表現があって初めて本当の理解がある。 

  • [2007/06/18 23:47]

「名前のない女たち」のレビューを書こうと思って、参考のためにネットを巡回しているんだけど、あんまりレビューらしいレビューは見つからないね。

とりあえず、これ↓ぐらいかなぁ。

腐敗したメーカーに鉄槌をいれる!セル店店員の妄想批評ブログ
2007AVオープン チャレンジステージ(4)

「腐敗したメーカー」っていうのはどこを指してんだかわからないけど、なかなか刺激的なブログタイトルだよね。大丈夫なんだろうか?

まっ、これもねぇ、ちょっと食い足りなくて、雑誌とかも含めて、いろいろ見ていたんだけどさ、あんまりピンとくるものがないのよねぇ。なんだろうね、これ。
まぁ、もともとAV情報誌に、自分の知りたい情報がないってことで「淫語AVマニュアル」を作った経緯があるわけなんで、わかっていたことではあるんだけど、それにしてもねぇ。

そもそも、AV情報誌の簡単なレビューって、なんのためにあるのかねぇ。
自分のようなマニアックな性癖を持っている人間はしょうがないとしても、一般ユーザーはあのレビューを参考にAVを買おうとするもんなんだろうか。
紙媒体の雑誌よりは、個人のレビューサイトの方が、まだまともなことを書いているような気がするんだけどなぁ。
しかも雑誌はどうしてもタイムラグがあるから、発売されて1ヶ月以上経っている作品を紹介していたりする。
何の意味があるんだろう、ホント。
自分の一体、どこに盲点があるんでしょうか?
誰か教えていただけませんかね、いやマジで。

まぁ、いいや。

んで、「名前のない女たち」なんだけど、これ見る度にいろんなことを考えちゃう。

たとえばゴールドマンなんだけど、正直、最初見たとき、今回のゴールドマンにはものすごく腹がたったんだよね。
いかにも「お仕事SEXしてます」って思えちゃってさ。
なんか真咲ぴぃ子と正面からぶつからずに無難にまとめたって感じがして、仕方がなかったんだよなぁ。
「つまんなくなったな、ゴールドマン」って、思わず、画面に毒づいちゃった。

自称・詩人のゴールドマンは、AVのお仕事を片手間にやってから、こんな無様な醜態をさらしてんじゃないの、って思っちまった。

でもね。
そういえば、中村さんのブログにこの辺りのいきさつが書いてあったことを思いだして、早速、掘り起こしてみたらさぁ。

ぴぃ子は小6でキャバ嬢になるまで、給食のパンを父親とわけて食べるなどの極貧の生活を送っていたらしかった。セックスしながら「貧乏人」であること、また過剰な化粧の揚げ足をとって「素顔では表を歩けない」ことを罵って欲しいと依頼をした。

 歌舞伎町のラブホから帰ってきたゴールドマンは、浮かない顔をしていた。自意識の強い彼女がゴールドマンのファンタジックな世界にハマるとは到底思ってなかったが、やはり本来の自分からズレた人格を演じることは無理だったようである。セックスは激しくそれなりにエロかったが、ぴぃ子は自らの快楽以外に興味をしめすことはなく、想像通りのすれ違ったセックスが展開されていた。

   発射後。ゴールドマンは「リストカットの詩~オマエは淋しいんぼう」を歌ったのだが冷たくおそろしく寒かった。

07年5月24日 ♯7 ゴールドマンセックス

なるほどねと思った。

結局さ。
このあと出てくるカリスマ竿師も含めて、ここに登場するおっちゃんたちはみんな、まだ十代のこの娘に振り回されてしまっているのね。
最後のエッチだって、カリスマの力業でエロいエッチになってはいるんだけど、あれもある意味、「真咲ぴぃ子」が大人になってくれて、なんとか折り合いをつけようとしてくれたから成立したようなもので、さすがの太賀麻郎もちょっとヘンだった。
麻郎さんは認めないかもしれないけど、小娘相手にかなりムキになってるように自分には見えたしね。

真咲ぴぃ子はなかなかどうして、いっぱしの哲学者ですよ。
この作品の登場人物の中で、一番、真剣に自分と向き合っていたのは彼女なんじゃないの。
イイ娘だよね、彼女。

ま、ほかにもいろいろとね、見れば見るほど考えることが出てきちゃう。
次から次へと重要なポイントが立ち現れてきて、収集がつかなくなっちゃうんだよね。

つまり、それだけ良い作品だということ。
ヌキにしても、全然、期待してなかったんだけど、麻郎さんとのエッチはさすがにゴニョゴニョしてしまった。
麻郎さんって淫語の言わせ方もうまいんだね。

それと中野貴雄さんってぴぃ子と同じ、大阪・十三の出身だよね。
編集の時、何か感慨みたいなものはあったのかなぁ。

書物を読むのは、これを理解するためであるけれども、これを本当に理解するのには、それを自分で書かねばならない。自分で書いて初めて書物は身につく。
読む人間から書く人間へ変わるというのは、言ってみれば、受動性から能動性へ人間が身を翻すことである。書こうと身構えた時、精神の緊張は急に大きくなる。この大きな緊張の中で、人間は書物に記されている対象の奥へ深く突き進むことが出来る。しかも、同時に、自分の精神の奥へ深く入って行くことが出来る。

清水幾太郎『論文の書き方』岩波新書 1959

批評するってホント、大変な仕事だなぁ、って最近つくづく思う。
特に、この作品はずっと緊張しまくりですよ。
こんなに真剣にAVを見たのは初めてじゃないかなぁ。

きりがないのでいい加減、見切りをつけて、明日の晩にはレビューをアップするね。
あとがつかえているし、淫語マニュアルもいい加減、週2回のデータ更新を遂行したいし。

んで、中村淳彦さん。
コレ、宣伝すると「中村敦彦(ママ)グッズ」(「ぴぃ助ψ(`▽´)ψの【性技の味方】」より)が手にはいるってホントですか?

そういえば雨宮さんにも、春うららのとき、ブログで「敦」彦って間違えられて書かれてたよなぁ、確か。