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 2007年03月 

鶴光ーでおま! 

  • [2007/03/06 21:11]

淫語においてのエロの構造は以前、「緊張と緩和だ!」って書いたことがあるんだけど、ネットでこの「緊張と緩和」という語句を検索していたら、結構、本来の意味から一人歩きして使われている感じがなくもない。

なんで、こんなことになっているのかというと、落語ファンではない人たちが、サゲの種類も知らず、ただ「緊張と緩和」という意味合いだけで使っているからなんだと思う。
でも、どうせならきっちり落語ぐらい聞いておいてほしいなぁ。

猪
演芸における「緊張と緩和」の言い出しっぺは、上方落語の天才噺家・桂枝雀。
彼は落語のオチを「緊張と緩和」によるものとして、理論化した。
自分が中学生ぐらいの時、いろんなところで講演していて、テレビでも何度かボードを使って説明していたのを見た記憶がある。

落語というのはウソの話を、送り手の噺家の話芸でもって、引き込んでいく。
その過程が「緊張」を生み、その緊張が高まったところで最後に落として「実はウソですよ」と表明する。これが志ん生や米朝なんかが言っていた「落とす」ということ。

この「話」に必ず「オチをつける」ってことにしたのは、実は江戸からで、上方で発展していたときは、必ずしも「オチ」があったわけではない。ところが落語が上方から輸入されて、徐々に噺が作り替えられていく過程で、江戸では、どんな話にも「オチ」をつけるようになった。

鹿
だからもともとオチが想定されていない噺に、無理矢理「オチ」をつけたりしたものもあるから、構成的にバランスを欠いていたり、手っ取り早さからか、ダジャレで落とす「地口オチ」なんてものが多用されたりしている。

その枝雀だけど、面白いことも言っていて、普通は「緊張」のあとに「緩和」がくるから笑えるんだけど、「緊張と緩和の同居」みたいなこともあるって話している。

すなわち、枝雀の創作落語に「茶漬閻魔」っていうのがあって、それって「閻魔」という緊張材料が、「茶漬け」という緩和行為をしているだけで笑えるということなんだけどね。
自分が淫語のエロさについて考えていたときに、ふとそのことを思い出したのね。
それが「緊張と緩和」説を持ち出したきっかけだった。

マイクを向けられた「素人女性」が突然「淫語」を言うとか、清純そうな「アイドル」が「淫語」を言うとか、真面目そうな「アナウンサー」が原稿を読み間違えて「淫語」を言ってしまうとか。
つまり「どんな女性」でも「淫語を言うことはあるんだよなぁ」という当たり前のような意外性が、落語の「緩和」に相当すると思えたんだ。

この落語の「緩和」の意味を取り違えて、「緩和」の笑いとは「癒し系」だとか平気でネットに書いている人を見かけたんで「あ~あ」と思ったんだ。

「緩和」というのは、枝雀の言葉を使って言うなら「そんなアホな」か「なーるほど」かの2方向で落ちていくことであって、その意外性こそが「緩和」なんだよね。
別に精神が弛緩することでも、癒されることでも、思わず失禁してしまうことでもない。

いずれにしろ、自分は「緊張と緩和」をそのように理解して、淫語のエロさを理解しようと考えたわけ。

蝶
淫語連呼もね。
落語には「拍子オチ」って言って、言葉の展開やリズムで、最後にスコーンって落とすって言うのがあるんだけど、そのパターンで連呼しないと、エロく聞こえないんじゃないかと思っていたりする。
ただ言わせているだけでは、「緊張」も「緩和」も生まれないでしょう。

だからAVもさぁ。もっといろいろ勉強して、真剣に「言葉遊び」をしてほしいと思ってるんだよね。

昔はSODが良い感じだったんだよ。
でも、最近はどうも探求力が足りないというか、モノを知らないというか、世間が狭いというか、尻つぼみになっちゃったよねぇ。
もともと企画で勝負する会社じゃなかったんでしょうか、あそこは。
学ぶべきものは、他の分野でいっぱいあるだろうに。
日本には落語のほかにも、言葉遊びの伝統芸はいっぱいあるんだから。

ホント、古典を知らないのが多いよね。
根無し草の文化はいずれ廃れる運命にあると思うんだけどな。
でもそれじゃ、困るんだよね、こっちとしては。
どっかに真剣に淫語と向き合ってくれるメーカーはないのかねぇ。

ちなみに、自分の淫語好きはどう考えても、笑福亭鶴光の「オールナイトニッポン・サンスペ」のせいなんだよなぁ。
前に、淫声のクモさんと話していて、自分たちの世代は、つくづく鶴光師匠の言葉遊びに毒されているんだなぁ、って実感させられたことがあった。

その鶴光師匠だけど、彼は落語家としてもかなり優秀な人で、間の取り方、目の切り方はとてもうまい。
最近は寄席とかに行ってないからわからないけど、東京で聞ける上方古典落語家の第一人者なんだよね。

見たことがない人は一度行くといいよ。
落語はライブで聞かないと、本当の意味でおもしろさは伝わってこないからね。