司馬さんの『東と西』っていう対談集も面白いです。 

  • [2007/07/14 23:46]

結構、このblogでは特定の1人に向けて書くことが多いんだけど、この記事は男根主義と女体主義のコメントの流れで、藩金蓮さんに向けての返事をここで書くことにします。

というより完璧にこの時の記事の内容からズレてしまっているからね。もともとある覆面監督さんの正体を知ってしまったところから、あのデビルマンのエンディングを連想して、そこからなぜか仏教ネタに突入してしまったんだけど、それが歴史の話になっちゃって、もはやなんのことだがわからなくなっているので、あらためて別項に起てるわけですよ。

まぁ、私はこの手の話をするのが大好きなもんでね。
ではでは。


団鬼六さんの話に関してはそのうち『不貞の季節』について書こうかと思っているので、その時にまたします。
あと自分も萩・下関にはいつかまた行きたいです。

 そう言えば、薩摩や長州なども情で動いている感じがします。だからこその限界があったような気もします。幕末だけではなく、その後の明治維新においても。
 その点、龍馬は郷士という身分故に背負うものが無くて非常に視野が広く自由だった。(だからこその苦しみや孤独も勿論あったと思いますが)
 新撰組は東国の人達ですもんね。
 なんとなく、私はあんまり新撰組には惹かれないのです。いまいちそこにある「美学」に共鳴しない。

私は多摩地域の生まれなんですね。生まれたところは近藤勇と同じ調布。
今は距離的には彼の墓のあるところの近くに住んでいます。
多分、私が住んでいるところの隣の市に東良さんがいて、あそこのでかい公園をいつも毎日、走っているんじゃないかと踏んでいるんですけど、そういう武蔵野の地に抱かれて育ちました。

その一方で私の両親は鹿児島の出身で、私の名字には熊襲の末裔という話があったりします。ホントのところはわかりませんけど、ひょっとしたら生粋の薩摩隼人だったのかもしれません。

で、鹿児島の話なんですけど、鹿児島と言えば西郷さんってことになるんでしょうけど、もう1人、大久保利通って人がいますよね。どうやらあまり人気はないみたいですけど、私は大久保利通が結構、好きなんですよ。
実際、日本の礎を作った人でもあるわけでしょ。鹿児島の人間は西郷の部分と大久保の部分の両方を持っていると思うんです。それに西郷も結構、冷酷なところがあるし、逆に大久保には案外、情け深いところもあるんですね。
それと鹿児島の人間って組織の理屈とか好きな方だと思いますよ。組織というより団体行動というか、みんなでわいわい集まって徒党を組んで何かする、みたいな。

ただ、利害に疎い。
お金を不浄のものだとすら思っている。
あととりあえずは建て前を大事にします。男尊女卑とか言われますしね。実際は女の人の方が実権を握っていたりするんですけど、そういう外面との立て分けがしっかりしていて、一見、保守的なところが強かったりします。
その一方でいったんケツまくるとスゴいですよ。傍若無人ですね。それが情で動くって話につながるかもしれません。
関ヶ原での薩摩の連中のケツのまくり方はスゴかったでしょう。西軍にいて密約も採っていなかったのに改易されなかったのは薩摩ぐらいなのでは。最後は徳川家康を脅してましたからね。

ただ私が見るに、情で動くと言うよりは、利害で動くことを極端に嫌う気風と考えた方が正確な気がするんですよ。金の話をするのも嫌うかな。
あと大和朝廷に滅ぼされた経験からか、中央権力を信じていない。
それとどこか熊本人をバカにしているところがある。あれはなんでしょうね。畿内からの移植者、あるいは監視者として見ていた歴史があるのかもしれません。それがDNAに刻まれているのか、それともミームってやつなのか。

藤原広嗣の乱なんかはその怨恨を爆発させたものかもしれません。
これって、平将門の乱と似ている気がするんですよ。
関東もまた大和朝廷に植民地化されたところでしょう。鎌倉幕府だってよく考えてみれば、源兄弟を差し置いて、北条氏を中心とした坂東武者の連合体ですからね。
ひょっとしたら畿内人に対する怨念という一点で似ているかもしれません。

そういえば近藤勇と土方歳三の関係って、どことなく西郷と大久保に似ているような気がしませんか。スケールは全然、違いますが。

私は鎌倉幕府って言うのは京に対しての独立戦争で、ひょっとして明治維新での薩摩の戦いも、あるいは新撰組のような存在も、そういうものが根っこの方にあるんじゃないかと思ったりすることがあります。
島津の殿様は頼朝の子孫だって言いますしね。

ほぉらぁ、止まんなくなっちゃった。wwww
何が言いたかったんだっけ?

えっと、多分、藩金蓮さんのおっしゃっていた関西のリアリズムって、「名も実も、できれば種まで取る」みたいなことかなぁと思ったんですね。
そして東国の人間のリアリズムって「名こそ惜しけれ」ってことなんだろうと。だから形にこだわる。愚直と言えば愚直。冷酷と言えば冷酷。
ゲリラ戦の天才といえば義経や楠木正成ですよね。そのような戦い方の発想は東国人ではなかなか思いつかないのかもしれません。

でも最近は、「名こそ惜しむ」という発想は多摩にはなくなってきてしまいましたね。共同体が壊れてしまうと、そういう倫理観もまた同時に壊れていくのです。淋しいものです。

あと全然、違う話なんですけど、今日お書きになった話。
あれって私も似たような知人を知っているのですが、逆のケースはあるんですかねぇ。女の人は、男の人からあんな風に言われたら、婚約破棄にいたることはあるんだろうか?
なんてことをふと思ってしまいました。

でわでわ。

んーーーーー。
なんかちょっと強引に東と西をわけすぎているかなぁ。
ブツブツブツブツブツブツ・・・・・・・。