなんでしょうけど、私としてはとても喚起される内容だったので、いろいろ文献あさってああじゃこうじゃ考えちゃったんですね。
私が猫好きってこともあるんですけど。

それでまたもやAV業界とからめて考えてしまったのです。
これは、いつか二村さんとお会いしたときの話として、とっておこうと思ったんですが。

たとえば「吉原の遊廓」はかつてのレンタルメーカー、「岡場所」はインディーズと置き換えることが出来るのではないか、とか。

「吉原」は格式があって時の幕府からもお墨付きがある。遊女も美人揃い。ただ形式的なしきたりも多く、年季が明ければ遊女は引退。
岡場所の方は吉原よりも見た目は落ちるが、格式ばった一見さんはお断りみたいなのもない。とにかく気安い。雨後のタケノコのようにあちこちにできる。

遊廓や岡場所以外にも「夜鷹」なんていうストリートガールがいる。
「単体」「キカタン」「企画」、それぞれ対応する遊女がいるように思います。

それからドルショックさんのおっしゃるとおり、吉原は岡場所に押されて危機感を募らせたことが何回かある。それで当時の幕府に泣きついて、私娼の取り締まりを画策する。
だからといって役人も岡場所全部を取りつぶしたりしない。大手の江戸四宿の岡場所は残してみたりする。
それも幕末になって幕府の資金繰りが悪くなるといろんな宿に許可を出してみたりして。

さらに時代は変わり御維新になって、色里の勢力図も変わっていきました。
吉原はたくさんある色町の一つでしかなくなり、後発の根津や玉ノ井なんかとしのぎを削ることになります。

このように私が江戸の遊女について思うとき、無意識に「AV」や「AV女優」と関連づけて考えてしまう。
だから私が「江戸の遊女と猫」について考えているときは、「AV女優と猫」と入れ変えて考えていたりします。

私たちが今、AV女優に対して思う社会的評価は、そのまま当時の遊女たちに対する世間の視線と重なるんじゃないか。
差別する人もいれば、女神のように扱う人もいる。トップを張れば浮世絵に描かれて江戸中に知れ渡る。
AV女優に対する扱いがピンキリなように、当時の遊女に対する扱いもピンキリだったのではないか。

「傾城にまことなし」という言葉がありますけど、その一方で遊女の貞節をテーマにした廓噺がいくつかあります。
私は何故か昔からそういう噺が大好きです。

柳家さん喬の「雪の瀬川」なんか聞くとボロ泣きしちゃうんですよね。