コメが長くなりすぎたので、トラバしました。 

  • [2007/07/16 19:36]

>藩金蓮さん

2007-07-15 愛の言霊

紹介していただいて、ありがとうございます。
私ね、言葉に関して盲点になっていることに「文字コトバ」と「音声コトバ」の混同があると思うんですよ。
AV業界ってね、AVのパケ表示なんかが顕著なんですけど、あまりにもそのことについて無関心すぎるんですね。

前回のタイトルになっている司馬遼太郎の『東と西』ですけど、その中に大岡信との対談があります。そこで大岡さんはとても面白いことを言っておりまして、「音で聴く文化」っていうのがあって、歌人なんかはそうだというんですね。

そうすると歌人というのは言葉を扱うんだけれども、それは声を発して、そこにいる一座の人を酔わせるということでもあった。一流の歌人というのは、一種の役者だったんじゃないか。そこへ管弦などが入ってくれば、たちまちにして芸能の世界に入っちゃう。

お釈迦さんも美声だったっていいますよね。三十二相の中で唯一、仏像で表現できないのはその「梵音声」だとも仏典に書かれていたりします。だから経巻を埋めたりするんでしたよね。
絶世の美女と言われるクレオパトラも実は顔自体は絶世と言うほどではなくて、ただ話し方がものすごく魅力的だったとか。

声って、大事ですよね。文字ももちろん大事ですけど、文字以上に声の方が情緒を揺さぶりますでしょう。だけど、「文字」と「音声」って必ずしも一致しませんよね。むしろ、文字化されると読みやすいように改変されたりします。

私はそこが不満なんですよね。AVにおいては、それがものすごく無造作に見える。出来る限り、近づけるべきでしょう? なのにやらない。おちんちんとしか言ってないのに、平気で「チ○ポ」なんて書いてくる。こいつらの言語感覚はどうなってんだって思ってしまうのですよ。
これはAVレビューアにも言えることでね。AV雑誌にも何回かだまされてきましたよ。私たちのような性癖の人間はそれでかなりお金をどぶに捨ててきたんですね。

でも、昔はそれでも出されていたものを、黙って喰ってたんだな。
エロ系はだまされてナンボって感じで育ちましたからね。
エロ雑誌の自販機とかね。中学生の頃とか、夜中にウチを抜け出して、ドキドキしながら買いに行って、手に取れないからウインドウ越しに表紙を眺め、人がときどき通ったりするから、脱兎のごとくその場から立ち去って、そしてしばらくしてまた戻ってきて、結局、一時間近く品定めして、やっと手に入れてね。それをお腹とズボンの間に挟んでシャツで上から隠して、家までダッシュ。

んで、結局、タイトルや写真にだまされちゃってる。表紙でご開帳していたカワイらしいお姉様は、いっこうに出てこなくて、厚化粧のオバさんがね、なんかやっているわけですよ。
パケ写詐欺とかいいますけどね。あんなものは昔からあったわけです。

だから、私ぐらいはやろうと思ったんです。
私は極端な話、作品全体の良し悪しなんかよりもね。淫語の種類や言い方を検証したりすることの方が大事なんですよ。1本3000円もするんですからね。学生さんならキツいでしょう。まさに身銭を切る思いですよ。
だから人柱になるつもりではじめたのです。誰もやらないから。

実際、声は難しいんですよね。サンプル見てもわからなかったりするんですよ。
しかもその肝心のサンプルにね。うるさい感じのBGMをかけてくれたりするところもあって、全然、聞き取れなかったりする。
もうここまできたら、戦いですね。

だけどね、限界があるんですよね。時間的にも経済的にも。
だからあくまでやれる範囲です。それ以外は、わかっていただけそうな制作の方にメールしたりするぐらい。これが素人の限界でしょうね。モチベーションが下がるとね、もうAVを見るのはやめようかなって思うんですね。良い作品はいくつかありますから、見たくなったらそれをローテーションで回していけばいいかなぁって。
特にいろいろ忙しくなると思うんですね。こっちも遊んでいるわけではないですからね。

このブログをやってなかったら、とっくに閉店してましたね、本サイトの方は。
だから藩金蓮さんにこのブログを評価してもらえたことはとても嬉しいのです。最近は、本サイトよりもこっちのリピーターになってくれる方が増えてきました。つまり等身大の私を受け入れてくれたわけですからね。別立てにしておいてよかったです。

ところで「音で聴く文化」の話ですけどね。
大岡信さんは、この対談の中では室町時代から出来てきたって言ってますけど、私はちょっと違うんじゃないかと思いますね。宗教がそうでしょう。あれは太鼓やら、読経やら、神仏との交流にはいろいろ音を使いますよね。

隼人族って言うのは、魔除けのために遠吠えをする習慣があったそうなんです。大和朝廷との争いの中で、ヤマトの兵士はその不気味な音には肝を冷やしたらしいですね。
日本書紀に「火酢芹命の後裔のもろもろの隼人たちは、今に至るまで天皇の宮の垣のそばを離れないで、吠える犬の役をしてお仕えしているのである」(『全現代語訳 日本書紀上』講談社学術文庫82p)ってあって、どうやら征服されたときに、畿内に連れていかれて、奴隷にされたようなんです。
私は、これが「犬神人」の起こりなんじゃないかなぁと思っているんですよ。

クマと呼ばれたりハヤブサと呼ばれたり、最後はイヌと呼ばれていたわけなんですね。
でもこの人たちが、「俳優(わざおぎ)の民」として生きることを誓うと神代紀には出ていて、ここから、河原者が生まれ、世阿弥などを生んでいったのかもしれない。

日本における芸能というのは、もともと音を大事にするもんなんじゃないですかね。特にその声に神聖と畏怖をもったんじゃないでしょうか。
それが霊がやどるということでしょう。

だから私はね。文字コトバに引っ張られすぎの今のAVの人たちに、なんとか音声コトバにも注目してくれないかなぁってね、ネットの片隅で遠吠えしているわけなんですよ。
いんごぉーーーー!!!ってね。